アナログとデジタル
実家に行くたびに、古いステレオでLPレコードやSPレコードを聴く。父親が若い頃買ったSPには、今にしてみればお宝みたいなのが混ざっている。もちろん、なんじゃこりゃ的なものもあるが。
たとえば、シューベルトの未完成でカール・ベームがまだ中堅どころとして紹介されていたり、トスカニーニの最晩年のレコードで、まだ存命中だからコメントもえらく気をつかって、無理にほめていたりする。リヒテルのは、幻のピアニストとして紹介されていて、時代の雰囲気がひしひし伝わってくる。
ところで、アナログのレコードの音が、デジタルよりも好まれる場合、その理由として、デジタル信号ではカットされている人間の可聴周波数外までアナログは再現するため、脳によい刺激が得られるからだという。もちろん、本来、耳が捉えないはずの波長の部分だから、本当にアナログを聞いて、なるほどこれは脳によい刺激だ、などということはわからないはずだ。しかし、確かに、気のせいであっても、LPやSPで音楽を聴くという行為は、コンサートでライブで聴く次に、現在望みうる最良の、音楽体験であろう。
現代の音楽体験は、限りなく分秒刻みの、細切れの時間で構成される。その象徴がipodのようなデジタルオーディオだ。もはや音楽はデジタル信号としてしか存在せず、CDやMDといった固体の物体ですらなくなっている。音楽、楽曲をデータ、信号として取り込んでしまうと、もしその機械をだれも再生しなければ、もはや音楽は物体の形として存在しないのと同じだ。
その対極にあるのが、LPやSPのレコードである。これはプレーヤーに大きな丸いプラスチックを載せて、針を置いて、ぐるぐる回転するのを見て、ようやく音楽が始まるというものだ。スピーカーから流れる音楽は、あの黒い円盤を針がこすって、その回転運動から発生してくるのだ、という、確固たる手触りがある。その一連の過程、再生行為が、もしその音源がアナログであれ、デジタルであれ、聴く人に音楽体験への意識の焦点をあらかじめ合わせさせるのだ。だから、ターンテーブルでレコードを聴いている時間は、明らかに音楽を体験しているという認識を生む。
携帯型の機器で音楽を聴くという行為は、それとは根本的に異なる。だから、コンサートしか音楽体験の方法がなかった時代から、レコード鑑賞という簡易手段が普及した時代への移行を一つの決定的な変化とすれば、ウオークマンの普及は、新しい時代の音楽体験の始まりであったといえる。
しかし、音楽を聴くことを楽しむために、レコードをかけるという行為をするのは、ほんの少しの動作だが、確実に自分を音楽に集中させてくれる。せっかく聴くのなら、たまにはそういう深い音楽体験をしたいものだ。コンサートに行く時間がなくても、レコード鑑賞なら、機械さえあればいつでもできるのだから。
8月16日
たとえば、シューベルトの未完成でカール・ベームがまだ中堅どころとして紹介されていたり、トスカニーニの最晩年のレコードで、まだ存命中だからコメントもえらく気をつかって、無理にほめていたりする。リヒテルのは、幻のピアニストとして紹介されていて、時代の雰囲気がひしひし伝わってくる。
ところで、アナログのレコードの音が、デジタルよりも好まれる場合、その理由として、デジタル信号ではカットされている人間の可聴周波数外までアナログは再現するため、脳によい刺激が得られるからだという。もちろん、本来、耳が捉えないはずの波長の部分だから、本当にアナログを聞いて、なるほどこれは脳によい刺激だ、などということはわからないはずだ。しかし、確かに、気のせいであっても、LPやSPで音楽を聴くという行為は、コンサートでライブで聴く次に、現在望みうる最良の、音楽体験であろう。
現代の音楽体験は、限りなく分秒刻みの、細切れの時間で構成される。その象徴がipodのようなデジタルオーディオだ。もはや音楽はデジタル信号としてしか存在せず、CDやMDといった固体の物体ですらなくなっている。音楽、楽曲をデータ、信号として取り込んでしまうと、もしその機械をだれも再生しなければ、もはや音楽は物体の形として存在しないのと同じだ。
その対極にあるのが、LPやSPのレコードである。これはプレーヤーに大きな丸いプラスチックを載せて、針を置いて、ぐるぐる回転するのを見て、ようやく音楽が始まるというものだ。スピーカーから流れる音楽は、あの黒い円盤を針がこすって、その回転運動から発生してくるのだ、という、確固たる手触りがある。その一連の過程、再生行為が、もしその音源がアナログであれ、デジタルであれ、聴く人に音楽体験への意識の焦点をあらかじめ合わせさせるのだ。だから、ターンテーブルでレコードを聴いている時間は、明らかに音楽を体験しているという認識を生む。
携帯型の機器で音楽を聴くという行為は、それとは根本的に異なる。だから、コンサートしか音楽体験の方法がなかった時代から、レコード鑑賞という簡易手段が普及した時代への移行を一つの決定的な変化とすれば、ウオークマンの普及は、新しい時代の音楽体験の始まりであったといえる。
しかし、音楽を聴くことを楽しむために、レコードをかけるという行為をするのは、ほんの少しの動作だが、確実に自分を音楽に集中させてくれる。せっかく聴くのなら、たまにはそういう深い音楽体験をしたいものだ。コンサートに行く時間がなくても、レコード鑑賞なら、機械さえあればいつでもできるのだから。
8月16日