#2 子供が去った春(空の巣症候群シリーズ最終編) | 吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

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WEBエッセイ、第3回

 娘が最終的に家を去って5日目。家の中が妙に静かだ。
  毎朝二階の自室から、河馬でも転げ落ちたのかと思うほどの勢いで階段を下りて来る娘がいないためだ。目下のところ、この静けさが一番堪える。

 

                             
   
  私はこれまで、空の巣症候群について下記の3本の記事を書いた。気取って言えば心を整理するため、ぶっちゃけて言えば、親しい人達に愚痴り倒したかったからだ。

          # 10 私の空の巣症候群 ~ 起承転結もヘッタクレもなし
          # 21 ひな祭りの写真 ~ ペットロスと空の巣症候群
          # 33 ラスト初詣 

  一時は抑鬱状態が嵩じて本格的な鬱病になりかけたが、周りの人の励ましや、「空の巣症候群?何それ?」という実も蓋もない反応や、「そんなに暇なら、もっと仕事してくれません?」 という酷薄極まりない催促を受けて、どうやら立ち直れた。其々、感謝と憤怒に堪えない。

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  毎年桜の季節になると、沢山の子供達が進学や就職で家を出て行く。「みんなが通る道」とでも言えば良いか、子を持つ親が、少なからずこの時期「空の巣症候群」に罹患する。しかし私の経験では、日薬以外に特効薬などない。
 とは言え、フンギリをつけるのに役立つ認識がひとつある。
   親と子は、別の時代を生きているという事実だ。時代性を共有していないので、当然、人生観も価値観もライフスタイルも大きく違う。DNAが酷似しているからと言って、話が合う訳ではない。
   卑近な例を挙げると、娘が中学生の頃、長嶋茂雄もマリリン・モンローも (誰それ?) という反応を示すので、ショックを受けたことがある。反対に、私は娘が頻りに口にするアニメ、漫画、声優、ゲームの話題に殆どついていけない。また、異性の子供なので、彼女の話がファッションや化粧品の分野に及ぶと、中世の黒魔術かと思えるほど私の理解を超えていく。

   つまり、親子でなかったら、私と娘が親しくなれる要素など殆どない。しかし、存外この事実に気づかない親と子が多い。「気の合う親子」、「気の合わない親子」という言い方があるが、本来気の合う親子の方が幸せな少数派であろう。


   もう一つ、空の巣症候群の親のフンギリに役立つ認識として、子供自身の、親とは無関係な人間関係とそれに伴う多忙さがある。大抵の場合、独立して、生活圏も異なる子供の社会学的、世代的要素を、親は共有できない。言い換えれば、別個の社会人である子供の社会的ネットワークに死ぬまで参加できない。

  空の巣症候群に苦しむ親御さんは、この事実をしっかり噛みしめるべきだ。

  早い話、子を世の中に送り出した後は、ただのオブザーバー(時々スポンサー)の役割しか与えられない。これを生物学的に不可避の現象と観念したら、空の巣の痛みも多少和らぐ。

 

   送り出される側の子供には不安がある。見知らぬ大都会に住み始める大学1年生、まだまだ何の役にも立たない社会人一年生、(果たして自分は新しい環境に適応できるだろうか?)という不安が、時に将来への夢や希望を上回る。自分の不安を差し置いて、親の側の取り残される者の喪失感、寂寞感、孤独、感傷などに想いを致せる、などというできた子供は、確率論的にそう多くない。あれやこれやで、門出の日まで気もそぞろに過ごすだろう。

  このように揺れ動く子供の心理を、喪失感に囚われた親はしばしば見逃す。 
   毎春の親子の別れのシーンは、多くがこのような心理ギャップを内包したまま展開される。

  つまり、親は泣き、子は親の感傷につき合う余裕がないので、ただ困惑する。

   双方が気遣い合える親子がいるとすれば、見事な子育ての成果と言うべきであろう。


   私と娘の場合は、既に【#1 オミクロンとプーチンと巣立ちの春】に書いた通り、ラストはこんなようなことだった。

 

   ------  世界の目がウクライナに釘付けになったまま、満開の桜が散り始めた3月29日、我が家のひとりっ子のひとり娘が就職して家を出た。それまでも幾度か研修で長期外泊していたが、この日は本番だった。世間の通例通り、今後はもう多くて年に2度、「帰省」することはあっても「帰宅」することはない。
   新幹線の改札口で見送る時、私は密かに考えていた惜別の言葉が何一つ出て来ず、ひょいと手を上げただけで娘と別れた。その日も、テレビでは相変わらず停戦交渉のニュースばかり流れていた。


                                        
 

   娘が最終的に家を去って5日が過ぎた。
   私は、空の巣症候群を克服した。
   したと思う。
   したような気がする。・・・

 

(2022年4月02日)

 

 

吉岡暁 WEBエッセイ① 嗤う老人