#3 男の見分け方 | 吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

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WEBエッセイ、第3回

   娘が家にいるうちに教えておきたかった事は山ほどある。

   金銭感覚もその一つだが、これはまあ、一人暮らしをしながら月末ごとに給与明細書と貯金通帳を見比べて吐息をついている内に自然に身に付けるだろう。そう願う。
 

   子供が女子であるため、可能なら教えておきたかった事のひとつに「男の見分け方」がある。時勢に阿った表現をすれば「良きパートナーの選び方」とでも言い換えるべきか。もちろん、安っぽいハウツー本のアイ・キャッチャー以外に、そんな都合の良い方法はない。人と人のめぐり合いは、所詮「運」だ。女の立場からすれば「男運」という日本語があるし、今風に言えば「オトコ・ガチャ」とでもなるか。

   けれども、逆に「こんな男は避けるべし」という形でなら、ヤクザやDQNの類を最初から除外するとしても、幾らでも類型を並べられる。
   以下、この種の類型に関し、あくまでも娘だけを念頭に置いて書く。

1. アーティスト(およびアーティスト擬き)
   真正のアーティストであれ只のワナビーであれ、この手の男には近寄るな。

   お前とは最悪の相性だから。そもそもこのタイプは、大抵の場合共同生活不能者だ。多かれ少なかれナルシズムの病相が、日々の暮らしの中で常に見え隠れする (これほど鬱陶しいものはないぞ グラサン )。
   芸術家魂の極致とも言えるビンセント・バン・ゴッホを持ち出したところで、お前には寄り添うことができない。「糸杉」や「星月夜」のグルグル渦に魂が揺さぶられるほど感動し、生涯貧困に甘んじてもこれを歓びとするような共感力、献身性、あるいは自己犠牲の精神 ----- そういった芸術家の伴侶に必要な徳目がお前には毛ほどもない。ましてや、「俺が!俺は!俺の!僕は!僕に!僕を!」と、ガアガア喚くカラスのようなワナビーなど、見たくもあるまい。

 

                                      

 

   明治の歌人、若山牧水に有名な一首がある。

       白鳥は哀しからずや
       空の青 海の青にも
       染まず漂う

   もはや古典であるこの短歌には、芸術家あるいは芸術家モドキに共通する「選ばれし者の孤独と不安」への自負とナルシズムが膿のように滲み出ている。自負とナルシズムが他者に求めるものは称賛や憧憬の眼差しだけなので、お前が立ち入る余地は全くない。


2. 風船頭のイケメン男
   解説の要はないだろう。因みにお前が息子なら、「風船頭のイケメン女」に引っかかるなと言う。
   容姿については以前にもお前に話したが、人間は何であれすぐに飽きる動物だ。顔面の造作など、どんな美男・美女でもじっと目近に凝視すれば、2~3分で忽ちゲシュタルト崩壊を起こし、今見ている物が何なのか分からなくなる。ましてその上に乗っているのが風船頭と来れば、うんざりするほど長丁場の人生にはクソの役にも立たない。
   一度、顔面解剖図をネットで検索してみるといい。鼻骨、頬骨、真っ赤な筋肉、皮膚を拡大すれば黒ずんだ汗腺、毛穴、定住している様々な微生物に老廃物、・・・ヒトの顔面など文字通り一皮剥けばどれもこれも似たり寄ったりの構造で、こんなものに美醜の基準を置く自身の幼さが身に滲みるだろう。

 

                                      

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3.  猛烈ソーシャル・クライマー男(権力、出世、起業を全力で追及する野心家)


                                     
            
   このタイプは、親から見るとそれなりに魅力的だが、まあ止めておいた方が無難だ。人格は、既にdeterminedと言うか、人生の目標がはっきりしているので、放っておいても一人で駆けて行く。黙って日々努力する。
   その代わり、お前の結婚対象となるような若さ、年齢では、往々にして挫折に弱い。一度ひっくり返ると、そのまま何年も倒れっぱなしで、悪くすると中高年まで引きこもりという事例もある。言わば皐月賞で将来有望と思われる3歳馬に、自分の全生涯を一点張りするようなもので、ハイリスク・ハイリターンの極致である。
  一つだけ確かなことは、お前程度の眼力であっさり「ガチの権力・財力志向者」と見抜けるほど物腰・物言いが偏っているとすれば、先の見込みは全くない。良くも悪くも、日本の社会はその種の剥き出しの欲望や野心、非定型な言動を暗黙のうちに排斥するからだ。


4.  心に穴が空いている男(または永遠のエンスト男)
                

   このタイプは見極めが難しい。一見優しそうで、それなりに感性も備え、気遣いもでき、ユーモアもあるように見える。しかし、それは悉く生存のための擬態であって、肝心の心に穴が幾つもスカスカに空いている。従って、人生ここ一番、決断と行動が必要な時でも、起動圧力が圧縮できずに洩れてしまうので、常にエンスト状態のまま取り残されることになる。当然の事ながら、何事によらず非生産的な存在であって、周囲の人々の間をフワフワとクラゲのように漂って生きている。
   育った環境、生まれついての資質、あるいは何らかの特殊な経験がその穴を形成したわけだろうが、厄介なのは、当人が心の穴に無自覚であることが多い点だ。
  娘を持つ父親として眺めると、実はこのタイプが一番危ない。殆ど例外なく相手に依存するからだ。 お前が心身ともに健康で、何らかの目標があり、ああしたい、こうなりたいという具体的なビジョンを持っていれば、こういう男に引っかかるリスクは低い。しかし、心に何かしらの痛みや傷を引きずり、相手と同様に心に何らかの穴が開いていると、必然的に共依存を引き起こす。
   しかし、これは論理の撞着であって、穴に穴を重ねても穴は塞がらない。穴を塞げるのは、あくまでも内部から生まれ出る治癒・救済・意思・希望といった自前の生命力だけであり、他者の傷口と自分の傷口を擦り合わせたところで痛みが増すだけだ。

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 こういう風にリストアップして潰していくと、お前が生涯の伴侶にできる男は絶滅してしまうが、心配はいらない。私はちゃんと理想のサンプル像を用意しておいた。

OK 生まれついて親切なジャガイモ男
   心身ともにげっそりするくらい健康で、話をすると約30秒で眠たくなるほど退屈で、笑う時は、演技ではなく喉ぼとけ全開で笑う男。
   顔はジャガイモみたいにデコボコで、「隣の庭のチューリップが咲いた」とか、「この胡瓜の糠漬け、うまい!」とか、「便秘には野菜食べると良いよ」とか、死ぬほどどうでも良いことを真顔で言う男。
  「雨にも負けず」の宮沢賢治から「春と修羅」の詩人の毒素を完全に除去したような男。
  そして、何よりもまず、生まれついて親切な男!
 こういう男と出会えたら、それはお前にとって僥倖と言うべきものだ。

                                        

 

  決して冗談で言っているのではない。
  「生まれついて親切」とは、どういうことか考えてみるがいい。大袈裟な表現をすれば、「生物としての自己保存本能、自己愛、排他性、獣性から生まれつき遠い」 ということだ。それがどれほど希少で尊い資性であるか、自己愛の鬼で溢れる世間を10年ばかり渡ってみれば、身に滲みて分かる。
 「そんな立派な人、どうやったら見分けつくの?」とお前は聞くかも知れない。
 確かに。

 立派な人は立派そうな外見を好まないので、なかなか見分けるのは難しい。

 だから、根気よく探しなさい。見つけられないのは、お前の未熟さで曇った目が、真っ先に上記1~4のようなタイプに飛びつくからだ。

 生まれついて親切な人は、「良き人」だ。

 良き人は必ずいる。それも、少なからずいる。
 伊豆の踊子も言っている。

 「良い人は良いね」と。

                                                                                                                 

(2022年4月08日)

 

 

              吉岡暁 WEBエッセイ① 嗤う老人