行く河の流れ -43ページ目

行く河の流れ

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

 時間が足りない。二通りの意味で解釈できる。一つ目は文字通り「忙しくて休む暇もない」という意味。二つ目は「やりたいことがいっぱいあって、限られた時間、人生の中では足りない」という意味。どちらかと言うと前者はマイナスの意味で捉えられ、後者はとてもポジティブな印象があったりする。どちらの時間の使い方が良い悪いではなくて、いかにその時間を有意義なものにするかということが問題になってくる。有意義とは自分にとってであったり、社会にとってであったりする。その二つは相互に絡み合い表裏一体なものであろう。
 自分の置かれた状況の中で、その状況にいかに反応するか。要は自分の心の持ち方次第で、世界が変わるのである。僕たちは目でモノを見ている。見たモノは脳に伝達され、そして認識する。しかし、その認識する際、見たモノを自分の中にある好み、経験、知識、常識のフィルターを通す。したがって、僕たちが見ているモノは見たいモノしか見ていないということになるのである。さらに言うなら、対象物である物は光の反射である。僕らは何を観ているのだろうか。
 時間の使い方は人それぞれである。出来ることなら多くの人が有意義と感じる時間を持つことによって世界が有意義であってほしい。時間を感じることは世界を認識することと同義であるように思う。どんどんスピードが速くなっていく社会。時間の考え方も「管理するもの」としてある。時間を管理することは果たしてできるのだろうか?自分では「管理」できるだろう。しかし他の物からの締め付けられる時間という物は「世界をこう認識しろ」と言われているようで生きていない心地がする。
 何の為に生きているのかな?
 生きていてなんか意味あるのかな?
 どうして生まれてきたのかな?
 なんで「僕」っていう意識があるのかな?
 僕にできることは何かな?
 そんな才能、僕にあるのかな?
 
-神様に一つだけ質問できるとしたら-
アインシュタイン「なぜ宇宙は作られたのか?この答えがわかれば私の人生の意味を知ることができるから」

僕の生まれてきた運命を考える。僕の使命は何か。僕の情熱と世の中の要求が合致することができた時、それが僕の仕事だ。
 サッカーの日本代表がウクライナと試合を行った。結果は1-0で負けてしまった。その1点の取られ方もPKであり、そのPKの判定も到底ファールではないプレーだった。しかしレフェリーがファールと言えばファールになってしまうのである。
 この試合は明らかにレフェリーはウクライナよりの判定をしていた。この様な判定は2002年の日韓共催ワールドカップでの韓国対イタリア、韓国対スペイン以来久々に見た。レフェリーは笛一つでゲームを調整しなければならない。決してゲームを「決定」付けてはならない。来年2006年ドイツでのワールドカップには各国ものすごい思い入れを持って参加してくる。選手を含め、ものすごい人たちが代表チームに関わり、支えて、その試合に賭けてくる。それをレフェリーが台無しにするようなジャッジはしてほしくない。一生懸命やったものがバカをみるようなことがあってはならない。
 試合後、ジーコ監督が猛烈にレフェリーに抗議していた。あの勝負に対する執念と執着はもの凄いものがあり、決して判定は覆らないとしても勝負に関わっている人間があるべき姿なのかなという感じがした。そんなジーコ監督に頼もしさを感じた。必死にやっている人間はカッコいい。
 一日中部屋の中にいると、どんどん体の体液の流れが悪くなっているように感じる。僕はかなりのインドア派である。外に出てやれキャンプだ、やれライブだ・・・やれやれ。そんなことはしたい人がすればいい。僕はどんなに言われようと部屋が好きなのだ。
 そんな僕でもやっぱり来る日も来る日も部屋の中にいることはできない。インドア派、部屋好きだからといって外に出てはいけない決まりはどこにもないのだ。
 秋という季節は本当に気持ちがいい。空は気持ちよく高くなり、雲が何かを表現したがっている。キンモクセイの香りが心地よく鼻につく。外に出ると一気に心がリセットされる。
 旅に出るということは、自分の気持ちを何かしら変えていく。旅に出るという行為自体もそうであるのだが、その行く先々で必ずと言っていいほど事件がおこる。事件といっても名探偵コナンのように殺人事件などではなく、日常生活にはなかった出来事がである。
 僕がこれまでに行った旅を思い出すとき、ものすごくいろいろなエピソードがそれぞれの旅に必ずあり懐かしくさせる。思い出すたびにもう一度あの場面に戻りたいという欲求が叶わぬことを知り、もう一度旅に出ることによってそれに出会いたいと思わせるのである。
 旅をやめられなくなる人はおそらくその懐かしさの環から抜け出ることができないのだろう。しかしインドア派の僕は、旅という「非日常」の空間により心を豊かにし、その思い出を「日常」を生きる力としていきたいと考える。人間が眠ることによって夢を見て、目覚めることによって現実に戻るように。
 クレーの絵に出会ったのは去年の年末のことである。『クレーの絵本』という本に谷川俊太郎が詩を添えている。一目見たときの吸引力がものすごかった。一気に絵の世界へと飛び込まざるを得なかった。クレーの絵は非常に抽象的である。四角や三角あるいは直線や曲線が無造作に並んでいる。全体をパッと見ると直感的に何を書いているのかがわかるのだが、細かく一つ一つの部分を見ていくと四角や三角あるいは直線や曲線なのだからわからなくなるのである。
 ただそれだけの記号的な意味しか持たないような作品には僕が一目見たときに感じたような吸引力はないだろう。クレーの絵にはその単純さ、抽象さの奥に壮大な『物語』が観えるのである。その物語は明るいものであったり、ほのぼのするものであったり、悲劇的なものであったり、劇的なものだったりする。クレーの絵が僕に対して働きかけているのか、あるいは勝手に僕が絵を解釈しているのかわからなくなるが、『物語』は絵の向こう側に確実にある。どの作品もとても観甲斐のあるものばかりで、飽きるということがない。
 そんな作品を描くクレーの世界観は存分にルドルフ・シュタイナーの影響を受けている。シュタイナーは教育思想としても有名だが、その根底にあるのは「人智学」という壮大な世界観である。世界を観るやさしい視点というものはクレーの作品からも感じられ、その色使いもため息がでるほど安心させられる。シュタイナーにも影響を与えたゲーテの色彩感覚がここにある。
 そのパウル・クレーの作品4,000点を一堂に展示する美術館がスイスのベルン郊外にオープンした。『パウル・クレー・センター』である。このセンターの設計はイタリア人の建築家であるレンゾ・ピアノが担当している。僕の行ってみたいリストの上位に加わった。
 夢に浮かぶ情景は突拍子もないものもあるが、そこにある人や物、周りの山や道路はちゃんと現実世界の物の形をしている。夢に登場する人間も頭があり、首があり、胴体があり腕が2本左右対称についている。その下には2本の足が付いていて直立二足歩行を行っている。物も車は4輪で走り現実の車のデザインと大差はない。道路は地面に作られ、山は大地がコンモリと盛り上がった形をしている。
 夢の中ではいろいろなストーリーに出会い、中学生の頃は寝るのが楽しみ、そして夢を見るのが楽しみな時期があった。しかしその様々な出来事やストーリーを形作る人や物は現実社会にある物と全く変わらない。違う夢はキャストが違うだけだということに気づいた。
 そこには新たな『創造』というものは存在していないのだろうか?例え夢の中にどこかの星に住む宇宙人が登場したとしてもその宇宙人の姿は現実の世界にいる人間がいつか思い描いたことのあるような形をしているだろう。タコみないな宇宙人とか、銀色の全身タイツを履き黒いサングラスをしたようなあの宇宙人をである。
 夢は現実社会に縛られてそこから抜けでないものなのだろうか?生物や物という概念から抜け出た存在を創造できないかと考えてしまう。しかし今考えていても現実社会の中で考えたことなので、結局夢自体には創造力は働いていないことになる。
 しかし僕は夢には特別なものを生み出す力があるのではないかと思う。登場する人物、物、場所、気候などはすべて現実社会のものであるが、その組み合わせの自由度には際限がない。そこで生み出される『物語』は現実社会では有り得ないことであり『創造』と呼べるのではないだろうか?その物語は配役を変え、ストーリーを変えることによって僕を無限に楽しませてくれる第一級のエンターテイメントである。
 今回の静岡への旅に僕が持っていった本である。村上春樹の小説で大学生の時に一回読んだことがあった。あらすじはもうとっくに忘れてしまっていたが「おもしろかった」という印象だけは今まで残っていた。部屋の本棚に文庫本を並べている。村上春樹の小説はとても雰囲気が好きでほぼすべて読んでいる。その綺麗に並べられた文庫本の中から今回これを持って行くように決めたのは本当に気まぐれだった。逆になんでも読んで楽しければそれでよかった。
 アルゼンチンから帰ってきた友達がお土産をくれた。『AL SUR DE LA FRONTERA, AL OESTE DEL SOL』で『国境の南、太陽の西』をスペイン語訳したものであった。偶然とは時にあるべくして起こるのではないかと錯覚するくらいタイミングをピッタリ合わせる。この偶然は『スペイン語を勉強しろ。小説を読め』と言っているような気がする。この訳はあっているかどうかは時間がたってみないとわからない。次にどういう偶然の一致をみるのか?
 静岡に到着する頃にはもうこの小説を読み終わっていた。大学の時の感想の通りとてもおもしろかった。その感想に今回付け加わったのは「静かな怖さ」を感じることである。しかしまだその「怖さ」がどこからくるものなのか説明することができない。安定した生活の中にある「不安」なのか、人の気持ちが結局はわからないという絶望的なものなのか、人と関わっていないようでも生きているだけで人と関わり、時に取り返しのつかないくらい傷つけてしまうことに対してなのか。村上春樹の物語に登場する人物の「浮遊感」がとてもスリリングでやみつきになる。絶叫マシーンに乗った時に胸からハッカが抜けるような感覚を文章から読めるのである。ジェットコースター等には絶対に乗らないが、文章から受ける「浮遊感」は何回味わってもいい不思議な感覚だ。
 夏が終わり、秋が来る。この時期になると周りの空気が一変する。秋の醍醐味は何といっても夕暮れ時である。あの夕焼けのミカン色に染まった山々や町並みを見ていると、夏を懐かしむ気持ちや自分の子どもの頃まで懐かしむ気持ちがフッと起こる。そしてその余韻が胸のあたりに心地よく残る。   
 朝起きて2階から1階へ降りようとする時に「あっ、冬の匂いだ」と空気を感じる日がある。その時からが僕の中で夏との決別を意味する。そう、秋の朝は夏の終わりを告げ、冬の始まりを教えてくれる。秋の朝は「秋らしさ」というものはなく、冬がまだ遠くではあるがそちらの存在感の方が大きい。
 そして僕にとっての秋とは夕方もさることながら、お昼に庭先に出ると香ってくるキンモクセイの香りである。秋の肌寒さとお昼の暖かさを象徴したような絶妙のバランスのよい香りである。
 自然の中にはその季節とちょうど調和した気持ちのいい匂いというものが存在する。
 富士山の麓にある田貫湖で一泊過ごした。とても静かなところで車の音はおろか、およそ音といえば宿の外の鈴虫の音かあいにくの雨だったのだがそれが屋根やテラスに降る音くらいなものだった。夕方、湖の周りを散歩をした。富士山は雲に隠れてしまいあまり見ることができなかったが、それと反対側にある山々がとても綺麗だった。山の向こうに山があり、そのまた奥にも山が連なっている。
 「わかる?この匂い。自然の匂い。空気が体の中に自然に入ってくるね」という言葉を聞き考えた。「いい匂い」とはその場の空気がその場にある様々な要素と調和した時、その場に存在するのではないか。逆にそんな場所には「悪い匂い」というものは存在することがないのだろうと思う。『匂い』とは場の『善悪』を測る一つの基準となりえるのではないだろうか。朝霧高原はとても気持ちのいい匂いのするところだった。
 静岡で竹炭を作り、そこから竹酢液を採り製品にしている同い年の友達に会ってきた。2年ほど前に日本に帰ってきた彼は自分で山を切り開き、ぼかし肥を作る為の小屋、山の斜面を登る為の階段も丸太で作っていた。そしてその隣にはものすごく大きな窯。これは竹炭を焼く為のもので、未完成だった。僕も手伝いにいった時この窯の屋根を一緒に取り付けさせてもらった。ものすごく重い鉄板の一枚板であった。当時はまだ小さいドラム缶を改良した窯で実験的に竹を焼いていた。「いつかこの大きい窯で竹炭を沢山作り、売り出したい。その時に採れる竹酢液も売り出したい」、そう語っていた。
 彼に今回会って一番はじめに出されたのが、500mlくらいのプラスチック容器に入った液体でだった。商品として完成した竹酢液であった。彼の名前もラベルに下に遠慮がちに入っている。スーパーなどに置いてもらって売っているらしい。話を聞くと今は製品を作りつつ、お店を回って営業活動もしているようだ。2年前に見た窯に改良を加え、大きい方の窯で竹炭を作りつつ、この竹酢液を採っている。竹炭も僕がお邪魔して一緒に作った物と比べて3倍から4倍いい品質の物ができるようになったらしい。
 一緒に飲んでいるときも彼の手は炭で黒く汚れ、竹を割る時に負った傷が痛々しかった。
「竹を焼いて売り出して、この状態になるまで2年、3年かかっちゃったよ。ずっと考えてたんだけど全然進まなかった。やっとここまでこれたという感じがするよ」と彼は言う。
 僕ら傍から見ている景色と、走っている彼が見ている景色は全く別物なんだと思った。傍から見ていると危うさも感じてしまうが、走っている彼にしてみればまっすぐに先を睨んで全力で走っているだけなのである。
 出来上がった竹炭液の製品を一本もらって帰ってきた。そこには彼の考え、思い、情熱、努力、執念が詰まっている。その結晶の一つの形である。
 アルゼンチンで仕事をしている友達が日本に2週間ほど帰ってくるというので静岡まで会いにいった。いろいろな分野のことを知っておりとても刺激を与えてくれる友達である。静岡へ行く道中で出来事。
 前日の夜に夜行バスに乗り早朝6時30分に名古屋駅についた。静岡までの直通がないため名古屋からは電車で行くことにしていた。しかも静岡で友達と会う約束にしていたのは午後の5時。丸一日時間を潰さなくてはならなかった。単に時間を「潰す」となると、もったいないので名古屋駅の高島屋の前に立ち、人間観察を始めてた。朝の7時から10時くらいまでいろいろな人が通り過ぎていく。
 僕が柱にもたれかかって立っていると、一人のおじさんが話しかけてきた。
「友達に電話をかけたいんですけど、携帯電話を貸してくれませんか?」
そのおじさんは上はくたびれた茶色のポロシャツを着て、下は足首が細いタイプの青いジャージを履いていた。明らかに怪しいタイプの人間で関わりたくなかったので、断った。
「電話をかけたいんで、100円玉貸してもらえませんか?」
今度はお金を要求してきた。「やっぱり、それか・・・」
ちょっとカチンときて、「ないです」と断った。
 おじさんは何も言わず、今度は隣の柱にもたれかかって人と待ち合わせをしている風な大学生の男の子に話しかけた。何を言っているのか人ごみの喧噪で聞こえてはこないが、僕に言ったことと全く同じことを言っていることが仕草でわかった。男の子は結局100円玉をそのおじさんに渡した。僕はその様子をずっと見ていた。おじさんは僕の顔を見ながら、こっちにやってきて、僕の前を通り過ぎてどこかに行ってしまった。
 そのおじさんは何がしたかったのか?本当に友達に電話をかけたかったのか?本当に100円に困るほどの生活をしているのか?実際に電話をかけたかったのに、全く貸す気もなく断ったのなら僕はひどいことをしたことになる。100円に困る生活をしている人に100円もあげられない気持ちの余裕のなさには自分の情けなさを感じる。しかしそのおじさんはそこまで困窮してはいないと感じた。僕が感じたのは嫌になるくらいの『プライドのなさ』だったのである。