5.パチンコ店長編(5)
【目次リンク】
1.はじめてのパチンコ編(1989年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396112976.html
2.上京パチンコ編(1989年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396833601.html
3.パチンコ攻略編(1991年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12397911333.html
4.パチンコ企業就職編(1994年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12400413287.html
5.パチンコ店長編(2000年~)
https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12403314011.html
本社に飛ばされて広告宣伝担当として活動していたが、常に頭の隅には何故俺はR店で競合店にやられたのかと考えていた。
風の噂であの競合店にはエム・アイ・ディ・ジャパンのコンサルが入ったと聞いた。
新潟が本拠地のパチンコホール運営法人のコンサルタント事業部だという。それはどれほどのものなのだろうか。
しばらくして、とある業界セミナーに参加することになった。
その講師の中に株式会社エム・アイ・ディ・ジャパン三井社長の名前があるのを偶然発見した。
俺はこの人に、この人の営業に敗北したのか・・・?
一体どんな方なのか?どのような考えの方なのか?講義を聞きたい。
失礼ながらどのような講義内容であったのか詳細は覚えていないが、今までの自分にはなかった新鮮なお考えは刺激的で、感銘を受けたのを覚えている。
三井社長のやられている本拠地新潟の店舗とは実際どのようなものだろうか。非常に興味を持った。
タイミングの良いことに会社の方で店長を中心とした新潟視察隊が組まれた。私は懇願して視察に同行させてもらった。
新潟で視察したパチンコ玉三郎には衝撃的を受けた。
ニッポンのお祭り、いやお祭り騒ぎのような店舗外観、店内装飾、いたれりつくせりの各種サービス。お客様にパチンコを楽しんでもらいたいという姿勢が全力で表現されている店舗だった。
これは負けた。この営業と戦って勝てる訳がなかった。
2店舗の業績をあげ、自主的に勉強してノウハウを身につけてきたと思っていたがチャンチャラ甘かった。
店長として私のレベルはまだまだであったのだ。
2001年。31歳。
本部流しになってからおよそ1年が経過した。
その間も時間は進み、元部下が数店舗の店長の上司となるエリア長に昇進していた。
本部での私の実績が評価されたかどうかは不明であり個人的にもどうでも良い話だが、
夢にも思わなかった店長復帰の辞令がおりた。
俺は再び店長がやれる。花舞台に戻れる!
異動先は初めて就くI店。直属上司のエリア長は先ほどの元部下だった。
I店は先日リニューアルをしたばかり。けれども結果が出ずにくすぶっている状態であった。
やってやる・・・。
この1年間がどれほど悔しかったことか。
エム・アイ・ディ・ジャパンの手法に敗戦を喫し、どれだけ反省して分析してノウハウを貯め込んできたか。
全部ここでぶつけてやる!
先のリニューアルを完全に無視し、私は私による新しいリニューアルを考えねば。
当然たいした予算は取れない。しかしそんなものは必要ない。
新台入替の規模とかそういうことではないのだ。本当にお客様から支持されるお店として根本的に変えてやる。
今までの経験、そして新しく身に付けたノウハウ、そして頭を極力柔わらかくして策を練った。
人の部分。今までのような気合が入っていないと帰らされたりする軍隊的な朝終礼はもう辞めよう。意見のある者挙手と言われたら意見が無くても挙手しなければならないなど単なる茶番だ。
そんな恐怖に支配された朝終礼なんかで良い意見や良好なコミュニケーションが取れるはずがない。
よし、皆輪になって座れ!頭ごなしに否定はなし!屈託なく意見を出し合い、改善案はその場でジャッジして即刻決めよう。
これにより以前より必要な改善点が次々と誕生し、スタッフ間でコミュニケーションが図れ、一体感が生まれてきた。
スタッフに知恵を出してもらう為ではい。最大の狙いはコミュニケーションを通じて目指すべき方向を同じにすることだ。
それから接客面の改善。島に入る時、お客様にドル箱を渡した後に一礼?バカか!剣道の試合か!武士なのか?
スタッフが武士道をわきまえているとお客様が喜ぶのか?それは接客に思える単なるしつけではないのか。
―営業中の店内はお客様のものである―
間違っても自分達のものではない。そこを履き違えてしまっては本当の意味でお客様にとって必要な店は作れない。
無意味な一礼は無くす。その他今までやってきた常識で不要なものは全て否定する。
接客については絶対やること、絶対やってはいけないことを数十項目文章化して新しく決めた。本当の意味での接客をする為に。
遊技台管理の部分。当時は今より新台入替サイクルは長く、遊技台の稼働不良が目立った。
特に玉飛びが悪い、メダルが入りずらい。これらはお客様から言われて対処してきたがそれは間違いだ。
日々の業務に組み込んで1週間で稼働チェック及び全台メンテナンスできるように仕組化する。
事前に対処することで基本的な遊技台整備不良は無くし、お客様に不必要なストレスをかけるな!
釘調整などの項目にも改善が必要だ。
まずはスタート。お客様に回らない店と思わせてはならない。その為には無回転時間を発生させないこと。
機種ごとに保留の数によっての回転時間が違うので、これ以上締めると理論上無回転時間が発生するという数値を導き出し、機種別にスタート回数の下限値を決めた。
そしてイベントを全て一新。例によって嘘つきイベントは絶対にしない。新しくイベント内容を設定し直した。
つまるところパチンコ店なのだからお客様が期待感を持てなければ話にならない。
細部の改善を図りつつ、肝となるパチンコ・パチスロの出玉計画シミュレーションを練った。
サービスの部分。お客様の安心感、信頼度を高める為に、相談センターの連絡先を派手に告知したい。
店舗には直接言えない何かを連絡する為の相談センターだ。しかしそんなセンターは我が社にはない。
連絡先があれば事足りるのだ。よし、勝手に本部のメールアドレス書いておけ!
また基本的なご意見は口頭で直接頂戴するが、ご意見箱を新設して一定期間ごとにQ&Aを貼り出そう。
その他、のど飴、女性用品のサービス、ひざかけ貸出し、タバコ交換おつかいなどあらゆるサービスを新設だ。それを一覧にして告知しよう。
それから謎の施策もやるぞ。
題して金玉作戦だ。
金のパチンコ玉を10発ほど店内の玉に潜り込ませろ。そうすれば目撃者から噂話が飛び交い、やがて常連様からラッキーボールと呼ばれ話題のネタになる。
金玉が繋ぐコミュニケーションだ!
以上の施策とその他を含めて改善項目は実に150項目ほどになった。
我ながら頭がおかしいレベルだ。
実施は新装開店の日と決めた。新台は本部に無理を掛けあってCR新海物語M27(三洋)を多めに20台程確保した。
確かこの海が初めて遊技台単価20万を超え、高すぎるとブチ切れていた覚えがある。
今は40万を超えるので何とも笑えない状況だ。
また元部下のエリア長から色々意見があったが、うるせえな。必ず結果出してやるから黙ってろ!一切意見するなと返答していた。
元上司に意見するだけでやりずらいだろうに、元上司が情けない立場で申し訳ない。
ともかく準備は整った。
この俺を店長職から引きづり下ろした恨み。よくもこの俺様に泥を塗ってくれたな。
正当なやり方で無念を全て晴らしてやる!
今の俺が信じる、お客様にとって魅力的な営業をこれより開始する。
世に知らしめるメインテーマは
「勝利に一番近い店」
そしてついに、己の全てを投入した新装開店の日を迎えた。
5.パチンコ店長編(4)
【目次リンク】
1.はじめてのパチンコ編(1989年~)
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2.上京パチンコ編(1989年~)
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3.パチンコ攻略編(1991年~)
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4.パチンコ企業就職編(1994年~)
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5.パチンコ店長編(2000年~)
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店舗営業は無間地獄である。
今日が良くても明日良くなければならない。1日ダメにすれば昨日の良いが帳消しになる。
明日良くても明後日良くなければならない。明後日良くても明々後日・・・と続く。
今日叩き出した実績は既に意味のない過去の栄光であり、過去最高記録を塗り替えるごとに超えるべきハードルが高くなっていくという恐怖。
業績を上げ続けることが絶対の組織の中で、私は稼働20%ダウンという致命的な失敗をして店長職を追放された。
2001年春。30歳。
本社へ異動となった私には本部の広告宣伝担当に任命された。
数十店舗の広告宣伝の本部案件を管轄する立場であるが栄転ではない。左遷だ。花舞台はやはり営業店舗なのである。
しかしながら戦に破れ全てが終わったかにみえたが、かろうじて会社での命は繋ぎ留めたのだ。
命の持ち帰りこそが功名の種であるとありがたがるべきか。
敗北感に包まれながら、本社勤務を開始し、退勤後は近所のパチスロ専門店でサンダーV2を死んだ目をしてよく打った。裸で体育座りをして意味不明にくるくる回るペプシマンもどきの滑稽さと、みじめな自分が同じ境遇に見えた。
サンダーVといえば名機の初代である。けれど自分にはこんなのはサンダーVではないと言われるサンダーV2がお似合いだ。
他はギンギン丸、スペースバニーも打った。訳分からん台ばかり打っていた。
それでも何もしない訳にはいかないので、目の前の仕事に向き合うことにした。
この当時、広告宣伝費の中で比重が高かったのは新聞折込チラシだ。
今のようにイベントチラシも禁止されていなかった為、1店舗あたり月間4回程実施していた。
まずは新聞折込チラシの費用削減に取り掛かった。
全店一括で一つの業者様に決定することで値引きを要求する。私は今まで通りの鬼のスタイルで相見積もりを要求した。
その結果、年間1億円ほど費用が浮いて喜んでいたが、実はあまり好ましくない。
値下げを要求すれば業者様は応えてくる。要求すればするほど限界まで無理をしてくる。その結果恨みを買う。どこかでしっぺ返しを食らってもおかしくないということを理解するのは数十年先の話であった。
そんなこともおかまいなしに次々と改善に突き進んだ。
次に使用頻度が高い店舗内でのPOP類に目をつけた。業者様に依頼する外注品は高額で、店内制作するポスター類は時給単価の高い役職者や社員が作っており人件費コストを含めるととんでもない高額になっていた。
これをもし自社で一括制作したらどれだけコストが下げられるだろうか。
自社専用の広告制作部隊を発案。制作室の立ち上げに取り掛かった。
前に担当したR店の2階には今は使われていないワンルームタイプの社員寮が並んでいる。そこに目をつけて4部屋分の壁をぶち抜いて広いスペースを設けた。
そこにデザイン専用のMac3台、大判ポスター印刷機、大型ラミネート機、複合コピー機などを設置。
求人広告を使って新しくデザイナーもアルバイトで数名雇用。
自社に導入されてある通信システムを利用し、店舗からの受注システムも構築。
こうして制作室という名の自社専用広告制作部隊は無事に完成した。
結果、年間約2億円ほどのコストダウン。大成功であった。
チラシやPOP制作で最も問題となったのは修正だ。
修正が多ければ多いほど、時間と人件費がかかってくる。問題なのはその修正が本当に必要なものであるかということ。
例えばここの黄色を赤色に変えたいという修正依頼。それによって何が変わるのか?つまるところ粗利がいくらに変わるのか?
個人的な趣味や気分による修正は無駄だ。それを排除する為にカラーマネジメントという考え方を取り入れた。
色は科学的に人体に影響を及ぼす。例えば裸電球を青と赤のフィルムで包んだ小部屋に人に入ってもらう。
すると赤い部屋に入った場合は青い部屋に入るよりも心拍数が高くなるのだ。
赤は興奮させる。青は落ち着かせる。黄色は楽しくさせる。橙は食欲を促す。個人差はあれど、色は人体に影響を及ぼすのだ。
ゆえに、そこまで考えられていない修正は一切応じないことにした。
人間を一つの動物と捉え、その動物の基本行動を理解して有効な広告をするという考えは、ポスターの設置場所などにおいても重要だ。
人は建物に入った時にまず何をするか?無意識の内に危ないものはないか目で見て、耳で聞いて、肌で感じて危機管理行動をする。
そんな危機管理行動をしてる最中にポスターなど見る余裕などないのだ。よって読んでもらいたい場合は建物に入って5m以上入った場所に配置することが望ましい。
入口付近はせいぜいイメージ付けをする為のものしか配置できない。
このようなことも含めて、過去からの思いつきで行う無駄な広告を排除し、より有効な広告宣伝活動ができるよう尽力した。
そして夏が来た。記憶に残る事件が起きた夏である。
この時はまだミクシィやまとめサイトなどはなく、パチンコ系の情報収集は2ちゃんねるがメインだった。
昼休憩中にスレッドを眺めていると、とある攻略法が話題となっていた。この時代、昔のバグのような攻略法などはほとんどない状況だったので変な噂で騒いでいるなと感じた。
だが様子が少し違う。初めは九州辺り。その後中国地方、関西と登ってきているではないか。サミー系のパチスロで成立フラグをコピーできるという。
あの有名なコピー打法である。
これはマジネタだ!と直感した私は全店舗の長である営業本部長を探した。出張でいないらしい。
サミー系で設置している機種といえば、ハードボイルド2、ダブルチャレンジ、ネコde小判、インディージョーンズ2、獣王など多岐に及ぶ。
事は急を要する。すぐさま営業本部長の携帯電話に電話をかけた。
「攻略法がやってきます。今すぐ全店のサミー系機種を全台稼働停止にして下さい!」
それを聞いた営業本部長からお前はバカか!と烈火のごとく怒鳴られた。
確かにいきなりそんな報告されても営業本部長も困ってしまうというものだ。
その日の閉店後に数名の店長にコピー打法のやり方を教えてそれぞれの店舗で実際に攻略法が使用できるか試してもらった。
「できます・・・」
翌日、サミー系機種は全店舗で全台稼働停止となった。近隣競合店のほとんども稼働停止していたが、対策していない店もあった。
状況を見ると全台ドル箱積んでいてお祭り騒ぎ。店員は何もできずに口を開けて見ているだけの悲惨な様子であった。
5.パチンコ店長編(3)
【目次リンク】
1.はじめてのパチンコ編(1989年~)
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2.上京パチンコ編(1989年~)
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3.パチンコ攻略編(1991年~)
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4.パチンコ企業就職編(1994年~)
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5.パチンコ店長編(2000年~)
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店長3店舗目のR店も郊外店である。
今までと違うのがパチンコアウト52,000玉と稼働絶好調の店であるということ。
パチンコ店の客入りを図るには主にアウトと呼ばれるお客様が打ち込んだ玉数の全台平均数をみる。
売上だと出玉が出ていると売上が抑えられ、また出ていないと売上は上がってしまい額面が出玉に左右されて正確に客入りの数字としてみれない。
また機種の構成によっても変化してしまうので客入りはアウト玉数でみた方が良いのだ。
ちなみに9時~23時まで休憩もなしに全台打ち込んでくれたら60,000玉越えとなると思うがそれは非現実的である。
尚、某所が発表した2017年全国平均パチンコアウトは12,380玉である。
それを考えると平均アウト52,000玉は開店直後からほぼ満席。とんでもない繁盛店なのである。
その秘密はこの頃始まった高交換率化であった。
今までパチンコ交換率は2.5円くらいが主流であったが、R店は等価により近い3.56円として最近リニューアルしたのだ。
等価に近い交換率での営業を実現する為に釘調整にも工夫がされた。
今までの釘は上向きに6度や3度という形であったのを、思い切って垂直0度にしてしまう。それにより玉が釘に絡まずに落下し、入賞率が下がる。それにより高交換率でも利益の取れるゲージが作れるのである。
また台の傾斜についても今までの4分5厘から3分5厘へより傾斜角がつくように変更もあったと記憶している。
様々な店舗が次々に交換率3.56円リニューアルオープンして一気に稼働を上げた時代なのだ。
その手法がどこの土地から入って来たかは正確に知らないが、新潟のどこからとは聞いていた。
そんなR店に私が異動することになったのは、前任の店長が辞めた為である。
心が折れ、もはやついていないと判断して辞めてしまったと私は認識している。
これほどまでに集客を成功させてもなお、店長職が辞めてしまうような強烈に厳しい組織であったのだ。
R店は全く知らない訳ではない。店長会議での数字や視察によって概ねの状況は把握してある。
さらに店舗を観察した上で、52,000玉稼働だろうが手を加えることが山ほどあると感じた。
異動して一番最初の店舗ミーティング、私は心の中でつぶやいた。
「ではオペを始める」
この店のダメなところを徹底的に叩き直し、もっと良い店に変えてやる。
なにせ私は敗戦知らずの無敵の天才店長なのだから。
そして着任3日目。お客様ご意見箱に一通の投書がされる。
-今の店長のやり方は納得がいかない-
はい??まだ何もしていないのだが。
何のことだかチンプンカンプンであるが、きっとパチンコで大ハマリしたとかそういうことだろう。
まだ勤務3日目で別に何もやり方は変えていないのだ。変えるのはこれからだ。
気を取り直して人、物、金あらゆる方面に対して次々に行動を起こした。
まずは人心掌握。役職者を中心に営業のできる基盤を作る。
それから店舗設備。清掃が行き届いていない。その他修繕箇所をピックアップ。あらゆる箇所にお客様目線で改善を図る。
―理由も無く汚れたものをお客様に提供しない―
開店時は床に玉一つでも落ちていることは許さない。清掃面ではトイレの個室の仕切り板の天井付近の上部を指でなぞり、埃が溜まっていただけで雷を落とした。
そして広告宣伝、新台入替計画に機種別粗利管理、全台個別調整など改善の余地がある個所に手をかけた。
それから気に食わないことの一つに過去からの風習というものがあった。
まず神棚。何だあれは?神に祈れば稼働が上がるのか!粗利がいくら増えるのか!
祈って上がるなら朝から晩まで皆で祈ってろ。そんな訳ないだろ!よって神棚なんぞいらん。ぶち壊せ!撤去しろ。
それと駐車場にあるお稲荷さまだ?アレもぶち壊せ!
さすがに神仏系の破壊は古くからいる会計係のおばさまに、店長それだけは辞めて下さいと涙ながらに懇願されたので思いとどまった。
しかし、神棚の榊は毎度買わなくて良いよう造花に変え、各入口に塩盛をする風習は取り払った。
稼働を上げたければ稼働があがることだけすれば良い。粗利に繋がらないことは一切するな。
神は細部に宿る。細かな箇所まで徹底的に改善に取り組んだ。
物事は順調に進み、2ヶ月が経過した頃、近隣の競合店がリニューアルオープンすることになった。
その様子をみて私は上司にこう報告した。
「競合店がリニューアルオープンするようです。しかしそれは無駄に終わり、ますますウチとの差がつくことでしょう」
競合店は私が着任してから稼働を落としていた。そんな状態をみて相手にならないと鼻で笑っていた。
だが違った。
競合店がリニューアルオープンするとみるみる稼働を増やしていった。
同時に担当するR店の稼働が下がり、突如悪い噂ばかり立ち始めた。
今思うと常連に混じって悪い噂を立てる部隊まで仕込まれたのかもしれない。遊びではないのだ。まさかとは思うが手段を選らばないことも考えられる。
とにかく一体どういうことだ!2店舗しか運営していないちっぽけな法人で、今まで稼働もそれほど良くなかったダメな店なのに。
競合店の何がどう良かったのかは分析できていない、目の前の担当店舗の稼働低下に慌てて対応する日々が続いた。
結果、52,000玉あった稼働は42,000玉まで下がった。
20%ダウン。完全に敗北した。
業績を下げる者には死あるのみ。
私は店長職を追われ、本社勤務に飛ばされた。