”豊前・筑前・筑後・肥後への要衝だった玖珠。
その玖珠でも重視された山城とは…??”
2017.9.23(Sat)14:00-16:00、@大分県立図書館
おごめ~ん、大分のtakatch親方です(`・ω・´)ゞ
本日は大分学研究会の例会(座学)。
今年度は、おおいた遺産を学習
今回(9月・10月)は、玖珠郡のおおいた遺産が対象。
その中でも今回の例会では、角牟礼城(玖珠町)を学習!
玖珠盆地に構える山城で、国の史跡です。
また今年、続100名城にも選定☆
(先週、100名城制覇したので、今度はこの続編に挑戦…w)
過去に麓にある公園には行ったことがございますが、角牟礼城(角埋山)には行ったことがございません。
Cf:2017年 訪問動画→https://youtu.be/-EFAviXwOL0
そもそも、角牟礼城について、名前を耳にしたことはございますが、学習したことはございませんでした…。
よって、今回の学習会は特に楽しみでした♪
では、一緒に角牟礼城について学習しましょう☆
▽今年3月まで角牟礼城の発掘調査をなされた講師が、角牟礼城の概要や当時の玖珠について分かりやすくレクチャーされました♪
<概要>
[1.築城当時(中世)の玖珠の状況]
・玖珠郡衆による支配。
→平安期に下向土着した清原一族が玖珠郡内を分割相続
⇒戦国期:十二家に分かれる。
・戦国期:大友氏の支配下も、直接支配ではなく郡衆が集まって合議によって決定・自治する半自治的な衆中談合体制だった。
・玖珠郡衆の崩壊(3要因)
1.豊薩戦による内部分裂(島津攻撃に対し、郡衆内で裏切りあり)
2.文禄・慶長の役によるダメージ(朝鮮出兵していた)
3.大友氏の除国(朝鮮出兵で豊臣秀吉公からお咎めあり)
[2.玖珠郡の防衛体制]
・地理的特徴
→玖珠盆地(東西に長い三日月形、標高差あり)
→4国(豊前・筑前・筑後・肥後)への要衝地
→豊後大友氏の戦略的防衛ラインの最前線(西側への対策・警戒)
↑人々の往来多い=敵の侵入も多い!
・防衛体制構築
→大内氏の豊前侵入&島津氏の北上による軍事的緊張の高まり
⇒盆地の出入り口を抑える好立地に山城を築城
▽6つのお城(各方面の出入口を守る)
▽山城の特徴の一つ、堀切。
人工的に堀を切り、敵の侵入を防ぐ(大友氏の指導で山城改修されたか?)。
[3.角牟礼城の歴史]
・築城
・源為朝の築城伝説も残るが、清原一族の森氏が築城?
・築城年代は不詳。
・文明7(1475)年:志賀文書に角牟礼城落居の記述あり→少なくともこの年代には築城されていたと判明。
・天正15年:豊薩戦…島津軍に耐えた
・文禄3年:毛利高政公の玖珠入部
・慶長5年:黒田軍の侵攻(無血開城)
・慶長6年:来島氏(村上水軍関係)の玖珠入部
→2代目通春氏期に廃城?
⇒以後、お止め山として入山制限=藩による管理
・近年の調査(平成に入って)
・本丸:豊薩期(16C後半)の遺物が多い(Ex:唐津の置物)
・大手門、搦手門:毛利期の〃
・二の丸西曲輪:10C代の内黒埦
・三の丸南東側石垣
→1)コンニャク印判の碗(江戸期に流通)
2)石積技法の変化と裏クリ石(人の拳~頭サイズで緩衝・排水用の石)の変化がほぼ同じと判明。
⇒それまで考えられていた「入山禁止→誰も入山せず手が加えられていない」という見方を見直すきっかけに。
[4.角牟礼城の縄張り]
・地形:角埋山のビュート地形(卓状台地が風化で細くなった)の影響を受ける。
▽玖珠町で見られるメサ(卓状台地。頂上は水平&側面が急斜面)
▽メサが時間の経過で細くなると、メサ地形となる。
→主廓から南側にかけて縄張りが広がる。
▽水平線が断面位置、曲線が側面(標高差による地形)を示します。
赤線は東西方向。
▽青線は南北方向
・末広神社:角牟礼神社の南に造営(江戸後期に造営?)
→角牟礼城の正面を守るように伸びる二つの丘陵地にある。
→城の南を固める役割?
・近世:毛利高政公の改修…二の丸、三の丸を中心に整備
→穴太積の高石垣、枡型虎口、櫓門などを整備。
角牟礼城の講義は以上です。
以下、関連発表・会員だよりです。
▽湯平温泉(由布市)の旅館山城屋さん。
山間部にある旅館ながら、実は世界から注目される人気の旅館なのです!
(トリップアドバイザー宿泊者利用満足度:日本の旅館部門2017で3位!(九州では1位。1,2位は京都の旅館)
「ありのままの姿で集客→安心感を最大のおもてなしとする」
「インバウンドは地方から!(一大観光地・都市部だけでなく)」
・・・と、ご主人の二宮氏。
(※以前の例会でも関連発表→当時の記事が見つからず、詳細紹介できず。。。)
▽宿泊利用者のほとんどは海外からのお客様!
▽その二宮氏、先日本を出版されました☆
『山奥の小さな旅館が連日外国人客で満室になる理由』
書店やインターネットでも購入できますので、みなさまよろしくお願いいたしますm(__)m
(私も早速、二宮氏ご本人から直接購入いたしましたm(__)m)
Cf:旅館 山城屋 紹介動画→https://youtu.be/NDhw_N6L5aM
▽大分銀行さまからは、地域商社:Oita Made 株式会社設立のお知らせです。
大分の一次産業・観光資源を活用した地域ブランド商品の企画・販売(モノ)、観光ルート・旅行商品の造成や空き家活用の地域活性化サービス(コト)などを目的に、この8月に設立されました☆
(Cf:銀行法で銀行は銀行業しか運営できない制限あり→そこで新しく商社を作って、大分を応援したい!ということのようです。)
ぜひみなさま、ご支援をお願いいたしますとのことですm(__)m
▽杵築市さんからは、九州ローカルハッピーアワード2017ご協力のお願いです♪
このアワードは、”九州のしあわせをシェアする”ことを目的に、九州各業者の協賛のもと、九州の素晴らしい幸せ体験を選ぶものです。
今回、杵築市「観光おもてなし事業」が第1次選考を通過。
第2次最終選考にエントリーされております。
ついては、9月30日(土)までインターネット投票が行われております(1人毎日1回の投票)。
ぜひ、みなさまも1票のご協力をお願いしますとのことですm(__)m
投票はこちら(アワード公式HP)にて!
※同じく、玖珠町もエントリーされておりますので、こちらもよろしくお願いいたしますm(__)m
※大分学研究会では、こうした大分PRに関わる投票依頼もぜひぜひどうぞとのこと♪
(過去、21世紀に残したい風景や農村漁村の郷土料理でもみんなで協力して投票→選定された経緯もあり。
そもそも、日本新八景に別府が選ばれたのも、別府観光の父:油屋熊八さんが投票を呼び掛けたおかげ。そして、別府は一躍一大観光地に☆)
なお、大分学研究会の(故)辻野功会長いわく、
「大分人は宣伝が下手。大阪人は2を10で語るが、大分人は10を2で語る」とのこと。
こうしたPRは遠慮せず、どんどん宣伝せよ!☆
▽天童よしみコンサート
11月7日(火)、iichikoグランシアタで天童よしみさんがスペシャルコンサート
個人的には、珍島物語の印象強し!
過去、エイトピアおおのでも開催されたことも☆
天童節を生で聴きませんか??
▽(故)辻野会長の奥様からのご挨拶。
このたび、息子様のいらっしゃる土地(おそらく県外)へ引っ越されるとのこと。
ご主人ともども、大変お世話になりましたとのこと。
こちらこそ、いつも気さくに私へ話しかけていただき、ありがとうございましたm(__)m
辻野ご夫妻のおかげで、大分が活気づいておりますし、私たち大分県民もしっかり大分を学習&PRしなきゃと気合いが入っております☆
▽辻野さまから、功会長が生前にテレビ番組で熱く解説されているDVDを頂きました☆
ありがとうございますm(__)m
早速、帰ってから豊後街道編を拝見。
大学時代に子どもたちと歩いたことのある豊後街道。
しかし、詳しい解説やエピソード(お茶屋の役割・三渠のお話など)は初めて学習。
そして、功会長は、やはり博学でお話が軽快で分かりやすい!私も見習いますm(__)m
以上が例会の模様でした。
角牟礼城は、今回初めて学習&未踏のため、いつも以上に興味を抱いて学習。
現場で発掘調査された専門家から、貴重なエピソードを伺えたのがありがたかったです^^
日田も然り、玖珠も交通の要衝であり、ゆえに守備の要でもあったと。
そこには、地形(メサ・ビュートによる盆地)の要因もあるのだと。
…ブラタ○リ風やなあ~♪(笑)
そして、発掘調査や資料研究で、徐々に角牟礼城の実態が解明されている過程を知るのも、興味深い☆
コンニャク印判の出土は、それまでの常識を見直す大きな転機になったと。
今後も、調査結果によっては、新しい発見や定説の転換があることでしょう。
国史跡や続100名城に選定されたということは、少しずつ角牟礼城の魅力が明らかになり、認められ始めている証拠でしょう。
今後が楽しみな山城ですね☆
大分には、こうしたまだ見ぬ魅力や、今後も調査が求めらるものもあるでしょう。
こうしたものと、これからも出会いたいですね☆
講師、発表者、事務局の皆様、ありがとうございましたm(__)m
さて、来月は魅力体験ツアー。
10月22日(日)、玖珠町・九重町のおおいた遺産を巡ります!
今回学習した角牟礼城はじめ、九重夢大吊橋やタデ原湿原などを訪問。
大分学研究会HPで受付しております!
なお、定員は20名まで!お早めに☆
※早速私は申込済!
以上です!大分、面白い☆
☆「大分学✎♨」動画集→https://youtube.com/playlist?list=PLCP8H0iqHBwAnOg6sAM1WMnLYfWzTj4Zm