尚、深江とは東成区の東部に位置し、町の東端は東大阪市に接し、
 中央を南北に内環状線、南側に大阪枚岡線が走っています。
 古代よりの笠縫邑跡と言われ深江の菅笠として有名で、
 江戸時代には、深江の菅笠が名産となり、伊勢参りの道中笠として
 買い求める人々で賑わいました。
 周辺には、歴史のある神社仏閣も多く、白壁や土蔵の街並みなど
 落ち着いたたたずまいを残しています。

 地域概要は面積:0.37k㎡/人口:5,960人/世帯:2,812世帯
 平成27年国勢調査より 以上、東成区のHPより。


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 昨日の日報は コチラ → 本日は・・昨日に引き続き深江地蔵散歩。


 01月の散策記事

         お墓参りついでの散策 210108

 11月以前の参拝記事はコチラ

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 写真①、今回は深江周辺のGoogleマップ。

     なお、この辺まではウチの家から徒歩11~2分くらい。


 写真②、まずは今里新道商店街から続く街角に鎮座する『子安地蔵尊』。


 写真③、子安地蔵さま、近影。


 写真④、続いては『御通告地蔵尊』。


 写真⑤、御通告地蔵さま、近影。
     さて、ナニを通告してくれるのかはわかりません。


 写真⑥、『旭地蔵尊』。 


 写真⑦、旭地蔵さま、近影。 


 写真⑧、途中にあった元、屋敷神の小祠。
     『島光大神・釼大神』。
     この辺の地主の山路さんの敷地内、現在は塀もなく
     誰でも参拝できます。


 写真⑨、続いて、『深美継地蔵尊』に来たのはいいんですが・・。
     残念ながら移転?もしくは撤去?された模様。


 写真⑩、気を取り直して、続いては『水呑地蔵尊』。。


 写真⑪、水呑地蔵さま、近影。


 写真⑫、『高原地蔵尊』。
     こちらも路地の奥なので分かりにくい。


 写真⑬、高原地蔵さま、近影。
     以下、掲示されていた由来。

      今は昔「深江の郷に男ありき」で始まる深江の故事によると、
     『当時の村人が鍬で畑を耕している時、何か先に当たるものが
     ありました。
      掘り出してみると、三角の形をした石が出てきました。
      その石には自然に出来たであろうお地蔵様のお姿が夕日に映えて
     浮き上がっていました。
      村人は地蔵石を大事に持ち帰り、祠を建ててお祀りし、出土した
     高原地区の名にちなんで高原地蔵と命名し、毎日村の安泰を
     祈りました。
      それ以後、村には災いや、疫病がなくなり、穏やかな日々が
     続きました。』 (高原地蔵尊故事より)


 写真⑭、こちらは『安堵の辻地蔵尊』。

      法明寺に残されている安堵の御影縁起(法明上人の弟の西願が、
     沙弥教信と法明上人がお話しされているところを描いた図)によると、
      貞和4年(1348)の春突如として空中に紫の雲が現れ、その雲から
     尊い僧、沙弥教信が姿を現わし、法明上人に向って

    「あなたは永年念仏を唱えながら、人々を助けてこられました。
    おかげで来年の6月16日の朝、極楽へ安らかに旅立つことが出来るでしょう」と。

     上人はよいお告げを聞いたと喜び、お告げ通りに、その日に亡くなりました。
     その尊い僧に法明上人が出逢ったところが辻だったので、この辻を
    「安堵(安心)の辻」と呼ぶようになったと伝えられています。


 写真⑮、安堵の辻地蔵さま、近影。


 写真⑯、続いては南に降りて・・。
     『中小路地蔵尊』。


 写真⑰、中小路地蔵さま、近影。


 写真⑱、その近くの『段倉』。
     深江は かつて低湿地帯であったので、雨が続くと洪水が
     起こって水につかりやすいので、石を高く積み上げた倉(段倉)が
     生まれました。


 写真⑲、深江稲荷神社の北東角に鎮座する『南小路地蔵尊』。


 写真⑳、南小路地蔵さま、近影。


      以上、昨日彷徨ってきた深江のお地蔵散歩の記事でした。