おごめ~ん、大分のtakatch親方です(`・ω・´)ゞ
今回はおおいた遺産について。
次世代に残したい大分の文化・歴史・自然・風習など。
それら120の宝物が、おおいた遺産(公式HP)です!
昨年度に引き続き、「おおいた遺産守り人育成講座」開催!
(私の所属する大分学研究会の関係です。)
各地域で講座を開き、その地域のおおいた遺産について学習!
(Cf:昨年は3講座に参加…県北(中津競秀峰&宇佐風土記の丘)、大分(鶴崎踊り&高崎山)、県南(臼杵磨崖仏&佐伯鷹鳥屋神社))
今年度も同様に各地域で開催!
今回は大分地域講座を受講。
大分市・由布市にある2つのおおいた遺産(万寿寺&湯平温泉)について学習!
みなさまにも共有いたしますね♪
(1)万寿寺
・おおいた遺産ページ→http://oitaisan.com/heritage/%e4%b8%87%e5%af%bf%e5%af%ba/
大分市金池町にある禅宗のお寺です
私も社会人として大分市に住んでいた頃、万寿寺さんの近くを通って通勤したものです。
またJR九州ウォーキングでもちらっと参拝。
▽総門。「蒋山(しょうざん)」という山号。
非常に有名なお寺。
…しかし、なぜ有名なのかはわからないまま。。。
そこで、万寿寺について今回初学習!
講師は、大分市教育委員会の坪根先生。
先生曰く、「私もなぜ万寿寺が有名なのかよく知らずにいた…チコちゃんから、『ボーッと生きてんじゃねえよ!』と叱られそう」と、時事ネタから鋭く導入(笑)
クイズ形式で学習♪
なお、万寿寺の歴史は非常に長いそうです…。
そこで、今回は「中世(鎌倉~江戸期)と大友氏」にテーマを絞って学習!
<要旨>
[1.万寿寺について(導入)]
・禅宗の寺院
・現在は金池町にあるが、建立当時は今の元町(大友氏資料館周辺)にあったとされる。
・実は戦国期の50年間、断絶期があった(詳細後述)。
[2.禅宗とは(基礎知識)]
・中国で達磨大師が興す。
・座禅による悟りを求める。
(日本への伝播)
・鎌倉初期:栄西が日本へ伝える。以下の3つの寺院を順番に建立。
1)聖福寺@福岡、2)寿福寺@鎌倉、3)建仁寺@京都
・@大分…栄西の孫:神子栄尊が円通寺@宇佐を建立。
[3.万寿寺のはじまり]
(1.逸話)
・徳治元(1306)年…豊後守護:大友貞親公が、筑前博多の承天寺住持:直翁智侃(じきおうちかん)を招いて開山。
・北条氏が禅宗寺院を全国に広めた背景
…1)厳しい修行がある禅宗→中だるみしていた既存の日本仏教を牽制、2)宗教に付随して中国文化も日本へ伝播→日本の公家政権に対抗
▽開いたエピソードがおもしろい!?(噓から出た実!?)
(2.十刹)
・室町幕府→全国の臨済宗の寺院を、「五山・十刹・諸山」の三段階で序列化。
Ex:諸山住持…僧位:西堂、僧衣:黄衣→五山住持…僧位:東堂、僧衣:黄衣→別格上位南禅寺住持…紫衣
・万寿寺…なんと十刹(全国の臨済宗寺院のベスト10)入り!(詳細後述)
▽五山十刹諸山のまとめ
(3.伽藍配置)
・1571年:イエズス会宣教師ガスパル・ヴィレラの書簡による万寿寺の様子
→「150名の仏僧」、「はななだ収入の豊かな一堂を有する」、「内部には果実や花、目を楽しませる種々の物を置いた数多くある」。
・禅宗の七堂伽藍(=基本配置)→法堂(ほっとう)・仏殿・三門(山門)・僧堂・庫院(ぐいん)・東司(とうす)・浴室
→この七堂伽藍を備える+多くの修行僧がいる禅寺=「具体の禅林」と呼ぶ。
▽万寿寺の伽藍配置(※横向き失礼)
(万寿寺の注目建物)
・「韋駄天閣(食堂兼炊事場)」…庫院
・「衆寮(読書室)」…五山orそれに準じる一部の禅寺にしかない
・「十境・境地」…五山寺院に見られる近隣の山・川などの風物
⇒万寿寺=十刹寺院の中でも、五山に準じた重要な地位と格式
[4.万寿寺と大友氏]
(1.主な住持)
▽歴代一覧(※横向き失礼)
☆四代:雪村友梅(せつそんゆうばい)
・幼くして中国にわたり出家も、中国でスパイ嫌疑をかけられ15年配流→元徳元年(1329)に帰国。
・京都:建仁寺で修行。
・建武元年(1334)…7代大友氏泰公の招きで万寿寺住持に。
・わずか3年間で万寿寺を去る
→五山制度の官寺住持任期=「三年二夏(さんねんにげ)」(最短満2年)が原則…国の役人の地方出向のイメージ?
・その後、京都第五位の万寿寺、続いて同三位の建仁寺の住持を経歴。
・五山文学(漢文学)の主な担い手として有名
→万寿寺が十刹になったのも、大友氏泰公の願いと雪村友梅住持の力添え(裏で政権に大分働きかけたようだ)のおかげといわれる。
☆Cf:雪舟
『鎮田瀑図』(沈堕の滝)を描いた水墨画家:雪舟。
※沈堕の滝の詳細は過去記事をご覧くださいませm(__)m
・実は万寿寺を訪れていたかもしれない。
・『天開図画楼記(てんかいとがろうき)』という雪舟の友人による記録
→雪舟は府内に「天開図画楼」というアトリエを持っていらそうだ。
→これまでその位置は、上野台地or西大分の丘陵が有力説だった。
→しかし、近年は中世の長浜神社あたりも有力説(「豊府の西北の隅」表記より)
(2.財政基盤)
・「一円御免の地」からの寄進で財政を賄う
→一円御免=万寿寺だけが年貢その他すべての租税を徴収でき、検断権(警察+裁判)行使を認められた。
→Ex:判多郷(大分市)、宝満寺(朝見郷・別府市)、坂田寺・松本名(直入郷・竹田市)、光吉新開(稙田荘・大分市)
・「国中平均」…免税by.18代大友親治公
(3.大友氏との関係の変遷)
3-1)万寿寺との良好関係
・万寿寺住持(三位の爵位)>大友氏(四~五位の爵位)…住持の方が地位が高かった。
・大友氏が万寿寺に積極的に高僧を招いた理由
…1)朝廷・幕府とのつながりを強くするため、2)最先端の文化を豊後国へ導入し自らの権威を高めるため(Ex:雪舟)
3-2)崩れる関係
・『木砕之注文』(当時の建築関係書)&『1581年度日本年報』(By.イエズス会)
…戦国末期:天正9(1581)年、万寿寺で火災。主な建物が燃え、全体の74.6%が焼失。
→この放火は、大友氏による放火とされる(By.1585年のイエズス会書簡)
→∵万寿寺の収益を没収⇒窮乏している家臣に分けた。
・天正10年…大友義統公→家臣の柴田礼能に万寿寺の管理権を一任。
・天正14年…島津軍が府内侵攻⇒府内の町屋がほとんど焼失。
▽大友氏では、土が焼けている面が見えるほどの大惨禍だった。
・天正15年(1587)…秀吉公による豊後国安堵
・文禄元年(1591)…朝鮮出兵時に、大友義統公が嫡子:義乗公に「万寿寺を再興し、大友氏の菩提寺とせよ」と心得を遣わす。
・文禄 2年(1592)…朝鮮出兵での義統公の失態を受け、豊後国没収→大友氏による万寿寺再興は絶たれる…。
・慶長10年(1605)…古万寿寺(杵築市山香)の僧:玉英が府内城東に茅舎を立てて住まう
→後年、その弟子の丹山和尚が住持となり、万寿寺の仏像や堂舎をほとんど整備し、万寿寺が復興。
(2)湯平温泉
・公式サイト→http://www.yunohira-onsen.jp/
続いて、由布市の湯平温泉
湯布院町の山中にあり、石畳がある温泉街で有名です♪
過去2回訪問あり♪
初訪問のきっかけが、奇しくもこのおおいた遺産認定でした!(笑)
2019訪問動画→https://youtu.be/BYizqGS4Krk
講師は、二宮謙児先生!
今、世界で注目を集めている、旅館山城屋さんのご主人です!
トリップアドバイザー宿泊者利用満足度:日本の旅館部門2017で3位!(九州では1位。1,2位は京都の旅館)
また、インバウンド協議会OITA会長も務められております!
二宮先生の直筆サイン入り本もいただいているほどお世話になっております♪(笑)
▽外国人観光客が魅了されるおもてなしの極意が、ここにあり☆
今回は、湯平温泉の歴史を学びました♪
[1.歴史]
・文応元年(1260):北条時頼公の時代
…北面の武士(京都の院の御所警固)であった麻生摂津守藤原秀勝公が、同族の麻生氏を頼りこの地へ。
→亀山山報恩寺を建てて住み、温泉場を開く。
→Cf:湯平・玖珠地域には麻生姓が多い。
・享保10年(1725):地すべり(山津波)が発生し、多数の死者発生。
・享保12年(1727):工藤三助が温泉街石畳道路を施工→人々の往来が盛んになる。
・明治期:2度の大火災で、温泉場が全焼(歴史的価値ある建物が無くなったのが残念。)
・大正2~3年:ほぼ現在の町並み形成→年間宿泊客1万人余(延数10万人)
・昭和5年:放浪の俳人:種田山頭火がこの地を訪問。
▽大正期。今と変わらず。
▽昭和初期。タクシーの数は半端ないって!バスも2台もある!
(※現在、湯平温泉への路線バスは廃止とのこと。)
・山口県生まれの自由律俳句の俳人(1882~1940)
・1925年:熊本市の報恩寺で出家→奇しくも湯平温泉開祖も報恩寺
・昭和5年11月10日-11日、湯平へ。
・有名な一句「しぐるるや ひとの情けに 涙ぐむ」
→洗濯物を干したまま読書に耽っていた山頭火。そとで雨が降っていることにも気づかず…。
すると、宿の娘(テル)が洗濯物をそっと取り込んでくれたいた。
その厚意にいたく感激したエピソードの句。
・この他、「支那の子供の軽業も夕寒い」、「しぐるるや旅の支那さんいっしょに寝てゐる」など、中国人が登場する句も複数
→昭和初期にも中国人が多く訪ねていただろう。
[3.景観・地形・イベント]
・坂の長さ300m、高低差50mの坂
→左右に微妙に変化する坂道&建物の屋根と壁の自然のバランス⇒歩く者の視線をその先へと運ばせる独特の空間(期待感)
・坂を活かしたイベントも開催
→(1)「そうめん流し大会」…300mの長さ、竹の伐採・加工・そうめん準備が大変、足元にも水を流す、衛生面にも留意。
[4.寅さん]
・昭和55年12月、『男はつらいよ30~花も嵐も寅次郎~』のロケ。
・沢田研二&田中裕子が湯平を訪れ、ファンが殺到(7,000人以上集まったかな??(笑))
・撮影風景は、JR湯平駅で写真にて確認可。
・この作品(湯平)だけ、寅さんが久しぶりに訪ねた土地という設定である。(通常は、各ロケ地について初めての訪問という設定)
[5.CM]
・2017年7月、2つの観光キャンペーンCMで湯平温泉ロケ。
(1)おんせん県おおいたシンフロ…元シンクロ・オリンピアンの5選手が、湯平温泉の石畳を歩く場面あり(※この動画ではないようですが…。)
(2)JR九州 熊本大分復興キャンペーン(※動画なし…)
→キスマイ(Kis-My-Ft2)の玉森くん&二階堂くんがCM内で石畳を歩く。
→週末、女性ファンの聖地めぐりが結構多いそうだ!
[6.スポーツ]
・「ツール・ド・湯平サイクリング大会」
・2007~2016年の10年間、湯平石畳を発着とする、九州2番目にハードな自転車レース大会開催。
・由来:とある子どもがテレビで見ていた海外の石畳コース。
・2回目大会~韓国のカンヌン市との自転車レース「大関嶺(テガンリョン)ヒルクライム」と交流。
・2011年12月…台湾の「太魯閣(タロコ)国際ヒルクライム」に参戦→その模様が台湾ネット新聞でも紹介。
▽太魯閣は標高3,200m級!
[7.インバウンド(訪日外国人観光客)]
・言葉の問題もあるが、最近のインバウンドは結構日本語が話せる&日本語を話したい印象。
・2006年に韓国の2雑誌(KTX、ABロード)が、九州の温泉を特集。
→当初は、別府・由布院だけだったが、急遽縁があり湯平温泉も取材。
→なんの関連もない2つの雑誌が、なんと両方とも特集ページの表紙が湯平の石畳だった!
→海外へのPRを開始!
・香港の旅行雑誌『Uマガジン』など、海外の旅行雑誌にもたびたび紹介。
▽タイ人から16人もの海外客!
▽似合っていますね♪
…と、以上が2つのおおいた遺産です!
いずれも、訪ねたことはありながら、しっかり学習は初。
実は2つとも、思っていた以上に非常に有名であるんだなと感じました(十刹のひとつ、海外での反響)。
また僧侶の話題も多かった印象です。
大分は南蛮文化・六郷満山文化など、仏教・神道・キリスト教など多様な宗教・文化が共存しているなと感じました。
そして、おんせん県おおいた、世界へ☆
こうした貴重なおおいた遺産を、世界へ、未来へつなげましょう!
以上です!
最後までご覧いただきありがとうございましたm(__)m