#33 ラスト初詣 (子育て真っ最中の世代向け) | 吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

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WEBエッセイ、第3回

 

                 

 

 このくらいの年頃の子供にとって、初詣もTDLも変わりはない。

 屋台の一つ一つにねだり、はしゃぎ、喜ぶ。子供が喜ぶと親も嬉しい。

 家庭に何の問題もなければ、あなたは神前で鈴を鳴らし、こう祈らずにいられない。

 (この幸せが、いつまでも続きますように・・・・・)

 無論、続かない。 

 桜も散らなければ、誰も花見になんか行かないし、花火も消えなければ、常夜灯と変わりない。同様に、終わりがなければ、幸せという至福感もただの平穏な日常に過ぎない。しかも、刻々と時の流れの中で色褪せていく。

  あれほど子供たちを楽しませたクリスマスツリーの電飾が、やがてイナバの物置の肥やしとなるように、せっかくの子供の晴れ着も髪飾りも、写真やビデオの中にだけその姿を留めるようになる。それから更に年月が経つと、あなたも私のような「空の巣症候群」患者の仲間入りである。

   Welcome to the club!

 

 

 ちなみに、既に大人になってしまった子と行く初詣とはどのようなものか、その一例を示す。

 今年の正月4日、私は帰省した娘とふたりで近所の寺へ初詣に出かけた。2年前に買った熊手の返納という用事をでっちあげて無理やり連れだした、というのが本当の所だ。

 

              

 

  この熊手を買った年に、新型コロナが始まった。去年の正月、寺に持っていくのも億劫(おっくう、と読む)で、そのまま放っておいたら、コロナはいよいよ猖獗(しょうけつ、と読む)を極めた。私の幾つかの生活習慣病も悪化した。

  「厄を搔き集める熊手だったな」 私は初詣に関する話に誘い水を向けたりしたものの、娘は生返事をするだけであまり乗ってこない。代わりに、自身の配属先事業部の収益性やマーケタビリティについて、あれこれと語った。私の知識と職歴では正確な理解が及ばない分野だが、娘には娘の現実的な問題や不安があるということだけは分かった。

  「まあ、なるようにしかならんわな」と私は言い、娘は「うん」と頷いて会話らしい会話はネタが尽きた。

   正月4日目、広い境内は閑散として、人影はまばらだった。正月行事の後片付けをする業者が、何組か軽トラックで乗り付けていた。

 そのうち冷たいミゾレがポチポチと落ちてきた。

 忌々しい、役立たずの、呪われた熊手を返した後、私達はそそくさと車で帰路についた。 

 ハンドルを握りながら、(もう、一緒に初詣に来ることもないだろう) と私は思った。

 

 

 幼い子供は駄々をこねる、拗ねる、泣く、喚く。しかも時と場所を選ばない。

 子育て真っ最中のあなたは、一体いつまでこんな子育て地獄が続くのだろうと嘆き、時に2、3発子供の頭を叩きたくなるだろう。

 私は何度か実際に叩いた。

 地獄がこんなにも早く、儚く終わるものとは、夢にも思わなかったからだ。