このところのオリンピックに対する日本政府の対応や、

それに対する様々な意見・反応を見ると、日本が戦争に傾斜していったひな型を見ている気がします。

 

私は安易に現在と過去を同一視することを好みませんが、

じつに腑に落ちるところがあるのです。

 

「体面」と「希望的観測」を陸軍が主張し、

それに対して近衛首相が政治的判断の無能さを露呈し、

アメリカが譲歩してくれることへの期待があっさり打ち砕かれると、責任を放棄して辞め、

そのままなしくずしに戦争に突入していった、

そのひな形が「平和の祭典」オリンピックをめぐって目の前に展開しているのを見ているのです。

 

いつでも私は、左翼系の人間がただちに政府の行動を「戦争」と結びつけることに嫌悪を覚えますが、

(私はどちらかといえば保守派です)

まさしく日本が太平洋戦争へと傾斜していったのは、判断力の欠如と、根拠なき楽観というこの日本人気質です。

 

メディアに乗って流れる意見が二分され、「楽観」は「悲観」を馬鹿にし、「悲観」は「楽観」にヒステリックにわめく、

いずれの筏も破綻しています。

 

「楽観」が「世論は間違える」といいます。

なるほど、世論は間違えます、世論は誰かが言えばそれになびくススキのようなもので、

「なぜそう思うのか」と理由を問えば「なんとなく」か「誰それが言ったから」という無責任、思考停止の答えが返ってくるのが落ちです。

 

しかし、その一方で世論が間違っているとするなら、その世論の担い手によって選ばれた国会議員は、

その選任もまた誤りだったことを認めなければならなくなります。

世に言うブーメランがここに待っています。

だから、政治の担い手がそれを言うことは、自分の首に鎌を当てることだということに気づかなければならない。

 

まあ、言ったのは竹中平蔵という、政治家ではないが政治と非常に深く結びついている人間です。

市井の人であるなら、彼もまた世論の一部であって、間違える人間の一人だということは、

本人ばかりは自覚していない、ということなのでしょう。

 

 

オリンピックをやりたければ、その準備をする時間はあったのです。

ワクチンをどこの国よりも早く手に入れ、接種の全体計画を国民に示せば済んだのです。

オリンピックありきで動くなら、延期をした時点でそのように動く手はずを見せることができたはずです。

世論はススキのようなものですから、風向きが変われば勝手になびきます。

 

あるいは、「みなさん、五輪をやりましょう、皆さんの五輪ですからお願いします。」

と頭を下げれば、情にほだされやすい一定数はなびきます。

 

作っちゃったからいまさらやめられない、国際的な問題なのでやめられない、

体面を気にして破滅に向かう大日本帝国の亡霊が立ち現れたようです。

 

この一年の菅首相の答弁や回答は、まるでベケットの『ゴドーを待ちながら』の少年さながらです。

「ゴドーさんは今日は来ません。明日はきっと来ます。」だけを繰り返す少年。

「安心安全な大会を開くために全力を尽くします。」以上。

 

自分の生き死にをよそにおいて働き続ける医療従事者の方たちに対して、なぜ首相は感謝を言えないのか。

ワクチンを一日100万本打ちます、と言うけれど、それを打つ人間がいるということを彼は知らないのでしょうか。

なぜ「こんな無理なことをお願いして申し訳ないが、この国を救うためにあなたがたの力が必要なのです。」と言えないのか。

(それとも報道されないだけで、言っているのでしょうか。)

 

一日100万本打てたか打てなかったか、ということ以前に、それを打たねばならない人がいる、

それに思い至らない人物がこの国の代表者である、ということは、その代表者を置いた国民の過半数が、

やはりそれを打たねばならない人たちのことを考えていないということになるのでしょうか。

 

おそらくそうなのでしょう。

そういう国民が多くを占めるのであれば、自民党は次の選挙も安泰です。

オリンピックでお祭りムードを作り、「大成功」の看板を掲げれば、

それになびいてくれるものでしょう。

 

ワクチンの接種率が増えてきたんだから日本すごいじゃん、だからオリンピックもできるし、

中止しろって言ってるやつは馬鹿じゃないの、という意見を言っている人たちの頭には、

ほとんど休みも取らずにワクチンを打ち、治療に当たっている人間の顔は一人として浮かばないのでしょう。

 

そして、おそらくかなりの人数がそうした想像力を欠如させたまま、

オリンピックをやってみればなんか感動できた、やってよかった、という政府の思い通りの意見になびき、

国民の代表者である国会議員は反省する機会を与えられないまま、なあなあの政治を行うのです。

ワクチンの接種率が増えれば、やればできるじゃんとなって、のど元過ぎれば熱さ忘れるお気楽な国民は、

これからもきっと同じ轍を踏み続けます。

 

命がけで従事した医療関係者と自衛隊のマンパワーに世界は驚き、日本の信用は保たれるのかもしれません。

それは政治家のものではなく、受けるべき正当なねぎらいもなく、ただ善良さとまじめさゆえに心身を酷使した市井の人たちのものです。

 

同時に、それらの人々は少数だというのは、現在、政治を担っている代表者の顔ぶれをみればわかることです。

日本における民主主義はきわめて「健全」で、政治家の愚かさは、そのまま国民の鏡なのです。