先日ジーンズを買った。一つはLevi'sのヴィンテージで501XXの1966年モデル。リジッドなのでどの位縮むのか心配しながらのか幾分ドキドキしながら買った。もう一つは岡山発のジーンズメーカーKapitalでCiscoというモデルを買った。すっきりキレイに履きたかったので僕の要望にぴったりのものだった。
この2本のジーンズがこれから履き込んでいく中でどんな表情を見せてくれるか楽しみである。しかし新品のジーンズを履き始めるときはとても気恥ずかしいものである。白いスニーカーも欲しいのだが下半身が眩いほどに輝きだしてしまうので、ジーンズがもうちょっと馴染んでからにしよう(笑)
仕事を終わらせ、恵比寿の映画館で彼女と待ち合わせをして観た。2004年の秋だったろうか。恵比寿ガーデンプレイスの間を抜ける風が強い日だった。彼女と初めて映画館で観た映画である。
この映画が日本で上映されるというチラシをみた時から注目していて、どんなことがあっても絶対に行こうと決めていた。
主人公はアルゼンチンの医学生、エルネスト・ゲバラである。彼は親友の同じく医学生のアルベルトと共に中古のバイクで8ヶ月、1万キロに渡る南米大陸縦断の旅に出る。その旅の中でエルネストの眼に観えたモノが、後の革命家”チェ・ゲバラ”を作っていく。
一番好きなシーンはアルゼンチンからアンデス山脈を越え、チリに入った船の上でのシーン。エルネストとアルベルトが甲板に出て河を下りながら話している。深い緑に覆われた渓谷を見ながら「こんな所で、診療所を一緒にやらないか?」という静かな会話だったと思う。そのシーンの風景がまず圧倒されるほど美しかったのだ。涙が出るほどの深く、静かな風景が二人の志を際だたせていた。
またこの映画に登場する人物は南米が舞台ということもあって英語ではなく、スペイン語で話されていた。以前メキシコの映画を観たのだが、そこで使われている日常会話の中に混じるスラングにギャップを感じていた。しかし「モーターサイクルダイアリーズ」の中の会話に出てくる単語や言い回し、スラングが僕がニカラグア時代に聞いていたモノと全く同じで、ものすごく親しみと懐かしさを感じた。
そして個人的に憧れるバイクでの旅。ポデロッサ号と名付けられた中古のバイクに跨り、大陸を駆けるその姿に自分の姿を投影したくなった。
彼女と初めて観た映画であり、僕が初めてDVDのディスクを購入した映画ともなった。とても大好きな作品である。
この映画が日本で上映されるというチラシをみた時から注目していて、どんなことがあっても絶対に行こうと決めていた。
主人公はアルゼンチンの医学生、エルネスト・ゲバラである。彼は親友の同じく医学生のアルベルトと共に中古のバイクで8ヶ月、1万キロに渡る南米大陸縦断の旅に出る。その旅の中でエルネストの眼に観えたモノが、後の革命家”チェ・ゲバラ”を作っていく。
一番好きなシーンはアルゼンチンからアンデス山脈を越え、チリに入った船の上でのシーン。エルネストとアルベルトが甲板に出て河を下りながら話している。深い緑に覆われた渓谷を見ながら「こんな所で、診療所を一緒にやらないか?」という静かな会話だったと思う。そのシーンの風景がまず圧倒されるほど美しかったのだ。涙が出るほどの深く、静かな風景が二人の志を際だたせていた。
またこの映画に登場する人物は南米が舞台ということもあって英語ではなく、スペイン語で話されていた。以前メキシコの映画を観たのだが、そこで使われている日常会話の中に混じるスラングにギャップを感じていた。しかし「モーターサイクルダイアリーズ」の中の会話に出てくる単語や言い回し、スラングが僕がニカラグア時代に聞いていたモノと全く同じで、ものすごく親しみと懐かしさを感じた。
そして個人的に憧れるバイクでの旅。ポデロッサ号と名付けられた中古のバイクに跨り、大陸を駆けるその姿に自分の姿を投影したくなった。
彼女と初めて観た映画であり、僕が初めてDVDのディスクを購入した映画ともなった。とても大好きな作品である。
今月号のNational Geographic誌のスクープ記事、「ユダの福音書を追う」に衝撃を受けた。ユダと言えば「裏切り者」の代名詞ともなっており、キリスト教に精通していない人でも名前は聞いたことがあろう。正典とされる新約聖書に収められている福音書はマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの順に四福音書のみである。それ以外は「異端」とされる。
エジプトの砂漠で発見された1700年ほど前のパピルスに記された「ユダの福音書」にはこれまでの定説を覆す驚くべき物語が書かれていたのである。
「お前は真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」
つまり、ユダは裏切り者ではなかったのだ。イエスが自分の魂を、真の自分をこの肉体から解放するためには十字架に架けられなければならなかった。そして、ローマの役人に突き出す重要な役目をユダに託したのだ。なぜなら、ユダが他の使徒の誰よりもイエスを理解していたからである。
今までの常識が根底から覆る衝撃に僕の知的好奇心は膨れあがる。この「ユダの福音書」に見られるグノーシス派の神秘主義的な考え方を知りたくなった。良い機会だし「ダヴィンチ・コード」も読んでみようと思う。「死海文書」のことも知りたくなった。さらに広がりを見せそうだ。たまらなく面白い。
エジプトの砂漠で発見された1700年ほど前のパピルスに記された「ユダの福音書」にはこれまでの定説を覆す驚くべき物語が書かれていたのである。
「お前は真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」
つまり、ユダは裏切り者ではなかったのだ。イエスが自分の魂を、真の自分をこの肉体から解放するためには十字架に架けられなければならなかった。そして、ローマの役人に突き出す重要な役目をユダに託したのだ。なぜなら、ユダが他の使徒の誰よりもイエスを理解していたからである。
今までの常識が根底から覆る衝撃に僕の知的好奇心は膨れあがる。この「ユダの福音書」に見られるグノーシス派の神秘主義的な考え方を知りたくなった。良い機会だし「ダヴィンチ・コード」も読んでみようと思う。「死海文書」のことも知りたくなった。さらに広がりを見せそうだ。たまらなく面白い。
ちょっとした買い物で店に入って商品を物色していると店内のスピーカーから聴き覚えのある曲が流れてきた。有線で「SAKURA」だった。歌っているのは「いきものがかり」という3人組のバンドである。
ニカラグアで一緒に活動していた友人の従兄弟がこのバンドのギターをしている。彼がニカラグアに旅行に来た時に部屋の中で歌うと怒られるからと洗濯場に行き、ビールを飲みながら共に歌った思い出がある。まだまだデビューの話もない音楽好きの青年との楽しい夜だった。
ニカラグアで一緒だった友人の結婚式が横浜で挙げられた時、彼は「いきものがかり」として、そのバーティーで歌 っていた。
今年に入り、「POP JAM」や「Music station」でも見るようになった。そして今日、何気なく入った店で彼らの曲が流れていた。とっくに買い物は済んでいるのに、その曲が終わるまで店内をウロウロして聴き入った。
どんな活動をしていくのか今後が大いに楽しみである。
ニカラグアで一緒に活動していた友人の従兄弟がこのバンドのギターをしている。彼がニカラグアに旅行に来た時に部屋の中で歌うと怒られるからと洗濯場に行き、ビールを飲みながら共に歌った思い出がある。まだまだデビューの話もない音楽好きの青年との楽しい夜だった。
ニカラグアで一緒だった友人の結婚式が横浜で挙げられた時、彼は「いきものがかり」として、そのバーティーで歌 っていた。
今年に入り、「POP JAM」や「Music station」でも見るようになった。そして今日、何気なく入った店で彼らの曲が流れていた。とっくに買い物は済んでいるのに、その曲が終わるまで店内をウロウロして聴き入った。
どんな活動をしていくのか今後が大いに楽しみである。
人はそれぞれ個性がある。みんな違うから人生が楽しいんだ!・・・どうも違う気がする。「みんな違う」という理由で人生が楽しい訳じゃないのではないか?「みんな同じ」でも人生を楽しめる人は楽しめる。
結局本人が世界をどう見るかのスタンスが考えを決める。個性を尊重、自分の意見を、かけがえのない自分という教育を受けてきたが、「みんなが自分とは違う人格を持つ」ということが強調されすぎたように思う。そんなことは大前提で、小説家はひらがなやアルファベットを知っている位の常識である。それを「世界に一つだ~け~の花♪」などと個性にスポットライトを当てすぎる風潮はどうしたものか?
「違い」は「良いこと」なのではない。「違い」は「当たり前のこと」なのだ。違いを強調しすぎれば下品になり、奇をてらったモノに本質はない。
結局本人が世界をどう見るかのスタンスが考えを決める。個性を尊重、自分の意見を、かけがえのない自分という教育を受けてきたが、「みんなが自分とは違う人格を持つ」ということが強調されすぎたように思う。そんなことは大前提で、小説家はひらがなやアルファベットを知っている位の常識である。それを「世界に一つだ~け~の花♪」などと個性にスポットライトを当てすぎる風潮はどうしたものか?
「違い」は「良いこと」なのではない。「違い」は「当たり前のこと」なのだ。違いを強調しすぎれば下品になり、奇をてらったモノに本質はない。
外食は苦手である。友達とするのならイイのだが、家族となると話が変わってくる。食事は単に食料を食べる以外に、その場での会話や時間を楽しむことも含めて食事と考えている。家族と外に食べに行くと何かぎこちない。そもそも子どもの頃から余り外食はしてこず、家で食べることが多かったからかもしれない。
大学時代はほとんど外食ばかりしていた。飽きた。おいしいとされるものもなぜか余りおいしいとは思わず、家で作った卵焼きの方が何倍もおいしいと感じるようになった。
最近特に思うのだが、家での食事がとても好きだと言うこと。下手な外食をするよりも、母親が作る料理の方が確実に旨い。良い食生活で過ごせてこれていると思う。でもなんで背は伸びなかったんだろう?体型は標準なので全体的に小さくまとまってしまった(笑 )
大学時代はほとんど外食ばかりしていた。飽きた。おいしいとされるものもなぜか余りおいしいとは思わず、家で作った卵焼きの方が何倍もおいしいと感じるようになった。
最近特に思うのだが、家での食事がとても好きだと言うこと。下手な外食をするよりも、母親が作る料理の方が確実に旨い。良い食生活で過ごせてこれていると思う。でもなんで背は伸びなかったんだろう?体型は標準なので全体的に小さくまとまってしまった(笑 )
仕事を終えると携帯電話に「着信1件」とあった。彼女からだったので折り返し電話をしてみると「今日行く」という話だった。夜の9時を回っている。瀬戸内海を渡るので岡山に辿り着くのは12時を回るだろう。しかしその唐突なイベントに僕の気持ちは踊った。
仕事の帰りに近所の友達の家にお邪魔して、コーヒーや佃煮を頂きながら様々な話をして、夜の11時を回ったので家に帰り、彼女を迎えに行く準備をした。
12時を回り、電車で彼女はやってきた。久しぶりにゆっくり家で焼酎を飲んだ。芋焼酎の「一刻者」という銘柄。お酒を飲むことが、最近では時間を飲むような感覚になってきている。酒を肴に時間を飲む。世間はゴールデンウィークに突入。踊ることなく良い日々に成ればいいな。
仕事の帰りに近所の友達の家にお邪魔して、コーヒーや佃煮を頂きながら様々な話をして、夜の11時を回ったので家に帰り、彼女を迎えに行く準備をした。
12時を回り、電車で彼女はやってきた。久しぶりにゆっくり家で焼酎を飲んだ。芋焼酎の「一刻者」という銘柄。お酒を飲むことが、最近では時間を飲むような感覚になってきている。酒を肴に時間を飲む。世間はゴールデンウィークに突入。踊ることなく良い日々に成ればいいな。
ひとまず4月に予定していた範囲までの勉強は一通りできた。予定通りと言えばその通りなのだが、やればやるほどできない事への焦りは出てくるもので、どれだけやっても満足感はないだろう。どんな些細な勉強にも学ぶという姿勢に終着点はない。
執るべき進路は時に向こうからやってくる場合がある。そこに道が開けるように明るく照らされる。ある友人が言っていた。「最近は読むべき本が光っている」と。最近では図書館に行ってもその「光っている本」が余りないらしい。原因は図書館が本屋さんのように成ってしまっているか らと。図書館は何かを調べようと思っていかないと漂流して疲労だけが残る。その友人は音楽も自分がどんな音楽を聴きたいのかわかったという。どんな境地なのだろう。
志を求めている
生きていく上での生き甲斐を
師を求めている
道を追究し、それを辿る先人の背中を
死を求めている
生とは常に通過点
子を求めている
私の屍を礎とし、先へと歩んでいける魂を
生きていく上での生き甲斐を
師を求めている
道を追究し、それを辿る先人の背中を
死を求めている
生とは常に通過点
子を求めている
私の屍を礎とし、先へと歩んでいける魂を