おごめ~ん、大分のtakatch親方です(`・ω・´)ゞ

 

昨夜は、おおいた遺産大分地域講座に参加いたしました!鉛筆

大分にある、未来へ残したい自然・文化・歴史・施設、おおいた遺産

その魅力を知り、そして次世代へ受け継ぐための講座が今年度を通じて行われております(私も所属する大分学研究会関係の講座です!)

 

そして年明け以降、県内各地域で講座開催。

前回の県北地域に続き、今回は大分地域の2つのおおいた遺産について学習!その模様を簡単にご紹介いたします!
 


(1)鶴崎踊

[Q]大分市の夏祭りと言えば??

…たくさんございますね!(笑)
長浜さまに始まり、ななせ火群まつり、大分七夕まつりなど。

その中で今回は、おおいた遺産である鶴崎踊の学習!弊ブログ&動画でも過去にご紹介♪



毎年8月のお盆過ぎの土日2日間開催。国選択無形民俗文化財である鶴崎踊。
一体どのような踊なのか、保存会会長にご講演に頂きましたm(__)m


[1.歴史]

  • 1560(永禄3)年頃:起源(書物記録に残るもの)、左衛門
    豊後を治めていた大友義鎮(宗麟)公の重臣、戸次鑑連公が京都から踊り子を鶴崎に招く。 
    義鎮公の前で、「三つ拍子」(左衛門)を踊ったことに由来とされる。
  • 1704(宝永元)年:猿丸大夫(150年ほどの時間を超え)→当時流行の伊勢踊が、鶴崎の風土に溶け込み踊られるようになったのが、「猿丸大夫」(現在の主流)。
  • 1914(大正3):鶴崎踊と呼ばれ始めた→もともとは盆踊りとしておどり継がれていた。その中1914年、日豊線鶴崎駅が開業→観客急増。 鶴崎での踊りのため、当時の報道機関が「鶴崎踊」として報道し、呼び名が定着。
  • 923(大正12)年:全国的に有名に→久邇宮良子徐王殿下御一行が来県の際、別府の致楽荘にて、大分県民芸代表として鶴崎踊を披露。地方でゆったりとした京踊りは珍しく、大変好評だったそうだ。
  • 1986(昭和61)年:国選択無形民俗文化財
  • ※鶴崎=港町→各地の踊りが伝わってくる。
  • ※鶴崎=200年以上もの間、肥後熊本藩だった→しかし、鶴崎独自の踊が残っていることに感銘。


[2.踊り~左衛門と猿丸大夫~]

鶴崎踊には2つの踊りあり。
 

(1)「左衛門(さえもん)

  • 起源:450年ほど前に京から伝わる「三つ拍子」。
  • 語源:元は「祭文(さいもん)」と言い、神様に感謝・お色市を捧げるときの文に由来。その後、「左衛門」の字が充てられたとされる。
  • 特徴:テンポが速く軽快(手を挙げたまま踊るので練習必要)。
  • 曲数:15曲(延べ29曲)、約12分

(2)「猿丸大夫(さるまるだゆう)
  • 起源:江戸期に流行した「伊勢踊り」(伊勢参りでの踊り)
  • 語源:昔よく歌われた歌「猿丸大夫 奥山にもみじ踏み分け 鳴く鹿の」からとったものか。
  • 特徴:優雅でゆったり(平和な江戸期を感じさせる)
  • 曲数:28曲、約33分
現在の鶴崎踊=猿丸大夫をさす。
 

[3.踊り歌]

  • 作者は不明。
  • 鶴崎に住んでいる人、旅の途中で鶴崎を訪ねた人が、当時の情景や踊りを見た際の感動を留めるためor伝えるためにつくられたもの。
  • 現在歌われるものは、明治時代に作られたものを含め40ほど。
  • 昭和期に募集されたものもあり。


[4.現在の鶴崎踊]

  •  2日間開催→主に1日目は「衣装」、2日目は「踊り」を楽しんでもらればという思いあり。
  •  保存会は今年で結成93年目。→毎月3回(5のつく日)、1年間かけて踊りと囃子を練習。
  •  保存会に鶴崎踊を依頼される際は、大分市役所鶴崎支所の担当者まで。


(2)高崎山

おさるの山で有名な高崎山聞かざるおさるのこきゅう~(笑)↓

…気を取り直して(苦笑)、過去記事でもご紹介!おさるのお山です聞かざる

この高崎山について学びました☆


[1.高崎山の名前]

(1)「四極山(しはすやま)」と、昔は呼ばれていた。

  • 「柴積山」、「柴津山」とも→薪用の柴を積み上げた形→四極山と呼ばれるようになった(Cf:四極山…現在の大阪市東住吉区説、愛知県幡豆郡説あり)
  • 『万葉集』で高市黒人が四極山を詠んでいる。
 

(2)「高崎山

1841(天保12)年:『太宰管内志』(九州全域の詳細地誌)「多加佐岐とよむべし、名ノ義は高キ山の出埼有ルによリ」
 
 

[2.高崎山の三つの顔]

(1)火山

  • 鐘状火山(トロイデ)、溶岩ドーム→溶岩の粘りが強い。
  • 安山岩で組成。
  • 最新の噴火:約50万年前。
 

(2)おサルの山

  • 1698(元禄11)年:『豊府聞書』(古老の口実、古記録をまとめた豊後地誌)で、初めて高崎山のサルに関する記述あり→「高崎山には昔から猿が多い」
  • 1950(昭和25)年:184頭確認(By.京都大学の研究グループ)
  • 1952(昭和27)年:大分市長上田保氏がサルを一か所に集めて観光地化
  • 1953(昭和28)年:高崎山自然動物園誕生
  • たくさんの有名サルが、県内外でも有名に。
※歴代の主なボス
  • ジュピター=A群初代αオス(ボス猿)
  • ベンツ=B群&C群と高崎山初の群でαオス、2013年失踪→2014年死亡認定
  • シャーロット=英王室のシャーロット王女にちなむ。


(3)高崎城(大友氏の詰城)

 (奈良~鎌倉期)
  • 『日本書紀』→山頂に烽火台があったそうだ。
  • 鎌倉初期:大友氏が守護として豊後国に入った際、豪族の阿南惟家がこの山にこもり対抗したとの言い伝え。
 
 (南北朝~城の始まり~)
  • 文献に城の名前が初登場→「高崎城」、「竹崎城」、「高崎御要害」
  • 府中の北朝群(武家方)が簡単に破れた。
    →九州は、肥後の菊池氏など南朝側の勢力が盛んに。  
    →北朝側だった大友氏8代氏時公…高崎山頂に堅牢な山城を築城。九州での北朝群の拠点へ。

 

(室町~戦国)

  • 大友22代義統公…薩摩島津氏との戦いに備えるため、城普請を行うよう、賀来氏(賀来社大宮司=中世から続く豪族)に命じる。
  • 「戸次川の戦い」に敗れた大友軍は、高崎城に入城。→But,危機を感じ、すぐに豊前まで態勢を引いた。
 
(戦国~江戸…城の終わり)
島津氏との戦い後、高崎城の名は史料から確認されず。→1593(文禄2)年:大友氏の豊後除国をもって廃城。
 
 
(高崎城の構造)
  • 全長600m。連郭式山城(高い所から尾根伝いに階段状に造成した曲輪を築く)。
  • 竪堀と畝状空掘群の組み合わせ、長大な石を積んだ防塁、東西斜面を守る石塁など、防御に徹した山城→大友氏城郭の到達点を学習できる貴重な山城。
▽イメージ(※見づらい画像で申し訳ございません…。)
   
以上が講演内容です。講師の皆様、学びの成果や想いを熱く語っていただきありがとうございました☆
 
 

☆まとめ

鶴崎踊と高崎山。
非常に有名なものです。しかし、きちんと学習したのは、実は今回が初めて。
知っていると思っていても、まだ知らないことや新発見がたくさんあり!
踊りという文化から、鶴崎の地理的条件(瀬戸内に面した港町→文化交流が盛ん)を確認。
おさるの山と思いきや、実は堅牢な山城だったとは!
知っているはずの大分も、実はまだ知らない大分なのかもねっ!(笑) よい学習をさせていただきましたm(__)m

まだまだこれからも、大分を知ろう!おわり
 

<P.S.>

YouTube大分学検定参考書紹介動画https://youtu.be/jzqZJHiXh_4

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