ライターじゃない、アイドルだ -7ページ目

5.パチンコ店長編(2)

【目次リンク】

1.はじめてのパチンコ編(1989年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396112976.html

2.上京パチンコ編(1989年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396833601.html

3.パチンコ攻略編(1991年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12397911333.html

4.パチンコ企業就職編(1994年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12400413287.html

5.パチンコ店長編(2000年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12403314011.html

 

 

 

初めての店長を務めたK店を1年でどうにか上向きの成績にしてから、少し離れたG店へ異動となった。

 

お気づきかと思うが、この法人は異動が多い。短い期間でガンガン動く。

 

不正防止、業者様との癒着防止の観点などはあると思うが、基本は人材育成の目的が強いと思う。

 

このG店は典型的な郊外店で、稼働状況は中の部類であった。

 

この頃、自身の能力を高める為に、色々な書籍を読み漁った記憶がある。

 

一番勉強になったのが雑誌商業界だ。

 

主に小売業界のノウハウが詰まった雑誌だが、小売だろうが飲食だろうが扱う物の形が違うだけで店舗商売としては根本の部分は同じ。

 

小売の商品管理や商品陳列などパチンコに置き換えて応用が利くと興奮して取り入れまくった。

 

 

ある時、CR大工の源さんの設定系のイベントで上司とぶつかり合いがあった。

 

なりふり構わず攻める私にストップがかかったのだ。

 

細かな内容は覚えていない。ということはたいした話ではなかったのだと思う。

 

けれどもイケイケだった私は上司の注意に即刻キレた。

 

「私の営業を否定されるなら、もう結構です。辞めます」と伝え荷物をまとめて車に積んで飛び出した。

 

単なるいじけである。

 

だが1日経ち冷静になり謝罪した。

 

そんなバカ野郎の私を許して頂き、頭が上がらない。今でもこの法人で出会った中で一番好きな上司だ。

 

そんなこともあったが、私は今までの経験と新しい知恵を駆使してこの店の業績を上げてやるとはりきって取り組んだ。

 

結果、業績はめきめきと上がり、稼働も過去最高記録を次々に更新していった。

 

 

このG店の土地には特徴があって、雪がまず積もらない神奈川にも関わらず積もるのだ。

 

降雪時の天気予報が店周辺だけおかしいのだ。とにかく異様に積もる。

 

2月か3月だった。月末の数日で普通に営業できればさらなる月間最高記録が見えた時に30cm近くの雪が積もった。

 

ホームセンターに行き車用のチェーンを買った。

 

閉店後、初めてチェーンを苦労して取り付けて真っ白になった広い駐車場で試運転をした。

 

アクセルふかして走り出す。雪なので簡単にドリフトする!楽しい。散々駐車場を走り回って、車を降りるとチェーンが外れていた。

 

チェーンの説明書を改めて読むと急発進するなと書かれていた。

 

こうして家にも帰れなくなり、雪に閉ざされた店に3日間ほど閉じ込められることになっってしまった。

 

 

雪が積もれば駐車場の雪かきをするのに重機を手配し、これまたスタッフは遅番、公休関係なしに早朝総出で緊急対応する。

 

滅多に見れない雪を見れる嬉しいテンションと、緊急時の高揚感もあり疲れしらずになる。

 

パチンコ店の駐車場では困ったことに営業が終わっても駐車している不法駐車に頭を悩まされることがある。

 

雪かき作業をした早朝に不法駐車を発見した私は例によってハイテンションであったので、頭に来て不法駐車車両を完全に見えない状態まで雪で埋めてしまった。

 

やりすぎた。雪に埋められた車を発見した持ち主の苦労を察すると、その節は申し訳ございませんの言葉しかない。

 

 

この店舗でハネモノの釘調整も色々と研究した。

 

思い出に残っているのはビックシューター(平和)

 

その当時でもかなり古い部類の台であった。

 

ある時、どうしても甘くて閉まらないビックシューターがあった。寄せやスタートを締めても締めても出てしまう。

 

何度か目の釘調整を終えて台から離れた直後、「グィーーーンッガチャーン!」と音が。

 

で、出た!お化けだ!ではない。古すぎて1チャッカーのセンサーがいかれて勝手に開いているのだ。

 

締めても出てしまう原因はそれだったのか。

 

今のように入替サイクルが早い状態ではなかなか起きないトラブルである。

 

それにしても自分以外に誰もいない店内でビックシューターが鳴きまくるのは軽くホラーだった。

 

 

他の思い出としては、G店は従業員食堂、通称従食がべらぼうに美味しかった。

 

今のようにコンビニに美味しい弁当は無かった時代なので、スタッフの為に食事を作るおばさま達がいて、おふくろの味が味わえる従食は心のオアシスであった。

 

ちょうど私が店長になった辺りから、組織全体で様々なことが旧態の昭和的なものから新しい時代へと移りつつあった。

 

ある時、従業員食堂のおばちゃんリストラ指令が私に下った。

 

おばちゃんらは社員雇用だった。従業員食堂の運用コストは時代にそぐわないとし、削減することになったのだ。

 

信長の比叡山焼き討ちごとき、僧侶、女子供に至るまで討てとの命である。

 

ご存知のとおり、雇用側から簡単に解雇はできない。

 

しかしこれは絶対的な命令である。この時の私は完全に業績を追うだけのサイボーグであったと思う。

 

解雇できないなら、自らの口から辞めたいと言わせるしかない。

 

私はおばちゃんらの日々の業務の点を重箱の隅まで徹底的に突いて叱りつけて追い詰めた。それは苛烈を極めた。

 

自分の母親のような優しい人たちをもうここに居たくないと思わせるまで追い詰めたのだ。

 

解雇というものは殺人と同様だと思っている。ゆえに私の手は血で汚れている。

 

戦国乱世ゆえの出来事なのか。もしくは時代の過ちなのか。

 

私にもっと力があったならば、私がもっと大人であったならば。

 

あの時傷つけた方達に申し訳なさしかない。あのことが傷に残っていないのを願うばかりだ。

 

起きた事実は悔やんでも戻らない。

 

 

結局G店にいたのは約半年。

 

その間、営業においてはやることなすことが面白いように次々と当った。店舗の業績も右肩上がり。

 

簡単だ。業績を上げるのはたやすい。

 

この時、そんな自分のことを天才だと思って疑わなかった。

 

さらなる異動の辞令が降りて、店長3店舗目の場所に行くまでは。

5.パチンコ店長編(1)

【目次リンク】

1.はじめてのパチンコ編(1989年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396112976.html

2.上京パチンコ編(1989年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396833601.html

3.パチンコ攻略編(1991年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12397911333.html

4.パチンコ企業就職編(1994年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12400413287.html

5.パチンコ店長編(2000年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12403314011.html

6.パチンコ起業編(2006年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12405941148.html

 

 

 

1999年28歳。

 

ようやく初めての店長職に就いた。

 

パチンコ企業においては早い方ではない。前に記載した異性交際問題のおかげで時間がかかってしまった。

 

しかしながらこれで織田軍の城持ち大名となった。営業会議のトップ機関である店長会議にも出席が許される。

 

ひとまずはこのK店で功名をあげようぞ。

 

前に少し触れたが、K店は学生街にありパチンコ店として苦戦を強いられている市場である。

 

複数階に渡るフロア、台数規模は中型店だが平均稼働は3割といったところ。グループ店の中でもジリ貧の部類。

 

競合店として商店街にある小さなA店、よく分からん古い台ばかりある変な店N店、そして規模が近い一番のライバルB店がある。

 

店長にはなったが私には営業の専門的知識や技術は大してない。あるのは、やる気と体で覚えた体験のみだ。

 

やるしかない。思いついたことを何でもやるだけだ!競合店も全部まとめてぶっ潰してやる!!

 

 

今思うとそれで良いのである。バブルが弾けた後とはいえ、パチンコなどの市場は好調なのである。

 

よほど間違ったことをしなければ行動したことがプラスになる時代であった。

 

 

まずは新装開店。

 

新台は、めちゃイケナースか。

 

今までにないことをしてやろう。そうだ、医者、ナース、それぞれのキャラクターコスプレをして盛り上げよう。

 

よし!俺が患者やるから俺をホール内で引きずり回せ!!

 

 

めちゃイケナースコスプレは皆で固まっている分には良かったが、私がパジャマ姿で一人で歩いている場面を目撃したお客様から、

 

変なやつが店内を徘徊していると心配してスタッフにご意見が来たらしい。

 

 

次はあの有名キャラクターの新台か。

 

駅前でやっているティッシュ配りもコスプレでやろう。

 

新台のキャラクターのコスプレでインパクトはバツグンだ!

 

 

 

 

また、この頃は出玉イベントを実施する流れとなっていた。

 

何でもいいからタイトルつけておけば稼働があがる。

 

ザ・フリーズ -前日の設定そのまま-

 

上記のイベントを実施した時は前日閉店直後から若いお客様が並びを作った。

 

え?別に元々設定高くないんだが・・・と逆にこちらがドン引きしてしまったがありがたいことだ。

 

ただし、イベントにおいてお客様にバレる嘘は絶対につかないという方針を貫いた。

 

平均の利益率は高い訳ではないし、毎日嘘つきイベントで埋めたりはしない。

 

 

そして敵を欺くにはまず味方からだ。

 

スタッフの半数以上は近くの大学の学生である。

 

閉店後、わざとらしく作業中の全員に聞こえるようにインカムを入れる。

 

「○○主任!○○○番台の設定っていくつだっけ?」

 

「はい、6です!」

 

主任と予め打ち合わせしておいた茶番だ。

 

これにより、K店は結構設定6入っているようだと学生スタッフからその友人らへと噂を流させるのだ。

 

他にも告知には屋外広告、その他広告面に力を入れた。

 

 

またスタッフは社員アルバイト問わず鬼のような私によくついて来てくれた。

 

皆やる気に満ちており、ある日勢い余って、室内で朝礼なんぞやってられるか!外いくぞ外!と

 

店舗駐車場で大声あげて朝礼をやった際、ご近所より大声が聞えて来て怖いと後から苦情が入った。申し訳ない。

 

嫌な話としては勤務中にスタッフを怒鳴りつけて退職させたことも複数回あった。

 

こちらの注意に対してある学生スタッフが「あんたみたいなパチンコ魂、誰もついていけねえんだよ!」と歯向かってきた。

 

パチスロのメダル計数機前で対立する私と学生スタッフ。

 

相手が何が言いたいのか分からないので、うるせえなこの野郎!帰れ!と怒鳴り合いに発展。

 

ともかく謙虚でない者は即刻追放する。

 

お客様がメダルを流しにやってきたがおかまいなしにバトルが続き、ようやく学生スタッフを追放して任務完了。

 

お客様は口をあんぐり開けたまま行儀よく待っていてくれた。

 

どんな店だ。

 

今思うと耐え切れなくなるスタッフがいるのも分からなくはない。

 

休憩室のスタッフの脱いだ靴をみて綺麗に出船型に揃ってなければ即呼び出し、即帰れ!ことあるごとに帰れなのだ。

 

代わりの働き手はいくらでもいる時代なのである。

 

こうした厳しい管理は一つの管理方法であって、己のやったことを推奨する気も肯定する気も特にはない。

 

一連のことで間違っていることがあったならば関わった者は良い経験、または反面教師として活かせていると思う。

 

私自身としては被害者より加害者の方が辛い。出来ることなら被害者の側がよっぽどマシだ。

 

人に手を下してしまったという傷は深く、いつまでもいつまでも残ってしまう。考えると気が狂いそうになってしまう。

 

しかし己のことなんぞは関係ない。目的は業績をあげること。徹底的に全力でパチンコ店を運営した。

 

その結果、何がどう響いたかは不明だが、月を追うごとに業績は徐々に上がってきた。

 

 

月に一度店長会議がある。

 

単なる会議じゃない。織田軍屈指の各大名が揃った軍議だ。

 

各店ごとに前月の実績と次月の予定を発表していく。

 

ぬるい実績、ぬるい予定があれば直ちに上司、同僚問わず全方面から指摘を受ける。

 

場合によってはその場で首をはねられる雰囲気だ。

 

「先ほどパチスロの稼働を上げていくとありましたが具体的な方策が不明なので具体的に教えてもらえませんか?」

 

「一般台の稼働だけ極端に悪いのですが、これはどう考え、どのようにするおつもりですか?」

 

相手を納得させられる返答ができなければ滅多打ちにされる。そして精神的に破壊されてしまう。

 

業績を落とす者には死あるのみ。

 

店長会議という名の所属大名同士の命の取り合いなのである。生きた心地がしない。

 

こうした世界に耐え切れず、ボロボロになって消えてしまった店長も少なくない。

 

私は内心震え上がりながらも必死に喰らいついて喰らいついて、毎月毎月をどうにか生き抜いた。

 

 

仕事が忙しくて好きなパチンコをじっくり打つことはできなかったが

 

少し離れた競合店視察でCRモンスターハウスを少しだけ打った時に変なことがあった。

 

少ない投資金額で見事に確変を射止めて喜んだ私の左腕をいきなり役職者らしきスタッフが掴んだ。

 

振りほどこうにも相当な力で掴んできて事務所に来いと言われ、店舗奥の事務所に連れて行かれた。

 

その店の店長と対面し、何かやっただろと凄まれた。

 

開口一番「あの、自分近くの○○店の店長なんですが」と伝えたところ、その店の店長及び役職者は一気に豹変。

 

もももも申し訳ありません!!と全力で謝罪してくる。

 

どうやらこの店にとってウチのK店、いやむしろ勢いのあるホール企業として怖い存在なのだろう。

 

結局何の動作が疑われたのか不明、しかも近隣店の店長がゴトしないとは限らないし、開放してくれる意味がわからなかったが、

 

面白話のネタにはなったかと思うのでまあいいかと競合店を後にした。

 

 

そうして約1年が経過し、2000年。

 

潰してやると息を巻いた競合店の内、A店は閉店、B店は数年後に閉店となる。変な台ばかりあったN店は現在も残っている。知る人ぞ知る根強いファンに愛されるあの店だ。

 

それから私はまた新たな辞令を受けた。

 

-G店へ店長として異動-

 

店長として2店舗目の異動が決まった。

 

K店は集客が果てしなくハードなのが特徴的で強く思い出に残る店だった。

 

特に学生が帰省してしまう夏休み期間は街から人が消えてしまう絶望感。

 

開店時にお客様がおらずそれでもこうやるんだとムキになって煽りマイク入れたり、非常に勉強させてもらった店である。

 

大切な思い出を胸に次の地へ行く覚悟を決めた。

 

4.パチンコ企業就職編(13)

【目次リンク】

1.はじめてのパチンコ編(1989年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396112976.html

2.上京パチンコ編(1989年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396833601.html

3.パチンコ攻略編(1991年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12397911333.html

4.パチンコ企業就職編(1994年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12400413287.html

 

 
1999年。28歳になった。
 
再び戻ることになったK店の新体制は新しい店長、D店長代理、そして私なので店長代理2名体制である。
 
このD店長代理が素敵な人だった。ものすごくエネルギッシュなのである。
 
常人の3倍は仕事をする。しかし突然3日間欠勤したりする。起きてこられないらしい。恐らく躁鬱病なのだ。
 
異動初日、早朝に店舗に出勤するとD店長代理がデッキブラシを使って店舗の壁を磨きながら佐藤店代おはよう!と絶好調な様子だ。
 
おはようじゃないよ。店舗の壁を人力で清掃する人がどこにいるのだろう。とてつもなくパワフルである。
 
 
この体制の時に派手なゴト行為に遭遇した。
 
パチンコフロアにいたのはD店代、新卒Kくん、私の3名。
 
インカムを通じて新卒Kくんより、お金入れたのに玉貸しサンドから玉が出ないというお客様のトラブル対応しますと連絡があった。
 
続いてD店代からも携帯電話を失くしたお客様のトラブル入りますとインカムが入った。
 
これでフロアで自由に動いているのは私のみ。
 
だがその直後に私もバレリーナを遊技するお客様から呼び止められた。
 
通常時の打ち方が分からないから教えてくれという。
 
は?
 
ひとまず丁寧に通常時の狙いどころを説明した。だが、まだ分からないという。
 
耳を疑った。誰にでも分かる説明のはずなのに何故分からない。どうして?
 
分からないのではない、違う!分かろうとしてない。
 
その瞬間、私の中で嫌なものが走った。
 
そのお客様を放置して中央通路に駆け出しながらインカムを入れた。
 
「今すぐ全員中央通路に出ろ!!」
 
D店長代理に、これはゴトの足止めだ、きっとどこかの台がやられていると直接伝えた。
 
ホールを見渡したら特に異変はない。しかし先ほどのバレリーナの遊技客はいなくなっている。
 
既にやられた後か。
 
事務所に戻って防犯カメラの録画映像を確認する。
 
機種名は忘れたが、複数の男達に1台が開けられて見事に裏ロムが付けられていた。
 
出玉は出されなかったので事前に防げて良かった。
 
そういえば新卒Kくんは何をしているのだ。インカムで呼びかけると返事が来た。
 
「あのう、玉が出ないというお客様がいなくなってしまったんですが・・・」
 
このマヌケが、まだやっていたのか。
 
そんなこともあったが、とてつもなく真面目な新卒Kくんは将来重役に就く。
 
 
しばらくは機動力バツグンのD店長代理との店代2名体制であったが、
 
D店代の弱点である欝がひどくなって店舗からいなくなってしまった。
 
いるだけで元気がもらえたD店代。もっと一緒に仕事がしたかった。
 
そして新店長。彼も突然店から消えた。理由は不明だが挨拶することも出来ないまま急に退社したのだ。
 
店長が消えてしまって、これからどうするんだこの店。
 
実はこういう緊急事態は大好物である。
 
店長のことはもちろん心配だが、それとは別に突然の環境変化にワクワクしてしまう。
 
よっしゃやるか。
 
その日から店長に変わって私が釘調整、パチスロ設定、その他業務を行った。
 
それから数週間して私に辞令がおりた。
 
 
-次回予告- パチンコ店長編突入