前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト -126ページ目

幼児教育保育無償化にかかる国と地方の協議がありました

本日行われた幼児教育保育無償化に関する政府と地方との協議で政府の譲歩案がニュースになっています。
ニュースの論調だと、かなり大幅な譲歩案という書き振りですが、もともと政府が言い出しっぺですから、このレベルのことはもっと早く示してほしかったな、と思います。
立谷会長が持ち帰りましたので、今後、前回の市長会の理事評議員の合同会議での「一度広く確認して欲しい」という多治見市長をはじめとするご意見を踏まえ、どういう着地を考えうるのか、無理なのか、また、無理なら理解が得られる条件はどの辺りなのか、そんなことも探りつつ、併せて保育の質はどう守るのか、仮に指導監督基準を満たさない施設に補助するとして、数年スパンで改善して本当に質が確保されうるのか、まだまだ不安しかありません。

特にベビーシッターの扱い(正直、対象外が望ましいというのが多くの市長の意見です)など、課題はまだまだ山積です。

以下引用
「認可外保育施設や私立幼稚園にかかる費用について、国の負担を2分の1に増やす案を提示。国が3分の1負担する当初案よりも譲歩した。地方側は一定の理解を示しつつも、政府案を受け入れるかどうかは明言せず持ち帰った。」(共同)

市長会と不交付団体と私〜子どもたちのための無償化はできるのか

幼児教育・保育無償化を子どものための施策として仮に来年10月、スムーズに導入するには、質の視点&議論が欠かせない。これは大前提。ここは例えば、継続的かつ改善サイクルのある協議の仕組みが不可欠です。
一方、財政論はこれも本丸。
市町村の持ち出しは他の施策に大きく響きます。特に地方交付税の不交付団体はダイレクトに影響を受けます。
今回、市長会としての国との協議に参画して、従来の市長会と差を感じるのが不交付団体への配慮があるということです。
立谷会長(相馬市長)や役員各位は、国とのやりとりで不交付団体の視座を必ず持ってくれます。これは未だかつてないことであり、この事実を踏まえ、私は市長会との一体感をもって私なりにできる役割を果たしています。今までは、やはりどこかに見えない溝がないかといえば、ありました。

今後の展開は、まだなかなか見えませんが、市のうち1割近くを占める不交付団体が見殺しになるようなことがあるとしたら、看過できないし、万一、そういう捉え方になるような条件が国から出てきたら、私は市長会のお役目という点ではそういうものは飲めません。
全額国費と言っていたのがいつのまにか地財措置になるのはいつものパターン(まあ、お約束、かな。どうかと思うけど)。いつもならこれで不交付団体は切り離して見殺し。でも、今回はそうではない。そこでどこまで会として不交付団体に関して粘るか。
どうしても、適当なところで切り上げ、ということならば、今いただいている子ども子育て検討会議の座長というお役目はサクッと返上させていただくことになろうかと思います。でないと和光市民をはじめとする不交付団体の住民に合わせる顔がない。
まさに、いわゆる皺腹をかき切る、というやつでしょうか。
もっとも、最近運動不足で皺腹というよりは太鼓腹に近いかもしれませんが…。切れ目から体脂肪が漏出したら、みっともないですね。

もちろん、引き受けた座長というお役目はやり切るのが当たり前であり、そのつもりでいたいとは思っています。でも切るべきときは、躊躇いなく腹を切ります。

「加速 アクセラレータプログラム」開講!

中小機構、理研とともに立ち上げた和光理研インキュベーションプラザ

その10周年を記念して開催されているのが「加速 アクセラレータプログラム」。
本日はその第一講。厳しい選抜を勝ち抜いた受講生の皆さんを応援すべく、私もその様子を拝見し、その後、懇親会まで参加させていただきました(森若さんと同じ南口の「浩治朗」さんが会場。ここはひとつひとつ手作りで特に焼き物が旨い)。
理研のお膝元である和光市で、元気なベンチャーが育つことを祈り、市として可能な応援ができればと思います。

和光市出身の映画監督 古新舜氏が映画「あまのがわ」の公開決定等の報告に来られました

和光市出身の映画監督 古新舜氏が映画「あまのがわ」の公開決定と前作「ノー・ヴォイス」の新たなメディア展開の報告に来られました。
「あまのがわ」は「親との葛藤に悩み不登校となる女子高生が、全身が不自由な青年の操るロボットと旅に出る」という物語。舞台は鹿児島と屋久島です。
この映画で注目されているのはやはり、あの哀川翔のお嬢さんである福地桃子さんとロボット「オリヒメ」。
メーカーによると、「子育てや単身赴任、入院など距離や身体的問題によって行きたいところに行けない人のもう一つの身体、それが「OriHime」です。OriHimeにはカメラ・マイク・スピーカーが搭載されており、家や会社など行きたいところに置き、インターネットを通して操作できます。OriHimeを操作することで、周囲を見回したり、あたりの人と「あたかもその人がそこにいるように」会話できます。」
というものなのですが、正直、この映画のコンセプトが明確に見えてくるまで、このロボットの明確な存在理由がはっきり認識できませんでした。しかし、ロボットを通じて旅をし、共に成長していくプロセスはまさに、...オリヒメならでは。
SFのようでリアルであり、リアルであって、でもSF的でもある。
こんな超難しい素材を古新監督がどう料理したのか。
コンセプトがとてもわかりやすかった「ノー・ヴォイス」とは全く違った古新ワールドが楽しめそうです。

そして、殺処分ゼロ、が今や世間の共通の目標となった今、「ノー・ヴォイス」もまた、メディアミックスにより、新たな展開が。
今でも学校や地域のさまざまな拠点で上映されるこの作品。しかし、映像では伝えきれなかったメッセージや情報がたくさんあるといいます。
そこで監督が筆をとり、次なる展開がすでに動いているとのこと。「いのち」というテーマを追究し続ける古新監督だけに、来春が楽しみです。

学童保育の人員配置に関する19日の新聞報道について

まず、和光市ではこれからも学童保育が学童保育であるなら、人の配置には変更はないです。

さて、学童保育の人員配置に関するいくつかの新聞記事が出ています。市長会で直接的に扱った子ども子育て検討部会の座長として補足します。
まず、参酌基準化の背景には、多様な地域事情を踏まえて、市町村長を先頭に基礎自治体がその責任において子どもたちの安全と環境を守るから、全部規制をするのはやめよ、という趣旨で国と地方が意見交換してきたこれまでの流れがあります。
記事を書いた記者の多くはこれを機に安全が後退する、と信じ切っているのですが、現場を預かる役所役場はそんなに単純な生き物でしょうか。
むしろ、知恵を発揮する要素が出てきたら現場はいろいろなアイデアを出すのではないでしょうか。今はがんじがらめで、ただでさえ人の足りない地方では、人手不足による学童保育の閉鎖も懸念されます。
何しろ、誰からも頼みまれしない保育の無償化で莫大な保育需要が喚起されたら、人手不足はさらに進むでしょうから。

さて、今回の参酌基準化でも、あくまでも常時一人保育というものは認めません。ただ、一人は同じ施設内に併設された児童館の職員との兼務をするとか、そういうものを認めるという話です。僻地では有資格者をそろえるのが大変だという現状があり、また保育人数も一ケタというケースがざらです。こういう場合に一人は兼務等ではだめだろうか、という話が僻地を抱える首長さんからあったのです。
たとえば、トイレに行く間、安全管理をしてもらうとか、そういう形で事故を防止するのが大前提です。
この前提が曲げられるのであれば、市長会としてのこの方向には賛同できません。
なお、参酌化の議論の中で、私は基準を全部守った学童を学童保育Aタイプ、一部遵守を学童保育Bタイプとか分けりゃいいじゃん、という立場だったのですが、なかなかそれは通らなくて。
要は市民が選べるのが良貨が悪貨を駆逐する仕組みになると思ったんですが賛同がなくてすみません。

それと、やはり記事を単純に読み取り、一方的な主張に耳を傾けた方々から批判があるようで、記者がちゃんと勉強しないととんでもなく迷惑だということをあらためて表明しておきます。