2.上京パチンコ編(1)
この上京パチンコ編~この次の勝つ為のパチンコ編は長くなると思います。
私の18歳~23歳くらいの期間。最も楽しくパチンコが遊べた時代の話です。
記憶が曖昧で登場機種の時期に前後があったりすると思います。
また極力パチンコを軸に書きますが、いたずらの虫が騒いで脱線する事もあると思いますので御容赦下さい。
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平成元年 18歳で私は上京した。
故郷別府の流川通りのバス亭にあった、たった5ページ程の求人情報誌により社員寮付きの仕事があったのだ。
東京で最初に出会った職場を案内する担当男性はよくしゃべった。
「やっぱり寮は個室じゃないとプライバシーが守られないよねえ~」
「○○なんだよねえ~」
これはヤバイ、オカマだと思った。
実際は初めて標準語を直に聞いただけのことで、彼はオカマでも何でもなかったと私は数ヶ月後に気づくことになる。
そのオカマだと勘違いしてしまった男性に連れてこられた先が東京都立川市。
中央には立川競輪場、駅前にはJRA場外馬券場、パチンコホールは多く、足を延ばせば多摩川競艇場があり、
オートレース以外は揃っている、いわばギャンブルシティだった。
競輪場周辺の道端では昼間っから酒盛りがあらゆる場所で行われている。
とんでもない環境に来てしまったのだ。
腹ごしらえをするかと入ったラーメン屋で生まれて初めてしょうゆラーメンを食べた。
九州で育ったゆえに、とんこつラーメンしか食べたことはない。
しょうゆラーメンの味は薄っぺらく恐ろしくまずかった。
私はこの先こんなラーメンを食べて生きていかなければならいのかと思うと涙がにじんだ。
数年後には慣れ親しんだ味となり、しょうゆラーメンもおいしく食べられるようになる。
仕事の話に戻そう。その内容は新聞配達だ。
職場には個性豊かな面々がおり、元反社会勢力、元こじき、元詐欺師、私と同じく上京してきた者など様々だった。
朝刊の配達が終わり、専売所に戻ると先輩達がスポーツ新聞を広げて競馬予想をしている。
右も左も分からない新米の私は当然のごとく先輩に流されていくことになる。
新聞配達には集金業務もあり、各々の担当エリアによって金額は異なるが平均月額120万円程だった。
その金がギャンブルの資金だった。
皆から親分と呼ばれる先輩は集金を軍資金に一時期プラス160万までいった。
上機嫌で皆にステーキをごちそうしてくれた。
しかし最終的には140万程の集金を全て使い込んでしまい、立川からいなくなってしまった。
結局どこかギャンブルのない田舎へ売り飛ばされてしまったらしい。
また競走馬イダテンターボが大好きな四国出身の先輩がいた。
念仏のようにイダテンターボがイダテンターボがと繰り返し馬券を買っていたが、
イダテンターボで勝った時を見たことがなかった。
集金の金に手をつけイダテンターボにつぎ込んでいた。
イダテンターボの何がそんなに良かったのは分からずじまいだ。
そんな先輩の背中を見ていた私はというと、もちろん集金に手をつけてしまった。
そして最もマイナスした時に25万の使い込みをした。
集金額の締め日に専売所の所長に使い込みが発覚し、逆鱗に触れて机をドンと叩かれ「今すぐ借用書書け!」と怒鳴られた。
翌月の給与の額面はマイナスだった。
そんな最低でクズな生活だったが、パチンコホールには今まで見たことがない機種があふれており
いわゆる一発台にのめり込むことになる。