イモラ・サーキットで開催された2006年F1サンマリノGPはフェラーリのミハエル・シューマッハが優勝した。ルノーのフェルナンド・アロンソの台頭により「落日の皇帝」などと呼ばれ引退も囁かれている。しかし、今回このサンマリノGPでシューマッハが優勝したことに僕は非常に感慨深い。実績はもちろん十分で、シューマッハがこのサンマリノGPで初めて優勝したのは1994年である。以後2006年まで7回の優勝を誇っている。13回の内、7回の優勝である。シューマッハの時代であった。
しかし僕は、その後の優勝よりもシューマッハがベネトンでこのサーキットで優勝した1994年のサンマリノGPを忘れることができない。優勝し表彰台に立ったシューマッハの顔に笑顔はなかった。
僕にとってF1と言えばアイルトン・セナだった。そのセナが1994年このサンマリノGPの決勝レース中にタンブレロコーナーでウォールに激突。そのまま帰らぬ人となった。僕が高校生の時で深夜、テレビを観ながら呆然とした記憶がある。
それ以来、僕にとってF1はどこか主人公のいない物語のような空虚な出来事となっていた。セナの後、シューマッハが一時代を築いていた時でさえもである。
しかし絶頂期を越えたと言われるシュー マッハが今回優勝し、若いアロンソとの闘いが再燃するようであれば、そこに僕はドラマを感じる。今シーズンのF1から目が離せない。歴史の転換期を目撃できそうな予感がする。
友人が入院していたので、お見舞いに行った。幸いなことに僕はあまり入院したことがない。唯一はニカラグアでデング熱に冒され意識朦朧で入った一度きりである。しかもその入院は「エェ~!嘘~!」と言うようなことが連発で発生し、僕の中ではかなりネタになっている。それはともかく、病院に馴染みがないのは幸いなことではある。なので、どうも病院に足を踏み入れるとソワソワする。
入院した友人は腰をやっており、コルセットを巻いていた。明日退院だということを聞いていたので、もうだいぶ元気なのかなと思っていたのだが、僕らが行った時にはまだ体が辛そうだった。後は退院して安静にしておいて時間に治癒を任せるという。
彼のベッドは病室の中央だった。左右には他の患者さんが入院している。カーテ ンで仕切られている。その位置からだと窓がなく外の景色を見ることができない。本人も「外が見られないのがキツい・・・」と言っていた。僕もそこが気がかりだった。気持ちが折れてしまいそうな気がした。
しかし、本当に大事に至らなくてよかった。
入院した友人は腰をやっており、コルセットを巻いていた。明日退院だということを聞いていたので、もうだいぶ元気なのかなと思っていたのだが、僕らが行った時にはまだ体が辛そうだった。後は退院して安静にしておいて時間に治癒を任せるという。
彼のベッドは病室の中央だった。左右には他の患者さんが入院している。カーテ ンで仕切られている。その位置からだと窓がなく外の景色を見ることができない。本人も「外が見られないのがキツい・・・」と言っていた。僕もそこが気がかりだった。気持ちが折れてしまいそうな気がした。
しかし、本当に大事に至らなくてよかった。
家の周りでやたら鳥がウロチョロしている。自分の部屋の窓から見える電線にスズメが留まっているかと思えば、その電線がたわむ位のカラスが立っていることもある。辺りには鶯以外にもチュンチュンと鳥の鳴き声が聞こえる。僕には残念ながら何の鳥が鳴いているのかわからないが、相当な種類がいることは分かる。
今日、椅子に座って外を見ていると大きなカラスが家の屋根を眺めていた。部屋の窓から相当近いので迫力満点である。と、その時パッとこっちを睨んだかと思うもつかの間、羽を一気に左右に広げ部屋の窓へとすごい瞬発力で飛んできた。そのままかすかに方向をずらし窓の横を横切ってどこかへ飛んでいった。
動じない振りをして椅子に座ったままの僕であったが、「何かわるいことしたか?」と変に自分の目線を振り返ってみたりした。
今日、椅子に座って外を見ていると大きなカラスが家の屋根を眺めていた。部屋の窓から相当近いので迫力満点である。と、その時パッとこっちを睨んだかと思うもつかの間、羽を一気に左右に広げ部屋の窓へとすごい瞬発力で飛んできた。そのままかすかに方向をずらし窓の横を横切ってどこかへ飛んでいった。
動じない振りをして椅子に座ったままの僕であったが、「何かわるいことしたか?」と変に自分の目線を振り返ってみたりした。
「誰の声なんだろう・・・」
頭の中で鳴り響くこの声の主は誰だ
本を読んでいる時、書かれている文字を目で追いながら頭の中でその文字が音声化され誰かが読んでいる。自分の声ではない誰かが。同じように考え事をしている時、頭の中で考えたことが考えたとおりに音声化されている。自分の声ではない誰かの声で。
この声はいつも僕の頭の中で鳴る声だが、誰の声か分からない。僕自身の声ではない気がする。かといって、どこかで聞いた全く他人の声でもない気がする。いつも不思議に思いながらも今日もその声によって僕は考えている。
頭の中で鳴り響くこの声の主は誰だ
本を読んでいる時、書かれている文字を目で追いながら頭の中でその文字が音声化され誰かが読んでいる。自分の声ではない誰かが。同じように考え事をしている時、頭の中で考えたことが考えたとおりに音声化されている。自分の声ではない誰かの声で。
この声はいつも僕の頭の中で鳴る声だが、誰の声か分からない。僕自身の声ではない気がする。かといって、どこかで聞いた全く他人の声でもない気がする。いつも不思議に思いながらも今日もその声によって僕は考えている。
同じ出発点から考えを出発させると、元の場所へと帰ってきてしまう。発想の転換とはそこに着手した時に立っている位置で既に決定してしまう。
自分の立っている位置は自分の歴史でもある。どういう考えを積み重ねてきたか、どういう経験をしてきたか、どういうモノを観たり聴いたりして、そこから何を感じ取ったのか、どういう環境で生きてきたのか、つまり人の考えとはその人の人格を表す。
自分の考えを改めるには、自分の立っている場所を変えてみる必要がある。自分のライフスタイルを少し変化させてみるのである。物理的に同じ所に生活し、同じ人と接し、同じようなモノを見ている限り、なかなかそのループから抜け出すことはできない。
そこに「旅」の有効性を観るのである。「日常」から少し脱却して「非日常」の中に身を置く。その物理的な立つ場所の移動によって、それはやがて精神的な考えの変換へと影響を及ぼしていく。それが経験として蓄積され、先に述べた自分の立つ場所である自分の歴史となっていくのである。
やがて「旅」という強硬手段をとらなくとも、日常生活の中で書を読む中で、木々を眺める中で、珈琲を飲む中で、ふとした瞬間に自分の立つ場所を変える「非日常」を見つけることができるようになるであろう。

自分の立っている位置は自分の歴史でもある。どういう考えを積み重ねてきたか、どういう経験をしてきたか、どういうモノを観たり聴いたりして、そこから何を感じ取ったのか、どういう環境で生きてきたのか、つまり人の考えとはその人の人格を表す。
自分の考えを改めるには、自分の立っている場所を変えてみる必要がある。自分のライフスタイルを少し変化させてみるのである。物理的に同じ所に生活し、同じ人と接し、同じようなモノを見ている限り、なかなかそのループから抜け出すことはできない。
そこに「旅」の有効性を観るのである。「日常」から少し脱却して「非日常」の中に身を置く。その物理的な立つ場所の移動によって、それはやがて精神的な考えの変換へと影響を及ぼしていく。それが経験として蓄積され、先に述べた自分の立つ場所である自分の歴史となっていくのである。
やがて「旅」という強硬手段をとらなくとも、日常生活の中で書を読む中で、木々を眺める中で、珈琲を飲む中で、ふとした瞬間に自分の立つ場所を変える「非日常」を見つけることができるようになるであろう。

静岡の友達の家に遊びに行った時、友達のお父さんから頂いた。とても写真好きのお父さんで部屋には自身で撮った写真が飾られていた。お父さんの部屋にはカメラボックス!?のような物があり、その中には大きいレンズを装着したデジタル一眼レフが何台か納められていた。その中の一つを手に取り、「ちょっと、写してごらん」と。ファインダーを覗くと世界が丸く見える。魚眼レンズを装着していた。今はそのレンズにハマっているらしい。
友達と別の部屋でお酒を飲んでいるとお父さんがやってきて、「オリンパストリップ35」を「やるよっ!」って置いて去っていった。「えっ!いいんですか?」と返す言葉も聞かないで。
しばらく経っているとまた別のカメラを手に取りやってきた。今度は「YASHICA Electro35」だった。「これもやるよっ!」またまたすぐに去って行き、僕の「いいんですか?」という言葉に背中で答えていた。
繰り返すこと5回。計5台のカメラを頂いた。おまけに「カメラケース持ってないだろ?」ってカメラケースも頂き、最後にはバイクのヘルメットも貰った(笑)なんという気っ風の良さなんだ。趣味人とはこうあるモノなのかと実感した。
まだすべてのカメラで写真は撮り終えていない。今フィルムを装填しているのが「オリンパストリップ35」である。このカメラとどんな旅に出ようかな。

友達と別の部屋でお酒を飲んでいるとお父さんがやってきて、「オリンパストリップ35」を「やるよっ!」って置いて去っていった。「えっ!いいんですか?」と返す言葉も聞かないで。
しばらく経っているとまた別のカメラを手に取りやってきた。今度は「YASHICA Electro35」だった。「これもやるよっ!」またまたすぐに去って行き、僕の「いいんですか?」という言葉に背中で答えていた。
繰り返すこと5回。計5台のカメラを頂いた。おまけに「カメラケース持ってないだろ?」ってカメラケースも頂き、最後にはバイクのヘルメットも貰った(笑)なんという気っ風の良さなんだ。趣味人とはこうあるモノなのかと実感した。
まだすべてのカメラで写真は撮り終えていない。今フィルムを装填しているのが「オリンパストリップ35」である。このカメラとどんな旅に出ようかな。

指揮者の友人がいる。彼は音楽に仕えている。だから自分のことは「指揮者」だとは思っていない。「音楽家」として活動している。
同じ言葉をテレビで聞いた。NHKで放送されている「プロフェッショナル 仕事の流儀」である。その中で「建築家」中村好文さんを取り上げた回である。
「依頼者からの要望を100%叶える仕事をするのが、建築家の仕事じゃない。もちろん依頼者にとって満足のいく家を提供することも大切だが、僕らは家に仕えているんだから・・・。依頼者に仕えているわけじゃない」
中村さんの言葉と友人の言葉が僕の中で繋がった。この人も自分の仕えるべきモノがある人なんだ。「仕えるべきモノ」、それは「道」である。他にも僕の中で様々な言葉が繋がりつつある。
「プロフェッショナル 仕事の流儀」~建築家・中村好文~
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/060413/index.html
同じ言葉をテレビで聞いた。NHKで放送されている「プロフェッショナル 仕事の流儀」である。その中で「建築家」中村好文さんを取り上げた回である。
「依頼者からの要望を100%叶える仕事をするのが、建築家の仕事じゃない。もちろん依頼者にとって満足のいく家を提供することも大切だが、僕らは家に仕えているんだから・・・。依頼者に仕えているわけじゃない」
中村さんの言葉と友人の言葉が僕の中で繋がった。この人も自分の仕えるべきモノがある人なんだ。「仕えるべきモノ」、それは「道」である。他にも僕の中で様々な言葉が繋がりつつある。
「プロフェッショナル 仕事の流儀」~建築家・中村好文~
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/060413/index.html
自分の部屋の大掃除をした。大掃除といってもベッドと床の間に溜まっているホコリを掃除機で吸い取り、本棚が結構ゴチャゴチャになっていたので整頓した。机を拭いたり、机の中を整理したり・・・と。こう考えてみるとまったく「大」掃除ではない。単なる掃除である。
ホコリが舞うので、もちろん部屋の窓は全開にした。もう春の暖かさだ。パソコンからコンポに音楽を飛ばして最近よく聴いているChick Coreaを流す。晴れたお昼にはピッタリで掃除の時間が楽しくなる。
綺麗になった部屋は、気持ちもすっきり。珈琲を煎れて飲んだ。週末に図書館で大量に借りて帰ってきた本を椅子の横に積み上げていたので、一番上に乗っかっているのをパラパラとめくってみる。予想以上の吸引力があり引き込まれて結構なページを読んでしまった。
そうこうしている内に、やることを思い出してパソコンへ向かった。と、思いきやパソコンを打ち出すと同時に「これじゃない」って気がついておばあちゃんから貰った万年筆を手に取り勉強を始めた。
ホコリが舞うので、もちろん部屋の窓は全開にした。もう春の暖かさだ。パソコンからコンポに音楽を飛ばして最近よく聴いているChick Coreaを流す。晴れたお昼にはピッタリで掃除の時間が楽しくなる。
綺麗になった部屋は、気持ちもすっきり。珈琲を煎れて飲んだ。週末に図書館で大量に借りて帰ってきた本を椅子の横に積み上げていたので、一番上に乗っかっているのをパラパラとめくってみる。予想以上の吸引力があり引き込まれて結構なページを読んでしまった。
そうこうしている内に、やることを思い出してパソコンへ向かった。と、思いきやパソコンを打ち出すと同時に「これじゃない」って気がついておばあちゃんから貰った万年筆を手に取り勉強を始めた。
恋愛は感情でするもの
結婚は条件でするもの
如何や
結婚は条件でするもの
如何や
