ライターじゃない、アイドルだ -4ページ目

6.パチンコ起業編(4)

【目次リンク】

1.はじめてのパチンコ編(1989年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396112976.html

2.上京パチンコ編(1989年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396833601.html

3.パチンコ攻略編(1991年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12397911333.html

4.パチンコ企業就職編(1994年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12400413287.html

5.パチンコ店長編(2000年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12403314011.html

6.パチンコ起業編(2006年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12405941148.html

 

 

やるならパチンコパチスロジャンルコスプレBARと決め、ある女性にその話をしたところ、店長をやる!と快諾してくれた。

 

それが伝説の初代店長やまちゃんである。

 

新しく物事を始めることはジャンボジェット機の飛行に似ていると思う。離陸時には相当なエネルギーを使い、安定飛行時にはエネルギーの使い方は変わる。(私の勝手なイメージの上で)

 

素直さ、行動力、ユニークさを兼ね備えた彼女は、新しい店が離陸するのに必要なパワーを兼ね備えていた。

 

こうして2012年12月、秋葉原から担当店舗そばの某駅に戻り、ホームに降り立った私はハッキリと決断した。

 

-決めた!やるぞ-

 

2年ほどお世話になった3店舗にお別れをし、年が明けた2013年2月秋葉原のワンルームマンションに引越しをした。

 

維持できる資金はないので車は売り払った。生活の全てを秋葉原に移したのである。

 

今考えてもゾッとするのが店舗物件のアテがなかったことだ。

 

しかも今までパチンコ店新規出店計画やリニューアル計画時には人口動向などのマーケット調査をしっかりやっていたにも関わらず、今回は一切していない。

 

これまでパチンコ店も開業できない、人様のホール運営も先日満足してもう興味がない。半ばヤケになっていた。

 

パチンコ系の事業で失敗して死ぬならそれで本望だ。おまえみたいな奴はそれでいい。

 

 

初めての都内暮らしは歩きだけで、いやハイハイして移動するだけで全てのものが揃う感覚だった。

 

しかもこっちにもあっちにもそば屋さんがある。どんだけそば大好き民族なんだ。

 

最低限の生活ができるよう引越し作業を済ませ、その後は不動産屋さん巡り、webサイト巡回、そして秋葉原の街をくまなく歩き回った。

 

だが簡単に物件が見つからない。

 

そもそも秋葉原の街は大きくないのだ。常時物件が空いている状態などない。私は迂闊だったのだ。

 

毎日毎日秋葉原を彷徨った。同時に少しでも街を知るためにコンセプトカフェ&バーのほとんどを体験した。

 

3ヶ月が経過し、それでも物件は見つからない。開業資金に回すための全財産となる自己資金700万を食いつぶし始めている。

 

私は焦った。もうダメかもしれない。エラそうにパチンコ系の飲食やりますと宣言して大失敗か・・・。

 

だが一つだけ候補があった。けれどもそこは長期間借り手がついていない不人気物件だ。

 

実はその場所が後のパチノフ所在地である。

 

このまま物件も探せずに終わるくらいなら、不人気物件に手を出すか。

 

そもそも優良物件が簡単に空く訳がないし、私がやる商売は趣味要素の強い目的買いとして来て頂く店なのだ。大勢に来て頂く為の一等地である必要がない。

 

こうしてやっとの思いで店舗物件を確保した。

 

不足している資金は国金(現 日本政策金融公庫)からMAXの6年返済で数百万調達して都合をつけた。

 

 

6月1日。店舗受け渡し日となった。借りた時から家賃は発生している。

 

最短で最速でまっすぐに一直線に、開店準備をする必要がある。

 

店名はパチノフと決めていた。

 

この時期周囲の良い年をしたおじさんがモモクロにハマっているのがきっかけとなり、「行くぜっ!怪盗少女」がお気に入りで聴きまくっていた。ほぼパチ&スロ曲しか聴かないスタイルだったので珍しい選曲だった。

 

モモクロのファンはモノノフと呼ぶ。モモクロのこれからの幸せを願う人達の総称らしい。

 

ならば「これからの楽しいパチンコを願う人の集まり」でパチノフで良いのではないかと安易に考えた。

 

店舗外観の告知物が完成する前に、即刻新店舗の開店予告をしないと。

 

やまちゃん、この1文字ポスターを窓に貼ってくれ!

 

 

 

ここのスペースの右側はバーカウンターにする。

 

 

 

私が改修工事発注、法規的な手続きなどを全般を担当した。

 

保健所への営業許可申請、所轄警察署への深夜酒類提供飲食店営業届などは行政書士に依頼して金を掛ける余裕がないので、自分で図面から作成した。専門知識がある訳ではない、やる気のみで作り上げた。

 

それらは今まで作ってきたパチンコ店の新台入替申請に比べたら遥かに容易い。パチンコの場合、記載項目で「京楽産業.株式会社」が正しいのに、ドットを忘れて「京楽産業株式会社」と間違えたら1発アウトだ。新台入替は1週間後程の時間をかけないともう出来ない。

 

射幸心をあおる行為にしても、所轄の生活安全課担当者が「このポスターは全体的に赤くて射幸心煽ってるね。後で署に来て」これで指示処分だ。重なると営業停止へ直行。

 

ある時新台入替書類の記載ミスにより3台のパチスロ新台が稼働できない事件をやらかしてしまったことがある。

 

その時には電源の入っていない新台に「申し訳ございません!ミスにより来週まで稼働出来なくなりました。お詫びとして毎日このコーナーにあんこうを○台投入します」とポスターを貼り付け、イベントにして逆に稼働を上げて難を逃れたこともある。

 

このようにパチンコ店という許可営業の検査はとにかく恐ろしいものだった。飲食の方はそこまでの恐ろしさはないと感じた。

 

 

そして飲食店経験のあるやまちゃんにメニュー構成を企画、各種備品準備をしてもらった。

 

こうしてわずか2週間で開店準備を終えた。

 

 

 

6月14日に関係者様を無料ご招待してのプレオープン。つまり実戦練習だ。

 

それを経て良くなかった点を微調整して2013年6月15日正式にオープンした。

 

尚、この時web掲示板などで批判的なコメントが多数あった。

 

「パチンコバーってアホか」、「即潰れるのが目に見えてる」

 

うるさい。アホなのは生まれつきだ。

 

間に受けても仕方がないのだ。そういうのは自然に存在する混沌だ。宇宙の法則のようなものであり、気にしてしまう場合は見ないに限る。

 

誰が何を言おうが、己が目指すものに向かってとにかく走るのみ!

 

最後まで諦めなかった奴だけがアイドルになれるんだ。

6.パチンコ起業編(3)

【目次リンク】

1.はじめてのパチンコ編(1989年~)

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2.上京パチンコ編(1989年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396833601.html

3.パチンコ攻略編(1991年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12397911333.html

4.パチンコ企業就職編(1994年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12400413287.html

5.パチンコ店長編(2000年~)

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6.パチンコ起業編(2006年~)

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広告代理店を慎ましく経営しながら住み込みで請け負った店舗は実は設置台数の少ない2店舗だった。

 

つまり店長として担当するのはこれで7店舗目となる。

 

海に面した店舗だった。

 

この時にニコニコ生放送を知り、これからは圧倒的情報が多くて相互コミュニケーションが取れる生放送が来ると考え、自身の身体で体験しようと考え海釣り実況生放送を開始した。

 

釣りは小中学生の時に地元でやったことがある。

 

夏はタコ釣り、冬から春にかけてメバル、通年通してシーバス(スズキ)、全てルアー釣りをした。

 

時にはウエーダーという防水のオーバーオールを履いて膝程度まで海に浸かり、リックサックにパソコンをぶちこんでイヤホンでコメント音声読み上げを聞きながら放送した。

 

真夜中の何も見えない完全なる闇の中、さらに真冬で指がかろうじて動かせる状況の中でも放送した。

 

3ヶ月ほどかけて60cm台のシーバスという難易度高めの魚を初めて釣り上げた時は足が震え、そして泣いた。

 

ちくらんという瞬間全国生放送ランキングで1位を獲得したこともある。

 

ゲーム配信もやってバイオ4の縛りプレイもやった。

 

この縛りプレイがなかなかハードで、自身のクリアタイム6時間程をノーダメージで遂行するノーノーというものだった。

 

take300くらいでクリアしたが頭がおかしくなりそうだった。人生で一番辛かったのはこれかもしれない。

 

ちなみにwikiに記録が掲載されている。

 

こうして生放送というツールを覚えたのである。商売の為に取り組んだことだが純粋に楽しんでいた為、とにかく滅茶苦茶楽しかった。

 

だが真夜中の視界の効かない磯場で、お化けの話をする連中だけは許さない。

 

ある時、普段はインターネット通信が切れない所で突然通信が弱くなり、放送画面は停止しコメント読み上げ機能が生き残った。

 

面白がってリスナーさんがお化けが見える、右上にやばいものが映っていると好き勝手なことをコメントしてくる。

 

そんな時恐ろしいコメントが入った。

 

「悪いことは言わない。今すぐその場を離れたほうがいい」

 

体中の血の気が引いた。同時に少し漏らした。

 

かろうじてインターネット通信が入る場所まで移動して放送を再開すると単なる冗談だと分かった。

 

当然私は激怒。該当者は即刻牢屋(該当IDコメントNG登録)にぶち込んだ。怖いからホントやめて。

 

それらを経て私がパチンコ実戦生放送を開始するのは、ここから約3年後であった。

 

 

その他、パチンコ遊技の話としては、担当店舗がとにかく経費をかけられなかったので中古台を見極めるために、新機種は他店で打って確認していた。

 

ショールームで試打ちするのとホールで実際に自分のお金を入れて遊技するのはまるで感覚が違う。

 

時に趣味打ちしながらも、しっかり打って見定めをした。

 

趣味打ちで一番覚えているのはマジハロ2の700Gヤメを打ったら天井の無限ART(ボーナス成立まで)に突入し、2500Gくらいまでハマって大勝したことだ。

 

他、担当店舗の導入機種の思い出としては、どんまいちゅ~吉と走れメロスを並びでお笑い担当として導入したこと。

 

それを見たお客様が指差して笑っているのを見て、あいつら仕事してるなとほくそ笑んだ。

 

撤去騒ぎとなったサクラ大戦を蹴って、荒い機種ばかりじゃダメなんだとハーレムエース2を導入して苦戦したこと。

 

周囲に暴走族が多いので鬼浜ハヤト入れれば大丈夫だろうと導入したら大失敗したこと。

 

餃子の王将を中古で12台程導入して18時オープンして満席、かつ一時的に日本一の餃子の王将設置台数になったこと。

 

弱小ホールゆえジャグラーを売ってもらえないことに腹を立て、金輪際ジャグラーはいらん!ウチはピエロ屋じゃねんだ!と怒号を発したこと。

 

挙げるときりがないレベルでたくさん思い出がある。

 

1年弱この2店舗を担当したのちに、グループ内の別店舗も同時に担当することになる。通算8店舗目。一度に3店舗だ。

 

閉店後の調整作業は忙しかった。一つを終わらせて、当時近場の移動用に購入したスーパーカブボアアップ90ccを走らせて残る店舗に。

 

そんな時に、何かのきっかけで秋葉原に行った。元々ビジネスマンとしてヲタク市場があなどれないというのは認識していた。

 

秋葉原では約十数年前にメイドカフェが誕生し、その後お酒を提供するBAR業態も出て、今やコスプレ、鉄ヲタ、特撮戦隊ヒーローなどあらゆる趣味に特化しているカフェ&バー業態が所狭しと60件程確認できた。

 

そんな場所で縁があり話をさせてもらった方はパチスロ好きで、パチスロバーが面白いと思うのでやってみたらどうですか?と提案を頂いた。

 

私の頭の中でそれを噛み砕き、萌え系カフェ&バーとパチスロバーを融合させてはどうかという結論に至った。

 

しかも今の秋葉原は萌え萌えと賑わっている。

 

は?パチンコパチスロの方が萌え萌えなんだが?どうしてパチンコパチスロジャンルの店がないんだ!俺らの方が萌え萌えなんやぞ!!

 

これは言いすぎであるが。

 

私はとある女性に連絡を取った。

 

6.パチンコ起業編(2)

【目次リンク】

1.はじめてのパチンコ編(1989年~)

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2.上京パチンコ編(1989年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396833601.html

3.パチンコ攻略編(1991年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12397911333.html

4.パチンコ企業就職編(1994年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12400413287.html

5.パチンコ店長編(2000年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12403314011.html

6.パチンコ起業編(2006年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12405941148.html

 

 

2012年2月。40歳。起業してから4年が経過。

 

初見で膝から崩れそうになった関東某所の不振店店長を請け負うことにした。

 

郊外店にも関わらず駐車場台数が足りない絶対的不利のお店。簡単ではない。

 

全身全霊で立ち向かっていけるかどうか。

 

昔からブログを見て頂いた方はご存知の通り、自分を追い込む為に失敗したら業界から消える宣言記事を書いた。

 

本気だ。これで失敗するようなら自身には何の価値もない。

 

離婚もした。パチンコ店の新規出店もできない。自暴自棄になっていた。

 

取り組みにあたり通いではダメだ。住んでいた部屋を引き払い、今時住む者はあまりいない店舗2階の社員寮に住まわせてもらうことにした。

 

365日24時間店舗に張り付き体制。それにより店舗のオーナー様の信頼を得たいという思いもあった。

 

 

具体的な店舗名は伏せたいので、例によって濁しながら話を進めさせて頂く。

 

まずはR店の状況の確認、把握。それからマーケットの人口調査。

 

競合店?よそが何をしていようがそんなものは関係ない。自分の店のお客様だけを見るのだ。

 

諸々の調査の結果、やはりまだ行けるという見通しが立った。

 

 

店舗コンセプト、ストーリー、キャラクターの設定。我々はこの場所で何を成し遂げたいのか?

 

それをお客様に宣言し、共感を頂く。来て頂くのはお客様ではない。熱烈な支持者の方だ。

 

簡単に言えばアイドルグループAKBのメンバーが目標を宣言し、共感して推してもらう。そのような手法に近い。これはAKB登場後に後から感じたことだ。

 

その上で基礎的な人材育成計画、営業計画、販促計画、接客やサービスの改善のスケジュールを組んだ。

 

リニューアルオープンをする訳だが、例によって特別予算など取れる甘い環境ではない。

 

だが0円はさすがに無理なので、何度も頭を下げて総額20万円ほどのリニューアル予算を確保した。

 

20万円で何ができるのだという感じだが、潤沢な資金を使ってのリニューアルなんぞ誰でも出来る。

 

出来ないことをやるのが自分だと己に言い聞かせた。

 

準備は整った。シンボルマークとなる海賊旗を掲げ、この地でR店の新しい物語を開始する。

 

今から俺達は海賊だ!

 

度々中二病ぽくなるのはご容赦頂きたい。気持ちを奮い立たせるものが必要なのだ。

 

結果はどうにか狙い通り。少しづつ業績が上がり、業界から消えなくて良かったとホッとした。

 

 

そして同年3月11日14時。東日本大震災が起きた。

 

店内にいた私はお客様と共に激しい揺れに襲われ停電が起きた。

 

幸いにも島が倒れることはなく、皆の安否を確かめた後に外の状況を見ると信号も止まって車の渋滞が起きていた。

 

電気はすぐに復帰するだろうと数十分待ったが状況は変わらない。

 

携帯電話がつながらず本部と連絡が取れない。

 

車のラジオなら聞けると気づき自分の車、ホンダストリームに走った。

 

東北中心にで大きな地震だったらしい。それも尋常ではない。

 

店内に戻り状況をお客様に伝え、出玉などは後日の対応をするのでお帰り頂くよう伝えた。ご家族が心配なスタッフも即帰らせた。

 

POSや計数機も使えなかったが景品交換を希望するお客様にはメダルを手で数えて手作業で景品交換をした。

 

ニューパル好きのおじいちゃんがBIGのリーチ目が出たんだと嘆くので、分かりましたと補償して早めにお帰り頂いた。

 

店舗に残ったのは同じく2階の社員寮に住んでいたGさんと私の二人だけになった。

 

日が沈み、真っ暗になった店内で電気の復旧を待った。

 

それから食事を取ろう思いコンビニに歩いて行ったが既に食料という食料が陳列棚から消えていた。

 

これではまずいと車を走らせて何件かコンビニを回ってかろうじてサラダせんべい1袋だけ確保して、Gさんにこんなものですまいないと言い空腹を誤魔化した。

 

結局、電気が復旧したのは翌日だった。

 

 

その後はご存知のごとくしばらく輪番休業などがあり、苦戦しながらも店舗営業に力を注いだ。

 

ようやく落ち着いて日常を取り戻したかに見えた頃、パチンコ店営業にとっては辛い規制が入った。

 

イベント告知の禁止だ。

 

イベントは禁止されないが、それを知らせてはならない。

 

事実上のイベント禁止だ。それまで嘘つきイベントは一切やらずお客様の信頼を勝ち取っていたのが止まってしまう。

 

1,000枚ぽっちしか入らないドル箱なんて使ってられるか!こっちは出す気があるんだと2,500枚程入るバカみたいにデカいドル箱を使った。

 

倍以上の飛躍的稼働UPしていたパチスロ営業は痛手を負った。

 

思い返せばあの僻地でも軍団と呼ばれるような人らも来ていた。

 

例えば6台の新鬼武者に全ての設定が入るオール設定イベント。

 

自分の頭で考えて設定を入れるとクセが出てしまい上手な方に見抜かれやすい。そんな時はえんぴつを転がして設定を決めた。

 

朝一開店時に軍団が台を抑えて設定を漁る。設定5、6には座らせてはならない。

 

その為にフェイクを用意する。5、6は設定変更後1回転させて特有のリールの動きを消す。高確移行したら打ち直す。あからさまに設定変更が分かる台は4以下だ。

 

そんな風に、設定変更が分かるようにしたり、逆に分からないようにしたり色々と工夫した。

 

 

それにしてもおだやなかエリアだった。

 

天井搭載機種の閉店時の回転数は天井1280Gに対して800G、900Gはザラだった。

 

通常遊技であれば打ちながら天井に届かないのが分かるはずなのにである。

 

良い場所だなと思った。効率だけを追い求めてギスギスしていないのだ。心が豊かだと感じた。

 

イベント告知が禁止されたことで、お客様から本当にここのイベント良かったんだ!またやれないのかと懇願されたりもしたが、イベントという起爆剤は使えなくなってしまった。

 

だがそれなりに業績を維持した。