「時間」について | 行く河の流れ

行く河の流れ

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

 時間が足りない。二通りの意味で解釈できる。一つ目は文字通り「忙しくて休む暇もない」という意味。二つ目は「やりたいことがいっぱいあって、限られた時間、人生の中では足りない」という意味。どちらかと言うと前者はマイナスの意味で捉えられ、後者はとてもポジティブな印象があったりする。どちらの時間の使い方が良い悪いではなくて、いかにその時間を有意義なものにするかということが問題になってくる。有意義とは自分にとってであったり、社会にとってであったりする。その二つは相互に絡み合い表裏一体なものであろう。
 自分の置かれた状況の中で、その状況にいかに反応するか。要は自分の心の持ち方次第で、世界が変わるのである。僕たちは目でモノを見ている。見たモノは脳に伝達され、そして認識する。しかし、その認識する際、見たモノを自分の中にある好み、経験、知識、常識のフィルターを通す。したがって、僕たちが見ているモノは見たいモノしか見ていないということになるのである。さらに言うなら、対象物である物は光の反射である。僕らは何を観ているのだろうか。
 時間の使い方は人それぞれである。出来ることなら多くの人が有意義と感じる時間を持つことによって世界が有意義であってほしい。時間を感じることは世界を認識することと同義であるように思う。どんどんスピードが速くなっていく社会。時間の考え方も「管理するもの」としてある。時間を管理することは果たしてできるのだろうか?自分では「管理」できるだろう。しかし他の物からの締め付けられる時間という物は「世界をこう認識しろ」と言われているようで生きていない心地がする。