パチンコ回想録 おまけ(1)
【目次リンク】
1.はじめてのパチンコ編(1989年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396112976.html
2.上京パチンコ編(1989年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396833601.html
3.パチンコ攻略編(1991年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12397911333.html
4.パチンコ企業就職編(1994年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12400413287.html
5.パチンコ店長編(2000年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12403314011.html
6.パチンコ起業編(2006年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12405941148.html
昔の記憶を辿りながら長々と記して来たが、後から抜けていた出来事がぽろぽろと。
実はパチンコ起業編内のパチノフ経営中にパチンコ店出店間近まで行ったこともあった。
1年半ほど前の話である。
どうにか出店できないかと考えていた私は悶々としたものが蓄積して、ついにこう考えた。
金がないからパチンコ店を出せないというのは単なる言い訳ではないのか?
金がないから出来ないという奴は、例え金があっても一生やれないのでは?
金なんかなくてもやる奴はやる!仮に100万円しかなかったら100万円の店を出せばいい。
オッケー。なら500万だ。
通常5000万の資金が必要なクラスのパチスロ専門店をたったの500万で秋葉原に作る!
気楽で気軽に楽しめる、パチスロ好きが集まる変な店だ。
それは持つものには決して到達できない狂気の案件だ。
常識をぶち壊してやる!!
まずは店舗物件探し、およそ40坪ワンフロア、坪単価2万円、つまり賃料80万円ほどで探した。
web、各不動産屋さん、くまなく秋葉原界隈を足で歩き回って探した。
パチノフ出店時とは違い、今回は風適法上で許可が必要となる営業の業種であり、商業地域であれば学校や病院から何メール離れていなくてはならないなど細かな制限がある。
中々見つからなかった。40坪ワンフロアというのがネックだった。秋葉原という都心でそのような倉庫的空き物件は存在しなかった。
そこで条件を見直した結果、秋葉原駅から徒歩15分程の場所で3階層の物件でビル1棟貸し、賃料も格安の物件に巡り合った。
これだ!
3階建てとなると忙しくない時間帯でも各フロアに人員が必要でコストが増す。この辺のコスト問題は知恵を働かせてクリアすればなんとかなるはずだ。
資金がないから中古で台だけしか買えない。
1台ごとにメダル貸機なんて設置できない。ワンフロアに1台だけだ。
当然ナンバーランプなんて親切なものも買えない。昔みたいに卓球のスコアみたいにペラペラめくる奴でいいや。
中古台しか買わなければ費用はどうにかまかなえる。後はせいぜいPOSとメダル洗浄機を中古で安く購入するだけだ。ホールコンピューターなんて買える訳がないから、手動で1台ずつデータを出すか、店全体のイン・アウトで計るしかない。
そんな目隠しをするようなアクロバット飛行は得意だ。故障で複数台データがあがらない店の管理もしたことがある。目をつぶった状態で個別台管理するといったピンチは大好物なのだ。
設備が欲しければ開店後に資金が溜まってから。同時に余り玉に募金的な選択肢を入れて、余り玉が不要といわれる方に費用の一部を担って頂こう。見事ナンバーランプが買える時はもうお祭り騒ぎだ。
そして新台入替は原則として行わない。ぶっ壊れるまで大事に使う。
そんなボロボロの店の代わりに、お客さんに対して破格の利益率10%宣言をする。その証拠としてデータを日々全公開する。営業事務所を入口に設置して丸見え状態にしても良い。フロントオープンオフィスだ。
この状態で営業シミュレーションをしてみた。得られる売上、利益の構造は小さな飲食店のものに近い。
通常パチンコ店といえば飲食店とは比較にならない売上、利益を叩きだす。そんな常識を放棄するのだ。
だが最大のネックがある。ネックとなる費用が発生するのだが、これ以上は公の場では書けない。
みかじめ料などではない。特殊景品にまつわる話だ。この点については古くから付き合いのある方に相談して、見積もりして検討した。ハードではあるがどうにかなる。
物件の周辺をくまなく歩き回り、パチンコ店営業許可が出る場所なのか最終確認をした。
後は決断するだけだ。
けれど1つだけ気にかかることがあった。
目の前に民家が数件あるのだ。物件の場所は商業地域でありながら、静かな場所である。
それがある日突然パチスロ専門店が出来、開店前は並びとなり、営業中や閉店後にひっきりなしに人の出入りが始まるのだ。
防音工事をしたとしても店舗周辺の人の流れだけはどうにかなるものではない。
また、新台入替しないにしても規則が変わり、現行機種がいつ撤去となってしまうか分からない。新台を買う必要が迫れば、購入資金はないし、利益率10%なんて不可能だ。
結局、規則はどうなるか分からないし、近隣に迷惑をかけて営業するのは本末転倒だという結論に至った。パチスロ専門店出店を諦めるしかなかった。
ダメな理由はいくらでも出てくる。ゆえにそんなことを考えても何にもならない。また時が来た時に、パチンコ店出店は検討するしかない。
まるで大河ドラマ軍師官兵衛のラストのようだ。私のはそんな格好良いものではないが。
上がれなかった四暗刻と同じ。
なかなか上手くいかないものである。
6.パチンコ起業編(6)最終回
【目次リンク】
1.はじめてのパチンコ編(1989年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396112976.html
2.上京パチンコ編(1989年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396833601.html
3.パチンコ攻略編(1991年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12397911333.html
4.パチンコ企業就職編(1994年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12400413287.html
5.パチンコ店長編(2000年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12403314011.html
6.パチンコ起業編(2006年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12405941148.html
持たざる者にやってくる壁。時に危ない橋も渡ることになる。
大雪や資金ショートの危機をどうにかギリギリで持ちこたえ、パチノフはおかげさまで1周年を迎えた。
来て頂くお客さんがいなければ話が始まらないので、本当に本当におかげさまで全力の感謝でしかない。
それからはメーカーさんの各種プロモーション利用もして頂いた。
パチンコ涼宮ハルヒ、パチスロうみねこのなく頃にのグッズ提供を頂いたり、777TOWN.net・KYORAKUサプライズらんどコラボがあったり。
最新台の試打機として、ガン×ソード、十字架3、テラフォーマーズ、凪のあすから、ドリスタせかんど、熊酒場二丁目店、ぱちスロAKB勝利の女神、トロピカルKISSスイートを設置して頂いたり。
梅屋シンさん、美原アキラさんが雑誌企画でコスプレ登場したり、ヤルヲさんが一日店長したり、幸チャレひげ紳士さん来店イベントがあったり。
お客さんにとって楽しめることならば、積極的に各メーカーさんはパチノフという箱を大いに利用して頂きたいと思っていたので、願ったり叶ったりのことだった。
もちろんパチノフとしても普通のイベントから変なイベントまで色々やった。
色々やったが全力疾走で駆け抜けてきたので記憶があまりない・・・。
記憶はないが、それぞれの方の記憶に残っているならばそれで良いと思う。
私自身としてはもっとこうしていれば、ああしていれば、こうでなければと反省する点ばかりである。
甘えてはいけない話なのだが、これは全てパチノフを好きでいてくれる優しいお客さんが受け入れて頂いたからこそだと思う。
スタッフも同じ。
ある時から私は教育という考えを捨てた。ここは学校ではない。皆成人した立派な大人である。
最低限のルールだけを設定し、後は自由に取り組んでもらう。教育なんてものを考えること自体がおこがましいのだ。
全ては自己責任の世界である。
とても個性的な面々にそれぞれの形で真剣に取り組んで貰えたのは幸せなことだった。
しかし決して良いことばかりではない。嫌なことは、お客さんにしろ、スタッフにしろあったはず。
しかしこのパチノフという箱を通じて、良いことも悪いことも全部ひっくるめて「生きた」ということが、とても愛おしくかけがいのないものに思えて、そのことが私の原動力だった。
どれだけ資金難だろうが、体力的にハードだろうが、全て吹き飛ばす次元のご褒美だった。
・店に対し、スタッフに対してどこまででも優しい素敵なお客さんに恵まれたこと
・雨風などの悪天候だろうが関係なしにお客さんが来てくれたこと
・大人になって友人を作るのは難しいことなのにお客さん同士が次々に仲良くなっていったこと
・これだけ商圏が広い施設は東京ディズニーランド、USJくらいしかないのではと思えるほど遠方からのお客さんが多かったこと
・生誕祭や大晦日など節目の時は強烈に盛大なパーティーだったこと
・スタッフが自主的にコスプレ合わせや各種催しを考えてくれたこと
・ライター志望のスタッフの多くがライターやタレントとして活躍し始めたこと
思い返せばキリがない。とても誇らしい嬉しい出来事だ。
開店して2周年。まさかの2周年を迎え、3周年、4周年、5周年と時が経過。
もうダメだと思った瞬間は何度もあった。初年度は1年間で800回程もうダメだと思ったが、年を重ねる度にお客さんが増えてきた。増え続けるお客さんに対して、スタッフをどうにか増やしていった。
だが5周年の前に過去とは違うレベルの不安に包まれていた。
将来我々が迎える未体験の労働人口減少、そしてパチンコ参加人口の激減という大きな流れの中で、パチンコパチスロ好きなスタッフが不足して営業できなくなる。
以前は求人広告なんてしたことがない。しなくてもパチノフを見つけてくれたのだ。それが何カ月にも渡って連続で求人広告を打ってもほぼ成果なし。
であればとパチンコをしないスタッフに助けてもらいながら、かろうじてシフトを組んでいたが限界が来た。
支持して頂けるお客さんがたくさんいるにも関わらず・・・。
尚、パチノフ4周年の後の9月6日に弊社で新規開店させたアニソンカラオケバー高まり研究所というお店がある。
ここ最近も続々とアキバにコンセプトカフェが増えているが、似たような仕様のお店が多く、アニソンカラオケバーというヲタクらしいものが少ないことに勝手に腹を立て、俺がやる!もっとアキバを面白くするんだと立ちあげた店である。
おかげさまでご支持を頂き、スタッフも求人広告をほぼ実施せずにやれている。
しかしパチノフは状況がまるで違う。
自分なりに可能な限りの手を尽くしたがもはやここまで。終わりを宣言しなければならない。
公式ツイッターへの文章を書き終えて、ツイート発信ボタンを押すのに躊躇した。
ボタンを押せば全てが終わる。悲しみを巻き起こしてしまう。パチノフが続いて欲しいと願ったあの方々の顔が浮かんでくる。
頭ではこれが最良と結論を出したはずだ。間違っていない。けれども押したくはない。
本当にこの結論は正しいのだろうか?もはや頭と気持ちを稼働させることが出来なかった。
2018年9月18日 ほとんど無の状態でツイートボタンを押した。
これで約1ヵ月後の11月4日(日)にパチノフ閉店休業が決定した。
温かいお言葉をたくさん頂いた。各方面でニュースになった。
これが本当にコンセプトカフェか?と思ってしまうレベルで。
11月4日以降のことについては具体的にどうするかは決まっていない。
パチノフが終わることで頭が真っ白の状態だ。
しかしあくまでも会社組織であるがゆえ、どうするかの材料は多くある。悲しいことに、いや非情なことにもしもの場合の未来への用意はする必要があった。その中から何を取り出すかを迷ってしまう。
だがもう選択しなければならない。
ああだこうだ言う時間があるなら動くしかないのだ。
尚、パチノフ終了によりスタッフ全員解散ということにはしない。
常々思っているのは、人が店の為にあってはならない。あくまでも店が人の為にあるべき。
関わった全ての人が店を、会社を、自身にとって都合が良いように大いに活用するべきなのだ。
大事なのは人それぞれの幸せなのだから。店や会社はその為の一つの手段でしかない。
こうして残ってもらえるスタッフがいれば残ってもらい、スタッフが確保できるような新しいテーマでアキバならではのコンセプトカフェを誕生させる。
早くてパチノフ閉店から2週間後に。
パチノフを辞めてしまった以上、今までのお客さんに来て欲しいなどとずうずうしいことは言えない。しかし同じような居場所がまだあると思ってくれる方がいるとしたら、それはとても嬉しいことだ。
様々な方がそれぞれの人生の一部分を過ごしてもらえる飲食店はとてつもなくやりがいがあるのだ。
それにほぼ365日アキバにいる私としては、いつまでもアキバが面白い場所であることの一端を担いたい。
ある時、こう思った。
パチノフというのは外神田3丁目にある店舗のことではなく、関わる人それぞれの思いが作り上げる概念ではないのか?
これからの楽しいパチンコを願う人の集まりは、パチンコが好きでいる限り決して消えることはない。
新しい未来への挑戦へは続く。
― 完 ―
下手な文章で読みずらい点や誤字脱字もある中、最後までお読み頂き感謝申し上げます。
ここでは書けないこともたくさんありました。その辺は直接お話しした時に、もう少し広くお話できると思います。
ありがとうございました。
6.パチンコ起業編(5)
【目次リンク】
1.はじめてのパチンコ編(1989年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396112976.html
2.上京パチンコ編(1989年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396833601.html
3.パチンコ攻略編(1991年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12397911333.html
4.パチンコ企業就職編(1994年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12400413287.html
5.パチンコ店長編(2000年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12403314011.html
6.パチンコ起業編(2006年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12405941148.html
パチノフが開店してからは、昔からお世話になっている方、新規の方に御来店頂き、どうにか運営することが出来た。
開店時にニュースリリース(マスコミ媒体へ自ら取材案内をする広報活動の一種)を行い、多くの業界関係紙様に取材して頂いた。
時にはパチンコメーカーの高尾様が貸切をして、社員さんがバーカウンターの内側に入ってユーザーさんとお話する交流会を実施したり、
ニコナナ様が「BAR魚拓」の生放送ロケ地として利用されたり、萌えスロナイト&まんさい様とのコラボイベントなどもした。
そして年末12月。長い付き合いとなるアキバのまこさんとの出会いがあった。
パチノフに興味津々でやってきたまこさんはパチスロ好きだった。youtubeの番組を動画を撮影したいということで、私は喜んで引き受けた。
その動画がこちら。
【まこプロTV】アキバのまこさん~放浪8~【秋葉原パチノフの巻】
https://www.youtube.com/watch?v=5Pj1SOKaLQU&t=4s
懐かしくて、色々な思いが蘇ってじーんと来る。
ある瞬間の楽しい思い出というのは、例え何があったとしても楽しいものなのだ。その瞬間は真実なのだから。
私には友達がいない。仕事から密にすることはあっても元々1匹狼的な性分で、特定の誰かと行動を共にすることは少ない。誰かと仲良くするのが嫌いな訳はないが。
アキバのまこさんとは今も実戦動画で協力してもらったり、ホールに行って共に無駄な時間を過ごしたり、私のとって貴重な存在である。
もちろんパチノフなどで知り合ったお客さんもそう。あくまでも商売をしているので取引関係なのかも知れないが、最終的には人間と人間だと思っているので、お客さんというよりはやはり人として接したいと考えている。
それと独立してから「お客様」をあえて「お客さん」と呼んでいるのは、別にフレンドリーさを出そうとかいったものではなく、お客様と呼ぶ企業に限ってお客様をお客様扱いしていないという私のねじ曲がった恨みのようなものからである。ゆえにお客様のことはあえてお客さんと呼び大切に接したいと思っている。
そして年が明けて2014年。
webで面白い男性の同性愛ネタとして広く知られていた「くそみそテクニック」とのコラボカフェ企画の話が来た。
くそみそテクニックといえば、アレを見せつけて「すごく大きいです」と言わせたり、お尻の中でおしっこしたりするヤベエやつだ。
ほう、普段から「ここは魔法の世界です♪」「お帰りなさいませご主人様♥」というスタンスの美しくて可愛いお店は決して出来ないコラボだろう。
なら誰がやる?そんな無茶なコラボをやるのはどの店だ?
ウチだ!
ウチがやらないでどこがやる!
パチンコは全然関係ないが、1度だけということでお客さんに許してもらおう。
こういして2014年1月19日くそみそテクニック公式コラボカフェが開催された。(12時~20時)
コラボメニューはご想像の通り、結構なものだった。※URL参照
http://r.goope.jp/pachinofu/menu/254313
ニコニコ生放送の公式の生中継も入った。
そしておよそ650名様の来店となったが、店に入れたのは250名様だった。
入店待ちの列は交差点を曲がったあたりまで営業時間中ずっと続き、予想以上の混乱となり入れなかった方申し訳ありません。
その状況はまこプロTVの動画に記録されている。
https://www.youtube.com/watch?v=6_m2VTDIHuM
開店して最初のお客さんにあのカレーをお出しし、「お前俺の腹ん中をバキュームカーと勘違いしてるんじゃねえか?」とスタッフが言うと、お客さんがノリノリな大きな声で「しーましぇん!」と狂気の宴の火蓋を切ったのが嬉しかった。
一番驚いたのはその日のニコニコ生放送TOPページのニュースランキングが3位だった。
その下には年末ダウンタウンの笑ってはいけないの宇宙人ネタ「ホウセイマイフレンド」があった。
パチノフが「ホウセイマイフレンド」に勝った。
このニュースは何名に届いたのだろう、数十万名かと思うが、もう生涯でここまで認知されることは起こせないなだろうと思う。
しまいに後日、このニュースが世界に飛び、色々な国の掲示板で話題になっていた。
何を書いているのか分からないので翻訳してみると「どうして1日だけなのだ!私たちは毎日することを望んでいる!」とあった。
ちょっと怖かった。
こうした面白い出来事もあったが、同時にパチノフで最もピンチだったのが2月だ。
珍しく都内に雪が積もった。しかもそれが2週連続で金土曜日の週末直撃。
当然お客さんの足は遠のき、単月で100万円近い赤字が出た。尚、運営資金はカツカツだ。
家賃、仕入れ代金は支払えたが、ここままではスタッフの給与が払えない。真っ青になった。
夜逃げをした19歳の時とはケースが違う。どうにか金を工面せねば。
結局、個人で某カードローン会社から150万円、無人のATMの消費者金融から50万円、借入限度いっぱいの合計200万円を調達した。
破綻へのカウントダンが始まる。
当面の危機は逃れたが、こればかりはおすすめできない。金利14.8%では毎月毎月ほとんど利息しか返済していない状態が続いた。
この時初めて夜も眠れない日々を経験した。
しかしこの大雪の大打撃で、首を吊ることになってしまった経営者は間違いなくいる。
自分にはまだ命があるだけましではないか?と自身に言い聞かせた。
そのような状態だから自分自身に給与なんて払えない。自身に報酬を出たのは開店から実質2年半後のことである。
当然、丸1日の休みなどない。労働局に訴えに行きたいレベルだ。
以前お世話になった会社の代表から「独立したら道端の雑草食ってでも生き延びろと」聞いたがその通りだった。
独立するというなら複数年に渡って報酬なしでも耐える覚悟、もしくは余力を持つべきだと身に染みた。
私の場合は自己資金は全て会社に投資した為、日々の生活をする為に合間の時間を見つけてはパチンコ店に通った。
月15万円プラスさせる程度であればどうにかなる。
いい年したおっさんがハイエナ中心で立ち回るのは惨めであったが生き抜くしかない。
まだパチスロの天井が強い時期であった為、どうにかなったのは運が良かったというしかない。
みじめな生活状態であったが、パチノフという店があり、元気なスタッフがいて、お客さんが楽しんでいてくれる。
それが嬉しくて、私自身を突き動かしていた。
こうして開店から1年ほどが経過し、初代店長やまちゃんが退職することになる。