夢に浮かぶ情景は突拍子もないものもあるが、そこにある人や物、周りの山や道路はちゃんと現実世界の物の形をしている。夢に登場する人間も頭があり、首があり、胴体があり腕が2本左右対称についている。その下には2本の足が付いていて直立二足歩行を行っている。物も車は4輪で走り現実の車のデザインと大差はない。道路は地面に作られ、山は大地がコンモリと盛り上がった形をしている。
夢の中ではいろいろなストーリーに出会い、中学生の頃は寝るのが楽しみ、そして夢を見るのが楽しみな時期があった。しかしその様々な出来事やストーリーを形作る人や物は現実社会にある物と全く変わらない。違う夢はキャストが違うだけだということに気づいた。
そこには新たな『創造』というものは存在していないのだろうか?例え夢の中にどこかの星に住む宇宙人が登場したとしてもその宇宙人の姿は現実の世界にいる人間がいつか思い描いたことのあるような形をしているだろう。タコみないな宇宙人とか、銀色の全身タイツを履き黒いサングラスをしたようなあの宇宙人をである。
夢は現実社会に縛られてそこから抜けでないものなのだろうか?生物や物という概念から抜け出た存在を創造できないかと考えてしまう。しかし今考えていても現実社会の中で考えたことなので、結局夢自体には創造力は働いていないことになる。
しかし僕は夢には特別なものを生み出す力があるのではないかと思う。登場する人物、物、場所、気候などはすべて現実社会のものであるが、その組み合わせの自由度には際限がない。そこで生み出される『物語』は現実社会では有り得ないことであり『創造』と呼べるのではないだろうか?その物語は配役を変え、ストーリーを変えることによって僕を無限に楽しませてくれる第一級のエンターテイメントである。