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 昨日の日報は コチラ → 本日は・・花粉症ですがポタリング。



 1月の参拝記事

         第206回 天王寺区・宗恵院編
         第205回 天王寺区・持明院編
         第204回 天王寺区・藤次寺編
         第203回 中央区・報恩院編
         第202回 中央区・高津宮編
         第201回 中央区・自性院編
         第200回 天王寺区・彌榮神社・御旅所編
         第199回 天王寺区・正祐寺編
         第198回 天王寺区・観音寺編
         第197回 天王寺区・円珠庵(鎌八幡)編
         第196回 天王寺区・六大院編
         第195回 天王寺区・興徳寺編


 1月前半以前の参拝記事はコチラ

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 その1からの続き。
 江口堂を後にして東に足を勧めます。


 写真①、坂村真民(さかむら しんみん)の詩碑がありました。

      『念ずれば花ひらく』

     後ろの「オンマニペメフン」はチベット仏教の陀羅尼。
     日本では六字大明呪という。
 

 写真②、等身大の役行者さんも登場。
     後ろに「行者 神変大菩薩」の碑も。

     余談ですが役小角さんが「神変大菩薩」の諡を賜ったのが
     寛政11年(1799年)の役行者御遠忌(没後)1100年のこと。
     光格天皇からいただいたというからわりと新しい。


 写真③、役行者さん、バストアップ。


 写真④、宝篋印塔かと思ったら下に戒名が・・お墓なのか?
     ひょっとしたら追善供養のための宝篋印塔かもしれません。


 写真⑤、薬師堂(奥)と古札納所(右)。
     

 写真⑥、薬師堂、扁額。


 写真⑦、写真④みたいなのが崖っぷちに・・。


 写真⑧、十六羅漢像の仮堂。


 写真⑨、観音堂の裏側の鐘楼。


 写真⑩、こちらは庭園の「お染・久松の碑」。
     浄瑠璃の新版歌祭文の悲劇の主人公。
     久松は野崎村で育ったことから。


 写真⑪、石造九重層塔。
     昭和初期まで九層でしたが、現在は最上層と相輪を失って、
     高さ280センチの八重層塔となっているらしい。
     造立銘は永仁2年(1294年)。大東市指定文化財。


 写真⑫、大師堂。


 写真⑬、法界地蔵さん。


 写真⑭、隣りの南條神社。


 写真⑮、正門から見た大阪平野。


 写真⑯、最後にいただいてきた御朱印です。
     こちらは河内西国特別客番。


     以上、2日に行ってきた野崎観音さんの参拝記事でした。