6.パチンコ起業編(6)最終回
【目次リンク】
1.はじめてのパチンコ編(1989年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396112976.html
2.上京パチンコ編(1989年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396833601.html
3.パチンコ攻略編(1991年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12397911333.html
4.パチンコ企業就職編(1994年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12400413287.html
5.パチンコ店長編(2000年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12403314011.html
6.パチンコ起業編(2006年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12405941148.html
持たざる者にやってくる壁。時に危ない橋も渡ることになる。
大雪や資金ショートの危機をどうにかギリギリで持ちこたえ、パチノフはおかげさまで1周年を迎えた。
来て頂くお客さんがいなければ話が始まらないので、本当に本当におかげさまで全力の感謝でしかない。
それからはメーカーさんの各種プロモーション利用もして頂いた。
パチンコ涼宮ハルヒ、パチスロうみねこのなく頃にのグッズ提供を頂いたり、777TOWN.net・KYORAKUサプライズらんどコラボがあったり。
最新台の試打機として、ガン×ソード、十字架3、テラフォーマーズ、凪のあすから、ドリスタせかんど、熊酒場二丁目店、ぱちスロAKB勝利の女神、トロピカルKISSスイートを設置して頂いたり。
梅屋シンさん、美原アキラさんが雑誌企画でコスプレ登場したり、ヤルヲさんが一日店長したり、幸チャレひげ紳士さん来店イベントがあったり。
お客さんにとって楽しめることならば、積極的に各メーカーさんはパチノフという箱を大いに利用して頂きたいと思っていたので、願ったり叶ったりのことだった。
もちろんパチノフとしても普通のイベントから変なイベントまで色々やった。
色々やったが全力疾走で駆け抜けてきたので記憶があまりない・・・。
記憶はないが、それぞれの方の記憶に残っているならばそれで良いと思う。
私自身としてはもっとこうしていれば、ああしていれば、こうでなければと反省する点ばかりである。
甘えてはいけない話なのだが、これは全てパチノフを好きでいてくれる優しいお客さんが受け入れて頂いたからこそだと思う。
スタッフも同じ。
ある時から私は教育という考えを捨てた。ここは学校ではない。皆成人した立派な大人である。
最低限のルールだけを設定し、後は自由に取り組んでもらう。教育なんてものを考えること自体がおこがましいのだ。
全ては自己責任の世界である。
とても個性的な面々にそれぞれの形で真剣に取り組んで貰えたのは幸せなことだった。
しかし決して良いことばかりではない。嫌なことは、お客さんにしろ、スタッフにしろあったはず。
しかしこのパチノフという箱を通じて、良いことも悪いことも全部ひっくるめて「生きた」ということが、とても愛おしくかけがいのないものに思えて、そのことが私の原動力だった。
どれだけ資金難だろうが、体力的にハードだろうが、全て吹き飛ばす次元のご褒美だった。
・店に対し、スタッフに対してどこまででも優しい素敵なお客さんに恵まれたこと
・雨風などの悪天候だろうが関係なしにお客さんが来てくれたこと
・大人になって友人を作るのは難しいことなのにお客さん同士が次々に仲良くなっていったこと
・これだけ商圏が広い施設は東京ディズニーランド、USJくらいしかないのではと思えるほど遠方からのお客さんが多かったこと
・生誕祭や大晦日など節目の時は強烈に盛大なパーティーだったこと
・スタッフが自主的にコスプレ合わせや各種催しを考えてくれたこと
・ライター志望のスタッフの多くがライターやタレントとして活躍し始めたこと
思い返せばキリがない。とても誇らしい嬉しい出来事だ。
開店して2周年。まさかの2周年を迎え、3周年、4周年、5周年と時が経過。
もうダメだと思った瞬間は何度もあった。初年度は1年間で800回程もうダメだと思ったが、年を重ねる度にお客さんが増えてきた。増え続けるお客さんに対して、スタッフをどうにか増やしていった。
だが5周年の前に過去とは違うレベルの不安に包まれていた。
将来我々が迎える未体験の労働人口減少、そしてパチンコ参加人口の激減という大きな流れの中で、パチンコパチスロ好きなスタッフが不足して営業できなくなる。
以前は求人広告なんてしたことがない。しなくてもパチノフを見つけてくれたのだ。それが何カ月にも渡って連続で求人広告を打ってもほぼ成果なし。
であればとパチンコをしないスタッフに助けてもらいながら、かろうじてシフトを組んでいたが限界が来た。
支持して頂けるお客さんがたくさんいるにも関わらず・・・。
尚、パチノフ4周年の後の9月6日に弊社で新規開店させたアニソンカラオケバー高まり研究所というお店がある。
ここ最近も続々とアキバにコンセプトカフェが増えているが、似たような仕様のお店が多く、アニソンカラオケバーというヲタクらしいものが少ないことに勝手に腹を立て、俺がやる!もっとアキバを面白くするんだと立ちあげた店である。
おかげさまでご支持を頂き、スタッフも求人広告をほぼ実施せずにやれている。
しかしパチノフは状況がまるで違う。
自分なりに可能な限りの手を尽くしたがもはやここまで。終わりを宣言しなければならない。
公式ツイッターへの文章を書き終えて、ツイート発信ボタンを押すのに躊躇した。
ボタンを押せば全てが終わる。悲しみを巻き起こしてしまう。パチノフが続いて欲しいと願ったあの方々の顔が浮かんでくる。
頭ではこれが最良と結論を出したはずだ。間違っていない。けれども押したくはない。
本当にこの結論は正しいのだろうか?もはや頭と気持ちを稼働させることが出来なかった。
2018年9月18日 ほとんど無の状態でツイートボタンを押した。
これで約1ヵ月後の11月4日(日)にパチノフ閉店休業が決定した。
温かいお言葉をたくさん頂いた。各方面でニュースになった。
これが本当にコンセプトカフェか?と思ってしまうレベルで。
11月4日以降のことについては具体的にどうするかは決まっていない。
パチノフが終わることで頭が真っ白の状態だ。
しかしあくまでも会社組織であるがゆえ、どうするかの材料は多くある。悲しいことに、いや非情なことにもしもの場合の未来への用意はする必要があった。その中から何を取り出すかを迷ってしまう。
だがもう選択しなければならない。
ああだこうだ言う時間があるなら動くしかないのだ。
尚、パチノフ終了によりスタッフ全員解散ということにはしない。
常々思っているのは、人が店の為にあってはならない。あくまでも店が人の為にあるべき。
関わった全ての人が店を、会社を、自身にとって都合が良いように大いに活用するべきなのだ。
大事なのは人それぞれの幸せなのだから。店や会社はその為の一つの手段でしかない。
こうして残ってもらえるスタッフがいれば残ってもらい、スタッフが確保できるような新しいテーマでアキバならではのコンセプトカフェを誕生させる。
早くてパチノフ閉店から2週間後に。
パチノフを辞めてしまった以上、今までのお客さんに来て欲しいなどとずうずうしいことは言えない。しかし同じような居場所がまだあると思ってくれる方がいるとしたら、それはとても嬉しいことだ。
様々な方がそれぞれの人生の一部分を過ごしてもらえる飲食店はとてつもなくやりがいがあるのだ。
それにほぼ365日アキバにいる私としては、いつまでもアキバが面白い場所であることの一端を担いたい。
ある時、こう思った。
パチノフというのは外神田3丁目にある店舗のことではなく、関わる人それぞれの思いが作り上げる概念ではないのか?
これからの楽しいパチンコを願う人の集まりは、パチンコが好きでいる限り決して消えることはない。
新しい未来への挑戦へは続く。
― 完 ―
下手な文章で読みずらい点や誤字脱字もある中、最後までお読み頂き感謝申し上げます。
ここでは書けないこともたくさんありました。その辺は直接お話しした時に、もう少し広くお話できると思います。
ありがとうございました。