「匂い」について | 行く河の流れ

行く河の流れ

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

 夏が終わり、秋が来る。この時期になると周りの空気が一変する。秋の醍醐味は何といっても夕暮れ時である。あの夕焼けのミカン色に染まった山々や町並みを見ていると、夏を懐かしむ気持ちや自分の子どもの頃まで懐かしむ気持ちがフッと起こる。そしてその余韻が胸のあたりに心地よく残る。   
 朝起きて2階から1階へ降りようとする時に「あっ、冬の匂いだ」と空気を感じる日がある。その時からが僕の中で夏との決別を意味する。そう、秋の朝は夏の終わりを告げ、冬の始まりを教えてくれる。秋の朝は「秋らしさ」というものはなく、冬がまだ遠くではあるがそちらの存在感の方が大きい。
 そして僕にとっての秋とは夕方もさることながら、お昼に庭先に出ると香ってくるキンモクセイの香りである。秋の肌寒さとお昼の暖かさを象徴したような絶妙のバランスのよい香りである。
 自然の中にはその季節とちょうど調和した気持ちのいい匂いというものが存在する。
 富士山の麓にある田貫湖で一泊過ごした。とても静かなところで車の音はおろか、およそ音といえば宿の外の鈴虫の音かあいにくの雨だったのだがそれが屋根やテラスに降る音くらいなものだった。夕方、湖の周りを散歩をした。富士山は雲に隠れてしまいあまり見ることができなかったが、それと反対側にある山々がとても綺麗だった。山の向こうに山があり、そのまた奥にも山が連なっている。
 「わかる?この匂い。自然の匂い。空気が体の中に自然に入ってくるね」という言葉を聞き考えた。「いい匂い」とはその場の空気がその場にある様々な要素と調和した時、その場に存在するのではないか。逆にそんな場所には「悪い匂い」というものは存在することがないのだろうと思う。『匂い』とは場の『善悪』を測る一つの基準となりえるのではないだろうか。朝霧高原はとても気持ちのいい匂いのするところだった。