「映画ファン」人気投票投書事件
前回書いたように、58年の「映画ファン」におけるスタア人気投票において、1位になったのは大川橋蔵であった。
それに黙っていなかったのが、前年まで1位だった中村錦之助ファンだった。今も昔も、こういった順位というのはファンにとっては重要だったわけで、後援会の誰かが「編集部の渡部保子が橋蔵をひいきにして1位にした」と、映画世界社の橘社長あてに投書してきたのだという。
会社ぐるみならともかく、一編集部員の手で勝手にそんなことができるはずもなく、社内では一笑に付されたのだが、渡部にしてみれば不愉快であった。
これは彼女が錦之助とも、その後援会のメンバー数人とも親しくしていたため、1位じゃなかったことに腹をたてたようである。
橋蔵はこの投書事件の話を誰かから聞きつけたらしく、彼女を気の毒に思い(自分のファンの仕業ではないのだが)、京都から帰京するとわざわざ食事に招待してくれたという。
その際、橋蔵に「また東京に帰ってきたら、仲の良い女優さんでも誘ってくれたらうれしいな」と言われ、彼女は気軽にOKしたという。
そこで渡部がまず声をかけたのが、司葉子だったという。そして彼女と仲の良い白川由美も誘ったという。そして、もう一人くらいと移籍問題で休養中になっていた津川雅彦にも声をかけたという。
これは、名言はしていないが、前回書いたとおり津川が司をすっかり気に入ってしまったことに、気をつかったと思われる。
橋蔵は東映、司と白川は東宝、津川が松竹と所属が違い、普段はまず共演することのないメンバーが、こうしてプライベートで交友していたわけである。
司葉子が「銭形平次」に出演したのは約20年後の79年になってからのことだが、どうもこの時のつながりがあっての出演だったようだ。
話は変わるが、渡部も書いているが、橋蔵は素顔とメーキャップをした顔の印象がまるで違う。というより、時代劇メイクの橋蔵の顔しか見たことのない人は多いのではないだろうか。
実際に橋蔵がチョンマゲ姿ではない映画というのは「バラケツ勝負」(65年)というヤクザ映画くらいしかないようである。個人的にもCSで見たのだが、「この主役らしき男優は誰なのか」と正直わからなかったくらいである。
それに黙っていなかったのが、前年まで1位だった中村錦之助ファンだった。今も昔も、こういった順位というのはファンにとっては重要だったわけで、後援会の誰かが「編集部の渡部保子が橋蔵をひいきにして1位にした」と、映画世界社の橘社長あてに投書してきたのだという。
会社ぐるみならともかく、一編集部員の手で勝手にそんなことができるはずもなく、社内では一笑に付されたのだが、渡部にしてみれば不愉快であった。
これは彼女が錦之助とも、その後援会のメンバー数人とも親しくしていたため、1位じゃなかったことに腹をたてたようである。
橋蔵はこの投書事件の話を誰かから聞きつけたらしく、彼女を気の毒に思い(自分のファンの仕業ではないのだが)、京都から帰京するとわざわざ食事に招待してくれたという。
その際、橋蔵に「また東京に帰ってきたら、仲の良い女優さんでも誘ってくれたらうれしいな」と言われ、彼女は気軽にOKしたという。
そこで渡部がまず声をかけたのが、司葉子だったという。そして彼女と仲の良い白川由美も誘ったという。そして、もう一人くらいと移籍問題で休養中になっていた津川雅彦にも声をかけたという。
これは、名言はしていないが、前回書いたとおり津川が司をすっかり気に入ってしまったことに、気をつかったと思われる。
橋蔵は東映、司と白川は東宝、津川が松竹と所属が違い、普段はまず共演することのないメンバーが、こうしてプライベートで交友していたわけである。
司葉子が「銭形平次」に出演したのは約20年後の79年になってからのことだが、どうもこの時のつながりがあっての出演だったようだ。
話は変わるが、渡部も書いているが、橋蔵は素顔とメーキャップをした顔の印象がまるで違う。というより、時代劇メイクの橋蔵の顔しか見たことのない人は多いのではないだろうか。
実際に橋蔵がチョンマゲ姿ではない映画というのは「バラケツ勝負」(65年)というヤクザ映画くらいしかないようである。個人的にもCSで見たのだが、「この主役らしき男優は誰なのか」と正直わからなかったくらいである。