行く河の流れ -25ページ目

行く河の流れ

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

 人の持つ闇の部分は他人にとっては深い霧のようだが、闇を持つ本人にとってみればどんなに鮮明な色が迫ってくるモノなのだろう。他人には決して表現できない自分だけの風景。恐ろしいほどの迫力であろう。そしてそれは程度の差こそあれ、誰しもが持っているモノだ。
 戦争体験の中で見た風景はどんなだったろう。大空襲の直中を死にもの狂いで逃げまどった時に見たモノ、聞いた音、触れたモノ。どれだけ鮮明に甦るのだろう。それはきっとどんな地獄絵図よりも恐ろしい戦慄の風景だったろう。昨今起こっている猟奇的な殺人が一気にそしてもの凄い規模で強制的に目に飛び込んでくるのだ。
 その闇は決して漆黒ではない。どの赤よりも鮮烈な色を持っているのだ。
 家で猫を飼っている。自由気ままにお昼寝を繰り返し、気が向いたら母親にカツオをねだる。
 今まで猫の頭を撫でると噛まれるばっかりだった僕に、今年に入って気持ちを改めたのか「お腹を撫でてぇ」って寄ってくるようになった。それに伴い猫とも目が合う回数が増え、可愛さが倍増した・・・。
 
 「・・・ん?」
 
 「猫と目が合う」ってどういう事なんだろう。人間は「猫の目」を「目」として認識している。その目を通して人間を見ているのだということが分かる。
 でもグルッと立場を逆転してみよう。猫の立場になって考えるとどうだろうか?猫は自分の「目」はどういうモノか認識しているのだろうか?人間は鏡に写る自分の目を見て「目」がどういう形のモノかを知っている。しかし猫は自分の「目」がどういう形をしているのか分かっていないだろう。
 それと同時に人間が目を使って周りの世界を見ているという認識は猫にはない。なのに、「猫と目が合う」のである。とっても不思議な感覚なのだ。
 何かわかってんだなぁとしか思えない。目は口ほどにモノを言う。確かに猫との間でも目を通じての会話が成立するのだ。
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 「全体の踊りが完璧に見えるようにするにはどうすれはいいと思う?」
 「一人一人が完璧に踊れるように練習するかな」
 「ううん。誰かが歪みを作るのよ。この世界のようにね」
 この言葉を知ったのは大学1年生の時。確か吉川英治の『三国志』を読んでいてその中で諸葛亮孔明の生活の描写でこの言葉が使われていたはずだ。まだ劉備玄徳に三顧の礼により軍師として迎え入れられる前だ。朧気ながらその様な生活に憧れる気持ちはあったが、浮世離れした感があり幽玄の生活だろうと感じていた。
 しかし現在ではその生活がより身近に感じられるようになった。今の生活がそのような様式で生活しているわけではない。しかし目指すべき方向性としての「晴耕雨読」が幽玄では無くなってきた感があるのだ。
 書を捨てるわけにはいかない。学び続けなければならない。しかし人間が生きていく中で自然と感じられる部分も大切で、むしろそちらの方が本当のことなのだ。晴れの日には田畑を耕し、時折降る雨の時には書から学ぶ。 
 そのバランスを表現している見事な言葉である。
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 雨雲が空を埋め尽くして雨を降らていた。世界を灰色にしているにも関わらず、僕の気持ちは日向ぼっこをしているような心地だった。あちこちで様々な色が僕に訴えかけるでもなく、そこにあった。陽が沈んでも関係なくその景色は続くのだと思っていた。
 夜、ベッドの上で目をつぶって早く意識を飛ばそうとすればするほど、昼に見た景色が鮮明に思い出されてくる。目をつぶっていても、目を開けていても変わらない位、見えるのだ。
 早く逃げたい一心で心を落ち着けようと大きく息を吐いてみるが効果はない。
「ああ、僕らしく自然に生きよう」
 そう思った瞬間、意識の先の住人が僕をそちらの世界へと案内してくれた。しかし今日も夜は変わらずやってくる。
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 大学の単位を取得するためのテストがあったので午前中は必死に答案に向かっていた。車が使えなかったのでバイクで行った。いつの間にか空気が皮膚を切ることがなくなっていた。生温くもなく少しひんやりした空気が緊張感を持たせてくれた。厳しさの中にやさしさがある人格者のような印象を受けた。
 岡山の中心地を流れる旭川の河原では花見をする為のブルーシートが陣取り合戦さながらに敷かれていた。まだ朝早いので人はいない。その土手の上には悠然と桜が川岸に沿って桜色の霧のように広がっていた。
 このテストに合格し、単位の認定が受けられればようやくスタートラインに立つための準備が終わる。自分の志がどうか世界に陽を与えるものでありますように。
 友達が僕の仕事上がりを見計らってお店に来てくれた。彼も仕事上がりで眠そうな顔をしていたが、「遊びに行こう」とのことだった。もう夜の9時を回っているので遊びに行く場所なんてないのだが。
 一時間くらいドライブした後、バッティングセンターに行くことにした。昔からあったネットの向こうでアームがクルリと一回りしてボールが投げ出されるタイプのバッティングセンターは潰れ、今ではモニターにピッチャーの投球モーションが表示されるタイプのバッティングセンターが多くなった。今日行ったのもそのタイプだ。
 彼も野球部で一緒に練習していた仲だ。僕も打ちたいなぁと思っていたので丁度良かった。
 久しく打っていないので、速い球にはついていけないと思っていた。しかし、だんだん目が慣れてきて捉えることが出来るようになってきた。最後の方にはインパクトのポイントを考えながら打つことが出来た。とても気持ちよかった。
 しかし日頃の運動不足が祟って、ポイントを考えて打つようになった頃には、体のスタミナが切れたきた。高校生や大学生の時のような無尽蔵の体力はもうない。思い通りに打つことも出来ない。でも心から楽しめた。また打ちに来ようと思う。
 わたしに蒔かれた種が芽を出した
 意識のずっと奥に閉じこもっていたはずなのに
 その芽が陽を浴び照らされ出すと
 ぐんぐんぐんぐん大きくなった
 蒔かれた種には毒があった
 蒔いた人の悪意が在ったにせよ無かったにせよ
 わたしに蒔かれた種は蒔いた人の意識を超えて
 ぐんぐんぐんぐん大きくなった
 岩に花 
  動じぬ故の
   かろやかさ
 キズを追った人にかける言葉の残酷さを
 僕は知っているか
 キズを追った人の勇敢さを知ってしまったからこそ
 その慈悲を知ってしまったからこそ
 僕の知らない世界を観た君に
 さらなる挑戦をなどと
 どうして言えようか
 できあがる必要はない
 まだまだ時間をかけて
 ただ在ればいい