スピリチュアル(仏教)の基本
■業務連絡
■好き嫌いの感情
■被害妄想
■慈悲の瞑想
■喜楽の会
返信できていなかったコメントに返信しました。
スマホ復活した日、何十人かの人に「明日改めて返信します」と返しましたが、あれから環境が変わって、まだ返信できていなくて申し訳ございません
さらに、LINEは雪だるま式に溜まる一方なので、怖くて開けなくなってきました
この場を借りてお詫び申し上げますが、不要不急のLINE・メールは自粛していただけますよう、改めてお願い申し上げます
12日から菩薩業で軟禁状態で家に帰れていません
普段は1週間が1日か2日くらいに感じるのに、今は1日がやたら長いです
さて、前回の記事の続きです。
「僕にも人の好き嫌いはあるけど、好きな人も嫌いな人も愛している」というのは昔からよく書いていることですが、誤解のないように説明しておきます。
「嫌いな人も愛してるとか意味が分からない」という人もいますが、それは愛を知らないからです。
人間が言う「愛」は、好き嫌いによる恋心や愛着(自我の感情)に過ぎません。
真の愛は、好きな人にも嫌いな人にも赤の他人にも同等なのです。
人類は自分の投影で「人類愛=自己愛」だからです。
太陽をイメージすると分かりやすいですが、魂の投影であり5次元の入口である太陽は、愛と大歓喜に満ちた光の世界です。
その太陽は万物に平等に光と熱を与えています。
心理学では「好き・嫌い」や「良い・悪い」など、分断された二元的感情を持っているのは「境界性人格障害」だとされています。
つまり、僕も含めて人類全員精神病なのです(笑)
しかし、僕はあくまでも「ニュートラル思考」で「ネオデジタル思考」です。
極端な大好きや大嫌いはなく、好き嫌いの感情も希薄です。
それは魂の視点が主体だからです。
今は特に嫌いな人はいないですが、好き嫌いは単なる自我の感情です。
僕が嫌いな人とは、自由を奪う人や、危害を加えてくる人ですが、強い感情は伴わないので、誰とでも平等に接しているのです。
それが仏教の基本の「中道」です。
極端な話をすると、僕が通り魔にナイフで刺されたとします。
僕はその通り魔のことを基本的には好きになれませんが(可愛い子だったら好きになる!笑)、被害に遭うということは何らかのカルマの結果であり、その通り魔は僕の投影です。
まず、通り魔にナイフで刺されて「被害に遭った」と思うのは、被害妄想でありマイナス思考なのです。
殺された人が幽霊になることが多いのは、「被害者意識=幽界意識」だからです。
従って、何かの被害に遭ったら内観して、ひたすら謝罪と感謝が必要なのです。
レイプされて殺されて、奇跡的に蘇生した臨死体験者がいるのですが、自分がなぜレイプされて殺されたのかが分かり、自分をレイプして殺した人に対して、渾身の謝罪の気持ちと大いなる愛しさが込み上げてきて号泣したそうです。
刺されるということは、自分が悪いから刺されるのです。
災難は過去のカルマか、過去世のカルマか、先祖のカルマの結果なのです。
潜在意識を浄化して天地万物と調和していれば、刺されることはないのです。
イエスは人類の贖罪のために十字架に架かりましたが、処刑される時にこう言いました。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」
(「ルカによる福音書」第23章34節)
喜三郎氏も、「憎い人や許せない人、嫌いな人が1人でも存在している場合は、相手を許してあげるか、相手の幸せを念じることです」と説いています。
それが出来ないと、人は幸せにはなることが出来ないどころか、死後は幽界行きです。
5次元的な視点からいえば、他人を許せないということは、自分を許せていないということです。
ここでは3次元的な世界観で話しますが、「慈悲の瞑想」がスピリチュアル(仏教)の基本です。
慈悲の瞑想とは、ヴィパッサナー瞑想の前に唱える祈りです。
一部抜粋すると次のような祈りですが、そう思えなくても無心で唱え続けていれば、やがて本当にそう思えるようになってきて、仏の境地に到達するのです。
………………………………………………………………………………
私の嫌いな人々が幸せでありますように
私の嫌いな人々の苦しみが無くなりますように
私の嫌いな人々の願い事が叶えられますように
私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように
私を嫌っている人々が幸せでありますように
私を嫌っている人々の苦しみが無くなりますように
私を嫌っている人々の願い事が叶えられますように
私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように
………………………………………………………………………………
しかし、言霊の使い方としては、以下のように唱えるのがベストです↓
………………………………………………………………………………
私の嫌いな人々が幸せになる!次
私の嫌いな人々の苦しみが無くなる!次
私の嫌いな人々の願い事が叶えられる!次
私の嫌いな人々にも悟りの光が現れる!次
私を嫌っている人々が幸せになる!次
私を嫌っている人々の苦しみが無くなる!次
私を嫌っている人々の願い事が叶えられる!次
私を嫌っている人々にも悟りの光が現れる!次
………………………………………………………………………………
「次」というのは昔の僕のメンターの藏本天外氏が教えていたことですが、その意味はこうです。
空間には「宇宙創造意志=神」が遍満しています。
願い事の後に「次」と言うのは、「私は願い事を宣言したので次はあなた(神)が叶える番ですよ」という意味が込められているのです。
Oリングをすれば分かりますが、「次」を付けた方が指が固く締まります。
スピリチュアルでは「願い事は過去完了形で」と教えられていますが、最初から過去完了形では自我(顕在意識)が納得しないので潜在意識も納得しません。
深層自己説得するためには、「断言系で宣言+次」と発してから「過去完了形+感謝の言葉」を唱えることです。
つまり、上記の赤字の「慈悲の瞑想」の言葉を唱えてから、次のように唱えます↓
………………………………………………………………………………
私の嫌いだった人々が幸せになりました!
感謝します
私の嫌いだった人々の苦しみが無くなりました!
感謝します
私の嫌いだった人々の願い事が叶えられました!
感謝します
私の嫌いだった人々にも悟りの光が現れました!
感謝します
私を嫌っていた人々が幸せになりました!
感謝します
私を嫌っていた人々の苦しみが無くなりました!
感謝します
私を嫌っていた人々の願い事が叶えられました!
感謝します
私を嫌っていた人々にも悟りの光が現れました!
感謝します
………………………………………………………………………………
自分の幸せより他者の幸せを優先して願うことが「タライの法則」で、それを実践するのが「菩薩業」です。
女性がよく口にする「彼氏は優しい人がいいけど、誰にでも優しい人は嫌」というのはエゴの塊です。
厳しいことを言うと、その嫉妬心は夜叉や悪魔そのものであり、それは慢心が原因です。
半覚醒していても、人生においては、好きか嫌いかと言えば嫌いな人は必ず現れますが、僕は誰とでも親友と同じように接することができます。
八方美人だと言われることもありますが、それが「人間性」というものだと思います。
人間性は「人間性測定」によって分かりますが、生命体をチェンジすることで「人間性の改善」も可能です。
過去の記事で度々書いてきたことですが、次回の記事(15日23時23分更新)で再度取り上げたいと思います。
講演会の終盤に、喜三郎氏に願い事を言う時間が設けられていて、願い事を言うと「はい」と言って入気してもらえます。
「はい」と言ってもらえるので、「次」と言う必要はありません。
ただ、講演会以外で普段、願い事を宣言して「次」という場合、喜三郎カードを持っていると実現力が高まります。
華子さんのブログより抜粋
●参加の際には紹介者が必要なので、受付で下記をご記入頂ければ幸いです。
会員No.6998209
紹介メリットとしてカードが貰えます。
それによって僕のカード枚数が増えてパワーアップしますが、僕の紹介で参加された方への祈念はもちろん、世界平和の実現力が高まるので、ご協力いただければ幸いです。
●予約不要で参加できますが、参加される方は宜しければご一報下さい。
【E-mail】 chojin_club666★yahoo.co.jp
(★を@に変えて送信して下さい)