前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト -477ページ目

メーデーの思い出

①ビール片手でメーデーに

最近、イマイチ話題にもならないメーデーですが、私も大昔は会社(出版社の労組は左寄りなんです。共産系)の労組に動員されて出ていました。会社は出席扱いです。留守番は管理職。この日の管理職はアルバイトとともに、電話番に大忙しです。

集合場所(へんな音楽がかかっています)に行き、点呼され、主催者の指示でぞろぞろと歩き始めます。

恥ずかしいし素面じゃ叫べないので多くはビール片手です。歩いているうちに既に泥酔し、蛇行する者も出てきます。


②昼間っから大宴会

散々歩いて、叫んで、へとへとになったら、単組(各社の組合)ごとに組合費(自分が払った組合費ですよ)で昼間っから宴会です。

覚えているのは集合場所が(例の変な音楽。共産党系の恥ずかしい歌。ほら、歌声運動ってあったでしょう)異常にうるさかったこと、活動家のアジテーションが時代遅れに聞こえたこと、組合費を取り返そう、としこたま飲んで酔っ払ったことなどです。午後早くから8時、9時まで続くんですが、最後のカラオケでは複数の単組幹部が寝ています。歩いて疲れたんでしょう。


③変化がないと感じます

労組と経営者の関係は今も昔も弱者と強者なのですが、弱者に変化がないなあ、と今、冷静に感じます。

いまどきメーデーで気勢を上げても、盛り上がりに欠けているし、経営者も慣れていますから。

法的にどうなのか検証していない冗談ですが、組合が自社株を大量買いして、業績的に駄目な経営者は更迭、というのがインパクトとしては大きいでしょうね。

ただ、組合費はリスクマネーではないので、コンセンサスを得るのは難しいでしょうが。

とにかく、このままでは埒が明かないですね。方向性としてはアメリカのような産業別の大規模労組を作るとか、ドイツのような方向を目指すとか。このままじゃ絶対にだめで、やはり、連合なり何なりが、脱皮のデザインを描いていく必要があります。

難しいとは分かっていますが。


④このまま下火になるのは寂しいですね

客観的に盛り上がらないのが現状のメーデー、キューバのカストロを呼ぶ(生きてましたっけ?)とか、ミーハー的な客寄せもすべきだし、お金はあるのだから、一流のコンサルや広告代理店と戦略を立て直すことも考えて欲しいです。
昼間、共産党の議員さんに「地味なお祭り化している」と言ったら叱られました(でもさ、事実を言われたから起こるんだと思いますよ)が、まじめなだけではもたないですね。

『自動車絶望工場』(鎌田慧)の時代は過去のものとなりましたが、今も働く人々への不当な圧力はいくらでもあります。むしろ強くなっている。労働者の権利の底上げはやはり大切ですから、もっと頭とカネを使って盛り上げるべです。

憲法9条について「護憲」の皆さんに提案

そろそろ憲法記念日ですね。護憲の皆さんに戦略的メッセージです。

今の憲法9条について、政府としてはかなり強引な解釈をして、自衛隊を正当化しています。

基本的に護憲の皆さんの解釈の方が条文の文言に忠実です。ただ、条文をもう少し変えれば、あのような自衛隊を正当化する解釈は不可能になります。もし本当に皆さんの意見が本当に正しいと思うなら、そちらの方向での憲法改正をお考えになったらいかがでしょうか。平和憲法の完成のための改憲です。

戦前、自分たちが戦争へと国民を煽り立てた、と反省している一部大手新聞の皆さんは大いに反省しているに違いないですから、全面的にバックアップしてくれると思いますよ。


冗談はさておき、私は日陰にいて、日本のために日々、訓練している自衛隊の皆さんに敬意を表しています(和光は自衛隊の町で、自衛隊が身近です。正直訓練も大変そうで、幹部の方を見ていても現場の方を見ていても、やはり正当な位置づけが必要であると思うのです。だから、自衛隊の位置づけは法的にも何らかの形でもっと明らかにする必要があると思います。なんでもなあなあでごまかし続けるのは日本人の悪い癖です。今のような扱いでは、自衛隊の士気だって上がりません。


全ての戦争は自国の防衛という名目で行われた、という格言もあり、自衛隊を防衛軍にするのがいいのか、というと私はストレートには賛成できかねるのですが、うまい方法でこれまでのいわゆる軍隊と自衛隊の違いを明らかにできればいいですよね。


イデオロギーに振り回され、まともな議論ができない日本の憲法論議、私はそろそろやめてほしいと思います。自由に発想できない人々は不幸です。そして、その不幸な人々が日本人の言論の自由を奪っています。

今日は小学校英語教育の視察(授業参観)で行田へ

行田市の中央小学校に英語の授業の授業参観に行ってきました。

英語を小学校で教える特区と少人数学級特区を登録している行田市ですが、市長さんの話ではやはり教育に力を入れているとのお話。街づくりは人づくり、まあ、定番の決まり文句なのですが、予算を大規模に投入してやっている熱意を感じます。(金さえ突っ込めばいいというわけではないですが・・・。)

授業では、担任の先生、アシスタントイングリッシュティチャー(AET)の先生と、ボランティアさんの3人で行います。

まず始まりの歌、そして今日のテーマを朗読、繰り返し、その後、リズムボックスのリズムに乗って繰り返し、手作りのカルタを使ったゲーム、対話の実践、終わりの歌、という内容で、とにかく英語のリズムや発音、外国人に楽しく慣れよう、という内容でした。

楽しそうに見えたし、参加して私も楽しんだのですが、内気な子供には恥ずかしいようで、こっそりある議員が子供に「英語好き?」とたずねたら、「びみょー」という答えが返ってきたそうです。

また、教材やカリキュラムなど業者丸投げの市もあるようですが、ここでは全て手作りです。(春日部、岩槻を参考にしたそうです。)

特区としての授業は今年からで、始まったばかりなのですが、昨年も総合学習の三分の一を英語活動に充てていたため、それなりに準備ができていたそうです。

授業は専用の部屋で行い、雰囲気作りにも努力しているとのこと。確かに小学校というより、学童保育のような部屋でした。

年間授業計画を作るなどの役割は担任が受け持つため、大変そうでした。

また、ボランティアは定員の3倍も集まったようで、面接して決めたそうです。

ボランティアは一回3000円という交通費程度のお金で来て下さるそうで、ボランティアの方も楽しそうでした。

費用は人件費以外に全市で500万円~600万円かかっているとのことです。

一部議員からは、「役に立っているのか」「成果は」という質問がありましたが、市長さんは子供が楽しく英語に慣れ親しんでくれればいい、という「答弁?」でした。

小学校の英語に成果を求めることには無理がある、私はそう思います。

また、うまく授業を行えば、コミュニケーションのトレーニングにもなると思います。それにいくら使っていいかは議員がしっかり市民の意見を受け止めつつ判断すればいい。

特区を取るほどのものか、というのは私には判断がまだつきません。すくなくとも、「これは特区をとって今すぐやらねば」とは思えませんでした。むしろ、細かい工夫のところで和光市の小学校における総合学習の時間の英語教育に活かせる部分はないか、と振り返っています。

そうそう、行田名物ゼリーフライと十万石を食べました。美味でした。

「公務員=悪党」という決め付けの愚かさ~やる気をそぐのもモチベーションを高めるのも市民

◎公務員=市民の敵?

大阪市役所のヤミ給与事件以来、公務員=悪党、月給泥棒」という決め付けが再び市民に流布しています。でもね、公務員も皆さんと同じサラリーマンですよ。優秀なのもボンクラもいます。悪いのもまじめなのもいます。一緒くたにして、アホバカと叩けばまじめな人もやる気を失います。結局、税金が無駄になります。それなのに、あまり根拠もなく公務員叩きに狂奔する一部の議員、そして、それを見て拍手喝采する市民、という図式すら珍しくありません。

何より、本当に市役所の公務員は暇人ばかりなのか。実は部署によってはかなり多忙です。世間の公務員批判の一部は思い込みやマスコミによる洗脳です。何より、公務員の高給を批判しているマスコミの高給をご存知ですか。大手の新聞やテレビ、雑誌社の給与は今や大銀行以上です。別に高給でもいいのですが、マスコミは保護された規制産業だということも知っておいていただきたいと思います。それゆえの高給なのです。

悪事は止めさせなければならないし、ヤミ給与は詐欺、泥棒ですから、しっかり処断するとして、「公務員はアホバカ」という決め付けは止めましょう。


◎せっかくなのだから、気持ちよく働いてもらいたい

人は気分の生き物です。

気持ちよく働かせるのも議会や市民の役割です。

ちなみに、公務員の監視にわざわざ市民が出張るのは異常事態です。普段は議員に任せましょう。何のために予算の1%もつかって議会を持っているのかわかりません。そして、議員の言動にはよく注意しましょう。


◎職員や市長の悪口は、市民受けはいいものの・・・・

議員として職員や市長の悪口を言ってさえいればそれなりに受けはいいのですが、受けるために議員をやっているわけではありません。議員のうそやごまかしを見破るのは市民の仕事です。話は必ず複数の議員から裏を取るなど、方法はいろいろあるはずです。


◎でも役所は小さいほうがいい

公務員は税金を預かる大切な仕事なので、あまり待遇がひどいのはまずいと思います。また、税金を公正に扱うためには、ややこしくても手続きを守って仕事をすることを求められます。正義というより、手続きの正しさを守ることで、万人がある程度納得しうる行政が実現します。
つまり、公の仕事というのはコスト高になる運命です。だからこそ、役所は本当に必要なことだけをすべきなのです。

グルーグマンの『良い経済学悪い経済学』(日本経済新聞社)再読

最近、暴論が世間受けする現状を見て、「こりゃグルーグマンから学んで対処せねば」と思い、古い本(1997年)なのですが、再読してみました。

内容は、国と国が企業同士のように大競争をしている、というレスター・サローなどの説は論理的に、また、データ的に大嘘である、というもので、実際に、その論証をし、反論も論駁するという内容の本です。こんなに他人を切り捨てていたら、嫌われるだろうと思いますが、「友人を増やそうとは思わない」グルーグマンは徹底的に暴論を撃ちます。


著者は、「正当な学問的な努力をすれば理解できる、とっくの昔に論証されている事実とは反対」の、しかも「一見数字に基づいていてまともに見える、変な議論」が一般受けしてしまう事実について、「人は努力を怠る怠慢な存在だ」と述べます。つまり、経済学の基礎的なテキストを読めば「大競争」は怪しいと分かるはずだが、それより努力しなくてもそれらしいことをいえる「大競争」の側に加担すれば人は楽をして格好を付けられるから、そちらを選ぶものだ、というのです。グルーグマン、凄い度胸です。

そして、何となく論理的そうだが実は粗雑な暴論を振りかざす人々(しかも決して「アホ」とは言いがたいそれなりの地位にある人々)が確信犯なのか、あるいは本当に間違っているのか、と問います。


ちまちまと中身について説明してもしかたがないのですが、要は、「あんたら騙される前にちょっとは勉強しろよ」という内容で、とても不勉強な私には真似のできる内容ではなかったと、読みながら思い出しました。

騙されない程度の知識が身につくよう、努力ぐらいはせねば、というのが私なりの結論です。


ちなみに、議会で無茶な(まともな論理とかけ離れた)持論を展開する議員がいて、役所の人には「おいおい放っておくの?」と言いたくなる場面がありました。役所の人に「どうなの?」と聞くと苦しそうに笑っていました。ただ「じゃああんたが指摘してやれ」と言われると躊躇します。正面を切って明らかにおかしいことを指摘するには日本人は元々向かない気がします。それでも、明らかに変なことは変だと言うべきなのでしょうね。市民をミスリードしたり、騙すことになるのは心外ですから。

グルーグマンの数千分の一の能力なので数千分の一だけでも論駁するよう、努力します。

ちなみにここまで中身についてコメントしていなかったので一言。

国際競争力を叫ぶ人は内需のことを無視しているのではないか。貿易はすべてではない、と「国際競争力」の幻想をばっさりと切っておられます。日本とアメリカでは事情は違うにせよ、これは大切な考え方です。