体操女子の五輪代表選手が、未成年にもかかわらず飲酒・喫煙を行ったということで、

代表辞退となったことがニュースになりました。

多くの人が、その是非について意見が割れ、判断することの難しさを突き付けています。

 

ドライにいえば、法律と協会規則に反したのですから、辞退は止むをえないとすべきでしょう。

この件を大目に見れば、彼女だけが優遇されたということが、かえって他の選手に不公平な印象を持たせることにもなるかもしれません。

泣いて馬謖を斬る、厳しいことながら、全体を考えるなら、この処分は適切です。

 

同情論もあります、まだ19歳なのに、あるいはたかだか飲酒・喫煙くらいで出場辞退とは、など。

しかし、過ちは過ちですし、法律は法律です。

ただ、いくつかの意見にもありましたが、これで選手生命が絶たれる、というような

文脈を作らないように私たちは注意する必要があります。

 

人は間違えますし、過ちを犯します。

問題は、過ちを認識し、それを直す努力をするかどうかということです。

『論語』で孔子は「過ちて改めざる、是れを過ちと謂ふ」と言っています。

面白い表現の言葉です。

 

過ちだと気づかず、認めようともせずに、そのまま自分を正当化したり、

捨て鉢になったり、逆切れしたりする、それこそが「過ち」だというのは、

2000年以上を経てもなお真理だといえるでしょう。

 

『論語』には、「過ち」に関わる言葉がかなり残されています。

それは、人は間違えるが、大事なのはその間違いをどう正すかにある、というのが孔子の教えだったということをよく教えてくれますし、

大昔から「過ち」が様々な問題を引き起こしてきたということを教えてくれます。

 

「過てば則ち改むるに憚ること勿れ」という言葉、「間違っていたと分かったら、改めることをためらうな」という意味ですが、まったくその通りです。

危機回避に最も必要な能力です。

 

だから、今回の選手も、過ちと知ったらそれを改めて、次回につなげてほしいと思います。

次回でも23歳、まだまだ十分に戦えます。

 

ただ、そういってみたところで、私は根本的な解決にならないと思います。

今回の喫煙・飲酒がどういう背景から行ったのかは分かりませんが、

もしプレッシャーやストレスからの逃避行動として行っていたのだとしたら、

規則で縛ることで禁止しただけでは、協会の管理運営者の無責任だとも思うのです。

 

19年ほどしか生きていない人が、国を背負うという高揚感とプレッシャーに引き裂かれているのなら、メンタルのケアこそ重視しなければなりません。

日本では、全体的に気合と根性で済まされているような気がしてなりません。

 

もちろん、メンタル・トレーナーはいるでしょうし、そうした活動もあるのでしょうが、

そういう議論はあまり出てきていないように思われます。

私が無知なだけかもしれませんが、おそらくあまり知られていないでしょうから、

それこそマスコミはそうした存在に注目し、紹介し、議論のきっかけを作ってほしいと思います。

 

もっとも、メンタルの強さを間違った方向に助長させ、

自己正当化しかしない人間を作っては困るのですが。。。

「過ちて改めざる、是を過ちと謂ふ」、肝に銘じておきたい言葉です。