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2018-09-21 09:01:02

6.パチンコ起業編(3)

テーマ:パチ&スロ回想録

【目次リンク】

1.はじめてのパチンコ編(1989年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396112976.html

2.上京パチンコ編(1989年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396833601.html

3.パチンコ攻略編(1991年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12397911333.html

4.パチンコ企業就職編(1994年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12400413287.html

5.パチンコ店長編(2000年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12403314011.html

6.パチンコ起業編(2006年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12405941148.html

 

 

広告代理店を慎ましく経営しながら住み込みで請け負った店舗は実は設置台数の少ない2店舗だった。

 

つまり店長として担当するのはこれで7店舗目となる。

 

海に面した店舗だった。

 

この時にニコニコ生放送を知り、これからは圧倒的情報が多くて相互コミュニケーションが取れる生放送が来ると考え、自身の身体で体験しようと考え海釣り実況生放送を開始した。

 

釣りは小中学生の時に地元でやったことがある。

 

夏はタコ釣り、冬から春にかけてメバル、通年通してシーバス(スズキ)、全てルアー釣りをした。

 

時にはウエーダーという防水のオーバーオールを履いて膝程度まで海に浸かり、リックサックのパソコンをぶちこんでイヤホンでコメント音声読み上げを聞きながら放送した。

 

真夜中の何も見えない完全なる闇の中、さらに真冬で指がかろうじて動かせる状況の中でも放送した。

 

シーバスという難易度高めの魚を3ヶ月ほどかけて60cm代を初めて釣り上げた時は足が震え泣いた。

 

ちくらんという瞬間全国生放送ランキングで1位を獲得したこともある。

 

ゲーム配信もやってバイオ4の縛りプレイもやった。

 

この縛りプレイがなかなかハードで、自身のクリアタイム6時間程をノーダメージで遂行するノーノーというものだった。

 

take300くらいでクリアしたが頭がおかしくなりそうだった。人生で一番辛かったのはこれかもしれない。

 

ちなみにwikiに記録が掲載されている。

 

こうして生放送というツールを覚えたのである。商売の為に取り組んだことだが純粋に楽しんでいた為、とにかく滅茶苦茶楽しかった。

 

だが真夜中の視界の効かない磯場で、お化けの話をする連中だけは許さない。

 

ある時、普段はインターネット通信が切れない所で突然通信が弱くなり、放送画面は停止しコメント読み上げ機能が生き残った。

 

面白がってリスナーさんがお化けが見える、右上にやばいものが映っていると好き勝手なことをコメントしてくる。

 

そんな時恐ろしいコメントが入った。

 

「悪いことは言わない。今すぐその場を離れたほうがいい」

 

体中の血の気が引いた。同時に少し漏らした。

 

かろうじてインターネット通信が入る場所まで移動して放送を再開すると単なる冗談だと分かった。

 

当然私は激怒。該当者は即刻牢屋(該当IDコメントNG登録)にぶち込んだ。怖いからホントやめて。

 

それらを経て私がパチンコ実戦生放送を開始するのは、ここから約3年後であった。

 

 

その他、パチンコ遊技の話としては、担当店舗がとにかく経費をかけられなかったので中古台を見極めるために、新機種は他店で打って確認していた。

 

ショールームで試打ちするのとホールで実際に自分のお金を入れて遊技するのはまるで感覚が違う。

 

時に趣味打ちしながらも、しっかり打って見定めをした。

 

趣味打ちで一番覚えているのはマジハロ2の700Gヤメを打ったら天井の無限ART(ボーナス成立まで)に突入し、2500Gくらいまでハマって大勝したことだ。

 

他、担当店舗の導入機種の思い出としては、どんまいちゅ~吉と走れメロスを並びでお笑い担当として導入したこと。

 

それを見たお客様が指差して笑っているのを見て、あいつら仕事してるなとほくそ笑んだ。

 

撤去騒ぎとなったサクラ大戦を蹴って、荒い機種ばかりじゃダメなんだとハーレムエース2を導入して苦戦したこと。

 

周囲に暴走族が多いので鬼浜ハヤト入れれば大丈夫だろうと導入したら大失敗したこと。

 

餃子の王将を中古で12台程導入して18時オープンして満席、かつ一時的に日本一の餃子の王将設置台数になったこと。

 

弱小ホールゆえジャグラーを売ってもらえないことに腹を立て、金輪際ジャグラーはいらん!ウチはピエロ屋じゃねんだ!と怒号を発したこと。

 

挙げるときりがないレベルでたくさん思い出がある。

 

1年弱この2店舗を担当したのちに、グループ内の別店舗も同時に担当することになる。通算8店舗目。一度に3店舗だ。

 

閉店後の調整作業は忙しかった。一つを終わらせて、当時近場の移動用に購入したスーパーカブボアアップ90ccを走らせて残る店舗に。

 

そんな時に、何かのきっかけで秋葉原に行った。元々ビジネスマンとしてヲタク市場があなどれないというのは認識していた。

 

秋葉原では約十数年前にメイドカフェが誕生し、その後お酒を提供するBAR業態も出て、今やコスプレ、鉄ヲタ、特撮戦隊ヒーローなどあらゆる趣味に特化しているカフェ&バー業態が所狭しと60件程確認できた。

 

そんな場所で縁があり話をさせてもらった方はパチスロ好きで、パチスロバーが面白いと思うのでやってみたらどうですか?と提案を頂いた。

 

私の頭の中でそれを噛み砕き、萌え系カフェ&バーとパチスロバーを融合させてはどうかという結論に至った。

 

しかも今の秋葉原は萌え萌えと賑わっている。

 

は?パチンコパチスロの方が萌え萌えなんだが?どうしてパチンコパチスロジャンルの店がないんだ!俺らの方が萌え萌えなんやぞ!!

 

これは言いすぎである。

 

私はとある女性に連絡を取った。

 

2018-09-20 11:29:43

6.パチンコ起業編(2)

テーマ:ブログ

【目次リンク】

1.はじめてのパチンコ編(1989年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396112976.html

2.上京パチンコ編(1989年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396833601.html

3.パチンコ攻略編(1991年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12397911333.html

4.パチンコ企業就職編(1994年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12400413287.html

5.パチンコ店長編(2000年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12403314011.html

6.パチンコ起業編(2006年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12405941148.html

 

 

2012年2月。40歳。起業してから4年が経過。

 

初見で膝から崩れそうになった関東某所の不振店店長を請け負うことにした。

 

郊外店にも関わらず駐車場台数が足りない絶対的不利のお店。簡単ではない。

 

全身全霊で立ち向かっていけるかどうか。

 

昔からブログを見て頂いた方はご存知の通り、自分を追い込む為に失敗したら業界から消える宣言記事を書いた。

 

本気だ。これで失敗するようなら自身には何の価値もない。

 

離婚もした。パチンコ店の新規出店もできない。自暴自棄になっていた。

 

取り組みにあたり通いではダメだ。住んでいた部屋を引き払い、今時住む者はあまりいない店舗2階の社員寮に住まわせてもらうことにした。

 

365日24時間店舗に張り付き体制。それにより店舗のオーナー様の信頼を得たいという思いもあった。

 

 

具体的な店舗名は伏せたいので、例によって濁しながら話を進めさせて頂く。

 

まずはR店の状況の確認、把握。それからマーケットの人口調査。

 

競合店?よそが何をしていようがそんなものは関係ない。自分の店のお客様だけを見るのだ。

 

諸々の調査の結果、やはりまだ行けるという見通しが立った。

 

 

店舗コンセプト、ストーリー、キャラクターの設定。我々はこの場所で何を成し遂げたいのか?

 

それをお客様に宣言し、共感を頂く。来て頂くのはお客様ではない。熱烈な支持者の方だ。

 

簡単に言えばアイドルグループAKBのメンバーが目標を宣言し、共感して推してもらう。そのような手法に近い。これはAKB登場後に後から感じたことだ。

 

その上で基礎的な人材育成計画、営業計画、販促計画、接客やサービスの改善のスケジュールを組んだ。

 

リニューアルオープンをする訳だが、例によって特別予算など取れる甘い環境ではない。

 

だが0円はさすがに無理なので、何度も頭を下げて総額20万円ほどのリニューアル予算を確保した。

 

20万円で何ができるのだという感じだが、潤沢な資金を使ってのリニューアルなんぞ誰でも出来る。

 

出来ないことをやるのが自分だと己に言い聞かせた。

 

準備は整った。シンボルマークとなる海賊旗を掲げ、この地でR店の新しい物語を開始する。

 

今から俺達は海賊だ!

 

度々中二病ぽくなるのはご容赦頂きたい。気持ちを奮い立たせるものが必要なのだ。

 

結果はどうにか狙い通り。少しづつ業績が上がり、業界から消えなくて良かったとホッとした。

 

 

そして同年3月11日14時。東日本大震災が起きた。

 

店内にいた私はお客様と共に激しい揺れに襲われ停電が起きた。

 

幸いにも島が倒れることはなく、皆の安否を確かめた後に外の状況を見ると信号も止まって車の渋滞が起きていた。

 

電気はすぐに復帰するだろうと数十分待ったが状況は変わらない。

 

携帯電話がつながらず本部と連絡が取れない。

 

車のラジオなら聞けると気づき自分の車、ホンダストリームに走った。

 

東北中心にで大きな地震だったらしい。それも尋常ではない。

 

店内に戻り状況をお客様に伝え、出玉などは後日の対応をするのでお帰り頂くよう伝えた。ご家族が心配なスタッフも即帰らせた。

 

POSや計数機も使えなかったが景品交換を希望するお客様にはメダルを手で数えて手作業で景品交換をした。

 

ニューパル好きのおじいちゃんがBIGのリーチ目が出たんだと嘆くので、分かりましたと補償して早めにお帰り頂いた。

 

店舗に残ったのは同じく2階の社員寮に住んでいたGさんと私の二人だけになった。

 

日が沈み、真っ暗になった店内で電気の復旧を待った。

 

それから食事を取ろう思いコンビニに歩いて行ったが既に食料という食料が陳列棚から消えていた。

 

これではまずいと車を走らせて何件かコンビニを回ってかろうじてサラダせんべい1袋だけ確保して、Gさんにこんなものですまいないと言い空腹を誤魔化した。

 

結局、電気が復旧したのは翌日だった。

 

 

その後はご存知のごとくしばらく輪番休業などがあり、苦戦しながらも店舗営業に力を注いだ。

 

ようやく落ち着いて日常を取り戻したかに見えた頃、パチンコ店営業にとっては辛い規制が入った。

 

イベント告知の禁止だ。

 

イベントは禁止されないが、それを知らせてはならない。

 

事実上のイベント禁止だ。それまで嘘つきイベントは一切やらずお客様の信頼を勝ち取っていたのが止まってしまう。

 

1,000枚ぽっちしか入らないドル箱なんて使ってられるか!こっちは出す気があるんだと2,500枚程入るバカみたいにデカいドル箱を使った。

 

倍以上の飛躍的稼働UPしていたパチスロ営業は痛手を負った。

 

思い返せばあの僻地でも軍団と呼ばれるような人らも来ていた。

 

例えば6台の新鬼武者に全ての設定が入るオール設定イベント。

 

自分の頭で考えて設定を入れるとクセが出てしまい上手な方に見抜かれやすい。そんな時はえんぴつを転がして設定を決めた。

 

朝一開店時に軍団が台を抑えて設定を漁る。設定5、6には座らせてはならない。

 

その為にフェイクを用意する。5、6は設定変更後1回転させて特有のリールの動きを消す。高確移行したら打ち直す。あからさまに設定変更が分かる台は4以下だ。

 

そんな風に、設定変更が分かるようにしたり、逆に分からないようにしたり色々と工夫した。

 

 

それにしてもおだやなかエリアだった。

 

天井搭載機種の閉店時の回転数は天井1280Gに対して800G、900Gはザラだった。

 

通常遊技であれば打ちながら天井に届かないのが分かるはずなのにである。

 

良い場所だなと思った。効率だけを追い求めてギスギスしていないのだ。心が豊かだと感じた。

 

イベント告知が禁止されたことで、お客様から本当にここのイベント良かったんだ!またやれないのかと懇願されたりもしたが、イベントという起爆剤は使えなくなってしまった。

 

だがそれなりに業績を維持した。

 

2018-09-19 09:01:50

6.パチンコ起業編(1)

テーマ:パチ&スロ回想録

【目次リンク】

1.はじめてのパチンコ編(1989年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396112976.html

2.上京パチンコ編(1989年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396833601.html

3.パチンコ攻略編(1991年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12397911333.html

4.パチンコ企業就職編(1994年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12400413287.html

5.パチンコ店長編(2000年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12403314011.html

 

 

12年間勤めた会社を辞めたが、生きていく為に仕事をしなければならない。

 

退社を決意した頃に、前会社で取締役まで務めた方に新規で広告代理店を興さないかと誘われてその話に乗った。

 

広告代理店の業務ならば経験してきたものなのでお手の物だった。

 

周囲の計らいにより、案件は多く確保できた。ざっと年商1億5千万円程。

 

最も案件の多い新聞折り込みチラシから高額なラジオCM制作。屋外広告から各種販促品などを扱った。

 

仕事は文句なしに順調であったが、この時離婚をした。

 

そのショックから、私はただ飯を食べ、仕事を淡々とし、帰って寝ることの繰り返しをするだけの塊となった。

 

パチスロは死んだ目をしながら良く打った。

 

射幸性の強かった4号機が消え、5号機初期から少し経過しエヴァ2作目のまごころ、島育ちなど。

 

パチンコは原作が好きなCRウイングマンを打ち、その後CR初代牙狼が出ても目もくれずCRウイングマンを打った。

 

ただ心が死んでいた。

 

約2年程、生きているのか死んでいるのか分からない状態のまま、淡々と仕事を遂行した。

 

私には自分自身の商売のこだわりがあったが、それを逸脱することがあっても抵抗する力が湧かなかった。

 

こうして運命に縛られたかのように、己の信念も曲げて地獄の底をさまようしかない。

 

その時ひぐらしのオープニング曲「奈落の花」を好んで聴いていた。

 

ただひたすら何度も何度もリピートした。

 

奈落の底にいる自分にお似合いな暗い雰囲気の曲調。だが後半は立ちあがる。

 

「抜けだしてって 悲しすぎる運命から あなたは奈落の花じゃない」

 

ただ息をしている塊の自分に疑問が湧いた。

 

俺はこんな所で、こんな場所で咲いていいのか?

 

疑問は生きる力の始まりだった。

 

そうだ・・・!

 

俺は抜けだす。奈落の底から!

 

 

自分に都合のよい書き方をしているが、私は単に協調性がないのだと思う。子供なのだ。

 

己の思う正義以外は絶対にやりたくないのだ。商売にしても己の美学がある。

 

ならば自身で活動するしかない。

 

 

こうして立ち上げに関わった会社を去り、2008年9月、37歳。

 

神奈川県大和市に広告代理店 株式会社キャストオフを創業した。

 

企業理念は必要とされる会社。

 

必要されるということは自ら営業はしない。

 

頼られなければ必要がないということで消えてしまえばいい。

 

小さなオフィスを構えて最低限の機材を揃え、社員1名、デザイナー4名ほどの会社がスタートした。

 

そんな無茶苦茶な理念ではあるが、周囲の計らいによってどうにかギリギリの売上を確保した。

 

販路を広げる為に、無料で主催広告セミナーも開催し多くのホール関係者様にご参加頂いた。

 

その時にお知り合いになれたとあるホール店長様とは、ありがたいことに今でも関係が続いている。

 

まだツイッターはなくアメブロ最強だった時期だ。

 

業界ブログを始め、ブログを通じて各メーカー様からの仕事を頂いたり、業界関係者の方々、酒パワーのやきとりさんらに知り合うことができた。

 

さらに刺激的な方との出会いがあった。金村龍馬さん。

 

とある繁盛店の功労者であり、現在はそのノウハウをもとにコンサルタント活動をされている方である。

 

私はパチンコ店の業績作りに関しては生意気なことに絶対的な自信があるが、もしこの方と直接対決したら勝てないだろうと思ったのが龍馬さんである。

 

何度かセミナー関連などで活動を共にさせて頂き、現在は疎遠となっているが、また龍馬さんには会って何でもない話がしたい。その近くにいるまじめで立派な経営者の肌勢さんとも。

 

他にもブログ経由でたくさんのパチンコ好きの方とも知り合いになれて、皆で新機種発表会に参加したり、今までになかった活動ができた。

 

会社を興してから3年が経過していた。

 

営業をしないという無茶な方針ながら、周囲の方々のおかげで会社を維持は出来ていたが、広告活動だけでは悶々とするものがあった。

 

元々広告を売っているつもりはない、広告を実施したその先の業績を売っているのだ。

 

やりたい・・・戦いたい。店が欲しい。パチンコ店が欲しい。

 

翼が欲しい。

 

1からパチンコ店を興すには億の金が必要だ。

 

ならば居抜きで格安でできる所を探すしかないということで候補が見つかった。

 

普通の法人なら初期投資5,000万円でやりそうな所、自分なら2,000万円でいけそうな店が!

 

しかしその2,000万円すらない。どうしたものかと悩んでいた所に出資しても良いという方が表れた。

 

小ぶりな街のパチンコ店。視察に行った際は昼の稼働は3名だった。壊滅的である。だから売りに出ているのだ。

 

だが問題ない。

 

歴史を変える新規オープンの投資計画、その後の営業シミュレーション。やがて店が地域の方々に支持されていくストーリーを組み立てた。

 

店名は

 

 

 

街のちょこっとした楽しみを提供する低玉貸専門店だ。

 

全ての計画を練り、後は資金調達の確約を頂くだけであったが、居抜き候補店のあまりの惨状、評判の悪さに出資者の方が絶対にあそこは辞めた方が良いとなり、さすがに気が進まないことをお願いする気はなかったのですんなり諦めることにした。

 

 

そんな時に、ある法人の不振店の店長請負い仕事の話を頂いた。

 

自分で会社を運営しながら、請負契約で店舗営業が出来るならそれでも良いか。

 

営業店から離れて何年も経つが、やるべきことは身に染みついている。

 

知らない店舗で突然今夜から店長やってくれと言われても余裕で対応できるし、むしろ身体が疼いている。

 

私は喜んでその不振店を見学にいった。

 

だが見た途端、膝から崩れ落ちそうになった。

 

なんだこれは。完全なる郊外の中規模店なのに駐車場がほとんどない。

 

店の横に数台分。離れた場所にある駐車場すらわずか30台。

 

根本的に駐車場が足りず致命的な欠陥がある。これでどうやってお客様を呼ぶと言うのだ。

 

視察の結果、業界人の9割は断る話だろうなと思ったが、他の方には「いや9.9割が断る」と言われた。

 

ならば逆に面白い

 

やることに決めた。

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