お宝映画・番組私的見聞録
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堺正章の出演映画

テンプターズ萩原健一、タイガース沢田研二と来たので、次はスパイダースから堺正章である。
堺正章は46年生まれで、本名は栗原正章。喜劇俳優だった堺駿二の次男である。5歳の時に父に連れられ撮影所に行ったことをきっかけに映画デビューしている。その作品は松竹の「東京騎士伝」(52年)で、主演は鶴田浩二、角梨枝子で、他に坪内美子、増田順二、伊沢一郎、水原真知子、多々良純など。ちなみに、当時は堺正明名義である。
この52年には、もう1本「母は叫び泣く」にも出演。当時ヒットした「あゝモンテンルパの夜は更けて」を主題歌とした作品だが、歌唱した渡辺はま子、宇都美清は出演していない。主演は佐田啓二、川喜多雄二、紙京子で、他に吉川満子、市川春代、三宅邦子、森川まさみ、日守新一など。ストーリー的には市川春代が主演のような感じで、堺はその息子役である川喜多の幼年時代を演じているようだ。
もう1本子役としての記録があるのは54年、新東宝の「ハワイ珍道中」がある。これがデビュー作と思っている人もいるかもしれない。新東宝初のカラー映画で、主演は花菱アチャコ。他に伴淳三郎、益田キートン、堺駿二、江利チエミ、田端義夫、安西郷子、清川虹子などで出演者で喜劇映画であることがわかる。人食い人種が登場したり、伴淳などは「土人の王様」と二役である。堺の役は「部族の子供」で、父の堺駿二とは初共演となるようだ(絡みがあるかどうかは不明)。
ここから9年、子役としての活動歴は見当たらない。小学校中学校時代は学業に専念していたようだ。
62年、鎌倉学園在籍中の16歳でザ・スパイダースに加入する。鎌倉学園は桑田佳祐の出身校としても知られる。俳優の青木富夫(突貫小僧)や加藤春哉、脚本家の小川英、プロデューサーの岡田晋吉もここの出身だ。
ウィキペディアにはリーダーの田辺が堺をスカウトしたように書かれているが、当時の堺は役者活動をしていなかったようなので彼に目を付ける機会はなさそうに思える。阿久悠だったと思うが、彼のエッセイによれば、正章がバンド活動をしたいと言いだしたが、父駿二は首を縦に振らなかった。粘り強く訴えていると、ある日駿二は田辺を訪ねるように正章に言ったという。いつの間にかスパイダースへ加入することが決っていたのである。もちろん、テスト的なものはあったと思うが、後者の方がしっくりくると思うのだが、どうだろうか。
スパイダースがシングルデビューする前の63年から堺の役者活動が再開されている。
大映の「高校三年生」である。主演は姿美千子、倉石功で、高田美和や主題歌を歌う舟木一夫も出演している。堺も実年齢は高二だが、同級生役で出演している。他に浜田ゆう子、渚まゆみ、細川ちか子、高橋昌也など。
「学園広場」も同年公開の青春もので、これも舟木一夫が主題歌を歌い、本人も高三役で出演している。役名も「高校三年生」と同じ船田一夫なのだが、こちらは大映ではなく日活の作品。主演は山内賢、松原智恵子で、他に桂小金治、田代みどり、市川好朗、久里千春、清川虹子、安部徹、殿山泰司、トニー谷など。堺は山内(高二)の同級生役。つまり、舟木と堺は違う会社の映画だがほぼ同じような役で出演しているのだ。スパイダースの同僚かまやつひろしが高三役で、当時は日活にいた谷隼人(当時岩谷肇)も高三の役だ。生徒役では沖田駿一(当時吉田毅)、前野霜一郎、根岸一正、うえずみのる(当時植頭実)、西尾三枝子なんかも出ている。
トニー谷司会の「アベック歌合戦」で舟木と松原が「学園広場」と「高校三年生」を歌ったりするのだ。

沢田研二の出演映画 その4

沢田研二のラストである。
81年テレビの方では、1クールのドラマ「いつか黄昏の街で」で主役のファッションメーカーの営業マンを演じた。連続ドラマは「悪魔のようなあいつ」以来となる。沢田には婚約者(山本郁子)が居ながら、多岐川裕美や佐藤友美と関係を持つ。そこに中山仁や萬田久子も絡んでくるのだ。他に浜田光夫、大門正明、近藤洋介、奈良富士子、岸部シローなど。ドラマでも一徳との共演は多いが、その弟シローと共演するのは初だと思われる。
82年、本業の歌手活動では77年辺りから続いていたシングル曲でのヒットは37枚目の「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」が最後となり、以降オリコン10位以内にランクインすることや「ザ・ベストテン」のソロでの出演も無くなった。
映画ではシリーズ30作目となる「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」に出演し、ここで2番目の妻となる田中裕子と出会うのである。田中はマドンナ役ではあるが、今回の寅さんは沢田と田中の恋のキューピッド係といった感じ。まさか現実でも不倫関係に発展していくとは誰も思ってなかっただろう。
84年は「ときめきに死す」で主役のテロリストを演じている。82年に発表された丸山健二の小説が原作だが、舞台が北海道だったり、暗殺対象が宗教家だったりと原作とは違いが多い。謎の組織から沢田の世話を命じられた医師に杉浦直樹、途中から組織に派遣されてきた女に樋口可南子。この三人による奇妙な共同生活が描かれている。他に日下武史、加藤治子、矢崎滋、宮本信子、岸部一徳など。暗殺対象の宗教家を演じるのは岡本真は役者ではなく漫画家・白土三平の実弟で、当時は赤目プロ(白土のプロダクション)のマネージャーであった。ちなみに本作の映画化権を持っていたのは内田裕也だったという。沢田の役はアル・パチーノ、杉浦の役を内田がやる予定だったが、沢田からの懇願で権利を渦ったのだという。
そして85年は「カポネ大いに泣く」。監督は鈴木清順で、主演は萩原健一、そこに沢田研二、田中裕子である。二人の関係を知ってか知らずかのキャスティングだ。他の共演者は高倉美貴、柄本明、樹木希林、加藤治子、牧伸二、峰岸徹、梅宮辰夫、平田満、たこ八郎など。タイトルにもあるアル・カポネ役はチャック・ウィルソンである。チャックは当時のクイズ番組「世界まるごとHOWマッチ」に出演していた米国人タレント(スポーツ・インストラクター)だが、映画出演は本作が初であった。本作で沢田と田中の仲が加速したかどうかは不明だが、87年に沢田と伊藤エミとの離婚が成立した。そして89年に沢田と田中は結婚したのである。

沢田研二の出演映画 その3

今回も沢田研二である。
79年は「太陽を盗んだ男」で主役を演じている。彼の演じる城戸は無気力な中学の理科教師。ある日社会見学で彼と生徒たちを乗せたバスが大量の火器を持った老人(伊藤雄之助)にバスジャックされる。要求は「皇居へ行って天皇陛下に合わせろ」というもの。しかし、丸の内警察の山下警部(菅原文太)の活躍もあって事件は解決する。
その日から城戸は変わり、原爆の作り方を授業で行うなどの奇行が始まる。そして東海村の原発から液体プルトニウムを強奪し、自宅で原爆を完成させ日本政府を脅迫し、交渉相手に山下警部を指名する。
とまあ、序盤のあらすじを書いただけでもヤバイ話なのがわかる。城戸の要求が「プロ野球ナイターの完全中継」だったり「ローリングストーンズの日本公演」だったり、振り回される警察。次いで「5億円」を要求するが、城戸に被爆の症状が現れる。といったような展開。当時でもよく映画化できたと思うような内容だが、これは監督の長谷川和彦自身が胎内被爆者であるというところから考えた企画でもあるようだ。
前述以外の出演者は池上季実子、佐藤慶、北村和夫、神山繁、風間杜夫、水谷豊など。刑事役が汐路章、石山雄大、市川好朗、森大河と普段は悪役の面々である。草薙幸二郎と草薙良一も出ているが、以前も書いたとおり、顔も結構似ているので兄弟(親子)と思われがちだが、二人に血縁関係はない。配給は東宝だが日活や東映の大部屋出身者が多く出演している。
山本Pによれば、当初は城戸を萩原健一、山下を高倉健で考えたというが、高倉が犯人の方をやりたいと言ったため、イメージと合わず流れて、長谷川と親しかった菅原文太に落ち着いた。菅原が「ジュリーなんかどうなの」と言うので、交渉したところスケジュールの都合で1年以上待つことになったという。しかし、その後の長谷川の話では主役のキャスティングに難航していたところ助監督の一人に「ジュリーは駄目なんですか?」と言われ、「そうか沢田がいたか」とすぐに会いに行って、出演OKを貰ったと話している。どちらの話が正解なのかは不明だ。
80年の正月には3時間のスペシャルドラマ「源氏物語」が放送され、沢田が主役の光源氏を演じている。脚本は向田邦子、演出は久世光彦である。共演は八千草薫、十朱幸代、芦田伸介、渡辺美佐子、伴淳三郎、竹脇無我、いしだあゆみ、倍賞美津子、風吹ジュン、藤真利子、火野正平、伊東四朗、成田三樹夫、岸本加世子、朝加真由美、植木等などである。
81年の映画主演作に「魔界転生」がある。制作は東映、角川春樹事務所で、原作は山田風太郎だ。ちなみに「てんせい」ではなく「てんしょう」である。主演は柳生十兵衛を演じる千葉真一、そしてW主演という形になるのだろか天草四郎時貞を演じる沢田研二だ。山田の原作とは異なり最終的には、この二人の対決となる。千葉真一は他作品でも十兵衛を演じており、本作は4度目の十兵衛となる。
悪魔の力により甦った四郎は自分と同様に無念の死を遂げた者を甦らせ魔界衆に引き入れていく。その面子が宮本武蔵(緒形拳)、細川ガラシャ(佳那晃子)、宝蔵院胤舜(室田日出男)に加えオリジナルキャラの伊賀の霧丸(真田広之)。四郎を含め当初はこの五人であったが、後に十兵衛の父・柳生宗矩(若山富三郎)が加わる。他に丹波哲郎、松橋登、神崎愛、大場順、島英津夫、久保菜穂子、成田三樹夫、鈴木瑞穂、犬塚弘、また角川春樹も板倉内膳正役で顔を出している。

沢田研二の出演映画 その2

引き続き、沢田研二である。
74年末に、沢田個人としては初の主演映画である「炎の肖像」が日活系で公開されている。監督は藤田敏八である。当時の日活はロマンポルノが主軸であったが、たまに一般映画が制作されることもあった。
沢田が演じる主人公・鈴木一郎ならぬ鈴木二郎は人気ロック歌手で愛称はジュリーである。つまりは虚構と現実が混在しているような作風となっている。共演は秋吉久美子、地井武男、大門正明、中山麻里、原田美枝子、悠木千帆(樹木希林)、朝丘雪路、佐野周二などで、加えて内田裕也や井上堯之バンド(井上、大野克夫、岸部一徳など)の面々も顔を見せている。
75年にはザ・ピーナッツの姉の方伊藤エミと結婚。年齢は伊藤が7歳上で、妹のユミの方は生涯独身だった。きっかけは不明だが同じ渡辺プロに所属しており、出会う機会は多かったであろう。また沢田はタイガース時代から作詞や作曲を行っており、他の歌手にも提供していた。ザ・ピーナッツにも曲の提供を行っていたので、そこからより親しくなっていったことも考えられる。提供曲のほとんどがアルバムの中の一曲とかであるが、アン・ルイスの「ラ・セゾン」はシングル曲として大ヒットした。ちなみにその作詞は三浦百恵(山口百恵)である。
その結婚直後にスタートした沢田主演ドラマが「悪魔のようなあいつ」である。全17回で原作は「同棲時代」の上村一夫。68年に発生した三億円強奪事件だが、この75年12月に時効が成立することになっていた。その犯人こそが沢田演じる可門良という設定だ。妹役の三木聖子は渡辺プロ入社2カ月での抜擢で、もちろんデビュー作。歌手としても同時期に「まちぶせ」でデビューした。「まちぶせ」は81年に石川ひとみがカバーシングルとして発売し、大ヒットした。
他の出演者は藤竜也、荒木一郎、安田道代、篠ヒロコ、金田龍之介、ディック・ミネ、伊東四朗、尾崎紀世彦、樹木希林、細川俊之、そして若山富三郎など。岸部修三(一徳)、大口広司、デイブ平尾といったGS仲間も出演している。岸部はこの時期に井上堯之バンドを脱退し、俳優に転向していく。また本作の主題歌として使用された沢田の「時の過ぎゆくままに」が大ヒットしている。
翌76年は映画「パリの哀愁」に主演。制作は所属の渡辺プロ(配給は東宝)で、フランスを舞台にしている。相手役のフランス人女優クローデーィヌ・オージェは「007サンダーボール作戦」(65年)ではボンドガールを演じている。他の共演者は浅野真弓、大口広司、大滝秀治など。
一方で、この76年は暴行事件(不起訴処分)を起こし、賞レース等を辞退しているが、翌77年の「勝手にしやがれ」が大ヒットし、日本レコード大賞、日本歌謡大賞を独占している。ここから、ヒット曲連発の歌手としては一番の充実期に入ったこともあり、77~78年の演技仕事は「七人の刑事」のゲスト出演くらいである。

沢田研二の出演映画

ショーケンとくれば、次はジュリーだろうと言うことで沢田研二である。タイガースとしては取り上げたことがあるので、今回は沢田個人の活動についてである。
本名は澤田研二で、48年生まれ。ショーケンより2歳上。京都育ちだが、生まれは鳥取である。父親は長谷川一夫の内弟子だったこともあるという。京都の鴨沂高校を中退しているが、かなりのワルだったと言われている。大信田礼子は高校の同級生である。ちなみに、この学校の卒業生には山本富士子、田宮二郎、団令子、加茂さくらなどがおり、森光子は沢田同様に中退している。皇族も在籍していたことがあり、結構な名門のようである。
17歳の時に、岸部修三(現・岸部一徳)に誘われサリーとプレイボーイズ(ファニーズ→ザ・タイガース)にヴォーカリストとして加入した。
67年にザ・タイガースはデビューし、大人気となり、映画も「世界はボクらを待っている」「華やかな招待」「ハーイ!ロンドン」の三本が制作された。クレージーキャッツの「クレージーメキシコ大作戦」(68年)にはソロでメキシコ人女優の恋人役として出演しているがノンクレジットである。また植木等主演の「日本一のヤクザ男」(70年)にも、流しの歌手として顔を出しており「侍ニッポン」を歌唱している。
71年1月にザ・タイガースは解散。翌月、萩原健一の項でも書いたPYGに参加。11月には「君をのせて」でソロデビューしている。72年の2枚目シングル「許されない愛」がヒットし、萩原の俳優活動も本格化してきた為、PYGは自然消滅していき、二人を除くメンバーは井上堯之バンドとして沢田のバックバンドを務めた。
この72年辺りから、少しづつ俳優仕事も行う様になっていく。何といっても「太陽にほえろ」第20話へのゲスト出演である。萩原扮するマカロニ刑事に射殺される犯人役を演じている。映画では萩原の項でも書いたが天地真理主演の「虹をわたって」に出演。ストーリーに直接絡んでいるわけではないようだが、天地がたまたま居合わせた彼のヨットに乗り込み出発するが、台風の直撃を受け救出されるという役だ。
73年、6枚目のシングル「危険なふたり」が大ヒット。初のオリコン1位を獲得し、結果的にはこの年の歌謡大賞を受賞することになる。
本業の歌手活動が好調だったこともあり、この年の映画出演はないが、90分の単発ドラマ「同棲時代」に出演している。主役の今日子と次郎を、梶芽衣子と沢田が演じているのである。共演は湯原昌幸、山本コウタロー、研ナオコ、市地洋子、初井言栄、仲谷昇、そして萩原健一が「友情出演」している。実はこのドラマ、当時は高価だったVTRで制作されたため、テープを再利用するのが普通だったこともあり、2度放送されただけで消去されてしまい、幻のドラマとなっていたのである。しかし、当時の放送を録画したUマチックテープが発見され、13年にTBSチャンネルで約40年ぶりに放送された。ちなみに脚本は山田太一だ。
「同棲時代」は映画化もされ、こちらは由美かおると仲雅美が主演である。大ヒットしたため、すぐに第二作の制作が決定したが、由美かおるが嫌がったため、高沢順子と本郷直樹に変更されている。

萩原健一の出演映画 その6

萩原健一の最終回である。
81年、萩原の出演映画は松竹の「魔性の夏~四谷怪談より」の一作である。監督は舞台のイメージが強い蜷川幸雄で、実際に舞台っぽい作品であると評されている。松竹の解説では「四谷怪談」を青春群像ドラマとして映画化した時代劇で、キャラクターや台詞に現代的な視点を取り入れたとある。
主役の民谷伊右衛門が萩原で、その妻・いわが関根恵子というスタート時の「太陽にほえろ」コンビだ。佐藤与茂七役が勝野洋で、やはり「太陽にほえろ」繋がりだ。ラストはマカロニ対テキサスの斬り合いということになる。与茂七の妻が夏目雅子で、他に石橋蓮司、小倉一郎、森下愛子、鈴木瑞穂など。萩原と夏目雅子は日曜劇場「露玉の首飾り」というドラマで共演したことがあった。
82年は東映の「誘拐報道」。これは80年に起きた宝塚市学童誘拐事件を基に作られているが、視点を犯人側から描いている。その主役である誘拐犯役が萩原で、その妻が小柳ルミ子だ。これは監督の伊藤俊也の強い意向によるものだが、所属する渡辺プロが小柳の起用に難色を示していた。それまで、小柳の演技仕事は少なく、この年も歌手活動一本で行くことが決っていたという。小柳本人にその話は伝わっていなかったが、萩原が直接彼女に伝えたところ出演を熱望したという。東映は以前から他作品でも小柳に出演オファーをしていたらしい。
誘拐される子供の両親役は岡本富士太と秋吉久美子。他に中尾彬、池波志乃が夫婦で出演、伊東四朗、三波伸介のてんぷくトリオコンビ、加えて宅麻伸、藤谷美和子、平幹二朗、菅原文太、丹波哲郎など。三波伸介は七年ぶりの映画出演だったが、本作公開の約三カ月後に急死している。本作で萩原は日本アカデミー賞の優秀主演男優賞、秋吉久美子は優秀助演女優賞、そして小柳ルミ子は最優秀助演女優賞を受賞したのである。
83年は「もどり川」で主演。神代辰巳監督とは三度目の映画である。萩原の役は二度の心中未遂の果てに自殺する対象時代の歌人で、太宰治がモデルとなっている。ラブシーンの続く映画で共演は原田美枝子、藤真利子、樋口可南子、蜷川有紀など。「こういう役には麻薬がいる」と撮影中はずっと大麻とコカインを吸っていたという。いずれこの現場から通報されて逮捕されるかもしれないという予感はあったという。ちなみに、麻薬に関してはテンプターズ時代からやっていたことを著書「ショーケン」では明らかにしている。
ちなみに「もどり川」の製作は三協映画で、配給は東宝東和である。三協映画とは梶原一騎、東京ムービー社長・藤岡豊、石原プロ・川野泰彦の三人で設立された映画製作プロダクションである。「あしたのジョー」等のアニメ映画や「地上最強のカラテ」「愛と誠・完結編」などの製作を行っている。
「もどり川」公開の2カ月前である83年4月、萩原は大麻不法所持により逮捕され、執行猶予はついたが、約1年の活動停止よ余儀なくされた。また、翌5月には梶原一騎も傷害事件で逮捕されたのだが、警察は梶原が萩原に大麻を渡したのではと疑っていたところ、傷害事件が明らかになったという経緯らしい。
84年、いしだあゆみとの離婚が成立。婚姻届の時と同様、山崎努夫妻立ち合いの下で離婚届にサインし、山崎の提案で一週間預かってもらった。気が変わらなければ取りにきなさいということになり、一週間後いしだが取りに行った。それを役所に提出し離婚が成立したと萩原はずっと思っていたそうだが、前回も書いたとおり、いしだは婚姻届けを提出していなかったのであった。12年後、三度目の結婚をした時にいしだの籍が入っていなかったことで初めて気づいたという。

萩原健一の出演映画 その5

今回も萩原健一である。
主演ドラマはヒット作が続いていたが、映画の方はそれほどヒットしたものはなかった。だが、77年に出演した「八つ墓村」は大ヒット作となった。この当時は横溝正史ブームの最中であり、東宝が石坂浩二を金田一耕助役に配し、人気を呼んでいた中、松竹では渥美清を金田一役に抜擢した。これは横溝自身の希望だそうで、石坂浩二では二枚目過ぎるので、渥美の方が自身の持つイメージに近いそうである。
脚本は橋本忍が担当。その橋本から萩原の元にストーリー上の主役である辰弥役のオファーがあったという。最初はどうしようかなと思ったそうだが、たまたま読んだ雑誌にポール・ニューマンが「タワーリング・インフェルノ」に出演したという記事を見て、じゃあ俺も「八つ墓村」に出てみようかなと思ったそうである。これは要するに大衆娯楽作品にも出演していいかな、というような意味合いだろう。個人的には「タワーリング・インフェルノ」はパニック映画というジャンルではあっても名作であると思う。ちなみに「八つ墓村」の公開は77年あるが、製作自体は75年からスタートしている。他の出演者は小川真由美、山崎努、市原悦子、中野良子、山本陽子、加藤嘉、花沢徳衛、大滝秀治、夏八木勲など。ちなみに萩原演じる辰弥の少年時代を吉岡秀隆が演じている。
萩原が出演を決めた理由の一つに渥美の存在があった。一度共演して見たかったのだという。萩原に言わせれば、本作は「変な映画」だったという。不自然だと思えるような場面も多く、思わず渥美に「ヘンだと思いませんか」と尋ねると「俺が金田一耕助である時点でヘンなんだよ」と返したという。「俺はみんな寅さんだから」と自虐的なことも言っていたそうな。
78年に最初の妻である小泉一十三と離婚。まもなく、いしだあゆみとの同棲が始まり、80年に結婚することになる。媒酌は山崎努夫妻が務めている。婚姻届けはいしだに渡していたが、じつは彼女はそれを役所に出していなかったのだそうな。この80年には黒澤明監督の「影武者」に出演している。主役の武田信玄及び影武者役は当初勝新太郎だった。萩原は信玄の後を継ぐ諏訪(武田)勝頼の役だ。他に山崎努、根津甚八、大滝秀治、桃井かおり、倍賞美津子、室田日出男らに加え、オーディションにより油井昌由樹、隆大介、清水大敬、阿藤海などが選ばれている。黒澤映画の常連である志村喬、藤原釜足も最後の黒澤作品出演となっている。
勝新太郎の降板騒動は有名だが、どちらも自分のペースでやらないとすまないタイプということもあり、黒澤が勝の態度にキレて降板させたのである。代役は黒澤映画の常連である仲代達矢に決まったが、萩原はその経緯は知らないと語っている。まあ単純に仲代なら黒澤に逆らうことはないし、スケジュールも大丈夫だったからなのだろう。さすがの萩原も黒澤に逆らったりはしなかったそうだが、落馬して溺死しそうになるなど危ない目にもあったという。天気は良いのに、役者もエキストラも甲冑を着たまま一週間にわたり待機させられたこともあったという。たまりかねた、田中友幸Pと萩原が黒澤の部屋を訪れると「雲を待っている」という。田中が「一週間も待たされているんですよ。早くしてください」と文句を言うと「そんなことはわかっている。私だってイライラしているんだ」と逆ギレしたという。
賛否両論あった作品だが、当時の歴代興行成績の1位を記録している。

萩原健一の出演映画 その4

今回も萩原健一である。
75年に入り「傷だらけの天使」が終了する直前に公開されたのが「雨のアムステルダム」である。キャストは72年の「約束」の再来という感じで、主演が萩原で、共演は岸惠子、三國連太郎というトリオが再び揃ったのである。ただし、監督は別だし、制作も「約束」は松竹だったが、「アムステルダム」は東宝である。実際にアムステルダムでオールロケを行ったようだ。他に松橋登、仏人俳優のアラン・キュニーなど。
この年の4月に萩原は最初の結婚をしている。相手はモデルの小泉一十三である。「太陽にほえろ」にゲスト出演したのがきっかけで、同棲生活を送るようになり、子供ができたので結婚に至ったそうである。
「アフリカの光」は、タイトルにあるアフリカに行くわけではない。アフリカを目指す二人の若者の話である。主演は萩原と田中邦衛で、共演が桃井かおり、高橋洋子、藤竜也、峰岸徹、河原崎長一郎、藤原釜足など。監督は「青春の蹉跌」に続いて神代辰巳である。
続けて公開されたのが「鴎よ、きらめく海を見たか めぐり逢い」という長いタイトルの映画だが、こちら関しては主演ではない。主演は田中健、高橋洋子である。制作はATGで、共演者が根岸明美、高岡健二、あがた森魚、下條正己、そして萩原である。萩原の役名は「サングラスと白い杖の男」となっており、特にストーリーには絡まない感じだが、サイトによっては「川村」という名が付いていたりする。
75年の出演映画は以上の三本だが、ドラマでは「前略おふくろ様」がスタートしている。ウィキペディアには、倉本聰の元に依頼が日テレではなく、萩原から直接あったと書かれている。しかし、著書である「ショーケン」では、倉本から萩原の元に「板前の役をやらないか」と持ち掛けられたとなっている。この年、萩原は音楽活動を再開し、初のソロアルバムを出している。その中の一曲が「前略おふくろ様」だったのである。この曲を気に入った倉本が自分の母親とイメージを重ね合わせて「前略おふくろ様」の設定が出来上がったのだという。
正直言うと、自分はこのドラマをあまりまともに見たことはないのだが、だいたいのことは知っている。おふくろ様役は大女優・田中絹代で、共演は桃井かおり、坂口良子、丘みつ子に加え、梅宮辰夫、室田日出男、川谷拓三の東映勢、他に小松政夫、加藤嘉、北林谷栄など。桃井かおりは映画からの続けて共演。大部屋俳優だった川谷拓三も本作で一気に有名となった。テンプターズからの盟友である大口広司も出演している。
一見、萩原演じる三郎のセリフ回しはいかにもアドリブっぽく聞こえるが、倉本はアドリブを一切許さず、全て台本通りだったと語っている。基本やりたい放題だった萩原にしては珍しいといえる。
終了から半年後には第2シリーズ(76~77年)がスタート。基本的にレギュラーは同じだが、八千草薫、木之内みどり、風吹ジュン、岸田今日子、志賀勝、三浦洋一らが加わっている。ゲストには、安藤昇、渡瀬恒彦、大木実、大原麗子、岩城滉一などが登場した。安藤昇や渡瀬恒彦なんかがゲストで出演というのは珍しい気がする。

萩原健一の出演映画 その3

つづけて萩原健一である。73年は「股旅」の他に、岸田森の項でも触れた「化石の森」で主演となっている。
ヒロイン役は本作が映画デビューとなる二宮さよ子で、萩原の母親役が杉村春子である。二宮は設定では萩原と同級だが、実年齢では2歳上の当時25歳。文学座では杉村の部屋子として身の回りの世話などをしていたという。他の共演者は日下武史、浜田寅彦、八木昌子、田中明夫、岸田森などで、監督が篠田正浩ということもあり、その妻である岩下志麻も萩原の姉役で出演している。
テレビの方では「太陽にほえろ」を降板し、時代劇「風の中のあいつ」で主演。黒駒勝蔵という通常「清水次郎長」では悪役として描かれる侠客を演じている。その子分が前田吟、下條アトムで、テンプターズ、PYGの同僚であった大口広司も子分の一人(大岩)として加わっている。逆に次郎長が悪役で米倉斉加年が演じていた。番組主題歌を沢田研二が歌っている。
この時期(73~74年)、並行して「くるくるくるり」というドラマでも主役を演じている。人力車屋を舞台としたホームコメディで全20話だが、知っている人は少ないのではないだろうか。事実、自分も知らんかったし。共演は伴淳三郎、島田陽子、三ツ矢歌子、香山美子、宍戸錠、ちあきなおみ、細川俊之、研ナオコ、佐藤蛾次郎、小松政夫などが出演していた。沢田研二も1話と2話のみ友情出演している。
もう一つ知られてなさそうなのが「新宿さすらい節」(74年)。これも主演で、若き特ダネ記者を演じている。58年の新宿が舞台で、先輩記者(岩下浩)の変死をきっかけに、裏社会に深入りしすぎて凶弾に倒れるといった話のようだ。共演が中野良子、二谷英明、星由里子、緑魔子、田口計、渡辺文雄、下川辰平など。本作は1クールのドラマだが、その最終話の前週に始まったのが「傷だらけの天使」(74~75年)である。この番組が伝説化したことにより、ほぼ同時期の「くるくるくるり」や「新宿さすらい節」の影が薄くなってしまったようである。まあ、CS等で(たぶん)放送されていないこともあると思うが。
このようにドラマで忙しい時期であったせいか、映画は74年は「青春の蹉跌」一本だけである。ロマンポルノで手腕を振るっていた神代辰巳の初の一般映画監督作だ。共演は桃井かおり、壇ふみ、河原崎建三、高橋昌也、赤座美代子、森本レオ、荒木道子など。音楽は井上堯之が担当している。
簡単にストーリーを紹介すると大学生だった萩原が家庭教師をしていた桃井が大学に合格すると彼女と付き合うようになる。しかし、叔父の娘(檀ふみ)とも付き合うようになり、彼女との結婚を考えるようになる。それを桃井に告げると妊娠していることを知らされる。萩原は思い出の場所(雪山)に桃井を誘い殺害する。そして壇との結婚を果たすのだが、捜査の手が伸びていた。というような感じ。萩原は本作で「キネマ旬報」最優秀男優賞を受賞した。神代は「傷だらけの天使」でも2本監督を担当している。
ちなみに、桃井かおりの兄は脚本家の桃井章で、「太陽にほえろ」も数本担当している。ただし、萩原が降板した後である。

萩原健一の出演映画 その2

前回の続きで萩原健一である。
GS後、萩原は俳優になろうと思っていたわけではなく映画監督になりたかったのだという。そこで「めまい」の監督だった斎藤耕一へ師事することを考えたのであった。
その斎藤が「約束」(72年)という映賀を撮ることになり、その現場に萩原はサード助監督として参加したのである。しかし、主役の男優は中山仁に決まったが、女優の方が決らない。岩下志麻から始まり、岡田茉莉子、倍賞千恵子などが候補に挙がっては諸事情で消えた。中尾ミエに決まりかけたが、今度は監督の斎藤がイメージに合わないとNG。その後も、低予算の作品だったため、ギャラの問題で数名に断られたという。そうこうしているうちに、中山仁のスケジュールが危うくなり降板してしまう(チョイ役で出演)。
萩原は斎藤に思いつきで「パリにいる岸惠子さんはどうですか?」と提案してみたという。「あの岸惠子がやるわけないだろう」と否定されたが、ダメ元で手紙を送ってみたところ、思いがけずいい返事が来たという。しかし「相手の方の顔写真を送ってください」とも書かれており、今度は慌てて男優を探す羽目になった。しかし、時間もないので斎藤は「それこそダメ元でお前の写真を送っておけ」ということになり、萩原は髪を少し切り、ネクタイを締めた証明写真のようなものを送ったという。最終的に岸は出演を承諾、萩原も思わぬ形でその相手役として出演することになってしまったのである。ちなみに、岸は当時39歳で萩原より17歳上であった。萩原は相手役ではあるが、岸の世話役も兼ねていた。
本作には刑事役で三國連太郎が出演しており、「台本通りに演じるだけではダメ」など色々教わったという。ラストシーンでは予め「手加減せずに殴るからゴメン」と三國に言われていたという。萩原はこうした三國のやり方に共感したといい、自分の演技のルーツになっていると語っている。本作の演技で高評価を得た萩原は本格的に俳優として活動していくことになったのである。
72年と言えば「太陽にほえろ」が始まった年でもある。有名な話だが、当初は萩原は出演を拒否していた。タイトルの「太陽にほえろ」が気にいらない(要るにダサイ)、加えて役名(あだ名)も気に入らない。当初の「坊や」から「マカロニ」に変更となったが、やっぱり気に入らないとギリギリまで揉めたようだ。最終的には衣装は自分で決める、そして音楽をPYGの仲間である大野克夫、井上堯之にやってもらうという点を条件として出演を承諾したのである。その彼らが作ったテーマソングが大ヒットし、もちろん番組自体も人気を呼んだ。しかし、半年くらいで萩原は降板を申し出る。局側がそれをOKするはずもなく、もう半年出演が延長されることになった。その終盤に4本ほど未出演の回があったのだが、この間に映画「股旅」(73年)を撮影していたという。監督は市川崑で、製作はATGである。タイトル通り股旅もので、三人の若い渡世人が主役。演じるのは小倉一郎、尾藤イサオ、そして萩原健一だ。キャラ的に一番死にそうな萩原が一人生き残るのだ。
以前書いたと思うが、撮影期間宿に泊まっていた際に、萩原が小倉に殴りかかったという。年齢は萩原の方が1つ上なのに態度が上からだった、ということに腹を立てたらしいのだが、役者としてのキャリアは子役あがりの小倉がずっと上である。その辺を尾藤に戒められたというようなことがあったそうな。ちなみに小倉は昨年より芸名を俳号として用いていた小倉蒼蛙(そうあ)に改名したようだ。

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