ライターじゃない、アイドルだ -17ページ目

3.パチンコ攻略編(1)

【目次リンク】

1.はじめてのパチンコ編(1989年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396112976.html

2.上京パチンコ編(1989年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396833601.html

3.パチンコ攻略編(1991年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12397911333.html

4.パチンコ企業就職編(1994年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12400413287.html

5.パチンコ店長編(2000年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12403314011.html

6.パチンコ起業編(2006年~)

https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12405941148.html

 

 

 

諸問題が起きないよう、ここからは場所や名称などをあやふやにするなど最新の注意を払いながら、

 

出来るだけ赤裸々に書いていきたいと思う。やばそうなことは全部夢の話!夢ですからね!ということで()

 

 

1991年、私は約2年間の新聞専売所勤務を辞め、好きだからという理由でなんとなく厚木方面のパチンコ店に就職した。

 

その店の組織構成は店舗を総括する責任者、店長、主任、一般社員となっておりアルバイトは存在しなかった。

 

店長はポルシェで出勤してくる伊達男。新米の私はほとんど会話してもらえることはなく雲の上の存在だった。

 

その他従業員は新聞専売所よりはクセがなく、夫婦者が複数組いた。

 

働く側の視点は新鮮で、私は開店準備、営業中のラッキー札刺し、ドル箱交換、トラブル対応、閉店作業など基本業務を覚えていった。

 

この時代のパチンコ店はまだサービス業という概念はなく、店員は作業員兼見張り役という考え方が多かったと思う。

 

勤務中は喫煙やジュースを自由に飲むことが可能で、勤務終了後にタバコひと箱もらえるシステムであった。

 

タバコが吸いたくなり店の隅に設置された灰皿の場所で喫煙していると

 

島(パチンコが設置されたキャビネット部分)の端上部に設置された3色のランプが光る。

 

赤が呼び出し、緑が大当り、黄色が磁石検知という配置が主流。

 

その内の緑が光る。その島のどこかの台が当っているのだ。

 

当然パーソナルといった自動計数機なんてものはないのでドル箱を持っていかねばならない。

 

しかしこっちはタバコを吸っている。赤が光って呼びだしがかかるまで放っておいても良いだろう。

 

そんな自分ルールを作りながら適当に対応していた。

 

 

赤ランプは玉が出ないなどのトラブル場合もある。

 

多いのは玉の補給部分の玉通りが悪くて、ちょっと遊技台上部を揺らす程度で直るトラブル。

 

馴れてきた私は玉が出ないトラブルで呼ばれた場合、無言でツカツカと台に歩み寄り、右の親指を振りかざして遊技台上部を力一杯にガツンと一突き。

 

そして何も言葉を発さずにお客様にくるりと背を向け歩きだす。

 

事情の分からないお客様が「え?おい!キミ!!」などと言ってくるのを場を離れながら背中で答える。

 

(おっちゃんよう、もう直ってるよ ふっ)

 

台を叩いた数秒後にジャリンジャリンと玉が払い出しをする音をわずかに聞いて内心OKと思う。

 

そんな自分が滅茶苦茶格好良いと思った。

 

自分勝手な馬鹿やろうである。

 

 

またパチンコ店ではあおりマイクを行う時間が定期的に存在した。

 

軍艦マーチの音楽を流し、ハンドマイクを使って景気のよいテンポでアナウンスをするのだ。

 

いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、いらっしゃいませー!

 

本日もー北は北海道、南は九州・沖縄まで全国津々浦々、数ある娯楽場の中よりー

 

当ホール、パーラー○○○を御指名御来店頂き、誠にありがとうござまーす!

 

本日も出ます!出します!取らせます!

 

1番台、2番台、3番台はもとより、5番台、6番台、7番台、最終ラッキーナンバー○○○番台に至りますまで

 

釘調整、機械設定は全機種全台が絶好調最高調、釘は広く広く、設定は高く高く致しましてのお出迎えとなっておりますれば

 

ジャンジャンバリバリとー!バリバリとーお出し下さいませ、お取り下さいませ!

 

川の柳は風まかせ、可愛いあの娘は口まかせ、パチンコの必勝法!パチンコの必勝法は今も昔も変わりません

 

1に粘り2に粘り、3・4がなくて5に粘りとー!粘りと頑張り、頑張りと粘りをもちまして

 

ジャンジャンバリバリとー!バリバリとーお出し下さいませ、お取り下さいませ!

 

四角四面のマスの中、あなたの黄金の右腕で、玉を右へ左へと打ち分けられまして・・・

 

さーまたまた来ましたパチコンギガコーナーからラッキースタート!

 

パチコンギガ○○○番台!フィーバースタートオオオオーーオオッ!!

 

なんてセリフを1時間程度続けるのだ。

 

私は誰に教わることもなく、先輩社員が入れるあおりマイクのセリフを耳で聞いてメモに取り、

 

原稿を書きだして暗記してあおりマイクが出来るようになった。

 

これにより店内を活気づかせ、お客様は大興奮。誰も帰らずに打ち続ける。たちまち店内は満席。

 

そう思い込んでいた。

 

あおりマイクが一番上手かったのがO班長だ。トムクルーズを思わすダンディな風貌、低くてかつ甘いボイス。

 

そのO班長が颯爽とあおりマイクを入れ終えた時に事件がおきた。

 

私達は勤務中に飲んでいるジュースを飲みかけのまま店内隅の洗面台付近に置いている。

 

その置きっぱなしのジュース中から、O班長のジュースが勝手に飲まれたのだ。

 

目撃した社員の証言によると、小汚い風貌をした老婆が店に入ってくるなりO班長のジュースをいきなり飲んだというのだ。

 

激怒するO班長。

 

私達社員はめちゃくちゃ笑った。

 

どうでもよい話だった・・・。

 

 

そんな自由極まりない日々を続けていたが、大きな事件も色々と起きていく。

 

ある日突然、店長が消えた。ポルシェに乗った伊達男の店長だ。

 

2.上京パチンコ編(7)

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立川の新聞専売所から夜逃げして相模原の新聞専売所にたどり着き、パチスロを存分に楽しむ毎日を過ごせた訳だが、

 

これも全て尊敬する先輩立花さんのおかげだった。実は立花さんは立川の新聞専売所での番頭(主任)であった。

 

逃げ出した私を心配して、ちょうど異動が決まっていた相模原の専売所で一緒にやらないかと誘ってくれたのだ。

 

この立花さんはスーパーマンであり、特に拡張の名人である。

 

拡張とは新聞販売部数を拡張するという意味だと思うが、

 

洗剤やビール券、時には野球のチケットなどをエサに、新しく購読してくれる家庭を開拓することだ。

 

契約の報酬は外注で依頼する拡張員より、専売所社員の方が安くなるのだが、

 

新規契約で1ヶ月あたり400円か600円、つまり半年契約だと2400円か3600円だったかな。

 

いやもっと高かったかも。

 

ちなみに契約更新だと1ヶ月あたり100円か200円で、半年継続は600円か1200円だった。

 

継続契約なら何か問題がない限り誰でもとれる。

 

しかし新規となったらA新聞の読者を強引にB新聞に変えてもらう訳だから難易度が高い。

 

立花さんは得意のトークで新規契約をバンバン獲得する。

 

金が必要になったら拡張してたちまち金を稼いでしまうのだ。

 

立川市で一緒だった集金の金使い込み社員の面々とは格が違う。

 

さらに基本の業務をしっかりこなし、頭が良くて男前、恰幅も良くて面倒見もばっちり。

 

そんな立花さんに仲良くしてもらい、この人と一緒に居れば間違いないという感覚だった。

 

遊びにもよく連れて行ってもらい、印象に強く残っている風景は立花さんのコロナのターボ車に乗せられて遠出中に

 

あそこに新しい遊園地ができると教わり、設立オープン前のサンリオピューロランドの塔を眺めていたシーンだ。

 

また私は立川にいる時に普通免許を取得していたので初めてのマイカーを手に入れた。

 

いすずジェミニ中古 車体価格9万円だ。

 

若葉マークの私はジェミニの側面を納車後速攻でどこかにぶつけた。

 

凹みは気にせずしばらく使っていたが助手席側の扉が腐っており、ある扉がゴトンと勝手に落ちた。

 

9万円の車じゃダメだ。

 

その後、20万円くらいのプレリュード(ホンダ)中古を購入した。

 

 

それから約1年がすぎた頃、相模原の新聞専売所のオーナーと折り合いが悪くなり、

 

こんな所辞めてやる!となって今度は大和市の新聞専売所に立花さんと共に移動した。

 

これで3つめの新聞専売所だ。

 

スーパーマンの立花さんと経験2年の私は瞬時に仕事に慣れた。

 

 

ある日の朝刊配達を終えた頃、従業員が集う新聞専売所では衝撃が走った。

 

-宮沢りえヌード写真集発売-

 

今をときめくトップアイドルがまさかヌードになるなんて!

 

そんな大ニュースが新聞一面に広告されていたのだ。

 

もちろん大喜びで買った。

 

販売実績世界NO.1となったこの写真集の事件は同じ時代に生きた人たちの脳内にしっかりと記憶されていることだろう。

 

パチンコの話はというと、この大和市でも当然打った。遊んだはずだが何を打ったのか記憶がない(汗)

 

そうだ!思い出した。

 

鶴間駅横のホールスタッフがアフリカ系に思える外人さんで、マイクパフォーマンスをやるのだが発音が滅茶苦茶で何言っているのか分からない。

 

腹を抱えて笑っていたというどうでも良い話だ。

 

その他記憶に残っているのは、

 

あまりにもうるさい戦闘機の爆音、

 

朝刊を配り終えた夜明けの爽快な空の下、誰も走っていない涼しくて快適な道をカブで駆け抜ける快感、

 

そしてとある同僚が販売系のアム○ェイに感化されてしまい、

 

突然「君たちの夢って何?」と語り始め、その話の結論が「やっぱりお金だよね?」と

 

我々に強引な勧誘をしてきて、あいつはおかしくなってしまったと嘆いたことくらいだ。

 

 

大和市の職場は半年くらいで辞めることになる。

 

給与は良かったが新聞配達の業務の過酷さに疲れていたのだと思う。

 

新しい仕事に就く為、神奈川県のさらに奥、厚木エリアへと愛車プレリュードを走らせた。

 

いよいよパチンコホールでの勤務が始まる。また勝つ為のパチンコも始めることになる。

 

この時1991年、私は20歳だったと思う。

2.上京パチンコ編(6)

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https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396112976.html

 

夜逃げのような行為を職場では「とんこ」といった。

 

立川市の新聞専売所からとんこした私は数週間各所に放浪した後、神奈川県相模原市は共和(最寄駅:淵野辺駅)の新聞専売所で働くことになる。1990年、19歳のことだ。

 

 

そしてこの地で初めてパチスロを打つことになる。ホールは共和に一番近い16号沿いの交差点にある店。

 

初めて触ったのが2号機であるセンチュリー21(ユニバーサル)だ。

参考youtube

https://www.youtube.com/watch?v=nGPD5njcbtM

 

1回交換だった。REGの場合どうすればいいのか分からずおどおどした。多分BIGのみ交換だったと思う。

 

交換率は等価ではなく7枚交換(5枚100円でメダルを借りて、交換時は7枚で100円)

 

この営業方法により設定上げて大当りを多発させて遊べるように出来るというものだ。

 

逆に低い設定で営業した場合、店側はボロ儲けという恐ろしい仕組みである。

 

センチュリー21は単なるノーマルタイプ。

 

打っているおじさん達の多くは、毎ゲーム執拗にボーナス図柄を左中と揃えてテンパイ音を響かせている。

 

ブッタカタカタカタカと。これが通称ブッタカおじさんである。

 

パチスロは目押しが必要と知って、ボーナス図柄を見ようとするが見えない。

 

少し上から盤面を覗き込むとリールの切れ目(つなぎ目)が0.8秒周期でカクンカクンとしているのでそれを目安にして

 

かろうじて目押しが出来るようになった。未成年ながら私もブッタカおじさんの仲間入りだ。

 

毎ゲーム7を狙うだけの単調な遊び。

 

だがグラマラスな形状で鮮やかな朱色の7図柄は見惚れるほどで、ボーナス揃いのファンファーレは快感だった。

 

 

この時、チューニングされたいわゆる裏モノが存在した。

 

とあるユニバーサルの偉い方の名前の由来にもなっているリスキーダック。

 

100連荘したという噂も聞いたが、訳が分からな過ぎて手を出せず、私は普通にスーパーバニーガール(オリンピア)を打っていた。

参考youtube

https://www.youtube.com/watch?v=ECm7FAKdQcA

 

この頃のパチスロはそもそも目押しが難しい。

 

今は主要な7図柄、BAR図柄が押しやすいよう大きく、狙いやすく設計されていると思う。

 

昔のは目押しの配慮なんてものは存在しないかのごときレベルで、同一リールに7図柄がいくつもあったり図柄のサイズも小さかった。

 

そんな中、スーパーバニーガールのBIG図柄である黒SUPERは比較的押し易かった。

 

スーパーバニーガールもノーマル機の感覚の台ではあるが、フルーツの集中が搭載されていた。

 

フルーツの集中とは、ほぼ連続で5回、もしくは60回小役が揃うものである。

 

打っていて小役が2回、3回と連続すると期待してしまうのである。

 

もしかしてアレなのか!?

 

すると4回!5回!とカウントし、後は神に祈るだけ。6回、7回、8回!と続けば万々歳。60回集中獲得である。

 

第3のボーナスのようなものである。

 

このスーパーバニーガールを何度も打つ内にようやくリールの切れ目を見ないで目押しができるようになってきた。

 

遊び方は相変わらずで、ちょいちょいとボーナス図柄を狙い、疲れたら適当打ちするだけだった。

 

この機種が好きすぎて白いフルフェイスのヘルメットを購入し、バニーREG図柄仕様ヘルメットを自作した程だ。

 

そんなある時に思った。

 

ん?おかしいぞ、俺ボーナス当る前が分かる。

 

当る前はなんとなくリールの停止した雰囲気を感じられた。

 

職場の同僚にもドヤ顔で、俺スーパーバニーの当る前がなんとなく分かるんだと話をした。

 

何てことはない。それはズレ目というスーパーバニーガール特有のリーチ目で、

 

通常時は左中停止で何かしらの図柄がテンパイするのだが、大当りフラグが立った後はその法則が崩れるだけだった。

 

それを後々知ることになった。

 

まだまだリーチ目の存在すら知らなかった、よちよち歩きのスロッターだったのである。