2022年1月15日に行われた新春句会風景です。
コロナウイルスの感染拡大する中、先月に続いて参加者はすくなく5人となりましたが、少ないだけに気軽に発言できるということで、いろいろな意見が飛び交いました。
冒頭、雄策さんが「いつもおもうのだが、浜風の作品はちょっと変わっているというか、ありきたりではなく、個性的だとつくづくおもっている」との感想を述べ、順番に気になった作品について、意見がだされ論議しました。
最初は、4番「白葱や鍋治めたり斜め切り」(青三さん)に対して、「白葱や」の「や」の切りはなじまないからむしろ「白葱の」がよいのではとか、葱と鍋は付き過ぎなどの意見がありました。
その隣の「雪女次の頁は溶けてをり」(トミ子さん)に、この句を採った雄策さんが「この種の句は、現俳で賞をとるような句だ」と述べたものだから、即座に友作が「次の頁に何々というのは良くある句で、採れなかった」というと、さくらさんは自身とった理由として淋しさを感じる句だと述べました。
8番「待て待てと軍配のごと除夜の鐘」は誰も採っておらず、分からない句だということで、作者のうさぎさんに解説を求めました。うさぎさんは「いつも説明が上手くできないので、今日は書いて来た」とメモを読んで説明しました。
それは、最近の相撲は「待った!」が多いと感じていて、季語を何にしようかと思って浮かんだのが一年の区切りの除夜の鐘を思いついたというもの。
それを聞いて、何人かが納得の解説をした中、友作が「待て待てとは何?」と執拗に聴いている中、さくらさんが「軍配というのをもってきたのは、大晦日の鐘は、良い事もあり悪いこともあった一年を思って聞くからで、待て待てはその思いでは?」と言ったので、友作が「そうか、除夜の鐘はそんなに慌てて突くのではなく、一つ一つ思いを込めながら突けということで、待て待てというのか」と鑑賞の一言。
なお、「軍配の差配待ちおり除夜の鐘」がよいのではとか「ゴーンゴーン」を頭に入れたらどうかと雄策さんが話していました。
論議を呼んだのが18番「初富士や中村哲のひげ笑う」(啓子さん)で、出席者でただ一人選をしたうさぎさんが「中村哲さんのあの笑顔がうかんで、説明できないけど、直ぐに採った」と解説しましたが、友作が「ひげが笑う」というのはおかしいし、彼のひげはちょび髭で、富士山の形とは言えないから、作者の意図を聞いて見ないとわからないと酷評したところ、さくらさんが「亡くなられて日本に帰ってこられた象徴として富士をもってきて、安らかな気持ちを言うのでは」と見事な感想を述べました。
23番「いつの間に人生の午後石蕗の花」(洋子さん)に「暗い」「“人生の午後”ではなく“人生の朝”にしたら」などいろいろ声が出る中、さくらさんが「いつの間に人生の午後バラ真っ赤」が良いのではと言ったものだから、爆笑と共に「これからが私の人生よ!」という感じでそれが良いとの声も。
さくらさんが驚いたというのが24番「刹那とは0.1秒という句をメモす」(翔人さん)の句で、さくらさんがかつて「逢引きはコンマ一秒冬茜」という句を作ったので、そのことかしらと思ったと話しました。
この句では当初惠さんが「メモす」って何だかわからないと言っていたのですが、さくらさんの話を受けて納得。ただ、「という」とか「メモす」は説明すぎるとの批判の声もでました。
二頁目の25番、うさぎさんの「つゝましや論語唱えて深谷葱」に雄策さんが特選なので、何で特選なのと聞くと「良く分からないから採った」と言ったものだから大爆笑、しかし「論語と深谷葱の組み合わせが面白い」と評価。
そこで作者のうさぎさんに解説を求めると、「深谷市に渋沢栄一記念館があって、そこに行って作った句で、“つゝましい”というのは彼の生活がつつましいとい意味ではなく、こんな田舎から・・・という感じで使ったものだ」と解説しました。
ゑんんの「寒稽古七色振りつつ太うどん」に「七色って何?」の質問に友作が「七味だよ、でも“七色振りつつ”より“七味たっぷり”が良いのでは」と提案し、一同納得。
なお、27番の「大振りのママの半纏町出初め」について、欠席された龍二さんから「町出初め」より「出初式」の方がいいのではというコメントがありましたので、付け加えておきます
31番、32番とも古時計が出て来るが、雄策さんが「どちらも世界が狭い感じがする」と述べたのに対して、友作が惠さんの「毛糸編むボンボン時計を伴侶とし」(31番)について「ボンボン時計というのは“「せわしなさ”はなく、ゆっくり時間が過ぎて行く深夜を連想させ、それを背中に毛糸編む情景が浮かんでくる」と評価しました。
すると雄策さんが「そうなら具体的に時間がわかる言葉を入れた方がよい、例えば“三度なるボンボン時計毛糸編む”など」と述べました。
一方、順子さんの「愛おしきアナログ時計冬ごもり」(32番)に対しては、友作が「“愛おしき”なんて言ってしまわない方がよいのでは」と感想を述べました。
35番の友作の「青きネギ離れ離れに売られ行く」はスルーされ、且つ1点しか入らなかったので、本人があえて解説しましました。
「これは葱を作って売っている農家の人でなければ分からないと思うが、葱は種を蒔いて芽が出て密集して隣どおしくっ付いて育つのだが、売られるときはバラバラになって売られていく、その様は集団就職の様をおもわせる。仲良く一緒に学校生活を送った仲間が、上野駅でそれぞれの企業にバラバラになる感じだ」と述べると、さくらさんが「そうなら“青きネギ離れ離れに上野駅”が良いのでは」と提案し、友作も「それが良い」と賛同しました。
37番「葱を剥くまだ捨てられぬ性善説」(さくらさん)に対して、友作が「7点も入っているが良く分からないな」というと「性善説で信用しようか、それとも性悪説なのかと迷っている時に葱を向いて白く輝く葱をみると、もう一度信じて見ようという気になる」とさくらさん。そうなら「“まだ捨てられぬ性悪説”もありだな」との声もでました。
隣の38番「落ちている手袋なぜか片手かな」(青三さん)には、雄策さんが「落ちている手袋は大抵片方だ」と一蹴しました。
同じ7点句の43番「内海へオール漕ぎゆく姫はじめ」(雄策さん)にも、友作が「何で内海なのか」と疑問を呈すると、雄策さんは照れて「スルーして」と手をふりましたが、惠さんは「内海でよいのよ、良く分かるわ」と言い、他の人も“内海・・・姫はじめ”に納得した様子でした。
点は入らなかった博さんの「こうやくを剥がし変えては秋の選」に「こうやくって何?」との声もでましたが、惠さんが「秋の選って何かしら、それに1月の句にしてはね、間違いかしら」と首を傾げ、雄策さんが「こうやくを剥がし変えては三が日」が良いのではと言ったので、一同納得。
53番「初日の出善人のみの路線バス」(啓子さん)に、友作が「“初日の出----善人”は“初詣---善人”というように良くある句だが、“のみの”を“あふる”にして“初日の出善人あふる路線バス”にしたら実感が沸くのでは」と提案しました。
59番うさぎさんの「ベランダのすずなすずしろ七日粥」に対して、雄策さんが季語が三つも入っている、意図的なのかもしれないが、そうなら“ベランダのすずなすずしろセリナズナ”にしたら」と驚くような意見をだしました。
この句に惠さんが「ベランダで大根そだてるって・・・」と疑問を呈すると、うさぎさんは「田舎の家でベランダに置いてあった大根とカブを七草粥にいれた時のことで、育てたのではない」と解説しましたが、「ラディッシュなどはベランダでも育てている人いるよね」などと話が及びました。
雄策さんと友作が特選の61番「触れたいと想ふ人あり葱洗ふ」(寛さん)に、雄策さんに、どんな思いで選んだのかと聞かれた友作は「自分は農家育ちで、畑から採った葱を川で洗うのだが、土で黒かった葱が洗って艶のある真っ白になった時、思わず触りたくなるし、そういう人もいるという感じだ」と述べたのですが、「葱をむく」でも良いのではとの意見もありましたが、それでは余りにも直截的過ぎるとの声もでました。
最後は11点の最高得点句「幾晩も空と語りし凍み豆腐」(65番、惠さん)に、雄策さんが空とか宇宙とか入ると漠然として難しいので“星と語りし”にしたら」と提案すると惠さんは「晩と星ではね・・・」とちょっと渋った感じ。
ただ、雄策さんから「龍二さんから”幾”晩も”ではなく、“幾晩の”とか“幾晩を”にしたらどうか、との意見があった」と紹介されると惠さんも納得の様子でした。
以上