本日は久しぶりのポタリング。
 とは言っても近場ですけどね。

 東横堀川(ひがしよこぼりがわ)とは・・。
 大阪府大阪市を流れる運河。
 土佐堀川の上流部で南へ分かれて、中央区の船場・島之内の東縁を流れる。
 全長約3km。西へ向きを変えてから下流は道頓堀川となる。

 1585年(天正13年)に豊臣秀吉の命により大坂城の西惣構堀として開削された、
 大阪市で最古の堀川である。
 なお、1594年(文禄3年)の開削とする説もある。
 1615年(慶長20年)に大坂冬の陣で徳川方と豊臣方が和睦する際、大坂城の
 惣掘の一部であるので和睦の条件の通りに埋め立てられた。
 しかし、大坂夏の陣で大坂城が落城するとすぐに掘り返され、ほぼ同時に
 堀止から西へ道頓堀川が開削され、1622年(元和8年)には末吉橋の
 下流側から西へ長堀川が開削された。 以上、wikiより。


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 昨日の日報は コチラ → 本日は・・昼から生野区中川方面へ散歩。

 02月の散策記事

         焼野まで旧街道をポタリング。 210211 その1
         焼野まで旧街道をポタリング。 210211 その2

         この土日の平野道標散策+平野まではポタ。210214その1
         この土日の平野道標散策+平野まではポタ。210214その2

         旧街道ポタ(短め)。 210228

 03月の散策記事

         深江お地蔵さま散歩。 210307

 1月以前の参拝記事はコチラ

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 写真①、本日のGoogle走行軌跡。
     行きは通常の大阪城へ向かう北八尾・暗越経由のルートで。
     筋鉄門から大阪城を出て「京阪東口」から土佐堀通を西行。
     東横堀川の両岸は建屋が並んで走れないのでその前の道を
     交互に南下。
     道頓堀川になる新大和橋まで来たので安堂寺橋まで戻って東へ。
     うろうろしつつ、帰宅の途につきました。

     出発:  9:50
     帰宅: 12:50
     総走行距離:約20km
     


 写真②、とりあえず暗越奈良街道に入ってすぐにある熊野大神宮に参拝。
     本日の安全祈願をお願いしておきます。


 写真③、こちらが神社の鳥居の斜向かいの半跏のお地蔵さま。


 写真④、続いてお隣の妙法寺にも参拝。

      その後はいつもの道順で・・。


 写真⑤、街道沿いの『法界地蔵尊』。
     左に燈篭、右に石標あり。
     わりと大きい。
     が、詳細は不明。


 写真⑥、中本橋近くの民家の前に割と新しい巳さんが
     祀られていました。

10:25 大阪城公園、森ノ宮口に到着。


 写真⑦、本日の大阪城公園、森ノ宮口です。
     写真の通り、両脇の桜並木はまだまだの模様。
     しかし・・。


 写真⑧、森ノ宮口の端っこのベニバスモモはほぼ満開。


 写真⑨、ついでに桃園も覗いてきました。
     白の『関白』に続き、ピンクの『矢口』も
     咲きそろってきました。

      その後、筋鉄門を抜け、追手門学院と日経新聞社の
      間を通り抜けて、京阪東口へ。
      ここからは土佐堀通りを西へ。


 写真⑩、天満橋の交差点で信号待ち。
     右奥は京阪電車の天満橋駅です。


 写真⑪、『熊野かいどう』の石碑の前を通り抜け。
     尚、石碑右手の土佐堀川沿いが八軒屋浜です。
     八軒屋浜は平安時代までは渡辺津と呼ばれ、全国の
     『渡辺』さんという名字の発祥地です。


 写真⑫、近くまで来たので坐摩(いかすり)神社、行宮。
     及び豊磐間戸・奇磐間戸神社に参拝。

     尚、ここは熊野詣での九十九王子の第一王子社が
     あったと言われています。

      さらに西へ進みます。


 写真⑬、13番目にしてようやく東横堀川に到着。
     右の土佐堀通の橋が土佐堀川から流入する
     葭屋橋(よしやばし)。
     今回は左の橋の今橋を渡ります。


 写真⑭、こちらは3番目の橋の高麗橋。
     大坂に12あった公儀橋のひとつですが現在の橋は
     昭和4年(1929年)造られた鉄筋コンクリート製アーチ橋です。


 写真⑮、高麗橋の東詰にある『里程元標跡』碑。
     今でいう道路元標ですが明治時代に各街道の起点がここに
     集約されました。
     暗越奈良街道なんかも元々は玉造が起点だったのに
     明治になってこちらまで延長することになったようです。

     なお、現在大阪の道路元標は昭和27年から梅田新道交差点の
     北西角(大阪駅前第三ビルの前)に変なオブジェがあります。


 写真⑯、こちらは4番目の平野橋。
     現在の平野橋は1935年(昭和10年)に架け替えられたもので、
     上路ランガー桁とよばれる形式で、当時世界初であるといわれた。
     現在でも珍しい部類とされる。


 写真⑰、こちらは5番目の大手橋。
     近世以来の古称である思案橋(しあんばし)とも呼ばれる。
     1926年(大正15年)に再建のコンクリートアーチ橋。


 写真⑱、こちらは6番目の本町橋。
     橋の上は本町通です。
     現在の橋は1913年(大正2年)に架け替えられたもので、
     大阪市内では現役最古の橋。


 写真⑲、本町橋の上から南を眺める。
     掘割のハズなのにここだけS字に蛇行している
     通称『本町の曲がり』。


 写真⑳、『本町の曲がり』のそばには地蔵堂があります。
     『曲がり淵地蔵尊』です。
     曲がりの為に川の水流が渦となっていたため昔は
     入水自殺が絶えなかったようでそのために水難除けの
     お地蔵さまをお祀りしたのがはじまりだとか。

     尚、こちらは厳重に施錠されている為、中には入れません。
     写真は格子の隙間から撮影しました。



      その2に続く。