6.パチンコ起業編(5) | ライターじゃない、アイドルだ

6.パチンコ起業編(5)

【目次リンク】

1.はじめてのパチンコ編(1989年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396112976.html

2.上京パチンコ編(1989年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396833601.html

3.パチンコ攻略編(1991年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12397911333.html

4.パチンコ企業就職編(1994年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12400413287.html

5.パチンコ店長編(2000年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12403314011.html

6.パチンコ起業編(2006年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12405941148.html

 

 

パチノフが開店してからは、昔からお世話になっている方、新規の方に御来店頂き、どうにか運営することが出来た。

 

開店時にニュースリリース(マスコミ媒体へ自ら取材案内をする広報活動の一種)を行い、多くの業界関係紙様に取材して頂いた。

 

時にはパチンコメーカーの高尾様が貸切をして、社員さんがバーカウンターの内側に入ってユーザーさんとお話する交流会を実施したり、

 

ニコナナ様が「BAR魚拓」の生放送ロケ地として利用されたり、萌えスロナイト&まんさい様とのコラボイベントなどもした。

 

そして年末12月。長い付き合いとなるアキバのまこさんとの出会いがあった。

 

パチノフに興味津々でやってきたまこさんはパチスロ好きだった。youtubeの番組を動画を撮影したいということで、私は喜んで引き受けた。

 

その動画がこちら。

 

【まこプロTV】アキバのまこさん~放浪8~【秋葉原パチノフの巻】

https://www.youtube.com/watch?v=5Pj1SOKaLQU&t=4s

 

懐かしくて、色々な思いが蘇ってじーんと来る。

 

ある瞬間の楽しい思い出というのは、例え何があったとしても楽しいものなのだ。その瞬間は真実なのだから。

 

私には友達がいない。仕事から密にすることはあっても元々1匹狼的な性分で、特定の誰かと行動を共にすることは少ない。誰かと仲良くするのが嫌いな訳はないが。

 

アキバのまこさんとは今も実戦動画で協力してもらったり、ホールに行って共に無駄な時間を過ごしたり、私のとって貴重な存在である。

 

もちろんパチノフなどで知り合ったお客さんもそう。あくまでも商売をしているので取引関係なのかも知れないが、最終的には人間と人間だと思っているので、お客さんというよりはやはり人として接したいと考えている。

 

それと独立してから「お客様」をあえて「お客さん」と呼んでいるのは、別にフレンドリーさを出そうとかいったものではなく、お客様と呼ぶ企業に限ってお客様をお客様扱いしていないという私のねじ曲がった恨みのようなものからである。ゆえにお客様のことはあえてお客さんと呼び大切に接したいと思っている。

 

 

そして年が明けて2014年。

 

webで面白い男性の同性愛ネタとして広く知られていた「くそみそテクニック」とのコラボカフェ企画の話が来た。

 

くそみそテクニックといえば、アレを見せつけて「すごく大きいです」と言わせたり、お尻の中でおしっこしたりするヤベエやつだ。

 

ほう、普段から「ここは魔法の世界です♪」「お帰りなさいませご主人様♥」というスタンスの美しくて可愛いお店は決して出来ないコラボだろう。

 

なら誰がやる?そんな無茶なコラボをやるのはどの店だ?

 

ウチだ!

ウチがやらないでどこがやる!

 

パチンコは全然関係ないが、1度だけということでお客さんに許してもらおう。

 

こういして2014年1月19日くそみそテクニック公式コラボカフェが開催された。(12時~20時)

 

コラボメニューはご想像の通り、結構なものだった。※URL参照

http://r.goope.jp/pachinofu/menu/254313

 

ニコニコ生放送の公式の生中継も入った。

 

そしておよそ650名様の来店となったが、店に入れたのは250名様だった。

 

入店待ちの列は交差点を曲がったあたりまで営業時間中ずっと続き、予想以上の混乱となり入れなかった方申し訳ありません。

 

その状況はまこプロTVの動画に記録されている。

https://www.youtube.com/watch?v=6_m2VTDIHuM

 

開店して最初のお客さんにあのカレーをお出しし、「お前俺の腹ん中をバキュームカーと勘違いしてるんじゃねえか?」とスタッフが言うと、お客さんがノリノリな大きな声で「しーましぇん!」と狂気の宴の火蓋を切ったのが嬉しかった。

 

一番驚いたのはその日のニコニコ生放送TOPページのニュースランキングが3位だった。

 

その下には年末ダウンタウンの笑ってはいけないの宇宙人ネタ「ホウセイマイフレンド」があった。

 

パチノフが「ホウセイマイフレンド」に勝った。

 

このニュースは何名に届いたのだろう、数十万名かと思うが、もう生涯でここまで認知されることは起こせないなだろうと思う。

 

しまいに後日、このニュースが世界に飛び、色々な国の掲示板で話題になっていた。

 

何を書いているのか分からないので翻訳してみると「どうして1日だけなのだ!私たちは毎日することを望んでいる!」とあった。

 

ちょっと怖かった。

 

 

こうした面白い出来事もあったが、同時にパチノフで最もピンチだったのが2月だ。

 

珍しく都内に雪が積もった。しかもそれが2週連続で金土曜日の週末直撃。

 

当然お客さんの足は遠のき、単月で100万円近い赤字が出た。尚、運営資金はカツカツだ。

 

家賃、仕入れ代金は支払えたが、ここままではスタッフの給与が払えない。真っ青になった。

 

夜逃げをした19歳の時とはケースが違う。どうにか金を工面せねば。

 

結局、個人で某カードローン会社から150万円、無人のATMの消費者金融から50万円、借入限度いっぱいの合計200万円を調達した。

 

破綻へのカウントダンが始まる。

 

当面の危機は逃れたが、こればかりはおすすめできない。金利14.8%では毎月毎月ほとんど利息しか返済していない状態が続いた。

 

この時初めて夜も眠れない日々を経験した。

 

しかしこの大雪の大打撃で、首を吊ることになってしまった経営者は間違いなくいる。

 

自分にはまだ命があるだけましではないか?と自身に言い聞かせた。

 

そのような状態だから自分自身に給与なんて払えない。自身に報酬を出たのは開店から実質2年半後のことである。

 

当然、丸1日の休みなどない。労働局に訴えに行きたいレベルだ。

 

以前お世話になった会社の代表から「独立したら道端の雑草食ってでも生き延びろと」聞いたがその通りだった。

 

独立するというなら複数年に渡って報酬なしでも耐える覚悟、もしくは余力を持つべきだと身に染みた。

 

私の場合は自己資金は全て会社に投資した為、日々の生活をする為に合間の時間を見つけてはパチンコ店に通った。

 

月15万円プラスさせる程度であればどうにかなる。

 

いい年したおっさんがハイエナ中心で立ち回るのは惨めであったが生き抜くしかない。

 

まだパチスロの天井が強い時期であった為、どうにかなったのは運が良かったというしかない。

 

 

みじめな生活状態であったが、パチノフという店があり、元気なスタッフがいて、お客さんが楽しんでいてくれる。

 

それが嬉しくて、私自身を突き動かしていた。

 

こうして開店から1年ほどが経過し、初代店長やまちゃんが退職することになる。