まっすぐな一本道があります。気持ちがいいほどまっすぐに見えなくなるくらいまっすぐにのびています。この道をいけば絶対大丈夫、そう思わせるほどの安心感のある道です。まわりの景色があるのかないのかわかりません。おそらくあるのでしょう。それも素晴らしい景色が。だって、こんなにも気持ちのいい道を取り囲んでいるのですから。
どんどん進んでいきます。疲れなんか全く感じません。そんな道のド真ん中に大きな木が立っていました。ものすごく大きな木です。葉は青々と茂っており、時おり風が吹いて葉を揺らします。根もどっしりと張っています。その根がこの気持ちいい道を遮っています。わずかに右の片隅に地面と根との隙間があり、そこをかいくぐれば先に進めそうです。そして地面と根の隙間を通り抜ける為に馬のように四つん這いになります。まだ通れません。今度はうつ伏せになり這って進んでみます。これなら通り抜けられそうです。地面と根の間を進みますがなかなか木の向こう側、道の続きにでません。それほど大きな木なのです。うつ伏せで進み、時に仰向きで進み、体は泥だらけになってしまいました。「ようやく出口だ!」ようやくのことで道の向こう側に着きました。最後は体をおもいっきりひねって仰向けの格好で通り抜けました。
見たことのない景色が広がっていました。気持ちのいい青空でした。しばらくそのままの姿勢でこの青空をかみしめました。お腹がいっぱいになったところで「よし!」。道を進みます。それは今までの道ではありませんでした。気持ちのいい一本道の脇には草木が生え、バッタが跳ね、トンボが飛んでいます。キツネやリスも走り回っています。さっき見てお腹いっぱいになった青空がまだまだ食べきれないくらい広がっています。安心感を増しちょっとスピードを緩めて歩いていくことにしました。
読書を通じての最初の感動はよく覚えている。小学生の4年生の時に経験した感動である。今思えば小学生もいろいろと忙しかった。毎朝早くに起きて学校へ行く。一日中授業を受けて下校する。下校途中に田んぼでバク転の練習をしたり、大きく寄り道をして山道を帰ったり、田んぼの畦道を通って近道をしたり、学校から家まで走って帰ったり。家に帰ってからは制服を着替え近くの公園へサッカーか野球をしに行く。日が暮れたら家に帰り、ご飯を食べ、毎日ある宿題をする。そして次の日また同じように早起きして学校へ・・・。
そんな多忙な?毎日の中で、遊びにも行かず一気に読んだ本がある。それが『2分間の冒険』という児童小説である。普通に学校で男の子が黒猫の「ダレカ」に冒険の世界へと導かれる。そこから物語は展開し、その世界から元の世界へ戻るには森に住んでいる怪物を倒し、『この世界で一番確かなものは何か?』という謎を解かなければならない。そのスリリングな展開にものす ごく興奮した。読書を通じた初めての感動であった。本が「やっぱり」好きだというのを決定づけた一冊であり、原点である。
本屋に行き、いつもは行かない「児童書』のコーナーへ入ってみた。絵本があり、児童小説があり・・・。忘れていたような感情が思い出された。
そんな多忙な?毎日の中で、遊びにも行かず一気に読んだ本がある。それが『2分間の冒険』という児童小説である。普通に学校で男の子が黒猫の「ダレカ」に冒険の世界へと導かれる。そこから物語は展開し、その世界から元の世界へ戻るには森に住んでいる怪物を倒し、『この世界で一番確かなものは何か?』という謎を解かなければならない。そのスリリングな展開にものす ごく興奮した。読書を通じた初めての感動であった。本が「やっぱり」好きだというのを決定づけた一冊であり、原点である。
本屋に行き、いつもは行かない「児童書』のコーナーへ入ってみた。絵本があり、児童小説があり・・・。忘れていたような感情が思い出された。
阪神タイガースが2年ぶりにリーグ制覇を成し遂げた。2003年の優勝が18年ぶりの優勝であり、1985年の優勝が21年ぶりだったことを考えると奇跡的な早さでペナントを奪還している。新聞やテレビには『常勝』の文字もチラつきだした。
かつて読売巨人軍は日本一を9年連続で勝ち取るという偉業を成し遂げ、『常勝軍団』と呼ばれていた。今でも豊富な資金力で戦力をかき集め、優勝することが条件つけられた球団としてある。しかし今シーズンを見る限り『常勝軍団』という名は見る影もない。
野村克也監督時代のヤクルトスワローズもキャッチャー古田を中心に若手とベテランのバランスの取れたよいチームでとても強かった。黄金時代と言ってもよいだろう。
阪神タイガースもあと5年間くらいは強いチームとして優勝も狙えるチームとしてあるだろう。しかし、ずっとこの状態が続くとは思えないし、『常勝軍団』になってほしくないという裏腹な願いもある。勝てば気持ちいいし、うれしい。しかしチームとして組織としてとても『硬直した状態』になってしまうような気がするのである。
平家物語の一節、『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ』
世の中の事柄すべてを表している。誕生し、成長し、栄え、衰え、老い、そして滅びていく。そして再生し新たなサイクルに入る。新たなサイクルではどこか成長し螺旋のように一段高いサイクルを回る。このサイクルのどこかで留まってしまえば、それは『不自然』な状態と言えるのではないだろうか。『不自然』な状態に生命力はない。サイクルの生き様、潔さ、そして劇的な再生こそがドラマを生み、魅力を生みだすのである。
阪神タイガースがある限り、甲子園に六甲おろしが鳴り響く。そんな魅力的なチームであってほしいと僕は願う。
かつて読売巨人軍は日本一を9年連続で勝ち取るという偉業を成し遂げ、『常勝軍団』と呼ばれていた。今でも豊富な資金力で戦力をかき集め、優勝することが条件つけられた球団としてある。しかし今シーズンを見る限り『常勝軍団』という名は見る影もない。
野村克也監督時代のヤクルトスワローズもキャッチャー古田を中心に若手とベテランのバランスの取れたよいチームでとても強かった。黄金時代と言ってもよいだろう。
阪神タイガースもあと5年間くらいは強いチームとして優勝も狙えるチームとしてあるだろう。しかし、ずっとこの状態が続くとは思えないし、『常勝軍団』になってほしくないという裏腹な願いもある。勝てば気持ちいいし、うれしい。しかしチームとして組織としてとても『硬直した状態』になってしまうような気がするのである。
平家物語の一節、『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ』
世の中の事柄すべてを表している。誕生し、成長し、栄え、衰え、老い、そして滅びていく。そして再生し新たなサイクルに入る。新たなサイクルではどこか成長し螺旋のように一段高いサイクルを回る。このサイクルのどこかで留まってしまえば、それは『不自然』な状態と言えるのではないだろうか。『不自然』な状態に生命力はない。サイクルの生き様、潔さ、そして劇的な再生こそがドラマを生み、魅力を生みだすのである。
阪神タイガースがある限り、甲子園に六甲おろしが鳴り響く。そんな魅力的なチームであってほしいと僕は願う。
携帯電話の毎月の支払いがバカにならない。電話で相手と通話するにしても常に通話料を気にしながら話したり、メールで済ませたりしている。
WILLCOMが通話料無料、E-mail使い放題の定額プランを設定してる。これは一ヶ月に2,900円を払えばWILLCOM同士の通話料はタダである。それにどこにE-mailを送信しようが、受信しようが使い放題というもので、ものすごく魅力的に見える。ネットでいろいろと調べてみてもすこぶる評判が良い。もっともっと皆がWILLCOMにすればお互いにとって有益なことなんじゃないかなと思う。PHSなのだがこれへの乗り換えを検討している。
しかし、一つとても大事なことがネックになっているのである。僕が今使っている携帯電話の端末はauの『infobar』である。この携帯電話をものすごく気に入って使っているのである。確かに操作に関しては使いにくい部分もある。しかしそんなことが気にならないくらい愛着をもっている。むしろその使いにくさがよりその愛着を増している。無機質な『機械』に対して極端に言えば何か『生命』のようなものを感じている。それを金額が安いからとすぐに手放すことに抵抗があるのだ。
世の中膨大な量の『消耗品』がある。本当に『消耗品』なのだろうか?大事に使えばずっとそばに置いておきたい物もあるのではないだろうか?生産する段階から『消耗品』になるべくして作られているのであるならば、なかなか『ずっとそばに置いておきたい物』にするのは難しい。
このように書いている僕という『人間』にも考えが及ぶ。僕ら人間は当然『消耗品』として生まれてきたわけじゃない。生まれてくるということがどんなに奇跡的なことか。しかし人を「使える」「使えない」で判断したり、何か『全体の歯車』としての有用性だけで人を見る雰囲気を感じる。僕ら『人間』誰もが『消耗品』ではない。日々を大切に生きればきっと人生の晩年に何とも言えないその人の『味』が出てくるのではないだろうか。1977年物のヴィンテージをどう育てようか。
WILLCOMが通話料無料、E-mail使い放題の定額プランを設定してる。これは一ヶ月に2,900円を払えばWILLCOM同士の通話料はタダである。それにどこにE-mailを送信しようが、受信しようが使い放題というもので、ものすごく魅力的に見える。ネットでいろいろと調べてみてもすこぶる評判が良い。もっともっと皆がWILLCOMにすればお互いにとって有益なことなんじゃないかなと思う。PHSなのだがこれへの乗り換えを検討している。
しかし、一つとても大事なことがネックになっているのである。僕が今使っている携帯電話の端末はauの『infobar』である。この携帯電話をものすごく気に入って使っているのである。確かに操作に関しては使いにくい部分もある。しかしそんなことが気にならないくらい愛着をもっている。むしろその使いにくさがよりその愛着を増している。無機質な『機械』に対して極端に言えば何か『生命』のようなものを感じている。それを金額が安いからとすぐに手放すことに抵抗があるのだ。
世の中膨大な量の『消耗品』がある。本当に『消耗品』なのだろうか?大事に使えばずっとそばに置いておきたい物もあるのではないだろうか?生産する段階から『消耗品』になるべくして作られているのであるならば、なかなか『ずっとそばに置いておきたい物』にするのは難しい。
このように書いている僕という『人間』にも考えが及ぶ。僕ら人間は当然『消耗品』として生まれてきたわけじゃない。生まれてくるということがどんなに奇跡的なことか。しかし人を「使える」「使えない」で判断したり、何か『全体の歯車』としての有用性だけで人を見る雰囲気を感じる。僕ら『人間』誰もが『消耗品』ではない。日々を大切に生きればきっと人生の晩年に何とも言えないその人の『味』が出てくるのではないだろうか。1977年物のヴィンテージをどう育てようか。
2004年の1月、富良野の友達のところに一ヶ月お世話になった。友達の実家で、長居しすぎたかもしれないが、相変わらず遠慮ができない性格ということでお許しを。とても楽しく過ごさせていただいた。
毎晩、ご家族のお父さん、お母さんと夕食を一緒に頂きながらいろいろな話をした。お酒の力もあり話は弾み、家の外のマイナス17度が嘘のように熱気に溢れたあたたかい食卓だった。お母さんはとても明るい方で場の雰囲気を一言で変えることができる人。お父さんはもの静かで山のような人。そのお父さんはもともと富良野の人ではない。岩手県出身で皆が東京へ出ていく中、富良野へやってきた。そしてずっと山を観て、木を観て、そして自然の中で仕事をしてきた。まだテレビドラマの『北の国から』など放送されていない時からである。
宴会の席でお父さんが言った一言『富良野は人と自然が接する所、それがとてもよくわかる場所だよ』。富良野滞在中、頭から離れなかった。。友達に車で富良野周辺のいろいろな所に連れて行ってもらった。富良野から上富良野を抜け美瑛へ大雪山を観ながらドライブ。雪道を運転する友達の気苦労をよそに、僕の頭の中は『人と自然が接する所』というフレーズがグルグル回っていた。
結局、滞在中に答えは見つからず帰ってきた。そうだろう、何十年もそこの自然を観てきた人の言葉である。真剣に自然と対峙し、人間と対峙し、そこで観えた『風景』はきっと『自然と人間が接する』すばらしいものなのだろう。言葉の奥にもっともっと深い感情があるように思う。考えて理解する範囲ではなく、感じて考えるという領域なのではないかと思う。溶け合って一つになるのではなく、人と自然がストンとキチンと向き合って対峙できる場所という印象は受けた。また富良野という場所でしっかりと向き合ってみたい。
今、ようやく自分の考えたことを文章に表している。『自分の考えを発信しなきゃダメだよ』富良野のお父さんの言葉がビールの味とともに甦る。
毎晩、ご家族のお父さん、お母さんと夕食を一緒に頂きながらいろいろな話をした。お酒の力もあり話は弾み、家の外のマイナス17度が嘘のように熱気に溢れたあたたかい食卓だった。お母さんはとても明るい方で場の雰囲気を一言で変えることができる人。お父さんはもの静かで山のような人。そのお父さんはもともと富良野の人ではない。岩手県出身で皆が東京へ出ていく中、富良野へやってきた。そしてずっと山を観て、木を観て、そして自然の中で仕事をしてきた。まだテレビドラマの『北の国から』など放送されていない時からである。
宴会の席でお父さんが言った一言『富良野は人と自然が接する所、それがとてもよくわかる場所だよ』。富良野滞在中、頭から離れなかった。。友達に車で富良野周辺のいろいろな所に連れて行ってもらった。富良野から上富良野を抜け美瑛へ大雪山を観ながらドライブ。雪道を運転する友達の気苦労をよそに、僕の頭の中は『人と自然が接する所』というフレーズがグルグル回っていた。
結局、滞在中に答えは見つからず帰ってきた。そうだろう、何十年もそこの自然を観てきた人の言葉である。真剣に自然と対峙し、人間と対峙し、そこで観えた『風景』はきっと『自然と人間が接する』すばらしいものなのだろう。言葉の奥にもっともっと深い感情があるように思う。考えて理解する範囲ではなく、感じて考えるという領域なのではないかと思う。溶け合って一つになるのではなく、人と自然がストンとキチンと向き合って対峙できる場所という印象は受けた。また富良野という場所でしっかりと向き合ってみたい。
今、ようやく自分の考えたことを文章に表している。『自分の考えを発信しなきゃダメだよ』富良野のお父さんの言葉がビールの味とともに甦る。
大野和史指揮、ベルギー王立歌劇場管弦楽団のコンサートに行ってきた。演目はモーツァルト「歌劇『魔笛』K.620より序曲・ラヴェル「ラ・ヴァルス」・マーラー「交響曲第5番嬰ハ短調」であった。僕は見たことも聴いたこともない曲ばかりだ。それではコンサートを楽しめないと思い図書館でCDを借り予習をした。しかし当然覚えられるわけはなく当日初めて聴く曲のようにして聴いた。
コンサートが終わりとても興奮している。僕はステージを凝視していたのだが、演奏者一人ひとりの動きを観ているわけではなく、『音を観ていた』ような感覚だった。いろいろな音が在った。
倉敷の大原美術館で展示されている作品の中で僕の好きな作品がある。セガンティーニの『アルプスの真昼』という作品だ。僕はこの作品の『空気』が好きだ。『空気』が描かれているわけではないが、確かにそれを感じさせるのである。『観える』と言ってもいいと思う。
直島の地中美術館での体験と も重なる。『ウォルター・デ・マリア』の部屋で感じた『静寂』が部屋に満ちていてその静寂を『観る』ことができるという体験。
音楽・絵画・建築のそれぞれの分野で共通する体験をした。実際目に見えるものだけじゃなく、目に見えないものを『観て』、そしてどれもとても心が安らぐ体験である。この体験は今後『芸術』というものを考えていく際に大切なものになっていくだろう。
ひとまず今日はコンサートの余韻に浸りながら心地よく眠りにつけそうである。
コンサートが終わりとても興奮している。僕はステージを凝視していたのだが、演奏者一人ひとりの動きを観ているわけではなく、『音を観ていた』ような感覚だった。いろいろな音が在った。
倉敷の大原美術館で展示されている作品の中で僕の好きな作品がある。セガンティーニの『アルプスの真昼』という作品だ。僕はこの作品の『空気』が好きだ。『空気』が描かれているわけではないが、確かにそれを感じさせるのである。『観える』と言ってもいいと思う。
直島の地中美術館での体験と も重なる。『ウォルター・デ・マリア』の部屋で感じた『静寂』が部屋に満ちていてその静寂を『観る』ことができるという体験。
音楽・絵画・建築のそれぞれの分野で共通する体験をした。実際目に見えるものだけじゃなく、目に見えないものを『観て』、そしてどれもとても心が安らぐ体験である。この体験は今後『芸術』というものを考えていく際に大切なものになっていくだろう。
ひとまず今日はコンサートの余韻に浸りながら心地よく眠りにつけそうである。
昨日まで一緒に実習をしていた子は鹿児島出身の子であった。実習の反省会で彼は言っていた。「自分は大学卒業したら、実家の鹿児島に帰ろうと思います。やはり自分が生まれ育ってきたところの『言葉』って重要だと思うんです。人とある程度まで親しくなったら、やっぱり方言でコミュニケーションを取った方が自分の本心を投げかけている感じがするんです。今この施設では『岡山弁』が飛び交っています。僕が『鹿児島弁』で接しても相手に取って違和感があるし、無理に『岡山弁』で接しても自分の上っ面でしゃべっているような感覚になっていい影響を互いに及ぼさないんじゃないかって」。
僕も大学の時、同じことを感じていた。静岡の大学に進学したのだが、周りは皆『標準語』をしゃべっていた。子どもの頃からバリバリの『岡山弁』でしゃべってきて、いきなり『標準語』で喋るということは僕にとってはものすごく困難なことだった。『標準語』で喋りたくても岡山訛りの標準語になってしまい、とても恥ずかしかった。とても無口になった時期だった。『標準語』に対しても「気持ちの伴わない薄っぺらい言葉」としか捉えていなかった。
大学以降、岡山を離れて生活することが多くなり、しだいに『標準語』にも慣れてきた。そして自分でも喋れるようになってきた。そこには「気持ちの伴わない薄っぺらい言葉」ではなく、しっかりと「自分の言葉として定着した言葉」としてあった。
昨日、大学生の彼の話を聞いて、僕の中で『方言』に対する整理がついた。『方言』って一種の外国語なんだ。僕は『岡山弁』と『標準語』を喋ることができる。どちらも『自分の気持ちをのせて』喋ることができる。でも『標準語』を修得する前は、その言葉で自分の気持ちはのらず、上っ面の言葉であった。
僕にとって今の『上っ面の言葉』はスペイン語である。この言語を『気持ちをのせて喋る』ことができるようになれば、さらに世界が広がり世界中3億5千万人に達すると言われるスペイン語を話す人たちと『気持ちののった』言葉のやりとりができるようになる。その可能性にワクワクする。
僕も大学の時、同じことを感じていた。静岡の大学に進学したのだが、周りは皆『標準語』をしゃべっていた。子どもの頃からバリバリの『岡山弁』でしゃべってきて、いきなり『標準語』で喋るということは僕にとってはものすごく困難なことだった。『標準語』で喋りたくても岡山訛りの標準語になってしまい、とても恥ずかしかった。とても無口になった時期だった。『標準語』に対しても「気持ちの伴わない薄っぺらい言葉」としか捉えていなかった。
大学以降、岡山を離れて生活することが多くなり、しだいに『標準語』にも慣れてきた。そして自分でも喋れるようになってきた。そこには「気持ちの伴わない薄っぺらい言葉」ではなく、しっかりと「自分の言葉として定着した言葉」としてあった。
昨日、大学生の彼の話を聞いて、僕の中で『方言』に対する整理がついた。『方言』って一種の外国語なんだ。僕は『岡山弁』と『標準語』を喋ることができる。どちらも『自分の気持ちをのせて』喋ることができる。でも『標準語』を修得する前は、その言葉で自分の気持ちはのらず、上っ面の言葉であった。
僕にとって今の『上っ面の言葉』はスペイン語である。この言語を『気持ちをのせて喋る』ことができるようになれば、さらに世界が広がり世界中3億5千万人に達すると言われるスペイン語を話す人たちと『気持ちののった』言葉のやりとりができるようになる。その可能性にワクワクする。
今日で介護等体験の実習が終わった。知的障害者の方が通所する施設に5日間という短い間だか実習させていただいた。その施設は比較的障害の重い方が通われており、コミュニケーションを取ることがなかなか困難な人もいた。突然発作を起こしチアノーゼを起こす方もいた。逆に普通にコミュニケーションを取れる方もいて様々な人に出会うことができ、貴重な体験をさせていただいた。
実習前と後で一番の変化は障害者の方の『性格』があるということに気付いた、と言う点である。あって当然である。しかし今まで接したこともなく僕の想像力不足なのだが実感がなかった。いろいろな性格の人がいた。優しい人、プライドが高い人、笑い上戸な人、すぐふてくされる人、怒られるとすぐ泣きまねをする人、すぐ席を立ってうろうろする人、朝来た途端に家に帰りたい人、素直な人、照れ屋さん・・・。
この施設にはとてもあたたかい空気が流れていた。ある職員の人が言っていた言葉が印象的だった。「ここの施設の雰囲気は職員が作っているものではないんです。利用者の方のやさしい雰囲気に職員のペースも巻き込まれ、このような空気になっているんです」
人が互いに影響を与え合って、場の雰囲気を作っていく。実習としてとてもよい場を体験できたと思う。今後この体験で感じたことをもっと深めて考え、熟成させていきたい。
実習前と後で一番の変化は障害者の方の『性格』があるということに気付いた、と言う点である。あって当然である。しかし今まで接したこともなく僕の想像力不足なのだが実感がなかった。いろいろな性格の人がいた。優しい人、プライドが高い人、笑い上戸な人、すぐふてくされる人、怒られるとすぐ泣きまねをする人、すぐ席を立ってうろうろする人、朝来た途端に家に帰りたい人、素直な人、照れ屋さん・・・。
この施設にはとてもあたたかい空気が流れていた。ある職員の人が言っていた言葉が印象的だった。「ここの施設の雰囲気は職員が作っているものではないんです。利用者の方のやさしい雰囲気に職員のペースも巻き込まれ、このような空気になっているんです」
人が互いに影響を与え合って、場の雰囲気を作っていく。実習としてとてもよい場を体験できたと思う。今後この体験で感じたことをもっと深めて考え、熟成させていきたい。
1998年、第80回夏の甲子園。僕の母校が岡山代表として出場していたのである。第一回戦は南北海道代表の駒大岩見沢。5-4で接戦を制し二回戦へ駒を進める。次の対戦相手はあのPL学園。圧倒的PL学園有利という予想の中、粘った末、2-1でサヨナラ負け。僕は2試合とも部活をサボって甲子園のアルプスで応援していた。負けた途端、もう今年の夏は終わったという気がした。
しかし、違った。大会はこの後、驚異的な盛り上がりで、伝説となっていく。この大会の中心は『松坂大輔』であった。横浜高校は春のセンバツでも優勝しており、春夏の連覇がかかっていた。母校が負けた途端、あまり興味がなくなっていた甲子園を朝起きて、何の気なしにテレビをつけてみた。準々決勝第一試合で『横浜-PL学園』が映っていた。松坂も投げているし、自分の母校にも勝った高校なので、何となくつけておくことにした。壮絶な試合だった。テレビの前で鳥肌が何回立ったことか。涙を何回堪えたことか。もう震えっぱなしであった。こんな試合を今まで観たことがなかった。逆転すれば、追いつき、勝ち越し点を入れれば、また追いつく。延長17回表、横浜高校がようやくホームランで2点を取り、裏を松坂が抑えて勝った。後日この試合を取り上げたドキュメンタリーがNHKで放送されそれぞれのチームのこの試合に対する考え、戦術を知りさらに感動した。
次の試合、準決勝では横浜高校-明徳義塾の対戦だった。8回表まで明徳義塾が6点差で勝っていたのだが、横浜高校はそこから想像を絶する粘りで、8回裏に4点を返す。9回表からは前日のPLとの死闘を投げきり、レフトを守っていた松坂が右手のテーピングを引きちぎりマウンドへ。0点に抑える。そして9回裏、横浜は3点を取り奇跡の逆転サヨナラ勝ちで決勝戦へと進む。
松坂は決勝戦でノーヒットノーランを達成しこの大会を締めくくる。劇的な準々決勝・準決勝から大会を締めくくる為の決勝でのノーヒットノーラン。この大会は一生忘れられないしびれる大会であった。史上最高といってもいいのではないだろうか。
甲子園でこんな感動的な伝説の目撃者になれ、同時代に生きていることに幸せを感じる。
しかし、違った。大会はこの後、驚異的な盛り上がりで、伝説となっていく。この大会の中心は『松坂大輔』であった。横浜高校は春のセンバツでも優勝しており、春夏の連覇がかかっていた。母校が負けた途端、あまり興味がなくなっていた甲子園を朝起きて、何の気なしにテレビをつけてみた。準々決勝第一試合で『横浜-PL学園』が映っていた。松坂も投げているし、自分の母校にも勝った高校なので、何となくつけておくことにした。壮絶な試合だった。テレビの前で鳥肌が何回立ったことか。涙を何回堪えたことか。もう震えっぱなしであった。こんな試合を今まで観たことがなかった。逆転すれば、追いつき、勝ち越し点を入れれば、また追いつく。延長17回表、横浜高校がようやくホームランで2点を取り、裏を松坂が抑えて勝った。後日この試合を取り上げたドキュメンタリーがNHKで放送されそれぞれのチームのこの試合に対する考え、戦術を知りさらに感動した。
次の試合、準決勝では横浜高校-明徳義塾の対戦だった。8回表まで明徳義塾が6点差で勝っていたのだが、横浜高校はそこから想像を絶する粘りで、8回裏に4点を返す。9回表からは前日のPLとの死闘を投げきり、レフトを守っていた松坂が右手のテーピングを引きちぎりマウンドへ。0点に抑える。そして9回裏、横浜は3点を取り奇跡の逆転サヨナラ勝ちで決勝戦へと進む。
松坂は決勝戦でノーヒットノーランを達成しこの大会を締めくくる。劇的な準々決勝・準決勝から大会を締めくくる為の決勝でのノーヒットノーラン。この大会は一生忘れられないしびれる大会であった。史上最高といってもいいのではないだろうか。
甲子園でこんな感動的な伝説の目撃者になれ、同時代に生きていることに幸せを感じる。
柳澤桂子さんが般若心経を科学的現代訳で解釈した本である。ベストセラーにもなっている。周りの世界を我々は二元的に見ているとし、一元的な世界こそが宇宙の本当の姿であるとしている。つまり、我々は、自己と他者、自分と対象物という見方をするところに執着が生まれ、欲の原因になるというのである。
柳澤さんは科学者の目からこの一元的世界を解釈し『私たちは原子からできています。原子は動き回っている為に、この物質の世界が成り立っているのです。宇宙を原子のレベルで見てみましょう。私のいるところは少し原子の密度が高いかも知れません。あなたのいるところも高いでしょう。戸棚のところも原子が密に存在するでしょう。これが宇宙を一元的に見たときの景色です。あなたも私もありません。けれどもそれはそこに存在するのです。物も原子の濃淡でしかありませんから、それにとらわれることもありません」とこの世界を説明している。
僕も世界は一元的に存在すると考えている。すべてのものはつながっており、『それがそのように存在する』という非常にわかりにくい言葉でしか表現できないが、確かに世界が『ある』のである。そしてその世界を『科学』という色眼鏡で見るとこのように説明できるのだと理解できた。
しかし、柳澤さんは「科学の進歩のおかげで、物事の本質をお釈迦様より少しはよく教え込まれています」と述べている。しかし僕はそうは思わない。『世界』を説明する時、『科学』という色眼鏡はあらゆる物事、現象、事象を説明できてきた。「世界は科学的にすべて説明ができる」と。しかし、そこにある『世界』と科学で説明できる「世界」には埋まらない溝があることがわかってきた。科学では説明できないことが出てきたのである。人間の心の変化などは脳内のホルモン分泌の変化だけで説明できるだろうか?僕はできないと思う。そこに科学の力では埋まらない『世界』とのギャップがあるのである。
お釈迦様はその『世界』を『世界』そのままとして、感じ悟られたのではないだろうか?それこそが『宗教』と『科学』の決定的な違いであるように考える。この問題はまだ自分自身、解決できない。今後も継続して考えていこうと思う。
柳澤さんは科学者の目からこの一元的世界を解釈し『私たちは原子からできています。原子は動き回っている為に、この物質の世界が成り立っているのです。宇宙を原子のレベルで見てみましょう。私のいるところは少し原子の密度が高いかも知れません。あなたのいるところも高いでしょう。戸棚のところも原子が密に存在するでしょう。これが宇宙を一元的に見たときの景色です。あなたも私もありません。けれどもそれはそこに存在するのです。物も原子の濃淡でしかありませんから、それにとらわれることもありません」とこの世界を説明している。
僕も世界は一元的に存在すると考えている。すべてのものはつながっており、『それがそのように存在する』という非常にわかりにくい言葉でしか表現できないが、確かに世界が『ある』のである。そしてその世界を『科学』という色眼鏡で見るとこのように説明できるのだと理解できた。
しかし、柳澤さんは「科学の進歩のおかげで、物事の本質をお釈迦様より少しはよく教え込まれています」と述べている。しかし僕はそうは思わない。『世界』を説明する時、『科学』という色眼鏡はあらゆる物事、現象、事象を説明できてきた。「世界は科学的にすべて説明ができる」と。しかし、そこにある『世界』と科学で説明できる「世界」には埋まらない溝があることがわかってきた。科学では説明できないことが出てきたのである。人間の心の変化などは脳内のホルモン分泌の変化だけで説明できるだろうか?僕はできないと思う。そこに科学の力では埋まらない『世界』とのギャップがあるのである。
お釈迦様はその『世界』を『世界』そのままとして、感じ悟られたのではないだろうか?それこそが『宗教』と『科学』の決定的な違いであるように考える。この問題はまだ自分自身、解決できない。今後も継続して考えていこうと思う。