作家・土居豊の批評 その他の文章 -8ページ目

『涼宮ハルヒの劇場』発売当日の聖地・西宮北口を歩く

『涼宮ハルヒの劇場』発売当日の聖地・西宮北口を歩く

 

https://youtu.be/x2rg0jSRO00

 

谷川流新刊『涼宮ハルヒの劇場』の発売当日、ハルヒ聖地・西宮北口周辺を歩いてみました。

 

 

 

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※土居豊の涼宮ハルヒ聖地散歩動画

この動画は、アニメに描かれた旧店の移転前最後の日の記録です

谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』の文学散歩2

北口駅〜SOS団いつもの喫茶店 編

https://youtu.be/_IskRrrwRUE

 

涼宮ハルヒの聖地巡礼動画

北高 編

https://youtu.be/boegdTtkvME

 

長門有希の図書館 編

https://youtu.be/FdWkkTlQB1U

 

 

※『涼宮ハルヒの劇場』の一部分は、かつてこのアンソロジーで読みました。この表紙のハルヒは、当時、缶コーヒーのコラボでフィギュアになりました。

 

 

 

※涼宮ハルヒの聖地・西宮北高校は、統廃合で県立西宮苦楽園高校になります。

 

 

 

 

 

千里中央のセルシー、昭和の夢のあと

千里中央のセルシー、昭和の夢のあと

 

先日、岸和田駅周辺の凋落ぶりを見て、北大阪と南大阪の格差について書いたが、

 

 

※大阪の南北格差を垣間見た

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12875642964.html

 

 

今度は、北大阪の中でも、昭和に栄えた地域が、令和の今、滅びつつあるような気配を感じた。

大阪府豊中市の千里中央、セルシーは昭和の高度経済成長期に、最先端だったショッピングセンターで、現在のショッピングモールのはしりだった。

セルシーの、この写真のステージでは、過去、多くの歌手やアイドル、アーティスト達がライブを行った。

 

 

今は、もう廃墟化しつつあるこのセルシーの広場と、ショッピングセンターの建物は、昭和の雰囲気を色濃く感じさせる独特のデザインだ。

 

 

 

 

千里中央といえば、70年大阪万博に際して吹田市と豊中市、茨木市にまたがる千里丘陵が大規模開発されたのち、交通と住宅地の拠点として出来上がった人工都市だ。千里中央の広い敷地に、阪急の百貨店とホテルが核となって、商業スペースが配置され、地下鉄(北大阪急行)のターミナル駅ができた。この駅から徒歩圏内に多数の住宅、集合住宅が建ち、勤め人はここから始発に乗って大阪市内の中心部に楽々と通勤できた。さらに、この千里中央の敷地のそばを、新御堂筋と中央環状線のメイン道路が交差して走っていて、自動車やバス・タクシーで新大阪や大阪市内の御堂筋に直結していた。中央環状線(中環)は、東西に伸びて神戸方面と京都方面、さらに大阪南部へのメイン道路となっていた。

こういった交通と生活の中心地としての千里中央のショッピングセンターに、セルシーという名の文化スペースが作られていて、前述のライブだけでなく、昭和の時代の最先端だったスポーツクラブ、スイミングスクールもあった。

筆者は大阪府の北摂地域、茨木市の出身だが、子どもの頃からセルシーの名をよく聞いた。それは幼少期から通ったスイミングスクールで、記録会という大会があって大阪市内の大きなプールに出かけて行くと、強敵として「セルシー」の泳者が活躍していたからだった。セルシー、といえばスイミングでめちゃくちゃ早く泳ぐスクール、という第一印象だった。

もちろん、のちにはライブスペースとしてのセルシーもお馴染みとなったし、勤め先の関係で、食事や買い物でしょっちゅう立ち寄る場所となった。

 

 

今、改めてみると、セルシー、千里中央は実によくできた人工都市だと実感する。それでも、北大阪急行線が千里中央終着ではなく延伸し、箕面まで延びて、千里中央が途中駅になってしまった現在、徐々に千里中央の存在感は薄れて行くだろうと予感する。

昭和のセルシーの跡地を、どのように再開発しても、あの輝かしい栄光は2度と戻らないだろう。

千里中央の核としての千里阪急ホテルも、レトロな良いホテルなのだが、いつまで営業していてくれるだろうか?

 

 

 

 

 

大阪の南北格差を垣間見た

大阪の南北格差を垣間見た

 

岸和田に用事があって、南海本線でなんば駅から急行で岸和田駅まで行った。用事の後、周辺をぶらぶらしてみたが、いくら平日だと言ってもあまりに寂れていることに驚いた。大阪府南部の有力市の玄関口の駅とは到底思えなかった。

あるいは、JR阪和線の東岸和田駅前が栄えているのだろうか? 地元の人はそんなことをちらっと言っていた。

それにしても、南海本線の始発・なんばと、大阪府の有名観光地であるはずの岸和田との落差が、あまりに大きくて、これはもう南北格差というほかないように思う。

 

(南海なんば駅前、綺麗に整備された広場)

 

(南海岸和田駅前、周辺に店舗が少なく、寂れた感じ)

 

南海岸和田駅前の商店街は、完全に(文字通り)シャッター通りだった。昼食をとろうと思ったのだが、まともに昼ごはんを食べるような店はなかった。それは駅の正面玄関の側でも同じだった。

 

 

 

 

 

バス停とタクシーのロータリーがある駅正面には、岸和田市の市民ホールの宣伝コーナーが、ポツンと立っていた。それがなんだか、地方の町の凋落の象徴に見えて、せっかくのゴダイゴのライブ・ポスターもうらぶれて見えてしまう。

 

 

 

維新の会の府政が10数年続く中で、大阪府内は、インバウンド景気に沸く大阪市中心部のキタとミナミ、再開発で栄える大阪駅周辺だけに富が集中しているように見える。

少なくともこの数年、回復したインバウンドのおかげで、大阪市内だけは海外からの観光客がどこもかしこもいっぱいだ。今日乗った南海本線も、なんば駅の改札付近に、大荷物を持った外人観光客が列をなしていた。関西空港に向かう急行にも、トランクを引いた観光客が大勢乗っていた。

それなのに、観光客は岸和田には降りず、そのまま関空へ行ってしまうのだ。逆に、関空からすぐなのに来日した海外観光客は、岸和田を素通りしてなんばへ行ってしまう。

もちろん、岸和田には「だんじり祭り」という強力な観光の目玉があり、そのシーズンには観光客で溢れるのだろう。

けれど、大阪南部で最も知名度が高い町であるはずの岸和田の、普段の姿がこれほど寂れているというのは、やはり大阪府内での南北格差が現実に目に見えていると考えざるを得ない。

こういう問題は、一朝一夕には解決しないし、原因も複雑に絡み合っているだろう。それでも、現在の維新の会支配下の大阪で、富が北大阪と大阪市の繁華街に集中していて、その傾向はどんどん加速していることに、疑いの余地はない。

このままでいいはずはないだろう。

 

ちなみに、北大阪の主要な町は、特に観光地というわけではないが、普段からこんな感じで賑わっているのだ。

 

(豊中市)

 

 

(吹田市)

 

 

(茨木市1)

 

 

(茨木市2)

 

 

(箕面市)

 

 

 

予約開始! 私の新刊 フォレスト2545新書 『なぜあのキャラは死ななければならなかったのか?

ペンネーム「浦澄彬」名義で、来月発売予定の新刊評論ですが、ネット書店で予約開始しました! 筆者渾身の本となりましたので、ぜひお求めくださいますよう、お願い申し上げます。

 

新刊予約開始!

フォレスト2545新書

『なぜあのキャラは死ななければならなかったのか? 名作の「死」の描写で辿るマンガ・アニメ史』

浦澄彬 著

ISBN13 : 9784866808185

ISBN10 : 4866808187

 

https://doiyutaka.hatenadiary.org/entry/2024/10/30/212428

 

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https://books.rakuten.co.jp/rb/18057580/

 

内容紹介

《本書は、フィクションの「死」を通じて「社会」を探求する1冊。さまざまなフィクション作品(アニメやマンガ)に登場するキャラクターの死亡シーンを年代、時系列ごとに取り上げ、これまでにない視点から物語やキャラクター、時代の変革を捉え、考察している。》

 

登場する作品やキャラの一例

・『あしたのジョー』 力石徹

・『海のトリトン』

・『科学忍者隊ガッチャマン』 コンドルのジョー

・『宇宙戦艦ヤマト』 沖田艦長

・『機動戦士ガンダム』

・『北斗の拳』 ラオウ

・『タッチ』 上杉和也

・『美少女戦士セーラームーン』

・『新世紀エヴァンゲリオン』 綾波レイ

・『涼宮ハルヒの憂鬱』など京アニ作品

・『ソードアートオンライン』

・『進撃の巨人』

・『チェンソーマン』

など

 

著者紹介

浦澄彬(うらずみ あきら)

1967年大阪生まれ。

アニメブームのリアル世代。小学生の時『宇宙戦艦ヤマト』初回放映を見てアニメファンになり、中高生の頃にはオタクのはしりだった。

1989年、大阪芸術大学文芸学科卒業。

在学中から作家を志し、セカイ系を先取りした小説を多数執筆。

卒業後は、高校の国語教員として数校に勤務。

1998年、小説『パブロのいる店で』(澪標)刊行。20世紀末当時、流行していた世紀末の気分を作品に描いた。

2000年、村上春樹論の連載で「関西文学選奨」の奨励賞受賞。

同年、評論『村上春樹を歩く』(彩流社)刊行。

以後、高校教員のかたわら、文芸評論を多数発表。

アニメ『涼宮ハルヒ』シリーズなどを比較研究した論文を、別名義でオンライン学会誌「こころの科学とエピステモロジー」に連載。

2023年、評論『村上春樹の猿〜獣と嫉妬と謎の死の系譜』(電子版)刊行。

2024年、評論『なぜあのキャラは死ななければならなかったのか?  名作の「死」の描写で辿るマンガ・アニメ史』

(フォレスト出版2524新書)刊行

母校吹奏楽部の創部60周年記念演奏会を聴く

母校吹奏楽部の創部60周年記念演奏会を聴く

 

 

 

ここだけの話、わが母校の府立高校は、高校受験で府内トップの倍率で毎年のように受験生を悩ませている。それも府立高校トップ10校の文理学科の各校より、倍率では高かったりするので、受験しようとする中学3年生は、頭を抱えてしまう。

何しろ、近年の府立高校受験では、橋下府知事時代以来の改革で、府立高校上位10校の文理学科の入試は難問揃いで、実際の偏差値よりももっと余裕を持った実力が要求される場合が多い。それでも、文理学科の入試倍率はそこまで高倍率ではない場合もあり、レベルに達した中3生が準備して受ければ、受かるに違いない。

それなのに、文理学科でもなく特別の学科でもない普通科高校のわが母校が、毎年のように高倍率を示している。受験生は、実際の自分の偏差値よりどのくらい上回る実力を、当日の入試で出さなければならないのか、当日本番を受けてみるまでわからない。わかりやすくいうと、公立の高校入試なのに大学入試みたいな倍率だ。

そういうわけで、わが母校と言いながら、自分自身が受験した40年前より、ものすごくハイレベルな受験を強いられているのが、今の後輩たちの現状なのだ。

 

 

と、ここまでは前置きだが、長い間、母校吹奏楽部の演奏を聴く機会を逸してきた。単に自分の生活がキツキツだっただけなのだが、噂で後輩たちの活躍ぶりは耳にしてはいた。

本当に久しぶりに、母校の現役高校生たちも交えた卒業生(それも何世代も若い後輩たちばかり)の吹奏楽ステージを聴いて、40年前の自分たちの演奏と段違いにレベルアップしている実情を体験した。

それというのも、自分たちが高校2年生の時に、吹奏楽コンクールで演奏した課題曲「吹奏楽のためのインベンション第1番」を、40年後、今の現役高校生と卒業生の混合バンドで演奏するのを聴いたからである。

吹奏楽部の演奏、と一口に言うが、40年前の自分たちの部活は、プロの指導者もなく、音楽の先生にも特に指導を仰がないで、時折きてくれる卒業生の大学生にそれぞれの楽器のアドバイスを受ける程度で、ほぼ自力で音楽活動をやっていた、そういう年代だったのだ。もちろん、他校にはプロ指導者がいたり、音楽教師が吹奏楽をしっかりサポートしている例はあったが、わが母校と、近隣の数校、当時は三つの高校で合同演奏会を毎年やっていたのだが、どこも同じように、ほぼ自力でクラブを運営し、演奏も自力でなんとかやっている環境だった。

そういったいわば我流の吹奏楽部のやった演奏と、今回聴いた、しっかりとプロのトレーナーのついたクラブの演奏(卒業生もおおむねそういうトレーナーの下で演奏してきた世代)とは、根本的に違った。

吹奏楽部は、管楽器と打楽器で編成されるので、なんといっても管楽器の音の鳴り方が全てを決定づける。我々の40年前のやり方は、管楽器の音の出し方も我流で、教則本をもとにして先輩が後輩を教えるというバンドだった。だから楽器の鳴らし方は無理やりが多く、きちんと楽器を鳴らせていない場合が多かった。

今の学生さんは違う。初歩の楽器の鳴らし方から、トレーナーやプロの指導が入った形でやっている(と思われるのだが)せいだろう、管楽器の音の鳴り方が、我々の頃よりはるかにスムーズなのだ。

40年前に自分たちがやった同じ曲の演奏を聴いていて、とにかく楽器の音の鳴り方が自然なのに驚愕した。

具体的な話だが、筆者は高校時代、フレンチ・ホルンを吹いていて、この同じ曲ではホルンのソロがあった。アルト・サックスと絡むそのソロで、高校時代、コンクールでの演奏でとても緊張してうまく吹けなかった苦い思い出がある。

今回、同じそのソロを吹いていたのが現役の高校生なのか、卒業生(我々より何世代も若そうな人たち)なのかわからないが、ソロ・ホルンの音がなんとものびやかで、歌わせ方もたくみであり、アルト・サックスとの絡み方も実に味わい深いものだった。

そこだけでなく、この曲のあらゆる音が、自分たちの時の演奏と比べて、実に楽々と、よく響き合っていたのだった。40年の時の流れを、まざまざと体感させられたひとときだった。

 

 

吹奏楽部・吹奏楽演奏について、筆者はこれまでさまざまに論評したり、小説にも描いたりしてきた。人気アニメ『響け!ユーフォニアム』についての批評で、昨今の吹奏楽演奏についてあれこれ論じたりもした。

だが、現実に、自分より40年前後若い(卒業生たちもおそらく10〜20年は若いはず)吹奏楽演奏を、しかも自分たちがやった同じ曲で体感して、やはり時代とともに音楽演奏は進化するのだという実例に接したのだった。今の若い人たちの音楽は、自分たちの頃よりもずっと高度で、洗練されていて、素晴らしい響きを実現していることを知る機会となった。

 

 

 

※参考

わが母校の吹奏楽部を取材した新聞記事

 

「一緒に乗り越えてくれた後輩へ 最後の演奏会、卒業生全員で贈る思い」

朝日2024年3月21日

https://www.asahi.com/articles/ASS3M4G72S3COXIE01C.html

 

 

 

※記念演奏会の様子

 

会場の大阪府茨木市の複合施設「おにクル」

 

 

新しい市民ホールは大編成バンドも楽々収まる

 

 

筆者が高校生だった40数年前の、吹奏楽部演奏会の記録

 

 

※参考音源

内藤淳一 / 吹奏楽のためのインヴェンション第1番

https://youtu.be/8Ta-O9AqWZc?si=99mY4fqdfqXxvrmX

 

 

 

※参考資料 土居豊の吹奏楽関連の小説や批評の例

 

(1)

『サマータイム、ウィンターソング&モア』1巻

(土居豊  作)

https://bookwalker.jp/deca470945-e0e2-4b65-a228-ad6415dfdd1e/

 

Kindle版

https://amzn.asia/d/8rEyFyd

 

 

 

『サマータイム、ウィンターソング&モア パート2』

(土居豊 作)

https://bookwalker.jp/de34ab8a27-9811-4026-8ea0-0610494e070e/

 

Kindle版

https://amzn.asia/d/1gnT3Ai

 

 

(2)

『こころの科学とエピステモロジー』Vol. 5,2023

映像メディア時評「京アニ作品の死生観」論 2 

【音楽アニメの死生観~『けいおん!』『響け!ユーフォニアム』の場合】

https://drive.google.com/file/d/1LiQMddCzsAct4Bk_WlSMwxgXbAAkWEDX/view

 

 

(3)

ブログ記事

「大阪府立高校の吹奏楽部の演奏会がこんなに変わった?それとも変わってない?〜大阪府立池田高校吹奏楽部定期演奏会」

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12851214037.html

 

 

※母校の高倍率入試の現状について

ブログ記事

「2024年大阪府立高校の異常な倍率差、維新の会教育改悪はもう取り返しがつかない大混乱」

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12843455985.html