愛知県美術館で開催している「芸術植物園」に行ってきました。

着想は面白いのですが、その先に進まない底の浅いと言うしかない企画でした。

6セクションに分かれていましたが、それぞれの区別があまりつきません。
「植物にたくす」「植物をあつめる」「植物をみる」「植物をうつす」「植物をつくる」「植物をしらべる」……コンセプトがぼやけてしまっていました。

展示物も、古代から現代まで様々でしたが、どうにも弱い。
作品自体あまり抜群に優れたものではなかったので、やはり力に欠けます。
それよりも、なぜこのセクションにこの作品があるのか、よく分からない。

例えば、「植物をあつめる」というセクションに仁阿弥道八の《色絵雲錦文蓋物》がありますが、これは「植物をみる」でも構わないだろうというものです。

「植物園」と銘打つ以上、庭園ないし温室をうろうろするような愉しみが欲しいのですが、
何か遊び心にも欠けています。

何から何まで惜しい展示でした。

個人的には、名古屋の本草学者・伊藤圭介の資料が多数置かれていたことは嬉しかったのですが。


それよりも、です。

常設展示の木村定三コレクションから熊谷守一の作品が一部屋まるごとありました。
私は熊谷守一が大好きなのです。
輪郭をひいて塗り絵のように油絵の具をベタに塗る、このうえないシンプルな画面なのですが、
どこまでも魅力的です。

誰でも描けそうな絵に見えますが、とんでもない。
青緑の水面に一枚の黄色いポプラかなにかの葉っぱと赤い金魚と木の枝が出ているというだけの絵がありますが、見ていると、その池が見えてきます。

枝が木から落ち、恐らくは葉っぱも幾枚も浮かんでいる、金魚は行ったり来たりして、もう二三匹いるのでしょう。枝にはトンボも止まりにくるかもしれません。
たくさんの選択肢の中から、これだけあればすべてになる、というぎりぎりを選び出したのでしょう。

それ以上にあっけにとられたのは《伸餅》。
黄土色の背景に白い四角形が三つ、一つには赤茶の包丁が乗っています。
熊谷守一の絵には立体感がありません、べた塗りです、なのに、なのに、餅に見える。

・・・なぜだ?

絵に描いた餅が、ほんとうに餅に見えるというのは実はすごいことなのだと思います。

それから、卵もそうです。
丸を描けば卵科と思ったら大間違いで、盆の上に乗った卵は、今にも転がりそうです。

物を見尽くして、その中から本当に必要な線だけを見つけだしたのでしょう。



もう一部屋、オットー・ディックスの《戦争》シリーズ、版画です。
こちらは熊谷守一の真反対、戦争の惨禍が版画の技法とすさまじい画力で突きつけられます。
これを政治家の部屋に貼っておきたい、いや、無駄だろうな。


廊下に掛けられていた東松照明の写真も素晴らしかったですね、
名古屋出身の写真家で、空襲を受けた軍需工場の廃墟を撮った写真でした。


結局、企画展よりも常設展の方に軍配が上がったのは、
作品の力が強烈だったからでしょう。