前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト -20ページ目

ラーメンを食べるときに原価を考える人、考えない人

原価と利益の話を学生にした際に、よく飲食店の原価率は3割だと言われる、という話とともに、あなたはラーメンにいくらまでなら出しますか?と問いました(手を挙げない人もあり)。

①普通のラーメン
500円まで 5人
501-1000円 35人
1001- 0
1501- 0

②豪華食材入りではないが超絶美味しいラーメン
500円まで 1人
501-1000 17人
1001-1500 18人
1501- 0

超絶美味しくても1000円までが半分、というのは渋いですが、1000円超を出してもいい、という人が半分います。

次に、皆さんはラーメンを食べるときに原価を考えますか?と問いました。
具体的には、麺がいくら、具材がいくら、スープがいくら、という積み上げで値段の妥当性を考えて店を選びますか?と問いました。

原価を考える、という学生はゼロでした。つまり、美味しいラーメンを食べながら原価を考える人は特殊で、商売的にはあまり考慮しなくてもいいのではないか、という仮説が成り立つよね、とと言うと皆「コクリ」と頷きました。
ちなみに、私は原価では判断しませんが、原価は常に考えてみる人種です。

さて、1000円超のラーメンは特別なラーメンならマーケットは小さくなるものの実現可能だ、ということは学生のアンケートでわかりましたので、雑ではありますが、1000円超のラーメンは商売の可能性として「アリ」という仮説も成り立ちます。

すると、いくら原価が安くても、超絶美味しいラーメンなら1000円超もらえる可能性があるよね、と問いました。
反対者はいませんでした。

そこで、原価が安い1000円超のラーメンを限られたマーケットを対象に売る、というビジネスの良い点ってある?
と問うたのですが、皆首をかしげてしまいました。

そこで、時間もないので「仮に原価率3割が基本だと話したけれど、原価率15%でラーメンを出したら、基本的に店の粗利が増えるよね、そうすれば店主の考え方次第だけれど、①店主の儲けか②従業員の時給が増やせるよね」と話しました。

安くてよいものを売る、というのが美徳のように思う日本人が多いけど、食べない自由もあるわけだし、1000円超のラーメンって悪くないよね、という話でその場は締めました。

安くて良いもの、という日本人の呪縛を突き抜けることができる経営者から順に、デフレから離陸して行くんだろうなあ、とふと思いました。

 

ちなみに写真のラーメンは1150円の喜多方ラーメンです。

「キャリア形成論」で、最新の男女共同参画白書概要版の本編を学生と読み解く

「キャリア形成論」の講義で、最新の男女共同参画白書概要版の本編を読み解きながら、男女共同参画を取り巻く男性・女性の意識の変化を学生と議論しました。
令和5年6月の男女共同参画白書では、昭和モデルと令和モデル、という対比をしていますが、実際には男女ともに意識は徐々にグラデーションのように変化しているのが調査結果からわかります。女性にとって働きやすい方向に男女の意識が変化し、男性の育児や家事への参画も進み、ただ、ペースが十分な速さではないために、少子化は加速している(もちろんほかの要素もある)。
方向性は良い方向なのは間違いなく、社会の変化のペースの遅さを一人ひとりの家庭での話し合いなどで補って行けば、希望はある、そんなデータだよね、という話をしました。
ちなみに、グラフの専業主婦コースを望む人の割合が平成から令和にかけて男女間で大きく逆転し、今、男性と女性で意識のボタンの掛け違いが顕著ですが、この点については学生同士で議論してもらいました。

それにしても、生まれた年による人生の差の大きさに心が痛む。

白書概要版(R5)P3には、昭和41年生、51年生、61年生、平成13年生の人生と日本経済の主な出来事がプロットされている。親ガチャはよく言われるが、生まれた年によるガチャ/不公平も大きい。ちなみに私は昭和44年生なので、引く手数多のバブル最終列車で社会に出た。まさに滑り込みである。

 

 

 

 

 

井の中の蛙

荘子の秋水篇といえば「井の中の蛙大海を知らず」の出典なのですが、原典は、普段使われている感覚とは結構イメージとは違います。

「公孫竜が魏牟(ぎぼう)に言った,「私は若いときに先王の教えを学びました。長じて仁義の道徳を理解しました(中略)あらゆる人々の議論を論破しました。私は実にあらゆることを理解したのだと思いました。
 ところが今,荘子のことを聞き,驚きで自分を失いました(茫然自失の有様でした)。私は議論であるいは知識で彼に比肩できるかどうかわかりません。私は最早自分の口が開けられません。どうか私にその秘密をお分け与えください。」

 公子の牟は机に寄りかかって,溜息をついた。そして天を見上げ笑いながら言った,「君は浅い泉に住む蛙のことを聞いたことがあるでしょう。蛙は東海の亀に言った,“なんてすばらしいんだろう! わしは泉の周りの柵に跳び上がり,休むときは欠けた煉瓦片の窪みにもぐるし。泳ぐときは,わきの窪みを浮かせ,水の上にあごを休ませてさ。泥に突っ込んでは足首までのめり込ませ,わしの周りにはザル貝や蟹やおたまじゃくしがいるが,わしにかなうものはいない。おまけにさ,このような水たまりを独り占めにして,浅い泉はわしのもの,誰も味わえぬ幸せってなもんだ。お前さんなぜ来ない,来てみなよ。”
 「東海の亀が左足を泉に踏み入れようとする前に,右膝がつっかえてしまっていた。そこで亀は後ずさりし,(泉にはいるのは)勘弁してもらった。それから,亀は海について語ることにして言った。“海の広さは千里ではとても測れないし,深さは千尋(ちひろ)ではとても及ばない。偉大な禺(う)の時代には,十年の間に九回も洪水があったが,海の嵩は変わらなかった。湯(とう)の時代には八年の間に七年も干ばつが続いたが,海の岸辺は沖に後退しなかったものだ。それは時の経過によって影響されないし,水の増減で影響されるのでもない。こういうのが,東海の大きな幸せというものだよ。”
 これを聞いた浅い泉の蛙は,すっかりたまげてしまって,姿が見えなくなるほどに縮み上がってしまったよ。

 「知識が真偽を正確に評価できないほど貧弱なのに,荘子を理解しようと試みることは,蚊が山を運ぼうとし,虫が河を泳ぎ渡ろうと試みるようなものだ。勿論,失敗さ。その上,その知識が最も精妙な教えに達するのにほど遠い人が,一時的に間に合わせの成功で満足すること,──泉の中の蛙のようなものでないかね。」

読んであらためて感じるのは、まず、蛙は縮み上がるのだから偉い、ということ。私だって悔しいから、なかなかそれを素直に認めることはできませんからね。
一方で、もう一つ感じるのは、人と蛙の本質的な違い。
人と泉の蛙の違いは、人は地球に縛り付けられた吹けば飛ぶような存在ではあるものの、宇宙の歴史や宇宙の構造にまで関心を広げ、それらについて知識を蓄積し、さらに深めようとしている点。「井の中の蛙」がその分を超えていこうと努力している。もとより、私はその任にはないけれど、それ(宇宙の真理にすら関心を拡げ、成果を上げる)こそが人の人たるゆえんであると思っています。
ちなみに「井の中の蛙大海を知らず」の後に後世の人が「されど空の青さを知る」という接ぎ穂をつけたそうですが、青い空の向こうを眺める蛙、というのもなかなかロマンがありますね。



池袋で武蔵野肉うどん

サミット期間中のラスト東京飯がこれでした。池袋の武蔵野肉うどん「うちたて家」。ゴリゴリの手打ちうどんを出汁と醤油が効いたつけ汁でいただくタイプ。
武蔵野うどんは讃岐うどんとは似て非なるものどころか別料理と言っていいジャンルですが、ここのはさらに先鋭的な歯応えある麺。
春休みに讃岐うどんを二ヶ所まわったばかりなので特に楽しくいただきました。洗練度では桶川のいしづかが上ですが、個性と力強さはこちらが上。甲乙つけ難いレベルの名店でした。











AIが世の専門的な活字データ、紙媒体のデータを飲み込み終わるとき

AIがとんでもないスピードで世の中を変えていく。なにより注目はそのスピード感である。


たとえば、100万ユーザー獲得までに、
ネトフリ 3.5年
Twitter 2年
Facebook 10か月
Instagram 2.5か月
ChatGPT 5日(Statista調べ)。とんでもないスピードで普及しているだけでなく、その中身も劇的に変化している。

で、元書籍編集者としての私が考える次の焦点は、学術書、実務書、基本書などの活字媒体を誰がどう、AIに食わせるのか、ということ。

暇人がいわゆる書籍のPDF化の自炊方式でどんどん専門的な活字媒体をAIに食わせたとして、著作権やその対価がどうなるのかは興味深いが、それよりも大きな問題は、活字媒体を飲み込んだAIはあらゆる専門的な知見を総合した存在になるということ。

 

おそらく、専門の研究機関でそれに類したことをやっているのだろうけれど、(一定の質の)一通りの活字媒体をAIに食わせ終わったら、また、AIは次のステージに行く。

今、AIがアホな間違いをするのはアホなネット情報を片っ端から食っているから。

そうではなく、「これは正しい」と言える専門的な書籍と学術誌を食わせて、専門的な判断はそこからだけ行う、という設定にすれば、AIの判断はより洗練されたものになる。

また、日本で言うと、古文書(のうち確実に偽書でないもの)のデータをどんどん食わせると、過去の日本社会の実像がより明確に見えたりもするだろう。

しかもこういう変化はごく近いうちにやってくる。

 

社会と仕事、という意味では、弁護士/検察官/裁判官や会計士/税理士が失業する説がよく言われるが、たとえば、不動産鑑定士は一番儲かる公的な鑑定評価の仕事を近いうちに失うだろう。評価理論の知識、鑑定評価書の事例、全国の取引事例を集約すれば瞬時に仕事は終わる。

 

また、過去の学術的な発見が実は違ってました、的な話もたくさん出てきそう。歴史の解釈も変わるだろう。

 

活字データや紙媒体のAIへの統合でどのような未来が来るか、怖い面もあるが興味は尽きない。