グルーグマンの『良い経済学悪い経済学』(日本経済新聞社)再読
最近、暴論が世間受けする現状を見て、「こりゃグルーグマンから学んで対処せねば」と思い、古い本(1997年)なのですが、再読してみました。
内容は、国と国が企業同士のように大競争をしている、というレスター・サローなどの説は論理的に、また、データ的に大嘘である、というもので、実際に、その論証をし、反論も論駁するという内容の本です。こんなに他人を切り捨てていたら、嫌われるだろうと思いますが、「友人を増やそうとは思わない」グルーグマンは徹底的に暴論を撃ちます。
著者は、「正当な学問的な努力をすれば理解できる、とっくの昔に論証されている事実とは反対」の、しかも「一見数字に基づいていてまともに見える、変な議論」が一般受けしてしまう事実について、「人は努力を怠る怠慢な存在だ」と述べます。つまり、経済学の基礎的なテキストを読めば「大競争」は怪しいと分かるはずだが、それより努力しなくてもそれらしいことをいえる「大競争」の側に加担すれば人は楽をして格好を付けられるから、そちらを選ぶものだ、というのです。グルーグマン、凄い度胸です。
そして、何となく論理的そうだが実は粗雑な暴論を振りかざす人々(しかも決して「アホ」とは言いがたいそれなりの地位にある人々)が確信犯なのか、あるいは本当に間違っているのか、と問います。
ちまちまと中身について説明してもしかたがないのですが、要は、「あんたら騙される前にちょっとは勉強しろよ」という内容で、とても不勉強な私には真似のできる内容ではなかったと、読みながら思い出しました。
騙されない程度の知識が身につくよう、努力ぐらいはせねば、というのが私なりの結論です。
ちなみに、議会で無茶な(まともな論理とかけ離れた)持論を展開する議員がいて、役所の人には「おいおい放っておくの?」と言いたくなる場面がありました。役所の人に「どうなの?」と聞くと苦しそうに笑っていました。ただ「じゃああんたが指摘してやれ」と言われると躊躇します。正面を切って明らかにおかしいことを指摘するには日本人は元々向かない気がします。それでも、明らかに変なことは変だと言うべきなのでしょうね。市民をミスリードしたり、騙すことになるのは心外ですから。
グルーグマンの数千分の一の能力なので数千分の一だけでも論駁するよう、努力します。
ちなみにここまで中身についてコメントしていなかったので一言。
国際競争力を叫ぶ人は内需のことを無視しているのではないか。貿易はすべてではない、と「国際競争力」の幻想をばっさりと切っておられます。日本とアメリカでは事情は違うにせよ、これは大切な考え方です。