こんばんは!

日付変わり昨日午後は、中津市へ!

研修参加です鉛筆

 

おおいた遺産県北地域講座に参加いたしました!

大分にある、未来へ残したい自然・文化・歴史・施設、おおいた遺産

その魅力を知り、そして次世代へ受け継ぐための講座が今年度を通じて行われております。

(私も所属する大分学研究会関係の講座です!)

 

そして年明け以降、県内各地域で講座開催。

1回目の今回は、県北(中津・宇佐・高田・国東・姫島)の代表的なおおいた遺産を、県北は中津の地で学習!

豊肥(県南西部)の人間である私。

県北地域は遠くなじみが薄い分、興味がございます☆

大分県が好きですし、公私ともども同じ大分県内のことを知りたい!と思い、今回他地域ながら受講いたしましたm(__)m

 

前置きがなくなりましたがあせる、今回の講座内容の概要をご紹介いたします!

おおいた遺産について知っていただくきっかけとなれば幸いです☆

 

会場は、中津市のリル・ドリームさま。

今回初めてお邪魔する文化施設。

中津市街地にあり、レトロな外観ながら室内は新しくきれい☆

今回は、中津と宇佐のおおいた遺産2つのご講演です鉛筆

 

(1)「福澤諭吉と競秀峰」

・講師:安倍恭一氏(中津市生涯学習大学講師)

まず、クエッチョン!

[Q]「競秀峰」とは、いったいどこのこと??

  (ヒント:有名な観光地です!)

 

 

 

 

 

 

…[A]「耶馬渓」です!(※おおいた遺産解説ページ

▽紅葉の季節は特に美しい、奇岩の観光地ですもみじ(Cf:2010年記事)

この耶馬渓(競秀峰・山国谷)と福澤諭吉先生、実は深い関係があり!?

▽福澤諭吉(19歳まで中津で過ごす。)

以下、安部講師の講義概要です!

 

[1.日本遺産]

・2017年、「やばけい遊覧~大地に描いた山水絵巻の道をゆく~」で、日本遺産認定。

 →大正時代の旅人と同じ目線で、山水絵巻のような世界を楽しめる回遊路のストーリー(中津市&玖珠町の寺院・石橋・庭園+道路・鉄道)

 

[2.福澤諭吉とは]

・1835(天保5)年に大坂生まれ→その後豊前中津(奥平時代)へ。

・白岩照山の塾「晩香堂」で漢学を学ぶ。

・19歳の時、兄の勧めで、長崎へ。蘭学を学ぶ。

・その後、大坂の緒方洪庵「適塾」で蘭学に励む。

・江戸の中津藩奥平邸にて蘭学塾を開く→のちの「慶応義塾」

・黒船来航で開校したばかりの横浜で、外国人相手にオランダ語で話しかけても通じず。

 →英語・英学がこれから重要と説く(富国強兵に必要なのは、実践的な思考力を育てる洋学にあり)。

・幕府使節随行に参加し、欧米に渡る。

・『学問のすすめ』、『文明論之概略』、「ペンは剣よりも強し」(慶応義塾大学図書室のステンドグラス)を表し、西洋の考え方を普及。

・江戸では、上野戦争で街が荒れる中でも、諭吉は見向きもせず、ただひたすら勉学に励んだ。

・九鬼隆一らが進めた文化財保護運動に反対

 →∵「九鬼=汚い手を使ってでも上へのし上がる人間」として諭吉は嫌った。

 →文化財はありのまま残すべきではと諭吉の主張。

・『時事新報』の発刊

 →・天気予報の先駆け。

   ・ジャーナリズム…諭吉の主張をたくさん紹介(九鬼らの文化財保護運動にも言及)

   →ジャーナリストとして必要な中立性を心がけた(物事を様々な角度から考察する・裏を返して考える・一面だけでとらえない)

・西郷隆盛とは会ったことがないが、諭吉は西郷を敬愛していた。

 →西郷の私塾では、諭吉著の『文明論之概略』を採用。

▽渡米中に現地女性と2ショット撮影。

 当時男尊女卑思考だった日本において、レディー・ファーストの欧米思考は衝撃的だったそうだ。

 

▽渡米中、現地の最新式の四輪乳母車を購入。

 人力車のモデルともなったといわれる。

 子煩悩な諭吉の姿を伺える。

▽慶応義塾大学図書館のステンドグラス。

 左には、馬と日本の武士。

 右には、ペンの旗を掲げた西洋の天使。

 武力の時代は終わり、これからはペン(文書・議論)の時代へと誘うメッセージか。

▽上野戦争そっちのけで勉学に励む諭吉。

[3.競秀峰(やばけい)とは]

・1818年:頼山陽が山国谷を「耶馬渓」と名付ける。

・その後、浅草寺の金龍和尚が「競秀峰」と名付ける。

 →「岩峰が集まり競いあっているようにそびえる」

・禅海和尚:青の鎖戸に「青の洞門」を掘削。

・菊池寛『恩讐の彼方に』で一躍有名に。

▽禅海和尚

▽青の洞門(青はこのあたりの地名)

[4.諭吉と競秀峰]

・子どもたちと競秀峰を見に来ていた諭吉

→その頃、この一帯が競売にかけられていることを知る。

→自然と景観を守るため、諭吉は私財を投じて一帯を買収した。

→日本における、自然保護・環境保全のためのナショナルトラスト運動の先駆け。

・諭吉は、子どもたちにこの素晴らしい景観を肌で感じられるようにしたかったと考えられる。

▽諭吉と長男(一太郎)、次男(捨次郎)。

 まさにこの子らと競秀峰を訪ねていたそうだ。

[5.まとめ]

・日本遺産に認定されたのも、諭吉が私たち次世代へ保護してくれたおかげである。

・耶馬渓に足を運んで、先駆者(諭吉など)の思い(美風)を肌で感じてほしい。

 →大人たちの作る微風こそが、子どもたちを育てる。

 

 

(2)「宇佐風土記の丘にある古墳群」(※おおいた遺産HP)

講師:小倉正五氏(宇佐の文化財を守る会副会長)

ここで、またもやクエッチョン!

[Q]大分県立歴史博物館は、何市にあるでしょうか??

 

 

 

 

 

…[A]宇佐市です!

大分市や別府市のイメージの方も多いでしょう。

しかし、宇佐市にございます。

なぜ宇佐市に歴史博物館があるのか?

小倉講師の講演から考察しましょう!

 

▽宇佐風土記の丘

[1.風土記の丘構想(国の文化財保護の3つ動き)と宇佐]

1)「遺跡の保護or開発?」

 ・1970年代(田中角栄首相期頃):開発の問題発生、対策

  →・環境庁の設置:公害など自然対策。

    ・文化庁の設置:心の荒廃対策(開発へのアンチテーゼ(=保護派)対策の拠点)。

  →遺跡の保護と開発の問題が注目されることに。

 

2)「点の保護(古墳)→面の保護(古墳群)」へ

 ・古墳群という大きな面での保護をすることで、開発から守る。

 ・古墳など文化財は単体ではなく、周辺部にある同類のものとの関わりがある(同じ環濠集落のものであるかもしれないなど)

 

3)「保存→活用」へ

 ・ただ残すだけでなく、一歩前に進んだ段階へ。

 ・もちろん、保存だけでもよい場合もある。

 (Ex:昨年世界遺産に認定された沖ノ島→人はほとんど入島できないが、そこに存在するだけでも価値がある。)

 

 

[2.宇佐市と風土記の丘・県立歴史博物館]

・宇佐市…大分県内の市町村で最初に文化財係を設置(1970S初頭)

・風土記の丘…遺跡の広域保存+資料館の設置が必要(一体保存と活用)

→古墳が一極集中していた&大分県内の文化財係先駆けである宇佐市に風土記の丘と歴史博物館が設置されることに。

▽風土記の丘・かんぽの宿・市総合運動場MAP。

 歴史文化・スポーツ・温泉と、多目的の楽しみができるエリア。

 ただ、管轄の縦割りが課題。

 風土記=県、かんぽ=民間、運動場=市と、管轄が異なる。

 それぞれの管轄紹介だけでなく、三者が連携してPRするorいっそのこと3つを一緒のエリアにしてみると、素晴らしい空間となる。

 (スポーツで汗を流し、歴史文化で頭の学びもし、夜は温泉に浸かって宿泊…が、このエリアだけでできるという素晴らしい価値があり)

[3.古墳と古墳時代とは]

[Q]世界の三大墓とは?

 →[A]クフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵、仁徳天皇陵(日本)

・古墳=集落遺跡(生者の世界)と埋葬遺跡(死者の世界)を区別する、墓の集落のようなもの。

 →墓を見れば、生者の世界が見える(Ex:○○姓が多い、◇◇宗が多い地域など)。

・↓弥生時代の古墳の推移

 一般的集団墓(貧富差なし)→特定の集団墓(集団に貧富差あり)→特定個人墓→小地域の首長墓→広域支配する豪族の墓(前方後円墳)

・古墳(前方後円墳?)は勝手に作ってはいけなかったそうだ。

 ヤマト朝廷の許可が必要だったといわれる。

▽豊国(豊前・豊後)の盟主型前方後円墳の分布図。

 大きな古墳は海辺に点在→海の向こうのヤマト朝廷との交流が盛んだった証拠?

[4.三毛郡の前方後円墳]

・三毛郡=現在の中津市+福岡県豊前地方

・4つ確認→亀塚古墳(中津)、能満寺古墳(上毛)、西方古墳(上毛)、楡生古墳(吉富)

・現在の豊前市や築上郡は、前方後円墳の空白地域。

・天仲寺山(吉富)

 →・中津市から山国川をはさんで対岸に見える山。

   ・中津城の裏鬼門にあたり、当時の中津城主:小笠原氏の菩提寺あり(遺言通り、鎧甲冑をつけたまま埋葬されたという)

   ・もしかすると古墳かもしれいないということで、調査が入った。

   ・大きさは、日本最大級レベル。古墳であれば、身近に日本どころか世界レベルの大きさのお墓があるといえる。

   ・中津→吉富方面については、この山の説明板あり。

   一方、吉富→中津方面についての説明板はなし。(※逆なら失礼。)

   大きな川を挟み、県が異なるが、昔は同じ三毛郡であり、現在も生活交流が多くある同じ圏内のはず。

   今後、県で分け隔てなく、双方の史跡などを互いの紹介する説明板等の整備が求められる。

[5.宇佐平野の古墳群、まとめ]

・宇佐=一極集中型(←→他地域=地域分散型)

・3C頃の古い時期の有力者古墳は見られるが(古部古墳・赤塚古墳など)、6C中ごろで有力者古墳が宇佐平野から消える。

・弥生時代の宇佐平野=稲作と金属器が多く見られる→広い水田農耕が行われていたと考えられる。

・駅館川付近の古墳群=環濠が半月状(一方が川→三方だけ濠を築いた)

▽赤塚古墳と川部古墳

▽川辺遺跡と樋尻道遺跡

▽本丸遺跡からの出土品

 

…以上が、今回の講座内容です。

 

まず、人の存在が大きいことを感じました。

昔からその土地に人々の暮らしがあり、それが今に色んな形で残っている。

競秀峰のように往時と変わらぬ自然があれば、古墳や出土品のように時を隔てて形を変えながらも残っている(発見される)文化もあり。

さあ、それを現在の私たちがどう活用し、未来に残していくのか。

競秀峰はやはり圧巻の自然・景観ですし、素晴らしいものですので、これからも残したいですね!

古墳も、私たちの先祖がそのように暮らしてきたのかが分かる貴重な宝物。

温故知新、古きことから新しきこと・現在や未来へのメッセージが分かるかもしれませんね!

どうしていくか考えるのも、そして目標が定まれば活動するのも、人。

そこにある自然・文化財というモノが、私たちが地域のことを知り、今後どうしていきたいかを考えるきっかけを与えている気がしますね。

 

…と、これ以上まとまらない考えを婁術するのもあれなので、ここでキリをつけますあせる(苦笑)

まずは、地域を知ることが大切ということですね!

こうした宝物は、見つけ出さないともったいないです。

地域にこうした大切なものがないかを探るというのが第一歩でしょう。

その意味で、今回の講座が、よい材料できっかけとなりますね!

講師の皆様、事務局の皆様、ありがとうございましたm(__)m

 

 

まだまだ大分県には魅力がたくさんあるはず!

まずはまだ見ぬ魅力と出会いたいね!

そして、それをどうしていくかを考えていきましょう☆

 

次回は、1月25日(木)夜開催の大分地域講座(鶴崎踊・高崎山)を受講予定。

どんどん大分を知るぜ~!PRするぜぃ♪(笑)

 

 

以上です。最後までご覧いただき、ありがとうございました☆

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