前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト -31ページ目

”防災の日は関東大震災の日”

 

 

みどりの自販機はみどりの窓口の代替にはならない、というユーザーなら誰もが知っていること

JRのみどりの窓口がどんどん廃止になり、窓口代わりに通話しながら切符が買える自販機が全国で拡大しているのだけれど、私がよく使うJR西日本の自販機の場合、機能が限られているので、結局はみどりの窓口がある駅に来てください、というケースがままある。
しかも駅員がいても、みどりの窓口が廃止されたことにより、切符関係は自販機でやってください、と言われるのだけれど、要するに自販機の機能以外のことは最寄り駅では何もできない、ということになる。
また、駅に1台しかない場合(これが多い)、不慣れなお客さんが操作で時間を食うので、本当に簡単な新幹線券を買いたいときに長時間待つ、なんてこともある。
これは分割民営化以来の大きなサービス低下としか言いようがない。
(もちろん、経営が苦しいのはわかるのだけれど、それなら自販機の機能を本当に窓口と同等にしていただきたいもの。)
さらにまずいことにJTB等、鉄道券を扱う代理店の窓口も減っているので、鉄道好きが使う特殊な乗り継ぎとか、特殊な変更とともに学割なんかもとても不便になる(昔は池袋駅のみどりの窓口が混んでいるときに、窓口でしか扱えないものは東武トラベルの窓口で発券してもらっていた)。
地元の駅のみどりの窓口が廃止で、でも同等の機能の自販機が云々、と言われてもそれはちょっと違うよ、と知っておいて損はないと思います。

高大連携講座、「高校生のための公共経済学入門(選挙と投票の経済学)」

前任校でのコラムを転載します

以下転載

8月4日(木)、高大連携公開講座として、公共経営学科では「高校生のための公共経済学入門(選挙と投票の経済学)」を実施しました。
まず前半には、経済学の考え方の基本となるモデル思考や、簡単な経済学モデルによる市場分析、さらには、将来公共分野で働くために不可欠の公共選択理論の基礎について、高校1年生でもわかるよう、事例を交えながら説明しました。
後半は、これらを踏まえ、参議院議員選挙や、広島県議会議員選挙の選挙結果などを分析しながら、多数決で物事を決めることの難しさや、選挙制度による選挙結果への影響の大きさなどを受講生同士で議論しながら、理解を深めました。

 

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自治体学会で「ラリーツーリズムの可能性」を内藤法子裾野市議と共同発表(口頭)

松本さん何やっているの、最近は、とよく聞かれます。大学の教員なので、研究と教育をやっています。
今年度の研究プロジェクトである「ラリーツーリズムの可能性」では、日大で非常勤講師も務められた内藤法子裾野市議の実践活動を軸に、ラリー大会を通じた地域起こしを研究しています。
本日は自治体学会で共同発表の機会をいただきました。
私の役割は、スポーツツーリズムの中のモーターツーリズム、さらにその中のニッチとしてのラリーツーリズムという関係性の整理を行うこと。さらに、実はラリーの競技の性質から開催ハードルが低く、全国で開催しうるのではないか、という内藤議員の問題意識を踏まえ、実際に開催地を取材して、どのような条件があれば開催しうるのか、ということを、TGRラリーチャレンジという初心者シリーズに的を絞って浮き彫りにしていくことにあります。
今日の発表では、ラリーとは何か、から説き起こしたため、駆け足になってしまいましたが、いわゆるメガイベントが注目されがちなスポーツツーリズムにおいて、ラリー、しかも初心者クラスという二ッチのシリーズについて、そのイベントとしての魅力の片りんをお伝え出来たのではないかと思います(温かいコメントをいただいた名古屋市立大学の三浦哲司先生、ありがとうございました)。
今回、コロナ禍の再拡大で取材したかったレースが相次いで中止となるなど、痺れる展開となりました。世の中、本当に何があるかわからない。

どうしても私はもとが出版業界の人間なので、研究というより取材になってしまうのですが、せっかくなので関連する諸事の取材研究を深めて行こうと思います。

とりあえず口頭発表でいただいたコメントを踏まえ、形にしていくことが当面の課題です。

それにしても、実は私とは市議同期の内藤さん、熱心な議会活動のみならず、知的活動でもそのエネルギーは素晴らしく、さすがの一言です。

(写真は渋川伊香保大会の一コマ)

「無党派という入れ物」の中身

政治、特に政党支持率に関する報道を見るに、世の中雑な議論が行き渡っているなあ、と思うのだけれど「ざくっと無党派」という大きな入れ物があるわけではない。

逆に有権者も「自分は無党派」とは思っても、その無党派がどういう無党派を意味するのかというと、これは一様ではない。

 

以前、パチンコ好きのセンセイが「山が動いた」とかつて述べたが、当時の社会党と自民党の間にある山がちょっと社会党に寄っただけのことである。「山がちょこっとずれた」という程度の話。

無党派といっても、有産か無産か、ローカルか非ローカルか、など、いくつかの切り口で見ると、一つの「無党派層」ではない、ということがすぐにわかるはず。自民に近い無党派もあれば、立憲に近い無党派もある。共産と立憲の間の無党派もある。立憲と維新は結構近いクラスターを食い合っている。

もとより、自民と立憲は対象とするクラスターは隣同士なのだから、そりゃ票が行ったり来たりする。

野党共闘で立憲が共産と組むと、立憲と自民の間の無党派が離れる、というのも同じような構造。それでも野党共闘は与野党両者が拮抗している選挙区では絶大な効果があるのだから、野党の戦略的には必須の選択肢ということになる。

逆に自民サイドからすると、野党共闘させないために、連合と親和的な政策を打ち出す、というのは非常に合理的だ。自民はもともと有産者の政党だが、過半数の議席を安定的に維持するためには「有産」の定義のハードルを下げ、ウイングを広げるということになるし、事実、それをやっている。

ちなみに、連合の現会長は共産嫌いだが、自分たちは労働者(≒無産者)の代表である、という意識があるのだろうか。おそらく、あの御仁がまともにそこを自問自答したことはないだろう。

共産は連合の仇敵である労連と一体だが、労連もまた、労働者の組織なのである。憎むとしてもそれは労連という組織であって、より労働者サイドに立ちうる議員を増やす、ということこそが連合の目的にかなうことを理解できないのであれば、それはもはや労働者の見方でも何でもない。ただの労働貴族である。

いずれにしても、無党派層が丸ごと右往左往している、というイメージの流布は有権者をバカにしている、としか言いようがない。

出所 地域政党サミット「情報オープン・しがらみフリーの新勢力」(CAP)より,松本作成