携帯電話の毎月の支払いがバカにならない。電話で相手と通話するにしても常に通話料を気にしながら話したり、メールで済ませたりしている。
WILLCOMが通話料無料、E-mail使い放題の定額プランを設定してる。これは一ヶ月に2,900円を払えばWILLCOM同士の通話料はタダである。それにどこにE-mailを送信しようが、受信しようが使い放題というもので、ものすごく魅力的に見える。ネットでいろいろと調べてみてもすこぶる評判が良い。もっともっと皆がWILLCOMにすればお互いにとって有益なことなんじゃないかなと思う。PHSなのだがこれへの乗り換えを検討している。
しかし、一つとても大事なことがネックになっているのである。僕が今使っている携帯電話の端末はauの『infobar』である。この携帯電話をものすごく気に入って使っているのである。確かに操作に関しては使いにくい部分もある。しかしそんなことが気にならないくらい愛着をもっている。むしろその使いにくさがよりその愛着を増している。無機質な『機械』に対して極端に言えば何か『生命』のようなものを感じている。それを金額が安いからとすぐに手放すことに抵抗があるのだ。
世の中膨大な量の『消耗品』がある。本当に『消耗品』なのだろうか?大事に使えばずっとそばに置いておきたい物もあるのではないだろうか?生産する段階から『消耗品』になるべくして作られているのであるならば、なかなか『ずっとそばに置いておきたい物』にするのは難しい。
このように書いている僕という『人間』にも考えが及ぶ。僕ら人間は当然『消耗品』として生まれてきたわけじゃない。生まれてくるということがどんなに奇跡的なことか。しかし人を「使える」「使えない」で判断したり、何か『全体の歯車』としての有用性だけで人を見る雰囲気を感じる。僕ら『人間』誰もが『消耗品』ではない。日々を大切に生きればきっと人生の晩年に何とも言えないその人の『味』が出てくるのではないだろうか。1977年物のヴィンテージをどう育てようか。