支那そばや【5月15日まで】@新横浜ラーメン博物館
世界初のラーメンフードテーマパーク「新横浜ラーメン博物館」が30周年を迎える2024年へ向けた取り組みとして過去に出店した約40店舗の銘店が2年間かけ、3週間のリレー形式で出店するプロジェクト、2年で味わい尽くす、ラー博30年史~ラー博史上最大のプロジェクト「あの銘店をもう一度」を2022年7月1日から始動。
過去に出店した約40店舗の銘店が2年間かけ3週間のリレー形式で出店するプロジェクトになり、並行して2022年11月7日より1994年新横浜ラーメン博物館の創業店が3カ月間のリレー形式で出店する「あの銘店をもう一度"94年組"」もスタート。
あの銘店をもう一度ここまで出店した店。
第1弾 2022年7月1日~7月21日「井出商店」
第2弾 2022年7月22日~8月11日「牛乳屋食堂」
第3弾 2022年8月12日~9月1日「頑者」
第4弾 2022年9月2日~9月22日「中華そば 一力」
第5弾 2022年9月23日~10月13日「伊豆あまからや」
第6弾 2022年10月14日~11月3日「中華そば 坂本」
第7弾 2022年11月4日~11月24日「名人の味 らーめん爐」
第8弾 2022年11月25日~12月15日「大砲ラーメン」
第9弾 2022年11月26日~2023年1月9日「八戸麺道 大陸」
第10弾 2023年1月10日~1月30日「谷口食堂」
第11弾 2023年1月31日~2月20日「麺の坊 砦」
第12弾 2023年2月21日~3月13日「やよいそば」
第13弾 2023年3月14日~4月3日「元祖 名島亭」
第14弾 2023年4月4日~4月24日「新・函館ラーメン マメさん」
現在第15弾として出店中なのが「支那そばや」
ラーメンの歴史本があるのならば間違いなく掲載される名店中の名店で数々のラーメン店主に影響を与え「暖簾分け」や「弟子」など多く輩出し、横浜市戸塚区に本店を構える支那そばや。
ラーメン界では知らぬ者などいるはずもなくラーメンの鬼と言われTVや雑誌に度々登場するなどお茶の間でも有名だった支那そばや創業者の故 佐野実氏は神奈川県横浜市戸塚区出身。
学生時代からアルバイトをして家庭を支えつつ小遣いを貯め好きだったラーメン店に通っていたそうで、将来の夢はラーメン屋か寿司屋になると言ってたらしく中学生の時に初めて家族にラーメンを作って美味いと褒められたとか。
高校時代に学校の近くに好きなラーメン屋があって毎日のように登校前と昼休みの2回食べに行ってたらしいが高校卒業後は有名洋食レストランチェーン店に就職し、17年間洋食のコックとして店を渡り歩き趣味でラーメン店の食べ歩きを重ねていったそう。
休みの日には本格的に自宅でラーメンを作るようになり次第に独立してラーメン店を開きたいという思いが募り、修行はしたほうがいいとアドバイスをもらって湯河原の青竹手打ち麺がウリのラーメン店で1週間修業したのち1986年8月6日藤沢市鵠沼海岸に支那そばやをオープン。
開店から2年間は思うような味が作れず苦戦が続くものの少しずつ研究の成果が出てお客が増えていき、たまたま手に入った地鶏のガラでスープを取ったらこれまでより深みのあるスープができたらしくその素材が名古屋コーチン。
今ではそこまで珍しくはないけど多くの有名ラーメン店の店主が生産現場を訪ねて自分の目で確かめるのを最初にしたのが佐野氏と思われ、そこから食材の鬼と言われるようになっていった。
佐野さんは自分の目で確かめた厳選食材を弟子だけでなく他のラーメン店にも提供できるようにと食材の卸業として新たに「株式会社エヌアールフード」を設立し、全国のラーメン店がエヌアールフードから食材を仕入れるようになった。
全国のラーメン店を取材しては食べた佐野氏にとって最大とも言える大きな出会いがあり、山形県酒田市にある「麺処 味龍」の店主故 岡部正巳氏。
ラーメンフリークではあの佐野氏が唸った自家製麺を提供してる店として有名で、佐野氏は味龍の麺を食べた時に衝撃を受けたとのこと。
現代では当たり前のように使われてますが昔は小麦と言えば外国産が基本だったそうですが味龍は国産小麦を使用し、佐野氏は戻ってすぐ製麺所に国産小麦で麺を作ってほしいと依頼すると製麺所からは断られ更に国産小麦を調べるとパン用の強力粉として知られてる北海道のハルユタカに辿り着き札幌に行き製粉所に交渉すると当時は国産小麦の生産量も少なく、よそに分けるほど量がないという理由で断られたそうですが諦めることなく通い続けることによりハルユタカを分けてもらえることになったんだとか。
その後大金を投資して製麺室を作って製麺機を購入し、支那そばやの最大のウリにしてる自家製麺に切り替えたが、納得する麺を作るのに8年かかったそうです。
私が初めて支那そばやを食べたのは約21年位前の鵠沼時代で、真夏に早朝から行ってた辻堂海水浴場の帰りの昼過ぎに並んで食べたのが最初。
細かな印象は覚えてないが、とにかく震えるほど美味かった記憶を鮮明に覚えてる。
「ラー博」には2000年3月11日~2019年12月1日の約20年間出店してたがブログ開始前も入れて通算7回位しか行かず。
来年創業20周年を迎える二郎系の人気店「らーめん 陸」を食べた後ラー博に行って支那そばやを食べたことがあります。
今回支那そばやが提供するラーメンは本店とは異なる原点の鵠沼時代のらぁ麺を当時佐野氏が書き留めていたレシピをもとに復活させた醤油らぁ麺。
これを知った時あの震えるほど美味かった鵠沼時代の味が食べれると嬉しく、ここまで出店したあの銘店をもう一度の店では断トツで食べたいと思いましたよ。
3日前の15時50分頃に到着すると並びはなく半分位の客入り。
流石に平日アイドルタイムなのですぐ席に着けましたが、後からコンスタントに入ってきて私が退店する時には7割位席は埋まってたので支那そばやのネームバリューもデカいと思う。
ちなみに2020年10月14日オープンのラー博内に出店中の「淺草 來々軒」は支那そばやが運営してます。
出店してるスペースは「元祖 名島亭」の跡地で、かつて「支那そばや」が出店してた場所。
暖簾は過去ラー博に出店してた時に垂れ幕として掛けられてたのを暖簾にして、佐野氏の等身大パネルが置かれてます。
店頭には佐野実氏の魂宿るラーメン史に残る一杯と写真付きで置かれてます。
券売機。
全メニューは、鵠沼 醤油らぁ麺 レギュラー1400円、ミニ(チャーシューあり)850円、ミニ(チャーシューなし)650円・鵠沼 醤油ワンタン麺(4ケ) レギュラー1700円、ミニ1000円・鵠沼 金華豚チャーシュー麺 レギュラー2300円、ミニ1250円・ワンタントッピング(4ケ)300円・名古屋コーチン味付けたまご300円・名古屋コーチンたまごかけご飯500円・鮭節ご飯500円・きざみチャーシューご飯600円・YEBISUビール600円・30周年記念メモリアルトレーディングカード50円。
本店にある塩らぁ麺は提供せず確か鵠沼時代も醤油らぁ麺とトッピングのみだったはず。
支那そばや名物とも言える金華豚チャーシュー麺は販売してるけど2000円オーバー!
ここまで出店したあの銘店をもう一度の店では1番ご飯ものが揃ってます。
店壁に支那そばや復刻「鵠沼 醤油らぁ麺」厳選素材が掲示。
なお、鵠沼時代と同様店内で携帯電話通話禁止。
卓上調味料はミル入り胡椒。
あの銘店をもう一度の店舗やレギュラー店に行ったら30周年記念メモリアルトレーディングカードを買ってます。
注文したのは「鵠沼 醤油らぁ麺 レギュラー」¥1400+「きざみチャーシューご飯」¥600
ワンタンも食べてみたかったがデフォルト鵠沼 醤油らぁ麺とチャーシューご飯を。
鵠沼時代の復刻醤油らぁ麺なので当然現在の支那そばや醤油らぁ麺とは丼ぶりも含め違うけど、神奈川淡麗系とも言われる綺麗な醤油スープの色合いのみ近いですね。
丼ぶりは昔の支那そばやで使用してた白い丼ぶりにブルーで縁を囲み支那そばやとプリントされたのを使用。
スープは清湯醤油味。
鵠沼時代に食べた震えうるほど美味しいとは思わなかったがルックス同様味わいも現在の支那そばやとは結構違う昔の清湯醤油という印象。
ただ素材を上手く使用してる点は近いと感じ、出汁は名古屋コーチン・蔵王土鶏の丸鶏と昔と変わらず平田牧場の豚げんこつ・背ガラ等の動物系と数種の節類・ホタテ干し・羅臼昆布などを使用してるそう。
本店の醤油らぁ麺と同じく素材を多く使用しるけど動物出汁や魚介出汁が複雑に融合したり厚くしたりしてる印象はなく、旨味の層は多重層ながら調和されストレートに名古屋コーチン鶏出汁の旨味と華やかに香る魚介の風味が出ています。
醤油ダレはキレや深みこそないが角のない塩味とコクで割とシンプルな醤油感だけど、過去この系統のスープでバランスを失い微妙な味だった店もあったので出汁とタレのバランスは良いほうだったのではと。
最初より後半になるに連れ美味しさが加速していく理想的な味わいでしたね。
麺は自家製の細ストレート。
佐野氏が初めて使用した北海道産小麦ハルユタカを使用して作られた自家製麺のようで、現在の支那そばやより小麦密度は低いですね。
食感などは結構現在と近く柔らかめの食感にしなやかな舌触りと長さもハマってます。
現在粉は春よ恋を使用してるそうで今回は復刻支那そばやの為だけに当時取引していた江別製粉の協力のもと当時の麺を再現したとか。
具はチャーシュー・短冊太メンマ・海苔・九条ネギ。
チャーシューは平田牧場三元豚バークシャーのバラチャーシューになるそうで、旨味は抜けず十分詰まって適度に歯ごたえを残し古いチャーシューなど全く思わず美味しい。
メンマは現在穂先メンマですが当時使用していた台湾産の短冊メンマとのことで好み。
出汁に使用する素材以外に有明産海苔と九条ネギを当時から使用してたとは、強い拘りを感じましたね。
きざみチャーシューご飯は本店で食べたのと見た目同じですが本店ではバーナーで炙ったダイス状にカットしたチャーシューがたっぷりのってるが、こちらもダイス状カットチャーシューが多めに入ってるけど炙ってはなく歯ごたえの残るチャーシューが小さくても堪能できる。
チャーシューご飯好きなら頼んでもいいかと。
比べてはいけないが現代の濃厚な鶏油が浮いたり濃密な鶏の旨味だったりキレキレな醤油の清湯醤油ラーメンではなく物足りないと思う方もいるかもしれないが、1980年代から徐々に進化させていったこの一杯は食べておいて損はない復刻醤油らぁ麺です。
もう二度と復刻せず食べれないかもしれないし、気になる方は来週月曜日までに行きましょう。
私はもう1度食べに行こうか考え中。
次に出店する店はラー博出店中に2度食べ微妙だったが、現代に食べたらどう感じ思うのかある意味楽しみです。