「音を観る体験」について | 行く河の流れ

行く河の流れ

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

 大野和史指揮、ベルギー王立歌劇場管弦楽団のコンサートに行ってきた。演目はモーツァルト「歌劇『魔笛』K.620より序曲・ラヴェル「ラ・ヴァルス」・マーラー「交響曲第5番嬰ハ短調」であった。僕は見たことも聴いたこともない曲ばかりだ。それではコンサートを楽しめないと思い図書館でCDを借り予習をした。しかし当然覚えられるわけはなく当日初めて聴く曲のようにして聴いた。
 コンサートが終わりとても興奮している。僕はステージを凝視していたのだが、演奏者一人ひとりの動きを観ているわけではなく、『音を観ていた』ような感覚だった。いろいろな音が在った。
 倉敷の大原美術館で展示されている作品の中で僕の好きな作品がある。セガンティーニの『アルプスの真昼』という作品だ。僕はこの作品の『空気』が好きだ。『空気』が描かれているわけではないが、確かにそれを感じさせるのである。『観える』と言ってもいいと思う。
 直島の地中美術館での体験とも重なる。『ウォルター・デ・マリア』の部屋で感じた『静寂』が部屋に満ちていてその静寂を『観る』ことができるという体験。
 音楽・絵画・建築のそれぞれの分野で共通する体験をした。実際目に見えるものだけじゃなく、目に見えないものを『観て』、そしてどれもとても心が安らぐ体験である。この体験は今後『芸術』というものを考えていく際に大切なものになっていくだろう。
 ひとまず今日はコンサートの余韻に浸りながら心地よく眠りにつけそうである。