お宝映画・番組私的見聞録 -114ページ目

「映画ファン」人気投票投書事件

前回書いたように、58年の「映画ファン」におけるスタア人気投票において、1位になったのは大川橋蔵であった。
それに黙っていなかったのが、前年まで1位だった中村錦之助ファンだった。今も昔も、こういった順位というのはファンにとっては重要だったわけで、後援会の誰かが「編集部の渡部保子が橋蔵をひいきにして1位にした」と、映画世界社の橘社長あてに投書してきたのだという。
会社ぐるみならともかく、一編集部員の手で勝手にそんなことができるはずもなく、社内では一笑に付されたのだが、渡部にしてみれば不愉快であった。
これは彼女が錦之助とも、その後援会のメンバー数人とも親しくしていたため、1位じゃなかったことに腹をたてたようである。
橋蔵はこの投書事件の話を誰かから聞きつけたらしく、彼女を気の毒に思い(自分のファンの仕業ではないのだが)、京都から帰京するとわざわざ食事に招待してくれたという。
その際、橋蔵に「また東京に帰ってきたら、仲の良い女優さんでも誘ってくれたらうれしいな」と言われ、彼女は気軽にOKしたという。
そこで渡部がまず声をかけたのが、司葉子だったという。そして彼女と仲の良い白川由美も誘ったという。そして、もう一人くらいと移籍問題で休養中になっていた津川雅彦にも声をかけたという。
これは、名言はしていないが、前回書いたとおり津川が司をすっかり気に入ってしまったことに、気をつかったと思われる。
橋蔵は東映、司と白川は東宝、津川が松竹と所属が違い、普段はまず共演することのないメンバーが、こうしてプライベートで交友していたわけである。
司葉子が「銭形平次」に出演したのは約20年後の79年になってからのことだが、どうもこの時のつながりがあっての出演だったようだ。
話は変わるが、渡部も書いているが、橋蔵は素顔とメーキャップをした顔の印象がまるで違う。というより、時代劇メイクの橋蔵の顔しか見たことのない人は多いのではないだろうか。
実際に橋蔵がチョンマゲ姿ではない映画というのは「バラケツ勝負」(65年)というヤクザ映画くらいしかないようである。個人的にもCSで見たのだが、「この主役らしき男優は誰なのか」と正直わからなかったくらいである。

1958年の人気スタアベスト10

前回、1957年度の「映画ファン」スタア人気投票を載せたが、翌58年の人気投票結果は次のとおりである。
男優部門、1位:大川橋蔵(2)、2位:中村錦之助(1)、3位:石原裕次郎(-)、4位:津川雅彦(-)、5位:市川雷蔵(6)、6位:宝田明(-)、7位:長谷川一夫(5)、8位:東千代之介(4)、9位:佐田啓二(3)、10位:鶴田浩二(10)、次点:高田浩吉(9)。
大川橋蔵が中村錦之助を抜いてトップに躍り出た。そして、裕次郎と津川の「狂った果実」の兄弟コンビが3、4位でランクイン。宝田明も「青い山脈」などの主演でランクインした。
女優部門、1位:美空ひばり(4)、2位:若尾文子(1)、3位:山本富士子(2)、4位:岡田茉莉子(11)、5位;有馬稲子(3)、6位:浅丘ルリ子(-)、7位:長谷川裕見子(-)、8位:丘さとみ(-)、9位:久我美子(6)、10位:千原しのぶ(5)、次点:司葉子(10)。
美空ひばりがトップに踊り出て、岡田茉莉子も次点から4位まで上昇。57年は東宝からフリーになり、新たに松竹の所属となったところである。父が戦前の二枚目スタア岡田時彦であることは、東宝に入社した後に判明したそうである。
新たにランクインしたのは浅丘ルリ子、長谷川裕見子、丘さとみ。現代劇役者の台頭が目立つ中、長谷川、丘のコンビが東映時代劇健在を示した。長谷川裕見子は長谷川一夫の姪だが、共に7位にランクインしている。彼女が船越英二と結婚するのは、この58年のことである。
さて、男優4位の津川雅彦だが、ちょうどこの時期は以前に書いたとおり日活から松竹への移籍問題で揉めているときであった。結局しばらくどこの映画にも出演できないことになり、映画ファン編集部の渡部保子は彼のために「お好み訪問記」という企画を考えたのである。これは津川がホストになって会いたい人話題の人と会ってそれを記事にするというものであった。
その第1回のゲストになったのが司葉子であった。津川の第1希望は山本富士子だったのだが、スケジュールの都合で第2志望だった司葉子になったのだという。とにかく二人は帝国ホテルで初対面し、意気が投合したようだったらしい。
ところが、一夜明けて津川が渡部のところへ来て「司さんが好きだ、忘れれない、会わせたのはあんただから責任とってよ」などと言い出したのである。ここから津川はしばらくの間、司葉子のことを想い続けることになったのである。
以前、このブログでも「津川雅彦物語・カツドウ屋血族」という本のことを取り上げたことがあるが、津川が18の時から想い続け、相思相愛だったという女優Yという書かれ方をしていたのを、その女優が別の男性と結婚したという時期から司葉子ではと推定したのだが、間違いなかったようである。

1957年の人気スタアベスト10

正月に56年の「映画ファン」人気投票の順位を載せたが、翌57年の順位は次の通りである。()内は前年順位だ。
男優部門、1位:中村錦之助(1)、2位:大川橋蔵(-)、3位:佐田啓二(2)、4位:東千代之介(4)、5位:長谷川一夫(9)、6位:市川雷蔵(8)、7位:田村高廣(14)、8位:大木実(6)、9位:高田浩吉(5)、10位:鶴田浩二(7)、次点:三船敏郎(10)。
何といっても前年度は圏外だった大川橋蔵の大躍進が目立っている。55年に歌舞伎界より東映入りし、美空ひばりの相手役として映画デビュー、この辺りの経緯は錦之介とほぼ同じである。
女優部門、1位:若尾文子(1)、2位:山本富士子(7)、3位:有馬稲子(2)、4位:美空ひばり(6)、5位:千原しのぶ(4)、6位:久我美子(8)、7位:高千穂ひづる(9)、8位:岸恵子(3)、9位:高峰秀子(5)、10位:司葉子(-)、次点:岡田茉莉子(19)。
顔ぶれはあまり変わってないが、司葉子が圏外からベスト10入り。
雑誌の表紙に載ったことから東宝にスカウトされ、「君死に給うことなかれ」(54年)に出演。映画は一本だけと思っていたが、主演である池部良に説得され、女優を続けることになった。芸名も池部が考えたものである(本名の庄司葉子の庄を取っただけだが)。
55~56年にかけて20本以上の映画に出演している。
この57年の「映画ファン」6月号では十代スタアの座談会というのが行われている。
出席者は浅丘ルリ子(菊華学園高校2年)、有田紀子(北鎌倉学園高校3年)、桑野みゆき(法政大付属中3年)、津川雅彦(明大中野高校2年)、鹿島信哉(明星学院高校1年)、北大路欣也(暁星中3年)という面々。当時はこうやって学校名が普通に載っていたりしたのである(住所すら載っていることもあった)。
ここからは浅丘、津川、北大路はもちろん、早くに引退したが桑野も大スターになったといえるだろう。ちなみに、浅丘と津川は同じ40年生まれで同じ高校2年だが、津川は早生まれで1年ダブっているので、本当は1学年上である。また、浅丘と桑野は同じ「緑はるかに」(54年)でデビューしている。もう一つ、浅丘と北大路は共に本名は「浅井」である。
有田紀子は「野菊の如き君なりき」(55年)、つまり「野菊の墓」でヒロイン民さんを演じた人である。専らテレビへの出演が多く、映画は5本ほどしか出演していないようである。65年くらいに引退したと思われる。
鹿島信哉は知らんという人も多いかもしれないが、主にテレビで息の長い活動を続けている人である。とはいっても端役、チョイ役も多く、「ウルトラマン」を始めとした円谷プロの特撮作品にも多く出演しているが何故かほとんどがノンクレジットである。声優としての活動も多い。
デビューは「あすなろ物語」(55年)で、主役の鮎太少年の15歳時を演じた。ちなみに12歳時は山内賢(当時は久保賢)、18歳時は久保明という実の兄弟が演じている。この二人もスターになっている。まあスタアになれなくても、ずっと役者として生き残っていたのだからたいしたものである。

1956年頃の新スタア(高倉健、川口浩など)

「映画ファン」56年9月号に掲載された新人スタア座談会の顔ぶれは、今考えるととても豪華なものであった。
日活は石原裕次郎、大映が川口浩、松竹が渡辺文雄と杉田弘子、東宝が白川由美、そして東映が高倉健というものであった。まあ、松竹は地味かもしれんが。
裕次郎はデビューしてまだ3ヶ月だったが堂々としており、川口浩もものおじするタイプではないし、渡辺文雄も東大卒のインテリだ。この辺りが話を引っ張りそうに思われるが、高倉健はほとんど何もしゃべろうとしなかったそうである。
困り果てた編集部は、翌日健さんだけの追加取材を行ったそうである。寡黙なイメージどおりと言ってしまえばそれまでだが、本当は話し好きだとも言われている。若い頃はほんとに寡黙だったのか、ボンボン育ちとは気が合わないとでも思ったのかどうかはわからないけれども。
健さんは明大卒業後、よい就職口がなく一度帰郷しているのである。知人のつてで、新芸プロのマネージャーの面接に来たところを東映のマキノ光雄にスカウトされたのである。
一方で渡辺文雄は東大から電通とエリートコースを歩んでいる。その電通から松竹に出向していたところ、映画出演を持ちかけられ、そのまま俳優になってしまったのである。電通の社員から俳優というのは渡瀬恒彦も同様である。
川口浩は若い頃はかなりのドラ息子だったようである。家の金庫をドリルであけて、金や小切手帳を持ち出したり、ツケで飲みまわったり、中学から赤線に行っていたとか、とんでもない放蕩息子だったらしい。後に結婚することになる野添ひとみも「川口浩には近づくな」と言われていたという。
76年に弟の恒、厚、妹の晶が大麻やLSD使用の容疑で検挙されたが、浩は名前が挙がらなかったので、真面目なのかと思いきや若い頃に散々暴れていたのである。晶など「浩がやっていたことを思えば、どんな男だって品行方正に見える」などと言っていたらしい。
杉田弘子は馴染みのない人も多いかもしれないが、高校を中退して俳優座養成所に入所(3期生)。同期には愛川欽也、穂積隆信などがいたという。当初はモデルとして活動していたが、この56年に松竹に入社し、すぐに主演作も得ている。またたくまスター女優になったが、62年に結婚しあっさりと引退してしまった。
92年に57歳で亡くなったらしいが、死因は不明。その死が明らかになったのも翌93年になってからである。
裕次郎も川口浩も50代で亡くなっており、上記の参加者では白川由美だけが健在である。

1955年頃の新スタア(田村高廣など)

前回の邦画六社が期待する新スタア六人が対談する「映画ファン」55年10月号には、「兄弟対談」という企画も載っており、田村高廣と弟の正和、幸照(亮)のいわゆる田村三兄弟によるものであった。
とはいえ、高廣は前年にデビューしたばかりの新人で、15歳下の正和は小学六年生・18歳下の幸照は小学三年生で、当然下の二人は俳優ではなかった。
彼らの父・阪東妻三郎が急死したのが53年のこと。当時サラリーマンだった高廣はその跡を継ぐように、父が所属していた松竹に飛び込んだのであった。
実は彼らは四兄弟であることを知っている人も多いと思う。間に高廣より10歳下の次男・俊麿がいたのである。この当時は高校生だったはずで、この企画に参加していないのは自分(または編集部)の意思だったのか、都合だったのかは不明である。
俊磨もこの後に映画に出演したりするのだが、正和が61年にデビューすると彼らのマネージャーに廻ったりしているので、元々裏方志向が強かったようである。
この55年、田村高廣はよくこの「映画ファン」に登場しており、1月号の日本映画界が期待する各社の新人スタアとして、松竹代表となっているのが田村高廣であった。ちなみに東宝は久保明、東映は中原ひとみ、日活は桂典子、大映は八潮悠子という顔ぶれである。
ちなみに、桂典子は宝塚歌劇団出身で、新珠三千代の実妹である。57年には日活を退社しテレビに移るが、59年に後に代議士となる小宮山重四郎と結婚して引退している。
八潮悠子は、デビュー当時は雷蔵の相手役などヒロインに抜擢されることもあったが、まもなく脇に廻るようになり、63年頃までほぼ大映一筋で出演を続けていた。彼女も結婚で引退し、アメリカに渡ったそうである。
次の2月号には、やはり新人座談会の企画があり、田村、久保のほかに野添ひとみ、七浦弘子、田浦正巳(以上松竹)、司葉子(東宝)、林成年(大映)が参加している。
野添ひとみは大映のイメージが強いが、スタートはSKDであり、大映に移るのは川口浩と出会ってからである。姉の和子もひとみのマネージャーから大映のプロデューサーへと転進する。
ネット上では和子とひとみが双子姉妹であるように書かれているが、実はそうではなく、ひとみの上に和子と明子という双子姉妹がいたのである。明子が先に結婚したため、和子がひとみのマネージャー兼付人役になっていたのである。
田浦正巳は当時、野添ひとみとコンビを組むことが多かった。俳優座4期生で、同期には宇津井健、仲代達矢、佐藤慶、佐藤允、中谷一郎ら錚々たるメンバーがいた。70年代半ばまでは出演記録がある。
七浦弘子も活躍期間は短かったようで、記録上で最後になるのは特撮ドラマ「怪獣マリンコング」(60年)だったりする。前田通子や筑波久子も出演していたようなので、一度しっかり見てみたい作品である(部分的にしか見たことがない)。

1956年期待の新スタア

前回当時の人気スタアベスト20が掲載された「映画ファン」56年の2月号には、各映画会社いち押しの若きスタア11人の座談会という企画も載っていた。
参加者は松竹が石浜朗と中川弘子、東宝が久保明、山田真二、太刀川洋一、大映が藤田佳子、東映が萩京子、新東宝が江畑絢子、日活が長門裕之、葉山良二、芦川いづみといった顔ぶれである。
その後を考えると日活の三人は説明不要だろう。石浜朗は当時は他社の女優からも憧れの存在だったという。しかし、60年代後半には脇に回るようになる。中川弘子はタップダンスで有名だった中川三郎の長女である。
久保明と山田真二、石浜朗は前回のベスト20にランクインしていたように人気があった。太刀川洋一は太刀川寛といったほうがピンとくるのではないだろうか。久保と太刀川といえば「椿三十郎」や「マタンゴ」での共演が印象深い。
山田と藤田佳子はこれが初対面だったと思われるが、後に結婚することになる(その後離婚)。藤田は女優を引退した後、作詞家・悠木圭子となり「なみだ恋」(八代亜紀)などのヒット曲を生んでいる。
萩京子は東映ニューフェースの1期生だが、59年頃には引退してしまったようである。
江畑絢子は新東宝スターレット3期生だが、84年になって再び注目を浴びることになる。丹波哲郎との間に隠し子がいたのである(当時10歳)。新東宝時代から、そういう関係にあったかどうかは不明だが、丹波が亡くなったときも親子で弔問に訪れたという。
話は前後するが、その4ヶ月前、つまり「映画ファン」55年10月号にも邦画六社が力を入れる新スタア6人の対談が行われている。
東宝は次回と同じ山田真二。ちなみに山田は54年に松竹からデビューしているが、この時点で既に東宝に移っていたわけである。
後は、松竹が清川新吾、大映が市川和子、東映が三笠博子、新東宝が藤木の実、日活が木室郁子という顔ぶれで、結果的には地味であった。
一番長く活躍したのは清川新吾。二枚目だが悪役のイメージが強い。90年代前半くらいまでは出演記録がある。12年に73歳で亡くなったという。ちなみに山田も07年に70歳で亡くなっている。
市川和子も70年代初期まで、日活ニューフェース1期生の木室郁子も60年代半ばまでは頑張っていたようだ。
三笠博子は萩京子と同じ東映ニューフェースの1期生だが、やはり60年を待たずして姿を消したようだ。
藤木の実は、近江俊郎が監督した作品、つまり富士映画によく顔を出していたが、後に一条珠美と改名し、大川橋蔵主演・東映の「紅顔の密使」(59年)などに出演している。一条由美となっている資料もあったりするのだが、珠美の方が正解ではと思われる。

1956年の人気俳優ベスト20

新年最初の更新である。
10年もやっているとネタに困るのだが、年末に手に入れたのが「映画ファン スタアの時代」という本である。かつて「映画ファン」という雑誌があり、著者の渡部保子はその「映画ファン」の編集部員だった人で、現在は映画評論家でこの世界の重鎮となっている。とは言っても、正直知らない名前なのだけれども。
渡部保子は53年に映画世界社に入社し、「映画ファン」の編集部員となったが、編集部長はあの淀川長治で、嘱託として小森和子も出入りしていたという。同社では「映画の友」も発行しており、こちらは洋画を扱っており、編集長は淀川長治が兼任していたという。
映画雑誌としては権威があり、「映画ファン」の表紙を飾ればスタアであるとも言われていたようだ。実際、53年度の表紙を飾った人を1月号から順に挙げていくと、原節子、香川京子、淡島千景、高峰三枝子、津島恵子、高峰秀子、京マチ子、有馬稲子、岡田茉莉子、岸恵子、若尾文子、久我美子と錚々たる顔ぶれである。
色々面白い特集があったようだが、やはり気になるのは人気投票。56年の2月号に掲載された男優・女優のベスト20。つまりは55年頃ちょうど60年前の人気ということになろうか。
男優の1位は中村錦之助で以下は、2位:佐田啓二、3位:菅原謙二、4位:東千代之介、5位:高田浩吉、6位:大木実、7位:鶴田浩二、8位:市川雷蔵、9位:長谷川一夫、10位:三船敏郎、11位:石浜朗、12位:池部良、13位:根上淳、14位:田村高廣、15位:高橋貞二、16位:山田真二、17位:久保明、18位:伏見扇太郎、19位:森繁久弥、20位:北原義郎。
女優の1位は若尾文子で以下は、2位:有馬稲子、3位:岸恵子、4位:千原しのぶ、5位:高峰秀子、6位:美空ひばり、7位:山本富士子、8位:久我美子、9位:高千穂ひづる、10位:香川京子、11位:田代百合子、12位:京マチ子、13位:原節子、14位:八千草薫、15位:津島恵子、16位:青山京子、17位:北原三枝、18位:淡島千景、19位:岡田茉莉子、20位:野添ひとみ、となっている。
見事に全部知っている名前である。意外な感じがするのは、男優では3位の菅原謙二(後に謙次)、当時は大映のスタアではあったが、まもなく助演に回る用になり、61年には「七人の刑事」出演をきっかけにテレビでの活動が中心になっていく。
16位の山田真二は当時まだ10代の美少年。個人的にはこのブログを始めてから知った存在で、作品には恵まれなかったようで、おそらく70年代には引退していたと思われる。
一番意外なのは20位の北原義郎だ。大映のバイブレーヤーというイメージが強いが、この当時は主演もあったようである。
女優陣では、千原、高千穂、田代の東映時代劇のお姫様女優トリオが揃ってランクインしている。当時の東映時代劇では、この三人のうち誰かが必ず出演しているという感じだったのである。
青山京子と久保明は「潮騒」(54年)のコンビ。青山は後に小林旭と結婚する。

まあ、あくまでも雑誌内投票なので、世間の人気とは若干違うのかもしれないけれども。

2014年回顧録 その3

大晦日なので、通常より少し早めの更新したいと思う。本年度回顧の続きである。
蟹江敬三(享年69)は、若い頃はチンピラ役や悪役がほとんどであった。「Gメン75」の望月源治シリーズ?とかは有名であろう。個人的に見た一番古い作品は「特別機動捜査隊」(70年)で演じた小学校に立てこもる三人組犯人の一人だと思う。
80年代から徐々に正義役を演じることも多くなっていき、小林稔持、阿藤快などと同様に悪役だったイメージはすっかりなくなっていたこもしれない。同じく昨年亡くなった宇津井健とは「さすらい刑事旅情編」で刑事役として永らく共演していた。
ほとんど前兆がなく「急死」だったのが林隆三(享年70)である。特技であるピアノ演奏によるコンサートを終えた後に倒れ、数日後には亡くなってしまったようである。俳優座花の15期生の一人で、同期には前田吟、秋野太作、村井国夫、小野武彦、亡くなった夏八木勲、地井武男、竜崎勝らがいる。
個人的には「必殺秘中仕事屋稼業」(75年)が好きであった。そのプロデューサー、つまり必殺シリーズを立ち上げた山内久司(享年82)も今年亡くなっている。
片山明彦(享年88)は、戦前の名子役である。映画監督島耕二の息子で「路傍の石」(36年)や「風の又三郎」(40年)で主役を演じている。
成人してからは脇に回っていたようだが、「西郷札」(64年)というドラマでは主演だったようである。個人的には前述の「特別機動捜査隊」でゲスト出演している姿くらいしか知らなかったりする。
その「西郷札」で、共演していたのが同じ年の夏目俊二(享年88)である。かつては時代劇で主役も何本か演じており「遠山の金さん捕物帳」(60年)では、金さんを演じていたこともある。
安井昌二(享年85)は、「ビルマの竪琴」(56年)の水島上等兵役で知られるが、テレビでは妻・小田切みき、娘・四方正美/四方晴美という一家で出演した「パパの育児手帳」(62年)が有名である。次女の晴美の演技が受け、「チャコちゃん」(66年)でも家族共演(正美を除く)をしている。これが「チャコねえちゃん」となり、やがて「ケンちゃんシリーズ」へと発展していく。
米倉斉加年(享年80)を知ったのは、NHKの「明智探偵事務所」(72年)であった。明智役は夏木陽介で、二十面相役が米倉であった。子供心に面白いと思うドラマであったが、映像は現存しないという。
そこで少年探偵団ならぬ青年探偵団の一人として出演していたのが萩原健一だが、彼が主演で黒駒の勝蔵を演じるのが「風の中のあいつ」(73年)である。そこで敵対する清水の次郎長を演じていたのが米倉であった。
女優に目を向けると淡路恵子(享年80)も今年の初めに亡くなっている。20歳でフィリピン人歌手ビンボ・ダナオと結婚(未入籍)するが、数年で離婚。66年に中村錦之助と結婚し、二児を設けるが、錦之介が病に倒れ賢明に看病するも不倫問題で離婚。その後三男は事故死、四男は自殺と波乱続きであった。
今年出版された「死ぬ前に言っとこ」という著書は死後に出されたものである。
他にも李香蘭(享年94)、高橋昌也(享年83)、桂小金治(享年88)、神戸一郎(享年75)、稲野和子(享年79)、斎藤晴彦(享年73)、ジョニー大倉(享年62)、やしきたかじん(享年64)、安西マリア(享年60)、羽仁未央(享年50)、田宮五郎(享年47)などが2014年に亡くなっている。改めて合掌。

今年も面倒だなと思いながらも更新を続けることができた。来年も今までどおり週2回くらいのペースで行こうと思っている所存である。

2014年回顧録 その2

前回の続きである。
今年も昨年同様だが、ベテラン声優の死が目立った一年であった。
まずは、加藤精三(享年86)。「巨人の星」の星一徹役はあまりにも有名だろう。あの独特のしゃがれ声は強烈に耳に残った。悪役の声をあてることも多かった。
加藤の死から10日後に亡くなったのが、永井一郎(享年82)だ。国民的アニメ「サザエさん」の波平役を45年に渡って演じ続けていた。つまり、始まった時はまだ30代だったわけで、声のイメージよりもずっと若い人だったのである。
京大文学部卒で、電通に務めながら俳優の養成所に通っていたという。愛川欽也らが結成した劇団三期会に参加したが、25歳にして最年長だったため当初から中年や老人の役が多かったという。
永井と同じ日に亡くなっているのが塚田正昭(享年74)。吹き替えの草創期からコンスタントに活躍していた人である。ちなみに夫人はアニメ少年役の第一人者の野沢雅子である。
矢田耕司(享年81)は、認知度の高い役はあまりなかったかもしれないが、前述の野沢が主役の「ゲゲゲの鬼太郎」などでのゲスト出演が目立っていた。近年では、「ドラゴンボールZ」の人造人間20号=ドクターゲロの役の人といえば分かる人が多いのかもしれない。
仲村秀生(享年79)は、「あしたのジョー」の力石徹、「宇宙戦艦ヤマト」の島大介役が有名であろう。前述の永井一郎とは実年齢では3つしか違わないが、「ヤマト」では仲村は青年(島)、永井は中年(佐渡/徳川の二役)、「ど根性ガエル」でも仲村は若い南先生、永井はベテランの町田先生を演じている。
家弓家正(享年80)は、不思議な名前に見えるが本名だったようである。フランク・シナトラやジェームス・スチュアート、クリストファー・リーなどの吹き替えを担当することが多かった。アニメはほとんどやっていないイメージだったが、今回調べてみると、2000年以降に逆に多くなっていたようである。
納谷六郎(享年82)は、名前の通り、昨年亡くなった納谷悟郎の実弟である。それぞれ七人兄弟の五男、六男だが、名前に数字がつくのはこの二人だけだったらしい。
声優ではないが渡哲也、渡瀬恒彦兄弟、松方弘樹、目黒祐樹兄弟などは声も良く似ているが、納谷兄弟は全く似ていない。悟郎の太く重厚な声に対して、六郎は若々しい感じの声質であった。前述の「あしたのジョー」では、ジョーにあごの骨を砕かれるウルフ金串の役を演じていた。
亡くなったのが11月17日で、高倉健(11月10日)と菅原文太(11月28日)に挟まれるような形になっているのだが、「クレヨンしんちゃん」で納谷が演じていた園長先生の本名は高倉文太であった。ちなみに、夫人(納谷光枝マウスプロモーション代表取締役)も今年の1月になくなっている。
今回挙げた人はみんな吹き替えの草創期から活躍していた人ばかりで、死の直前まで現役であった。

2014年回顧録 その1

気が付いたら今年もあと一週間である。ということで今年も恒例となっている回顧録をやってみたい。
今年亡くなった大物俳優といえば、まだ記憶に新しいがやはり高倉健(享年83)であろう。11月10日に亡くなったとのことだが、発表は一週刊たってからであった。
11月10日といえば、森繁久弥(09年)も、森光子(12年)も11月10日に亡くなっているのだ。ちなみに桜井センリも森光子と同日に亡くなっている。
高倉健といえば、やはり「日本侠客伝」「網走番外地」といった任侠物、やくざ物でスターになった感があるのだが、デビューからまもない58年に「森と湖のまつり」の主役に抜擢されたことがある。監督は巨匠・内田吐夢。馬を乗りこなすシーンが多いのだが、健さんは当時は馬に乗れなかった。
迷惑がかかると思った健さんは降板を申し出ようと、内田に「僕は馬に乗れないので…」と言い掛けたところ、「乗れます!」と内田にかぶせるように言われ、「はい、乗れます!」反射的に答えてしまったという。もちろん、映画の中では馬を乗りこなす健さんの姿があったという。
健さんの訃報から10日ほどして、今度は菅原文太(享年81)の訃報が。菅原文太も健さん同様、東映やくざ路線のイメージが強いが、スタートは新東宝で、倒産後は松竹へ、東映に来たのは67年30半ばになってからである。
松竹では、ほぼ脇役で東映でも当初は端役が多かった。69年に主役に抜擢されりようになり、73年「仁義なき戦い」によってスターになったという感じである、ちょうど40歳であった。ちなみに彼が劇団四季の1期生だったことはあまり知られていない。
この二人に共通するのが、「幸福の黄色いハンカチ」である。健さんの映画版は有名だと思うが、ドラマ阪で健さんのやった役を演じたのが文太なのである。ドラマ版はいまCSで放送されているのだが、文太の追悼というわけではない。予め12月1日からの放送が予定されていたのである(命日は11月28日)。
今年亡くなったもう一人の健といえば、宇津井健(享年82)である。随分たったような気がしていたが、今年3月のことだったのである。
宇津井も新東宝の出身だが、文太より5年ほどデビューが早かったためか1歳しか違わないというのは意外であった。新東宝時代に二人が共演していたイメージがあまりないが、文太の新東宝デビュー作「白線秘密地帯」(58年)でいきなり共演していた。新東宝デビューと書いたのは、それ以前に映画出演の経験(56年「哀愁の街に霧がふる」)があったからである。
ほぼ同時期にデビューしたのが8歳下、つまり17歳だった星輝美。彼女と宇津井、文太が共演したのが「女王蜂の怒り」(58年)である。劇中、星と文太が踊っている所に宇津井が割って入るというシーンがあるが、3人で一緒にダンスを習いにいったのだという(星輝美の証言)。
彼女によれば、文太と付き合っていたといい、それが大蔵貢の耳に入り、文太が干されたこともあったという。
宇津井健といえば「ザ・ガードマン」。そのキャップである「高倉」を演じていたが、やはり高倉健から来ている名前だと思われる。劇中でフルネームが明かされることはなかったが、神山繁演じる榊が一度だけ「榊シゲル」と名乗ったことがあったと記憶している。その法則でいけば、高倉のフルネームは高倉健になるのだが…。
そんなW健が顔を合わせたのが「新幹線大爆破」(75年)だ。宇津井の東映初出演で実現した。正確には宇津井の役は運転司令室にずっといるので、直接対面はしていないかもしれないけれども。
あと、宇津井と文太の共通点としては早稲田大学中退(文太は2部)がある。ちなみに、健さんは明治大学である。ニューフェース同期の今井健二や1期上の山本麟一も明治大学出身なので、明大三羽烏と言われていたらしい。