#1 オミクロンとプーチンと巣立ちの春 【ファッキンワールド、バット …】 | 吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

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WEBエッセイ、第3回

  

多くの人と同様、2022年の春は私にとっても忘れ難いものになりそうだ。


        
 

「ロシア軍がいつウクライナに侵攻してもおかしくない」と、米大統領補佐官が公言し始めたのは、確か2月初めの頃だった。
(勘弁してくれ、また株価が下がるだろうが!)こんな酷薄な感想しか、その時はまだ湧かなかった。21世紀にもなって、他国の領土へ武力で侵攻するなどという19~20世紀的、帝国主義的愚行を、あの見るからに抜け目なさそうなプーチンが犯す筈がないと信じていたからだ。(例えWSJの記者でなくても、どう考えたって採算に合わない事くらい自明の理ではないか)
  しかし、結果は今、世界65億人が目撃している。


                             

   同じ頃、私は3回目のコロナワクチンの接種を受けた。コロナ3年目、世界で5億人近くが罹患し、およそ600万人が亡くなった。しかしウィルスの主流がオミクロンとなってからは「重症化率も致死率もぐんと下がった」ということで、私も3回目の摂取を多少躊躇したが、高齢者ということもあって結局摂取した。
  接種した医療機関の待合室で、TVがウクライナ戦争関連のニュースを流していた。ロシア政府がNATO各国やアメリカ相手に核恫喝したというニュースで、その真意を分かりやすく言い換えれば次のようになる。
「オラ、オラ、ロシア嘗めんなよ!俺らは世界2番目の核兵器持ってんだ。一発、核戦争やってみっか?お前らみたいな金持ちに、そんな度胸あるか?かかって来いよ、オラー!」
   北朝鮮を除けば、近代以降ここまで卑しく下劣で、外交的修辞・偽善をかなぐり捨て、「ヒト」という種の限界を露にした公的ステートメントを私は知らない。あのアドルフ・ヒトラーでさえ、狂的なアーリア人優越思想の恥部を、もう少し小奇麗なナショナリズムの下着で隠していた。
   帰路、私は思った。今日という日は、私個人にとっても21世紀初頭を象徴する日だったのではないだろうか?ワクチン(疫病)、核戦争の勃発危機、更には近頃頻発する地震 ---- 正しく黙示録の世紀ではないか。  

   とは言っても、世界情勢がどのように進行しようと、市民としての日常が続いていくのは誰しも同じ。2月の半ば頃から、私は古代建築関連学術論文の翻訳を開始し、「神明造」だの「虹梁」だの「千鳥破風」だのといった定訳語のない建築技法にコツコツ取り組んだ。
   そうしているうちに2月24日となり、ロシア軍がウクライナに侵攻した。
  (本当にやりゃーがった!)
   正直、私は仰天した。資本主義的損益計算が、汎スラブ的民族主義に木っ端みじんにうち破られたと言うべきか、旧KGBの木っ端職員だったウラジミール・プーチンによるソ連崩壊の仇討ち、もしくはキューバ危機のリターンマッチと言うべきか。
   世界的な株価大暴落やそれに続く恐慌を恐れたに違いないジョー・バイデンが、早々とアメリカの不参戦を告げたため、戦争は基本的に20世紀型の戦争に留まり、無数の核ミサイルが地球のあちこちで炸裂する事態には至らず、今に続いている。         

                   

 

  翌月、春爛漫の3月23日、ウォロディミル・ゼレンスキーが日本の国会でオンライン演説をした日、私はオーストラリア人のプルーフリーダーと、翻訳の最終仕上げの打ち合わせをしていた。 訂正箇所が思ったよりも少なかったので、私は翌々日に翻訳を納品できた。核ミサイルのスイッチを握る独裁者に対して湧き上がる不安や怒りを押し殺し、一種の翻訳機械となって黙々と仕事をした成果だろうが、(こんな時勢に、何やってんだか・・・)という自嘲も頻りに湧いた。

                    
         
    世界の目がウクライナに釘付けになったまま、満開の桜が散り始めた3月29日、我が家のひとりっ子のひとり娘が就職して家を出た。それまでも幾度か研修で長期外泊していたが、この日は本番だった。世間の通例通り、今後はもう多くて年に2度、「帰省」することはあっても「帰宅」することはない。

    新幹線の改札口で見送る時、私は密かに考えていた惜別の言葉が何一つ出て来ず、ひょいと手を上げただけで娘と別れた。その日も、テレビでは相変わらず停戦交渉のニュースばかり流れていた。

 

(2022年04月01日)

 

                                    

 

                                                    吉岡暁 WEBエッセイ① 嗤う老人