母校・大阪府立春日丘高校吹奏楽部の第50回記念の定演に参加した | 作家・土居豊の批評 その他の文章

母校・大阪府立春日丘高校吹奏楽部の第50回記念の定演に参加した

母校・大阪府立春日丘高校吹奏楽部の第50回記念の定演に参加した

 

 

 私の母校、春日丘高校吹奏楽部の第50回目の定演、半世紀の節目のステージに参加した。

3月30日夜、茨木市の市民会館おにクル・ゴウダホールにて開催された。私は第2部ステージ、定演の50年の歩みをたどる寸劇に、ちょっとだけ出演した。

 なぜそういうことになったかというと、昨年秋、同部の創立60周年の記念演奏会と懇親会に出席した際に、今の現役高校生部員たちと繋がりができたおかげだ。

 

※過去記事

母校吹奏楽部の創部60周年記念演奏会を聴く

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12874769066.html

 

《長い間、母校吹奏楽部の演奏を聴く機会を逸してきた。単に自分の生活がキツキツだっただけなのだが、噂で後輩たちの活躍ぶりは耳にしてはいた。

本当に久しぶりに、母校の現役高校生たちも交えた卒業生(それも何世代も若い後輩たちばかり)の吹奏楽ステージを聴いて、40年前の自分たちの演奏と段違いにレベルアップしている実情を体験した。》

 

 

 何を隠そう、私は高校生の時、この吹奏楽部で部長をやっていた。当時、1980年代前半の大阪府立の高校吹奏楽は、勃興期とでもいうべき時期だった。かの有名な大阪府立淀川工業高校の吹奏楽部も、この頃には丸谷先生のもとで全国一の吹奏楽部として有名だった。

 母校の位置する旧・第二学区は、偏差値御三家として茨木・千里・春日丘の3つの府立高校が人気だったのだが、春日丘の場合は学生運動の頃からの自由な校風で、地元中学生に特に人気が高かった。しかも私が入学した年、野球部が甲子園出場を果たし、「公立の星」と呼ばれてますます人気を高めていた。そんな古い年代の高校生だった私は、その後40年間が過ぎるうち、母校からすっかり縁遠くなっていた。色々な事情が絡んでいたのだが、昨年、60周年の記念の集まりに、なんとなく顔を出してみたくなったのは、これも縁というものだろうか。

 さて、その時に顔見知りになった現役高校生たちから、今回の定演の第2部で予定している「定演50年のあゆみ」の資料を依頼された。元々部長だったし、昔OB会の役員をやったこともあって、私の手元には昭和から平成初年にかけての吹奏楽部の資料がまだ残っていた。そこで、現役高校生たちに40年近く昔の吹奏楽部のあれこれをレクチャーし、ありったけの資料を渡した。

 すると、定演のステージでやる寸劇に、キャストとして加わってほしいとの依頼が来た。ちょっと迷ったのだが、こんな機会はもう二度とないかもしれないと考えて、参加することにしたわけだ。今回の定演第2部の構成には、私の提供資料もかなり含まれている。おまけに、寸劇の中で私は本名で出演することになっていた。まあ、ここまでくればなんでもあり、と思って恥も外聞もなくやらせてもらった。

 

※写真 定演当日のホワイエ展示(過去の定演の資料)

 

 

 

 

 

 当日の演奏そのものは、今時の高校生の吹奏楽らしい、明るく楽しい雰囲気のステージとなっていた。今回は客席で鑑賞できなかったので、演奏評は書かない。

 私がここで書いておきたいのは、もうすぐ還暦という年齢の自分にとって、我が子と同じぐらいの歳の十代の子どもたちと、短いながらも同じ時間を過ごしたことが、どんなに貴重な体験だったかということだ。

 普通は、教員でもなければ、60歳近くになって高校生の活動に参加するというのはなかなかない。しかも自分の子どもの関係ではなく、自分自身の学生時代のつながりが遠い縁で繋がったものなのだ。長い間生きてきて、ここにきてまさかそんなことがあろうとは、自分でも想像していなかった。

 実のところ、私は若い頃、高校教師をしていた。そのまま続けていれば、今でもまだ、十代の子どもたちの面倒を毎日、みていたことだろう。だが職場を離れて20年近くになる。今となっては、学校現場で再び働くことなど到底考えられない。だから自分はもう、十代の子どもたちと同じ時間、同じ場所で過ごすことなど二度とないと思っていた。

 ところが不思議な縁に導かれて、還暦前にもう一度、高校生たちの部活の中に、ほんのひと時だったが加わることができた。自分自身の十代の体験はもちろんのこと、かつて学校現場で働いていた時、20〜30代の自分が味わっていた感触もたちまち蘇ってきた。

 時間の感覚とは不思議なもので、かのプルーストの『失われた時を求めて』に描かれた過去発見の感じは、まさにこういうものだったのだろうかと考えさせられた。完全に同じ場所ではなく、状況も全く異なるのだが、40年前に味わった感覚とよく似た感じが、瞬時に立ち現れたのだ。もちろん、自分自身の肉体がかつてと違ってポンコツなので、同じ感覚といっても、瞬間を味わうので精一杯、束の間の体験となって過ぎ去ってしまったのだが。

 だが、プルーストが描いた過去時間との邂逅の恐るべき衝撃は、今回、存分に味わうことができた。舞台袖で待機して、40歳以上歳の離れた後輩たちが懸命に演奏している音楽に浸るうち、突然、自分が長い間押し殺していた感情が堰を切って溢れ出した。涙が急に出て止まらなくなった。幸い、舞台袖の暗がりにいたので、とりあえず涙を拭いて、花粉症対策に持っていた目薬で充血を抑えて、何食わぬ顔で舞台に出ていくことができた。

 

 

 

※以前の茨木市民会館の跡地は広場になっている

 

 

※現在のおにクル・ゴウダホールは豪華な施設だ

 

 

※過去記事

母校・春日丘高校の吹奏楽部演奏会に行く

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12879707349.html

 

《今年もおしつまった12月22日、茨木市の立命館大学キャンパスのホールで、府立春日丘高校の吹奏楽部が演奏会をするのを聴きに行った。》

 

 

 

※今回の50回記念用に後輩の高校生たちに提供できなかった当時の資料など

 

当時の雑誌「バンド・ピープル」掲載の、春日丘高校吹奏楽部。野球部が甲子園出場した際の特集記事。

 

 

春日丘高校野球部の甲子園出場記念

 

 

昔の春日丘高校の校舎を背景に、記念写真。背後はプールで、その向こうが五号館と本館。本館3階に音楽室があった。

 

 

昔の春日丘高校の本館教室内。吹奏楽部は一般教室で楽器ごとのパート練習をやっていた。

 

 

 

注)上記写真の顔出し人物は、昔の筆者。

 

※筆者の吹奏楽関連作品

 

音楽小説『サマータイム、ウィンターソング&モア』

土居豊  作

Kindle版

https://www.amazon.co.jp/dp/B0DF6BC9D8?ref=cm_sw_r_mwn_dp_GN3EY1YAQJSZ484R018P&ref_=cm_sw_r_mwn_dp_GN3EY1YAQJSZ484R018P&social_share=cm_sw_r_mwn_dp_GN3EY1YAQJSZ484R018P&language=en_US&skipTwisterOG=1&dplnkId=609c7c34-3a81-4f78-8f3e-6b3a2f87339b&nodl=1

 

『サマータイム、ウィンターソング&モア パート2』

土居豊 作

Kindle版

 

 

 

内容

《音楽小説『ウィ・ガット・サマータイム!』と、姉妹編『メロフォンとフレンチ』を時系列順リメイク!

高校二年の音楽活動、仲間と過ごす青春が過ぎていき、秋にはいよいよ演奏会へのカウントダウンが始まる。

指揮者女子のかおるは卒業生の斎藤に言い寄られて困惑。幼なじみのみきおと、かおるが想いをよせるあきらは、斎藤と対決する。

ホルン奏者のみすずはメロフォンでジャズを吹くことを思いつき、仲良しの知恵子と一緒にジャズアンサンブルに取り組む。

高校二年の青春は、春先の演奏会でクライマックスへ。》

 

パート1までのあらすじ

《関西府立の三つの高校、晴日山・片桐・丘上の吹奏楽部は、毎年、合同演奏会を開いている。今年の指揮者は片桐高出身の伊勢先輩で、大編成の吹奏楽版『ニュルンベルグのマイスタージンガー』前奏曲などを練習している。晴日山のホルン担当の二年女子、谷山みすずは、丘上の同学年のホルン担当、龍本知恵子と仲良くなり、一緒にジャズ・アンサンブルを企画することに。

晴日山の女子の指揮者・立花かおるは、部室で見つけた謎の楽譜の正体を探ろうと、仲良しの男子たちに相談を持ちかけるが、なかなかわからない。高校二年の春から夏、それぞれの音楽活動、仲間と過ごす青春の時間が過ぎていき、秋にはいよいよ、演奏会へのカウントダウンが始まる。》

 

 

※筆者が教職を辞めるに至った経緯など

2000年代物書き盛衰記〜 ゼロ年代真っ最中に小説家商業デビューした私だがなぜか干されてしまって怪しい評論家もどきライター兼講師に?

 

まとめ読み

マガジン【ゼロ年代物書き盛衰記〜ゼロ年代に小説家商業デビューした私だが】

https://note.com/doiyutaka/m/m17e6144e8b2f