2.上京パチンコ編(6) | ライターじゃない、アイドルだ

2.上京パチンコ編(6)

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https://ameblo.jp/tencyou7777/entry-12396112976.html

 

夜逃げのような行為を職場では「とんこ」といった。

 

立川市の新聞専売所からとんこした私は数週間各所に放浪した後、神奈川県相模原市は共和(最寄駅:淵野辺駅)の新聞専売所で働くことになる。1990年、19歳のことだ。

 

 

そしてこの地で初めてパチスロを打つことになる。ホールは共和に一番近い16号沿いの交差点にある店。

 

初めて触ったのが2号機であるセンチュリー21(ユニバーサル)だ。

参考youtube

https://www.youtube.com/watch?v=nGPD5njcbtM

 

1回交換だった。REGの場合どうすればいいのか分からずおどおどした。多分BIGのみ交換だったと思う。

 

交換率は等価ではなく7枚交換(5枚100円でメダルを借りて、交換時は7枚で100円)

 

この営業方法により設定上げて大当りを多発させて遊べるように出来るというものだ。

 

逆に低い設定で営業した場合、店側はボロ儲けという恐ろしい仕組みである。

 

センチュリー21は単なるノーマルタイプ。

 

打っているおじさん達の多くは、毎ゲーム執拗にボーナス図柄を左中と揃えてテンパイ音を響かせている。

 

ブッタカタカタカタカと。これが通称ブッタカおじさんである。

 

パチスロは目押しが必要と知って、ボーナス図柄を見ようとするが見えない。

 

少し上から盤面を覗き込むとリールの切れ目(つなぎ目)が0.8秒周期でカクンカクンとしているのでそれを目安にして

 

かろうじて目押しが出来るようになった。未成年ながら私もブッタカおじさんの仲間入りだ。

 

毎ゲーム7を狙うだけの単調な遊び。

 

だがグラマラスな形状で鮮やかな朱色の7図柄は見惚れるほどで、ボーナス揃いのファンファーレは快感だった。

 

 

この時、チューニングされたいわゆる裏モノが存在した。

 

とあるユニバーサルの偉い方の名前の由来にもなっているリスキーダック。

 

100連荘したという噂も聞いたが、訳が分からな過ぎて手を出せず、私は普通にスーパーバニーガール(オリンピア)を打っていた。

参考youtube

https://www.youtube.com/watch?v=ECm7FAKdQcA

 

この頃のパチスロはそもそも目押しが難しい。

 

今は主要な7図柄、BAR図柄が押しやすいよう大きく、狙いやすく設計されていると思う。

 

昔のは目押しの配慮なんてものは存在しないかのごときレベルで、同一リールに7図柄がいくつもあったり図柄のサイズも小さかった。

 

そんな中、スーパーバニーガールのBIG図柄である黒SUPERは比較的押し易かった。

 

スーパーバニーガールもノーマル機の感覚の台ではあるが、フルーツの集中が搭載されていた。

 

フルーツの集中とは、ほぼ連続で5回、もしくは60回小役が揃うものである。

 

打っていて小役が2回、3回と連続すると期待してしまうのである。

 

もしかしてアレなのか!?

 

すると4回!5回!とカウントし、後は神に祈るだけ。6回、7回、8回!と続けば万々歳。60回集中獲得である。

 

第3のボーナスのようなものである。

 

このスーパーバニーガールを何度も打つ内にようやくリールの切れ目を見ないで目押しができるようになってきた。

 

遊び方は相変わらずで、ちょいちょいとボーナス図柄を狙い、疲れたら適当打ちするだけだった。

 

この機種が好きすぎて白いフルフェイスのヘルメットを購入し、バニーREG図柄仕様ヘルメットを自作した程だ。

 

そんなある時に思った。

 

ん?おかしいぞ、俺ボーナス当る前が分かる。

 

当る前はなんとなくリールの停止した雰囲気を感じられた。

 

職場の同僚にもドヤ顔で、俺スーパーバニーの当る前がなんとなく分かるんだと話をした。

 

何てことはない。それはズレ目というスーパーバニーガール特有のリーチ目で、

 

通常時は左中停止で何かしらの図柄がテンパイするのだが、大当りフラグが立った後はその法則が崩れるだけだった。

 

それを後々知ることになった。

 

まだまだリーチ目の存在すら知らなかった、よちよち歩きのスロッターだったのである。