お宝映画・番組私的見聞録 -115ページ目

日活ロマンポルノと熟女たち その2

今回も、日活ロマンポルノに出演した「熟女」ということで進めてみたい。
まずは、黛ジュン(48年生まれ)。64年に本名の渡辺順子名義で歌手デビューしたが、ほとんど売れなかった。67年に黛ジュンに改名。これは作曲家の黛敏郎のファンだったからということらしい。そして68年「天使の誘惑」が大ヒットし、人気歌手の仲間入りをした。ちなみに作曲家の三木たかしは実兄である。
ロマンポルノは34歳のとき、三越事件を描いた「女帝」(83年)に出演した。ミニスカートで歌ったりしていたが、特にセクシー系の人ではなかったこともあってか、結構話題になった記憶がある。
同じ48年生まれの中村晃子。67年「虹色の湖」の大ヒットで注目されたが、元々は女優として松竹に入社しており、初の映画出演は映画版の「七人の刑事」(63年)である。「かわいい魔女ジニー」(69年)や「チャーリーズ・エンジェル」(76年)の声優としても活躍している。
「プレイガールQ」にレギュラー出演しているが、彼女自身はお色気担当ではなかったように思われる(第1回と最終回しか見たことないので断言できないが)。ロマンポルノへは39歳のとき、「待ち濡れた女」(87年)に出演した。相手役は高橋長英であった。
新藤恵美(49年生まれ)は、ボウリングドラマ「美しきチャレンジャー」(71年)で注目されたが、デビューは64年であり、中村晃子と同様15歳で松竹に入社している。
セクシー路線とは無縁だった気がするが、34歳になってロマンポルノ「チャイナスキャンダル・艶舞」(83年)、「ルージュ」(84年)に出演した。後者での相手役は火野正平である。
奈美悦子(50年生まれ)は、西野バレエ団4番目のスターとして16歳のときにデビュー。67年に女優・歌手デビューともほぼ同時に行っている。19歳でヴィレッジ・シンガーズのドラマーで後に俳優となる林ゆたかと結婚するが、2年で離婚している。
ロマンポルノへは34歳のとき「トルコ行進曲 夢の城」(84年)に出演した。
ピンキーとキラーズのピンキーこと今陽子(51年生まれ)は、67年にソロ歌手として15歳でデビュー全く売れなかった。翌68年にピンキーとキラーズとなり、「恋の季節」が大ヒットした。69年にそのピンキラ主演で「恋の季節」が映画化されたが、実質的な主役は前述の奈美悦子であった。
彼女もセクシー路線とはほぼ無縁であったが、35歳のときロマンポルノ「蕾の眺め」(86年)に登場し、ストリッパー役に挑戦している。原作・脚本は早坂暁で、共演は佐藤浩市であった。
今回、名を挙げた面々はほぼ同世代で15~16歳でデビュー、一度は大きな人気を得て、停滞期があり、30半ばでのロマンポルノ出演という共通点がある。

日活ロマンポルノと熟女たち

今回は日活ロマンポルノ熟女編である。どこから熟女というのかは諸説あろうが、あくまでもイメージである。

五月みどりが、セクシー路線に走ったのはいつだったかと考えてみると、まあ「プレイガールQ」(74~75年)なんかに出ていたくらいだから、その頃かなと思って調べると、「かまきり夫人の告白」(75年)が始まりだったようだ。しかし、これは東映の作品であり、日活ロマンポルノではない。
71年に最初の夫・西川幸男と離婚し、次の夫になる面高正義と結婚する(76年)合間の作品である。西川との間に出来たのがプロゴルファーとなる西川哲で、アイドル菊池桃子と結婚した(後に離婚)というのは有名な話だろう。哲の兄になる西川賢は「山田太郎」の名で歌手として活動していた。母親は五月ではなく、西川の前妻との間の子供である。
ロマンポルノ「マダム・スキャンダル10秒死なせて」(82年)に出演した時には、既に43歳であった。ちなみににっかつ創立70周年作品の肩書きがある。
五月みどりとくれば、10歳下の妹が小松みどりである。二人とも「みどり」だが、妹の本名が緑である。つまり、姉は妹の名を芸名にしていたことになる(本名・フサ子)。
その小松みどりが姉に遅れること3年、ロマンポルノ「小松みどりの好きぼくろ」(85年)に登場した。ちなみにこれが映画初出演、監督は山本晋也である。
小松みどりは18歳のころ、「青空に叫ぼう」(67~68年)という青春ドラマに出演していた。おそらく女子生徒役だと思われる。この番組の主題歌を歌っていたのが、前述の山田太郎である。
ちなみに、五月・小松は二人姉妹ではなく8人兄弟であり、二人の真ん中あたりに位置するのが、プロボウラーの西城正明である。いかつい顔の西城が二人の兄弟であるというのは想像しにくいが、西城も元は歌手であった。
五月みどりのロマンポルノ登場から数ヶ月、世間を驚かせたのが高田美和のロマンポルノ出演である。ご存知のとおり、大スター高田浩吉の娘。宇野鴻一郎原作「軽井沢夫人」(82年)への出演は清純派からの破格の大変身と言われた。ちなみに当時35歳。ロマンポルノが清純派からの脱皮の場として使われることも多かったようである。
相手役は「西部警察」でデビューした五代高之で、他にも土屋嘉男や江原真一郎なども出演していた。 

日活ロマンポルノとアイドルたち その4

日活ロマンポルノ出演で、当時一番話題になったのは畑中葉子だった気がする。
八丈島の出身で、78年に歌謡スクールの師匠である平尾昌晃とのデュエット「カナダからの手紙」でデビューし、大ヒットとなる。しかし、わずか1年後に元マネージャーと結婚し、活動を休止する。
しかし、半年で離婚。80年に復帰として選んだのが、日活ロマンポルノ「愛の白昼夢」だったのである。特に2作目の「後ろから前から」は自ら歌った主題歌と共に大ヒットとなる。
特に美女というわけではないが、当時まだ21歳。話題性は大きかった。しかし、足掛け三年でこれだけ経験した人も珍しい。
結局、翌81年までロマンポルノでは4本に主演している。歌の方もそれ系の曲が続いた。前述の「愛の白昼夢」には、新東宝スターレット1期生・小笠原弘が共演。3作目の「獣のようにもう一度」では片桐竜次、4作目の「癖になりそう」には安岡力也がそれぞれ出演している。
CMモデルとしてデビューし、75年には歌手デビューしたのが三東ルシアである。芸名といい顔立ちといい、ハーフのイメージで売りたかったのであろうか(普通に日本人のようである)。歌手としては、ヒット曲には恵まれなかった。女優業では特撮ドラマ「大鉄人17」(77年)に悪の組織の一員として出演したりしていた。
そんな彼女がロマンポルノに登場したのは24歳のとき「女教師生徒の目の前で」(82年)である。知名度のわりには、地味なデビューだったという。しかし、彼女は主演は少ないがロマンポルノの世界に数年留まることになるのだった。
その三東ルシアと同い年で、歌手としては76年にデビューしているのが芦川よしみである。日活女優だった芦川いづみと混同する人も多いかもしれないが、こちらは68年に引退。よしみの方は入れ替わるように、翌69年より子役として活動を始めている。
そんな彼女が出演したのは、にっかつ創立70周年記念作品であるエロス大作「暗室」(83年)である。本作には芦川だけでなく、三浦真弓、木村理恵も出演。木村は「太陽にほえろ」で三年の間、お茶を出し続けた人である。
主演は清水紘治で、個人的には悪役のイメージが強い。元妻は大谷直子だ。本作には寺田農、河原崎長一郎、殿山泰司なんかも顔を出している。
ちなみに、原作は吉行淳之介、監督は浦山桐郎、脚本は石堂淑郎というわけで、出演者とスタッフの名前だけ見てると、ロマンポルノだと思う人はいないだろう。

日活ロマンポルノとアイドルたち その3

ロマンポルノに出演したアイドル話はまだ続く。
伊藤麻衣子。現在はいとうまい子と平仮名表記になっている、大映ドラマなどで活躍した童顔の女優である。女優のイメージが強いが、83年にアイドル歌手としてデビューしている。
そんな彼女が23歳の時に主演したのが「愛しのハーフムーン」(87年)である。どちらかといえば青春映画であり、ロマンポルノなのか?という意見もあるかもしれないが、この時期のにっかつで公開された以上、その枠に入ってしまうのである。
共演者も石黒賢、嶋大輔、堀江しのぶなど青春映画っぽいメンバーだ。ちなみに原作は女優の原田美枝子である。共演の堀江しのぶが胃癌で亡くなったのはこの翌年である。
伊藤麻衣子とくれば、川上麻衣子である。伊藤が平仮名になったのは、川上との混同を避けるてめだという説もある。
彼女を有名にしたのは「3年B組金八先生」だが、そのイメージは強く、やはり童顔でもあり、脱却を図るためか17歳でヌードを披露したりしている。スウェーデン生まれなので開放的なのかもしれない。彼女もこの頃、歌手デビューしている。にっかつにはロマンポルノ終焉直前の88年「うれしはずかし物語」で主演した。
ロマンポルノで人気を得た可愛かずみとは深夜ドラマ「トライアングルブルー」で共演し、仲も良かったというが、可愛は97年に自殺、「金八先生」では相手役であった沖田浩之も99年に自殺している。
「金八先生」といえば、三原順子も忘れてはいけない。当時リアルに15歳であったが、ツッパリ少女役ということもあり、随分大人びて見えたものである。
そんな彼女もアイドル後に主演したのが「嵯峨野の宿」(87年)である。ロマンポルノらしさのないタイトルだが、文芸作品だったりもするのである。三原はあまり似合うとは思えない和服姿の京女を演じる。役名は篠原涼子ならぬ良子だ。共演は金田正一の息子・金田賢一である。
ご存知と思うが、現在は参議院議員・三原じゅん子である。女優業は引退した形になっている。
前々回に山城新伍が早乙女愛主演の「女猫」を監督したと書いたが、山城はもう一作ロマンポルノで「双子座の女」(84年)という作品も撮っている。前述の川上麻衣子も「やくざ道入門」(94年)というやはり山城が監督した映画に出演している。
「双子座の女」の主演は五十嵐夕紀。ピンと来ない人もいるかもしれないが、77年に歌手デビューしたアイドルの一人である。当初は順調だったように記憶しているが、伸び悩み経緯はわからないが、ロマンポルノ出演ということになったようだ。ちなみに彼女は双子座ではなく蟹座である。
デビュー曲はユーミン作詞の「6年たったら」だが、6年たったらロマンポルノ出てました、というオチが待っていたのである。

日活ロマンポルノとアイドルたち その2

前回の続きである。
現在は、女性アイドルグループが大流行で、48人とか大所帯も珍しくなっているが、基本は3人組ではないだろうか。
古くはゴールデンハーフ。デビュー当時は5人組だったのだが、すぐに一人(エリー)抜け、後にユミ(実はハーフではなかった)も抜け最終的にはエバ、マリア、ルナの3人組になった。もっとも、3人組だった期間は1年足らずで解散してしまったのだが。
その中では、一番美人だが大人しく目立たない感じだったのが、ドイツ人とのハーフであるルナこと高村ルナであった。そのルナが日活ロマンポルノに登場したのは76年のことである。「修道女ルナの告白」など2本で主役を演じた。
そんなルナも04年に54歳の若さで死去。Wikiには52年生まれとなっているが、49年生まれというのが本当らしい。ちなみに、その2週間後に「全員集合」で一緒だった、いかりや長介が亡くなっている。
その「全員集合」で3人組といえば、キャンディーズだろうという人も多いだろうが、解散表明後にその妹分として77年にデビューしたのがミッチ、マミ、クーコのトライアングルである。当初はキャンディーズjr名義であったが、反発を受けて改名したのである。
しかし、デビュー曲以外はヒットせず、メンバー交代もあり(クーコ→アキ)、81年には解散となる。
その中で、一番長身で大人そうな感じだったのがミッチだったが、そんな彼女が翌82年小森みちことなり、「あんねの子守唄」でロマンポルノに登場した。まだ21歳であり、話題にもなったと記憶しているが、ロマンポルノは「あんねの日記」(83年)との2本だけで終了している。
ちなみに彼女の本名は森光子。あの大女優に肖って付けられたわけではないらしいが、親ももう少し考えろよと思う。若いのにおばちゃんのイメージになってしまう。当初は本名で活動していたのだが、ロマンポルノに森光子の名で出るわけには行かなかったようだ。
前述の二人もそうだが、アイドルとして行き詰まってというのが、ロマンポルノ出演の動機になるケースが多いが、逆に歌手デビュー前に出演したのが越美晴である。
アイドルというよりシンガーソングライターとして78年に18歳でデビューし、キーボードを弾きながら歌っていたのを見た記憶があるが、その直前に「時には娼婦のように」に出演していたのである。
黒沢年男のヒット曲として知られるが、主演は黒沢ではなく、作詞・作曲のなかにし礼だったりする。
越を見出したのはなかにしであり、その筋での出演であろう。シャワーシーンもあったというが、主役ではなく、その時点では当然無名だったこともあってか、デビュー後に話題になることはあまりなかったと思う。映画への出演はやはり、断れなかったということなのだろうか。

日活ロマンポルノとアイドルたち

ピンク映画とくれば、次は日活ロマンポルノである。 
その歴史を大雑把に言うと、日活が一般映画の製作を停止した71年の11月のスタートし、当初は好調だったもののAVの登場により、88年にひっそりと終焉を迎えている。約17年ほどで、作品数は1100本くらい。ちなみに「にっかつ」とひらがなになったのは78年のことである。
その特長はやはり出演者に有名人が多いということであろうか。中でも注目は、やはり(元)アイドルであろう。人気が落ちて、話題づくりのために出演といったケースが多かったりする。
まずは元祖アイドル天地真理。デビューはロマンポルノと同じ71年で20歳でのデビューであった。83年頃からアダルト路線に踏み込んでいたのだが、85年「魔性の香り」に出演した。34歳の時である。ちなみに、相手役は先日亡くなったジョニー大倉であった。
74年、15歳で「ひまわり娘」でデビューした伊藤咲子。ベリーショートで歌はうまいが少年のような見た感じであった。三年目くらいまではヒット曲もあったが、その後は停滞。と思ったらデビュー10年目の84年突然「刺青」に出演する。映画初出演だった。あの谷崎潤一郎の文学作品が原作だが、ロマンポルノである。共演はロッキー刑事こと木之元亮、沢田和美、成瀬正、根岸一正などである。
同じ74年に14歳でデビューしているのが松本ちえこ。バスボンのCMで有名になった彼女だが、それは76年のことで、当初はパッとしないアイドルだったのである。しかし、77年暮れの妊娠疑惑騒動で人気を落としてしまう(真相は腹水がたまっていたためだった)。
彼女が出演したのは「夕ぐれ族」(84年)。80年代に実在した愛人バンクの名称である。主演扱いは松本ちえこではなく、当時人気の若手漫才師である春やすこ(当時23歳)であった。
この映画には、もう一人横須賀良美(当時22歳)も出演していた。歌手デビューは81年とまだ三年しか経っていなかったが、男性とベットインしている写真の流出により、事務所から解雇されるなど窮地に立たされていたのである。本作には主役での依頼だったらしいが、その時点では資生堂との関係が続いていたため、ヌードはなしになったという。
この「夕暮れ族」には、他にも竹中直人、蟹江敬三、小野ヤスシ、岸部一徳、なぎら健壱、清水クーコ、フォーリーブスの青山孝なんかも出演していた。
もう一人74年デビュー組には早乙女愛がいる。歌手ではないが、映画「愛と誠」の愛役で4万人の中から選ばれて15歳でデビュー。梶原一騎原作作品の役名を芸名にするのは天地真理と同じパターンである。彼女も当時はアイドル的な人気を誇っていた。
そんな彼女が清純派から脱却したのが「女猫」(83年)である。監督を務めたのは山城新伍(第2回作品)であった。山城と早乙女は当時ドラマ「新ハングマン」で共演していたのである。
他の出演者は岩城晃一、名和宏、深江章喜、せんだみつお、片桐竜次など山城の人脈であろう面々もいる。
この作品は話題を呼び、4億5千万の興行成績を記録している。早乙女は2000年に引退したが、10年に51歳の若さでなくなっている。
天地、伊藤、松本、横須賀はあまり見かけないが、芸能活動は現在も継続しているようである。

有名俳優のピンク出演

ピンク映画には、当時すでに有名だった俳優が出ているケースもある。
まずは、高宮敬二。新東宝ハンサムタワーズの一人として知られるが、松竹時代の65年に「妾ごろし」など数本の出演歴がある。
見た目から夜の男という雰囲気のある高宮だが、実際「トルコの帝王」などと呼ばれていた時期もあったようだ。このピンク映画に出演していた時期はおそらく、麻薬密売容疑で逮捕された(結局無罪放免となった)影響で、仕事が減っていた頃ではないだろうか。
若杉英二は、松竹でデビューし主役級で活躍。明智小五郎の役などもやっていたが、57年新東宝に移籍し、天城竜太郎と改名させられる。社長大蔵貢の指示であった。東映に転じると再び若杉英二に戻るが、石井輝男が監督した「異常性愛記録ハレンチ」(69年)の主演としても知られる。
突然の変態映画出演のように見えたが、実は63年頃から数本のピンク映画に出演している。「蜜戯」(65年)で共演した谷口朱里は本作が初主演である。
筑波久子は日活第3期ニューフェース(同期は二谷英明、小林旭)の出身だが、「肉体の反抗」(57年)のヒットをきっかけに、「肉体シリーズ」などセクシー系の女優として活躍した。60年に日活退社後は、東映を中心に活動していたが、63年に突如「毒ある愛撫」に主演している。共演は前述の若杉英二で、他にも石橋蓮司などが出演。石橋は子役出身だが、成年になってからはこれが初の映画出演かもしれない。
筑波は慶応女子から慶大へ進学(中退)した才媛だったが、肉体派女優のレッテルに心身疲労していたという。この63年にコロンビア大学に語学留学したことをきっかけに、結婚しカリフォルニアに新居を構えた。やがてハリウッドの映画プロデューサーに転身し、「ピラニア」や「殺人魚フライングキラー」などのヒット作を生み出している。
武智鉄二が66年頃撮ったらしい「幻日」という作品があるが、それに出演していたのが内田良平である。「映画論叢」に載っているポスターに名前はないが、佐藤慶も出演していたという。しかし、この作品、ポスターは存在するものの上映記録などは見当たらず、未公開であった可能性が高いようである。

宮田羊容・布地由起江の「やわ肌ざんげ」

映画のOPで出演者の名前を見ていると、よく見かける名前の一つに宮田羊容というのがある。洋々だったり、洋容だったりもするのだが、少なくとも70本以上は出演しているようだ。
ちゃんと調べたわけではないが、それほど大役というのもないようなので、大部屋俳優かななどと思っていたら、肩書きはミュージカル漫才師というものであった。
デビューは戦前で、宮田洋一名義だったが、戦後は並木一路とのコンビで洋々→日森麗子、布地由起江とのコンビで羊容→ミヤタフィリップとのコンビで洋容と名を変えているようだ。ウィキペディアには「羊容」の表記もあると書かれているが、それは当然で、どちらかといえば「洋容」よりも「羊容」表記の方が多い気がする。
その宮田羊容も当時の相方であった布地由起江とともにピンク映画に出演している。
「紅い肌影」「やわ肌ざんげ」(ともに66年)がそれである。雑誌「映画論叢」に載っている「やわ肌ざんげ」のポスターを見ると、名前がトップに来ているのは布地である。ちなみに布施(フセ)ではない。布地(フジ)である。間にピンク女優であろう花村京子、水城リカ、玉津明美を挟んで宮田羊容の名がある。
ポスターに大写しになっているのは布地だろうか。実は顔がよくわかっていなかったのだが、確認しようと思ったら「ウルトラマン」に出演していたことがわかった。前後編である「怪獣殿下」のエピソードで、その「怪獣殿下」と呼ばれる少年の両親を演じているのが宮田と布地であった。
しかも「ウルトラマン」は66~67年の放送で、映画の直後である。それを見た限りではポスターの顔は布地であると思われる。もともと美人歌手、女優でもあり、当時は34歳とまだ若かった。
しかし、美人とはいえ漫才師があまりセクシーな場面を演じるとも考えにくいが、どうだったのだろう。
ちなみに、この作品には人気漫才師の晴乃ピーチク・パーチク、夫婦漫才の桜川ぴん助・美代子、羊容の弟子である木田鶴夫・亀夫、他にも宮島一歩・三國道雄といった漫才師が出演している。といってもピーチク・パーチク以外はよくわからないが。
宮田羊容のかつての相方である並木一路も「トルコ娘覗かれた個室」(64年)に出演していた。この作品には、やはりコメディアンの田中淳一も出演。田中淳一といってもピンと来ないかもしれないが、スキンヘッドの大男で、いつもニコニコしており大前均のような怖い顔ではない(見ようによっては怖いかも)。
「無用ノ介」の最終話で悪党の頭を演じており、個人的には悪役なのかと思っていた。森川信の内弟子ということだが、あまりコメディで田中を見た記憶はない。

柳家小せんの「好色森の石松」

ピンク映画には、当時のお笑いの人もよく出ていたようだが、主役で出演したのが落語家の4代目柳家小せんである。字面で書くと間違えやすいが、5代目柳家小さんの総領弟子である。
フジテレビが開局まもない時にスタートした人気バラエティ「お笑いタッグマッチ」(59~67)の人気回答者の一人でもあった。ちなみに司会は春風亭柳昇で、毎回6人の落語家が3対3のチームに分かれ対決する形式の生放送番組である。
68年にザ・ダーツの歌う「ケメ子の歌」がヒットしたが、これは小せんが番組内で「ケメ子」を多用し、流行語にもなったことから出来た歌である。そのアンサーソングである松平ケメ子の歌う「私がケメ子よ」の作詞は小せんが手がけている。
そんな小せんが主演したのが「好色森の石松」(65年)である。この作品の制作には、ピンク映画という言葉を作った村井実が関わっており、その村井が主役の石松には小せんがいいと思いついたことからキャスティングされたのである。
テレビでも人気の落語家が出演してくれるか心配だったというが、出演交渉は村井が直接行い、「小せん師匠以外に適任はいません。ギャラもピンク映画俳優の最高額三十万出します」と頼みこんで承諾を得たという。
主演なので当然絡みのシーンもあり、相手役の内田高子らとの連日の絡みに小せんは大喜びだったという。ピンク映画というと暗いイメージがあるが、本作は記者会見をやったり、銀座のヤマハホールで試写会をやったりもしたという。
本作には小せん以外にも、後に僧侶となった8代目春風亭小柳枝や金語楼の実弟である昔々亭桃太郎、三遊亭万遊なども出演しているという。ちなみに次郎長役は、ここでも紹介した九重京司である。
三遊亭万遊は他にも数本のピンク映画に出演しているようである。個人的には「特別機動捜査隊」などで見かけたこともあり、役者活動も積極的に行っていたようだ。万遊は69年に真打になり8代目都家歌六を襲名している。
二つ目時代に、余興でのこぎり演奏を始めたが、後に「のこぎり漫談」として芸を確立している。現在は日本のこぎり音楽協会会長も勤めている。
さて、小せんはやはり村井が制作に関わった「欲求不満」(65年)でも主演を務めている。これは山口瞳の「江分利満氏の優雅な生活」のパロディであり、小せんの役名は左良利満であった。

山本昌平、大和屋竺、「声優」の人たちのピンク出演

ピンク映画出身で、一般作品へと転向した女優についてはここで述べたが、男優もまあ当然いる。おそらくだが、一番有名といえるのは山本昌平ではないだろうか。
その名を知らなくとも、多分見たことはあるであろう、一度見たら忘れない怖い顔の持ち主である。
個人的にも、自分が子供の頃からテレビで悪役としてよく見かけた気がするので、それ以前から活躍していたような気がするが、実際はその70年代からドラマの方は出始めたらしい。
ピンク映画には、60年代半ばから、つまりかなり早い頃から出ていたことになる。出演作の中で、割合有名なタイトルなのが「荒野のダッチワイフ」(67年)という作品。
これは脚本家として知られる大和屋竺が脚本だけでなく監督も担当した作品である。出演者が山本の他、港雄一、麿赤児、山谷初男、大久保鷹など若松プロ作品での常連の名が多く見られる。
この中では、山谷初男も一般作でもよく見かける顔である。60年代は多くのピンク映画に出演しながらも、一般映画やテレビドラマにも顔を出している。
大和屋竺は脚本家・監督以外にも俳優としての顔も持つ。ピンク映画への出演もあるが、鈴木清順監督の日活映画「殺しの烙印」(67年)では、出演(殺し屋ナンバー4役)のほか、主題歌(殺しのブルース)を歌ったりもしている。ちなみに本作の脚本・具流八郎とは鈴木清順・大和屋竺を含む8人の集団ペンネームである。
ちなみに自分が大和屋竺の名を知ったのは、アニメ「ルパン三世」の第1シリーズ(71年)である。第2話「魔術師と呼ばれた男」の脚本が大和屋だったので強く印象に残っている。無論、「竺」とかいて「あつし」と読むとは知らなかったけれども。
ここから先は、話が強引になるのだが、「ルパン三世」を制作していたのは東京ムービー(現トムス・エンタテインメント)だが、ルパンの直前まで同社が制作していたのが「巨人の星」である。
その「巨人の星」の星一徹の声といえば、最近亡くなった加藤精三だが、その加藤もピンク映画出演の経験がある。元々声優という職業はなく、食えない役者がアルバイト的に吹き替えを始めたのがきっかけなので、ルパン役の山田康雄や銭形警部役の納谷悟郎などは声優と呼ばれると怒ったという。
加藤精三などは古くは「月光仮面」や「怪傑ハリマオ」などにも顔を出していたし、ピンク映画に顔を出していても不思議ではないのだ。
他にも寺島幹夫、神山卓三、岡部政明、北川国彦、丸山詠二、野田圭一など「声優」としてのイメージが強い面々だが、ピンク映画への出演経験がある。「ドラえもん」のスネ夫役などで知られる肝付兼太なども出演経験がるようだ。あくまでも出演しているというだけで、女優と絡んだりしていない人がほとんどだと思われるけれども。