■危機のサイクルが日中関係のニューノーマルと覚悟せよ、強硬姿勢背景には「超大国の弱国心理」■

令和7年12月10日

Record China によるストーリー

 

「日本は敵性国(adversary)である」。中国外務省高官が北京駐在の各国外交官を集め、日中関係を説明したと外交筋から聞いた。北京の喫茶店の屋外席で陽射しを浴びながら、背筋が寒くなった。現在の話ではない。20年前、2005年3月のことである。日本の国連安全保障理事会常任理事国入りへの反対や、小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝への反発から、中国は対日強硬姿勢を強めていた。だが、日本からの対中投資や両国の貿易関係は急速に発展していた時期で「敵性」の言葉は衝撃だった。この後、同年4月には、四川省成都の日系スーパーの窓ガラスなどが壊され、北京では1万人以上がデモ行進して日本大使館に投石する事態に発展した。

 

その後も10年9~10月には、沖縄県・尖閣諸島で起きた中国漁船衝突事件の後、再び北京や上海などで反日デモが発生。さらに、12年9月、日本政府が尖閣を国有化すると、少なくとも57都市で国交正常化以来最大とされる規模の反日デモが行われ、日系店舗への襲撃や放火が相次いだ。10年の漁船衝突事件では、中国側によるレアアース(希土類)の輸出規制や、中国にいた日本のゼネコン社員4人の拘束なども起きている。

 

歴史的経緯をたどったのは、今回、台湾有事を巡る11月7日の高市早苗首相の国会答弁とそれに対する中国側の猛反発について考えるためだ。早急に事態が鎮静化するのを望むが、12月6日には中国軍機が航空自衛隊機にレーダー照射するなど緊張はエスカレートしている。率直に言えば対立の長期化は不可避と考えざるを得ない。おそらく高市首相の在任中は日中首脳会談が開かれる可能性はなく、外交だけでなく経済や文化交流面でも関係が「厳冬期」に入ったことを覚悟すべきだろう。

 

一方、留意する必要があるのは、今回のような日中関係の対立と危機は冒頭で述べたように最初ではないし、おそらく最後でもないということだ。中国側に政治変革などドラスチックな変化が起きる場合を除き、仮に今回の対立と緊張が収束しても、将来的に新たな原因で同様の事態が起きる可能性は十分にある。10年の漁船衝突事件の際には、日本は民主党の菅直人政権だった。政権やその主張に関係なく、危機が起き得るということを念頭に置くべきだ。現状のような危機(と緩和期)を繰り返すのが、日中関係の「新常態(ニューノーマル)」ということを肝に銘じる必要がある。日本側には、いたずらにパニックに陥らずに冷静さを保ち、言葉やその他の挑発に乗る愚は避け、可能な限り正常な経済関係と民間交流を維持する「戦略的忍耐」と言うべき努力が求められている。

 

同時に、中国との関係で、同様の苦境に追い込まれた国は日本だけではない、という点を思い起こすべきだ。高市発言に対する中国側の反応は、近年、外国と対立した場合に中国が取る行動パターンにきれいに沿っているからだ。米国は除いて、いわゆる「ミドルパワー」と呼ばれるカナダやオーストラリアなども対中関係において苦汁をなめてきた。カナダは18年に中国通信機器大手幹部を拘束後、首相が交代するまで8年間、公式首脳会談を開けなかった。農産物輸出や中国人旅行者のカナダ観光も規制された。

 

近年、中国からの圧力に最も悩んだ国の一つとして、オーストラリアがある。発端は、世界的に甚大な被害をもたらした新型コロナウイルスの発生源や感染拡大の経緯をめぐり、20年4月に当時のモリソン首相が「独立した調査が必要だ」と述べたことだ。中国は「政治攻撃だ」と猛反発し、オーストラリア産の食肉の輸入を停止、大麦への高関税、同国への留学への慎重な判断を呼びかけるなど矢継ぎ早に報復措置を打ち出した。

 

中国はオーストラリアにとって最大の貿易相手国で、19年には大麦だけでも6億豪ドル(約600億円)を対中輸出していた。経済的にも大変な痛手だが、モリソン首相は「脅しには屈しない。強要されて価値観を売り払うことはしない」と突っぱねた。両国関係が改善の兆しを見せたのは、カナダと同様、22年に首相が交代、アルバニージー政権が誕生してからだ。首相は23年11月、7年ぶりに訪中し関係改善を確認した。

 

オーストラリアの例で注目されるのは新型コロナウイルスの「独立調査」要求という第3者的には至極まっとうに見える発言さえも、中豪関係を揺るがす大津波に発展したことだ。そして経済だけでなく、観光、教育、メディアなどあらゆる分野で対オーストラリア攻撃が展開された。

 

カナダやオーストラリアの例をみれば、高市発言による対立を単に日中の2国間問題としてとらえるのは単純すぎることが分かる。日本だけでなく諸外国も、最大級の貿易相手である中国を重視する一方、中国と対立した際に、その経済関係、交流関係そのものが「武器化」される、という矛盾を抱えている。今回の日中対立は、独自の統治体制を持つ中国共産党と自由民主主義諸国群がどう関わっていくか、という視点が欠かせない。そして、カナダ、オーストラリア、韓国など同様の対立構造を抱える民主主義諸国と連携を強め、対中関係において自由、法治などの原則を貫ける体制を国内外で早急に構築していく必要がある。

 

中国アナリストで、カナダ外務省を休職中に中国当局に拘束された経験を持つマイケル・コブリグ氏は最近、カナダメディアとのインタビューで「中国との関係を深めると、中国はそれを武器化して圧力をかけ、外交的自由を抑圧しようとする」と指摘。自身のX(旧ツイッター)では「中国当局は市場へのアクセスと投資への引き換えに沈黙を求める。中国の人権侵害や他国への政治干渉、台湾への圧力、ロシアの侵略への支援、日本いじめなどについての沈黙だ」と述べている。

 

現在、カナダは米トランプ政権から貿易関係で強い圧力を受けており、代替市場としての中国に期待する声も根強い。コブリグ氏はこれについて別のインタビューで「中国との貿易合意を急げば、短期的な利益にはなってもカナダの将来の選択、自由など主権に関わる問題につながる」と警告。カナダは貿易相手の多様化を図り、1国への依存関係を強めるべきではないとし、日本など価値観を共有する民主主義諸国との連携を強めるべきだと主張している。また、中国との向き合い方は「われわれの世代にとって死活的な課題(existential challenges)だ」と述べ、カナダ政府だけでなく、一般国民も対中関係について学び、一定の知識と覚悟を持つことが不可欠だと訴えている。

 

高市答弁の是非については、本稿では特に踏み込まないが、日中対立は海外でも大きく報じられている。不必要に中国を刺激した、という批判がある一方「危険なのは日本の首相が現実を語ったことではない。本当に危険なのは中国が軍事的、経済的圧力を強めて台湾の民主主義を脅かしていることだ」(12月2日、米ウォールストリートジャーナル紙社説)と擁護する声もある。各国首脳らはおおむね様子見を決め込んでいるが、冷静で客観的な国際情勢への発言で知られるシンガポールのウォン首相は例外的にコメントし、事態の鎮静化を求めた。長くなるが、第3者的な意見として参考になると思われるので該当部分を引用する。(11月19日にシンガポールで開かれた経済フォーラムでの発言、引用元はブルームバーグ通信の会議映像)

 

(首相)「われわれはみなアジアの安定を望んでいる。みなにとっての利益だからだ。だから日中両国が現在の問題で事態をエスカレートさせないことを心から望む。日中関係は重要だ。経済的には中国は日本の最大の貿易相手だが、米中両国が戦略的な競争関係にあるため複雑な関係でもある。日中関係はそうした大きな角度から見る必要もある。そして、尖閣諸島をめぐる争いと、もちろん、第二次世界大戦の歴史の影がいまだに日中関係を覆っている。われわれは、日中両国がそうした複雑な問題を解決し前に進んでほしい。東南アジアは日本との関係でそうした。歴史問題では時間がかかったが、時がたつにつれ、世代が交代するにつれ、感情は変わった。そして東南アジアは歴史問題を脇に置き、前に進んだのだ。実に驚くべきことだが、どのような世論調査を見ても日本は東南アジアで最も信頼される大国だ。だからシンガポールを含む東南アジア諸国は安全保障分野を含めて日本がこの地域でより大きな役割を果たすことを望んでいる。それによって東南アジアがより安定するからだ」

 

(司会者の質問)それにしてもあのように竜(中国)の目に指を突っ込むような(高市)首相のやり方をどう思うか。推薦できる方法だろうか。

 

(首相)「私は高市首相のアドバイザーではない。他人の賢さについて判断することはできないし、彼女が言ったことが賢かったかどうかについても判断できない。ただ、発言はなされた。言わなかったことにはできない。すでに言葉は発出されたのだ。そして

 

(日中双方に)明らかに見解の相違がある。私の見るところ、日本は対立を鎮静化させ、関係を安定させ、事態をさらにエスカレートさせないことを望んでいる。私としては中国も同じように感じてほしい。意見の相違があっても日中両国は良好な関係を保ち協力できるはずだ」。

 

中国と同様、日本と戦争の過去があるシンガポールの首相発言は、距離をおいて日中関係を考える機会になると思う。

さて、今回、中国の大阪総領事が「(日本の首相の)汚い首は斬ってやる」と述べるなど、一部の外交官の発言が問題となった。中国当局者はなぜ過激な発言を繰り返すのか。

 

これについては、中国を代表する国際協調派の論客で16年に死去した元外交官の呉建民氏の説明が腑に落ちる。同氏は中国の対外政策の背後にある心理を19世紀のアヘン戦争以来の「屈辱の歴史」による「弱国心理」と分析していた。生前、中国メディアに対し中国人は「自信がなく、己を客観視できず、批判されると『反中国』と決め付ける」「他国と平等に接することができず、不必要に対立を激化させる」などと説明した。

 

平和的発展を中国が守るべき王道と訴えた氏は「中国にとって最大の課題は中国人自身」が持論だった。毛沢東が発動し、大量の餓死者を出した大増産政策「大躍進」を例に、中国人は自信を深めると増長して判断を誤ると指摘。また、偏狭な民族主義は「愛国」の仮面をかぶっているものの、本質的には「トウ小平路線」の対外開放に反対するものだと述べ、暴力的な反日デモを批判した。「日本を火の海にする」と公言した中国軍関係者と香港のテレビで論争し、「戦前と戦後の日本は別」と述べたこともある。偏狭な民族主義を戒め、高度経済成長を受けて対外強硬路線を取る道を強く否定していた。

 

同氏の懸念は後輩たちの「戦狼外交」によって現実化した。その背景には呉氏が指摘した民族感情があることは否定できない。すでに超大国となった中国で根強い「弱国心理」は中国外交を動かす要因の一つとなっている。

筆者:渡邉陽介

危機のサイクルが日中関係のニューノーマルと覚悟せよ、強硬姿勢背景には「超大国の弱国心理」

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<私の意見>

 今回の高市首相による台湾への発言に対し、中国の対日工作が長期化していくことを多くの国民が理解しているところです。

 ここにあげた渡邉陽介記載による記事は秀逸な内容なので多くの方に読んでいただきたいものです。

 

 You Tube動画でもこの中国に対する揶揄の動画が最近相当あがっていますが、再生を増やすために「中国の自爆」だの「世界各国が中国を非難している」など、希望的なものが目立っていますが、中国を知るものとして、客観的、理性的な考えを有するべきだと思います。

 

 日本側としては、中国大陸で収益を上げたい日本企業が進出したおかげで約10万人の日本人が同国にいます。

 企業の経営者は、リスクを有しながらも自社の利益を求められており、「社益」を優先し、国益はほとんど念頭にないのは当然と考えるべきです。経済団体の重鎮たちも出身企業の多くは長く中国との付き合いがあり、中国に同調するような言葉を吐かざるを得ない状況にあります。自社の社員や固定資産が中国に人質に取られており、中国共産党幹部を刺激してはいけないという考えからです。

 

 当然、直接的に中国と関わっていない日本人にとっては、一見無関係な話ですが、中国で得た利益で、日本企業は含み益を得ていて、それらの経済が回ることで少なくとも日本の新卒学生たちは、近年、何不自由なく就職できているのも事実です。

 

 明日、中国との関係がゼロになれば、日本もやっていけず、1990年代後半以降四半世紀の日中関係は、この微妙な均等関係で成立しています。

 安倍外交が実施してきた「戦略的互恵関係」という考え方は、相手の考え、方法論にたとえ同意できなくても、「経済関係だけは守るための体裁は整えてた大人の関係を築く」ということであると僕は理解しています。

 

 そのために少なくとも日本側は、中国が言明する「核心的利益」に対して対立軸を作らず外交を行っていくというものでした。

 これについて、覇権主義を中国の力を削ぐことを提唱する方々は、とことん「日本の正義」を貫くべきであり、「是非をはっきりとし、中国と痛み分けしても正論を示す外交を行うべき」という主張にあります。

 

 そのことは正しいのですが、中国といたずらに消耗戦を行うことは日本にとって決して望ましいことではありません。

 中国は、たとえ長い時間をかけても台湾を自国の支配下におくだけではなく、中長期的には尖閣諸島、さらには日本の国力、影響力が弱まればレアアース等の資源豊富な南の島々や沖縄までを支配下に置こうとしてくるでしょう。

 

 中国の政治家たちは私たち民主主義国家のようなきちんとした選挙が行われて選ばれた人間ではなく、中国で唯一存在する政党である中国共産党でトップに服従できる面々たちが選ばれる「形だけの選挙制度」で推挙された人間たちの匙加減だけで運営されているのが中国という国です。

 

 中国の中身を日本人に平易にわかるよう解説を続けてくれている中国政経塾の柯隆(かりゅう)氏が、文化大革命後、中国は国の近代化のために日本から多くのことを学んだが「裁判制度」をきちんと学ばなかったことが真の近代化ができない大きな原因であることを述べていらっしゃいました。

 韓国も同様ですが、三権分立が明確に機能していない国は、国民の監視体制が確立できず、結局、「権力のある者への忖度社会」しか創造できないということです。

 このことは国家に閉塞を生み、脳梗塞のような社会しか築けないということです。

 

 今回は記事への直接的な感想を記載しませんが、中国を崩壊させるのではなく、中国の制度をいかに民主的になるように手を貸す(中国側から見れば「トロイの木馬」の罠)かということを、民主国家が束になって実行するかということですが、中国は、やはり「兵法」の考えを多くの指導者が身につけており、とてもむずかしいことかもしれません。

 

 この記事に「危機のサイクル」という新語が示されましたが、日中間は今後長い期間、この枠組みの中で、台湾を除き世界のどの国よりも中国と対峙していかなくてはならないと考えます。

 

 

 

 

11月22日(土)18時開演 サントリーホール

第735回サントリー定期演奏会

武満徹/セレモニアル*

マーラー/交響曲第9番ニ長調

笙:宮田まゆみ*

指揮:ジョナサン・ノット

演奏:東京交響楽団

 

演奏時間(目安_手元の時計):第1楽章31分 第2楽章16分 第3楽章12分 第4楽章27分 合計 86分

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 東京交響楽団とノットさんの旅がそろそろ終わります。

 先週、ラヴェルの「子どもと魔法」をやり、この日はマーラーの第9番です。

 12月末にベートーヴェンの第9番を2回やり、本当の意味で音楽監督を離れます。

 

 ノット=東京交響楽団の関係は日本のクラシック界に重要な歴史を残してくれました。

 近年、日本のオーケストラに対し単に常任指揮者としてではなく音楽監督としてオーケストラと向き合ってくれた指揮者として(セクハラ問題は絶対許せないですが)シャルル・デュトワとジョナサン・ノットは特別なものです。

 音楽監督にはなっていませんが、インバルやパ-ヴォ・ヤルヴィなどもオーケストラのレベルアップと日本聴衆への音楽啓発活動をおこなってくれました。

 

 以前はオーケストラ一緒でないと来てくれなかったムーティやメータなども日本のオーケストラと関りを有してくれたおかげで、来日オーケストラに匹敵する表現力を日本のオーケストラが確実にものにしてくれています。

 実際、日本の演奏家の皆さんは金管をはまだ難しい部分があるようですが、その他の楽器は世界の一流オーケストラに匹敵するかそれ以上です。世界のオーケストラの各パートに日本人演奏家が多く含まれているのがその証明です。

 経験と指導、モチュベーション、さらに給与がさらに高みに向けてくれるでしょうね。

 演奏家の方々の給与は、それまでかかったものに見合うものではないんだろうとは思っています。応援できるオーケストラは演奏会にできるだけ行きたいと思います。寄付金の応募を各オーケストラがされていますが、現状の情報公開がまだ不十分と考えているので、開示次第だと思っています。

 

 さて、演奏会ですが、意外に空席がありました。チケットは完売に近いものだったかもしれませんが、拍子抜けしました。

 マーラー人気は続いていると思うのですが、もしかしてピークは過ぎたのでしょうかね。

 頻繁にマーラーが聴け、さらにどのオーケストラも相当曲を弾きこんでいらっしゃるので、観客側も「選択の時代」に入ってきているのかもしれません。 実際、第6番や第7番の難曲でもアマチュアオーケストラまで演奏していますからね。

 

 短期間に、ウィーン・フィルやコンセルトヘボウoを同じホール、同じ箇所で聴いてしまったので、どうしてもオーケストラを比較する聴き方になってしまいます。

 

 マーラーとなると弦や木管、打楽器ではなく「金管勝負」が如実になります。

 最近はともかく、以前小澤さんが直接指揮されていた時、サイトウキネンオーケストラも金管の演奏者はほとんど海外の主要オーケストラメンバーから選抜されていました。表現力はともかく、弱音部の強さや絶対的な音の大きさに加え、メンタル部分で日本の演奏家は海外の一流演奏家の後塵を拝しているように思います。

 

 この日の演奏も端的に言うとそのとおりとなりました。

 ホルンのトップは素晴らしい演奏をしていました。表現力も素晴らしいし、息の長さも全体として本当によく演奏していましたが、瞬発力と安定感は若干の不安を持ちながら演奏されていました。

 そしてトランペットは、予想通りの展開でした。高い音のフォルテシモは全然問題がなかったのでしたが、第3楽章の弱音部でやはり連続して不安定な音を出されていました。

 むずかしいことは重々わかるのですが、ここを弾き切って欲しかったです。

 

 この演目は2014年の音楽監督就任の演目と同じです。マーラーの9番に始まり、9番に終わりました。

 

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マーラー交響曲第9番ノット=東京交響楽団第619回定期演奏会4月20日公演 | めぐみさんが帰ってくるまで頑張らなくちゃ

 第1楽章がすごく長かったです。ねっとりした演奏ではなかったが音楽をゆらゆら動かしていました。オーケストラとの対応が就任時と大きく変わったような気がします。最初の演奏は、指揮者とオーケストラお互いの「様子見もあってか」もっとあっさりしていたような気がします。2014年の時と比較し演奏スタイル基本変更ないと思いました。変わった部分は、指揮者がオーケストラに対し、オーケストラの特性(長所)をみた表現方法に加え、柔軟性をもって接したように思います。前回の直線的な演奏ではなく、もう少しいろんな要素が曲の中に含まれていました。

 

 彼らの関係で構築できたのかもしれませんが、東京交響楽団の弦も以前(10年前ぐらい)より格段によくなってきたように思います。不明瞭な音でなく、くっきりとした艶のある音を常に出せています。ロンドン交響楽団のような音を出せているのかなと思います。いぶし銀の音ではなく、明瞭なオーソドックスで美しい音を安定的に出されているように思います。ノットの表現は聴衆にわかりやすいですね。

 

 木管群はずっといいですね。音の幅もあり、柔軟性もあり、さらに各々が勝手な音を出すのではなく、ポリフォニーが素晴らしいです。音のまろみもあり、今後さらに伸びしろがあるのではないかと思います。アカデミックなオーケストラになりつつあり、次の音楽監督がどのように引き出してくれるでしょうか。

 

 この日の演奏は粗さもありましたが、決して雑というわけではなかったと思います。楽器のつながりを大事にしていたようですが、もしかするとリハーサル時と実演で指揮が変わったのではないかと勝手に思いました。

 箇所によっては楽器に少しデコボコは見られましたが、逆に面白く感じました。

 人によっては「なしです」という方もいらっしゃったかもしれませんね。

 僕は基本ノット肯定派です。

 

 

 ノット氏は来シーズンいきなり都響の客演をしますね。東京交響楽団への客演も、初年度はなくともいずれされるのかもしれませんが、まだやってもらえること(やって欲しいこと)はあったのではないかと思ってます。

 少なくともオペラはまだやってもらえる部分があったかもしれません。バルセロナのリセウ大劇場(全く存じ上げない歌劇場です)の音楽監督に来シーズン着任とのことですが、次の10年はオーケストラ作品ではなくオペラに腰を落ち着けたいということでしょうか。

 どこかで新国立劇場の兼務はできないでしょうかね。日本のこの劇場は年間10本程度で、さらに音楽監督は2~3本しかピットに入りませんから、同劇場に入り、できるだけ多くのワーグナーとモーツァルト作品をやってもらえないでしょうかね。

 

 ピットには東京交響楽団を入れればスムーズに音楽が仕上がると思うのですが。はたから見ていると両者はとても良い関係にあると感じます。

 

11月23日(日)14時開演 サントリーホール

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団来日公演

 

シューマン/「マンフレッド」序曲
ワーグナー/ジークフリート牧歌

ブラームス/交響曲第1番ハ短調op.68

指揮:キリル・ペトレンコ

演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

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 今年、2度目のベルリン・フィルの来日公演です。

 ベルリン・フィルは毎年でも日本に来てもらいたいです。しかしながら、円安もたたってか、チケットはグングン値上がりしています。それでも旅費の支払いと時間を考えれば、高いと言ってはいけないですね。

 11月23日も満員のお客だったので、ベルリン・フィルの来日公演は成立することをオーケストラ事務局にも示せたんだろうと思います。

 

 このオーケストラが来日しなくなくなったら本当に寂しい話です。

 さて一昨年に引き続きペトレンコが帯同してくれます。ウィーン・フィルと異なり音楽監督と来日してくれます。

 ペトレンコがベルリン・フィルの音楽監督にふさわしいかは、僕の中ではいまだに疑問符があります。

 管弦楽よりもオペラのイメージが強く、オーケストラビルダーのイメージもあまり感じません。

 職人が自分の得意曲を演奏するイメージがあります。

 

 2024年シーズンに新たにブルックナー(第5番)を演奏していますが、今後これらの曲をできるのだろうかいう思いはあります。

 

 さて、この日の演奏は、ドイツ音楽に対しいろいろなレパートリーで楽しみです。

 もう一つのプログラムも「ペトルーシュカ」をメインにしており、この指揮者の特性を示すのに適当な曲選択だと思います。

 一昨年のブラームス第4番は非常に演奏密度の高い演奏だったので今回も本当に期待しました。

 

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 シューマンの曲は、オーケストラのバランスが良く、美しい音色が展開されました。ベルリン・フィルの特性である粘りの効いた艶のあるものでした。 こういう曲をやらせてもこのオーケストラは異次元のものを提示してくれます。

 

 そして、ワーグナーです。1曲目にワーグナーオペラの前奏曲や序曲をやらなかったことは、この指揮者が考えたことです。ジークフリート牧歌という美しい旋律をこれでもかと出してくれました。

 弦の整い方が半端ないです。先週聞いたコンセルトヘボウが絹のような音でしたが、ベルリン・フィルはさらに深みがあり、重心が低い音色でした。聴いていて思ったのは日本のオーケストラはウィーンやコンセルトヘボウのような音は出さない(出せない)けどベルリンフィルの音は出せてますよね。

 整った音を聴いていましたが、日本のオーケストラの弦の良さをも再認識しました。

 

 さて、後半のブラームスですが、一昨年の第4番は大変に感動し、期待値は大きかったです。同年第1番のウィーン・フィルも大変良い出来(但しウィーンフィルの第1番でソヒエフの第1番ではなかったです)で、今度はペトレンコとベルリン・フィルでどれだけのものを提示してくれるのかという思いにありました。

 今後の来日で第2番、第3番も当然演奏してくれる期待があります。

 

 ブラームスを得意にするオーケストラですから冒頭からきびきびとした、また深みのある演奏をしてくれました。

 シューマン同様、息が長くどこまでも深く美しい音が弦や木管から響きました。金管も特に弱音の音出しに安定感があり舌を巻きました。ホルンの安定感も格別です。それが全体に徹底していました。

 オーケストラの機能はウィーン・フィルとは異なるベクトルでとても素晴らしかったです。

 

 ここで終えたかったのですが、課題を見つけてしまいました。この演奏でこの日のお客は満足されたのでしょうか。

 僕は、第4楽章になり、ベルリン・フィルの先入観を振り払い冷静に音楽を聞き入りました。

 ズブの素人ですが、CD、FM、実演を含めるとこの曲を「千回以上」は間違いなく聴いています。

 個人的な意見とはいうことで、言わせてもらうと「この解釈はないだろう!」という思いになりました。

 

 弦の艶やかな粘り、統一性は間違いなくこれ以上もないものです。木管の美しさも言いようもないし、金管のうまさは上の通りです。もちろんティンパニーのバランスも絶妙です。

 問題はペトレンコです。後半に至るに金管の粘りのある音を、簡単にカットし、音を切れ切れにしてしまいます。弦と木管が朗々と流れる中でなぜ金管だけ音を切ってしまうのでしょう。

 

 さらに第4楽章のティンパニーの2発の前後のテンポの落とし方が作為的すぎました。「そこで動かしちゃうの?ありえないでしょ」という落とし方をしました。

 「吉本新喜劇のような王道の笑い」をブラームスで期待したのですが、ペトレンコの趣味で音を動かしていました。

 ベルリン・フィルの実演ではアバドも聴いたし、ラトルも聴きましたが、本当に「えっ」と思いました。

 

 かつてベルリン・フィルが小澤さんが振るブラームスに対し「我々のや(演奏す)るブラームスと違う」という言葉を吐いたと言われていますが、これで良かったのでしょうか。

 朝比奈さんはベートーヴェン演奏に対し「若いうちから、ベートーヴェンの演奏についていろいろやってきたけど、結局楽譜通りするのが一番いい」という言葉を晩年、口にされています。

 キリル・ペトレンコは1972年生まれの53歳で、巨匠と呼ぶにはあと四半世紀を要します。

 やりたいことがまだたくさんあることも理解できますが、今回のものについては否定的な判断です。

 

 第4番では文句ひとつつける気持ちはありませんでしたが、今回は僕との相性は悪かったと言っておきます。

 これであれば、ハーディングのキレキレブラームス、ティーレマンの重厚ブラームス、メストの艶のあるブラームス、さらにはブロムシュテットさんの若々しいブラームスをベルリン・フィルで聴きたかったです。

 

 ベルリン・フィルの次回の演奏は期待しますが、次の来日時はマーラーの第7番かショスタコーヴィチを是非演奏してもらいたいです。

 

「中国に来た日本の高官は『頭破血流』」と中国専門家、中国ネット「日本人に幻想持つな」

Record China によるストーリー

11月19日付け

 

中国メディアの大象新聞は18日、外務省の金井正彰アジア大洋州局長と中国外交部の劉勁松(リウ・ジンソン)アジア局長が協議を行ったことについて、中国の専門家が「日本の高官は中国に来て『頭破血流』だ」と発言したことを伝えた。

同日に行われた協議は、高市早苗首相の台湾有事をめぐる発言に中国側が強く反発し、日中関係が悪化したことによるもの。報道によると、金井氏は中国の薛剣(シュエ・ジエン)在大阪総領事による「汚い首は一瞬のちゅうちょもなく斬ってやるしかない」とのSNS投稿に改めて強く抗議したほか、中国政府による日本への渡航自粛などの呼び掛けに反論した。中国側は高市氏の発言の撤回を求めたという。

 

この件についてインタビューを受けた中国社会科学院所属の国際問題専門家・張国慶(ジャン・グオチン)氏は「間違いなく話し合いは不愉快なものに終わっただろう。しかも彼(金井氏)は灰頭土面(灰を被り泥だらけ)だった。つまり、任務を果たせなかったということだ。中国のレッドラインを試そうとして『頭破血流(頭が割れ流血する。散々な目に遭うこと)』という結果になったということだ」と述べた。

その上で、「彼は帰国してから、高市氏らと今後どう中国に対応するか検討する必要があるだろう。だが、どう対応しようともこれはわれわれのレッドラインであり、越えてはならないものだ。相手が越えてきたらたたく。この点は、中国共産党と政府、全国人民が決して揺るがせにしないものである」と強調した。

 

中国のネットユーザーからは「反省する気もないくせに何しに来たんだ?」「日本側の時間稼ぎの策略に気をつけろ」「もう釣魚島(尖閣諸島)を占領してしまえ」「日本人には一切の幻想を持たない方がいい。緊張も謙遜も、すべて装っているだけ。解決の唯一の方法は、彼らをたたき伏せることだけ」「一部の芸能人たちは毎月のように日本に旅行に行っている。そういうやつらは封殺すべきだ」といった声が上がった。

一方で、「(張氏の発言について)勇ましいことばかり言うなよ(笑)」「頼むから、自分で自分を慰めるようなことばかり言ってくれるな」「日本はこっちの声なんて気にしてない」など、やや冷めた見方をするユーザーも散見された。

(翻訳・編集/北田)

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<私の意見>

 「結局またこれですか」というのが僕の率直な意見です。

 日本の外交官はとても「品が良く」、対応も丁寧です。それは通常の外交ではプラスになります。

 ただ、中国は、日本、大きくは西側諸国が考えているような文化は持ち合わせていませんし、古代からの「狂犬外交(決して「戦狼外交」ではありません)」「高圧外交」を続けていて私たちが考える外交を行いません。

 時として国際法をも平気で無視することが多くあります。

 

 彼らにとって「外交」とは品格を有すること、尊敬されること、さらには交渉過程などはどうでも良く、恫喝してでも「結果を出す」ことが求められます。

 そもそも、国際法が中国文化や老練な中国外交を背景に成立したものではなく、国家の成り立ちとして自分たちより下である「西洋列強」が勝手に作ったものだと考えていることから軽視している節があります。

 日本人たちはそのことをしっかり理解すべきです。

 

 今回のことについて、先の意見を僕は述べています。

 

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 今回の出来事について一連の中国とのやり取りは大失敗の連続です。

 これも、記載しましたが、今回の流れは起こるべくして起こっています。多くの日本人が「中国が悪い、高市さんのやり方(台湾びいき)は正しい」としています。

 「台湾と協調する」ことを僕も全く否定しませんが、今回は手順ならびに筋(すじ)が全く良くありません。

 

 台湾と良好関係を結ぶことは大賛成ですが、それを実施するにあたり、「台湾を一国家として認め、その方向性を肯定し、中国による台湾の武力統一は一切認めない」的な持って行き方は明らかな間違いです。

 安倍元首相はこんなみっともない外交はしていません。

 靖国神社参拝同様、「行くとも行かないとも言わない」という主張をすべきでした。

 

 今回の事柄は、一つ目の台湾のさんとの会談について、高市さんは肩書を付けず、「さんと挨拶しました」とだけ言えば良かったのです。 なぜここでわざわざ「会談した」したと言わなければならなかったのでしょうか。「実(じつ)」を取ったのですから、わざわざ相手の顔をつぶすことはなかったのです。

 

 さらに台湾問題についても

 

 安倍氏が掲げた「戦略的互恵関係」という意味をもっと大事に扱うべきです。

 日本側からいえば、経済的には中国を利用する価値は今もあるのですから、あえて対立する部分を殊更唱えるではなく「(表面上は)曖昧にして得るものを得る」という行動に傾注すべきです。

 日本の思いを最大限ぶつけ、中国の面子までつぶすことは得策ではないです。彼らにとって面子は一国の経済以上に大事なことであり、「面子を守る」ことが将来の国家運営に最も効果があると信じている国なのです。

 

 高市首相においても、長期安定政権を確立するためには「経済」をないがしろにするわけにはいかないどころか、これを確保することが「一丁目一番地」になる事柄であることから、中国市場の一定量は確保することは大事なことであると理解すべきです。

 現在の世界において、「対中国はゼロ」などということは全く現実ではないです。

 中国との関係を薄め、核心的技術や貿易についてはサプライチェーンから除外することを進めても、除外できないものについてはそれなりに対応すべきと考えます。

 

 彼らを本気で怒らせたら取り返しの付かないことになります。

 本気で戦うなら最低でも「スパイ防止法」「外国人(中国人)による土地購入制限法」を成立させるなど、中国内にいる日本人が受ける制限と同様のものを用意しないと彼らに足元を見られながら外交することになります。

     さらに言えば、米国やその他のG7諸国との関係が最大限強化されていることを中国に印象付ける必要があります。

 

 今回の事柄は外務省で「対中対応」が確立できていない中でいきなり「高市砲」が炸裂しているので事務方が付いて来られない状況にあります。

 もともと上品さが売りのお公家外交を展開する日本外務省には「バトル」から入り込むのは無理な話です。

 もっとしたたかに戦略と戦術を練ってからでないと、安易に中国とやりあってもなんら効果的な対応にはなりません。

 彼らは次から次へと制裁あるいは中国国内の日本人をスパイ罪で逮捕する行動をとること(「人質外交」が目に見えています。

 日本が同じ行動で対応できない限り負けてしまいます。

 

 その学習は、かつて民主党政権時に海上保安庁に中国漁船(中国海警の工作船)が衝突を試み、船長を逮捕したことに遡れます。

 当時の石原東京都知事の煽りを受け、尖閣諸島を国有化しました。

 中国は日本を試す行動に入り、まんまとひっかかって、墓穴を掘る外交をしました。

 

 当時は鳩山のせいで日米関係が最悪になっていたため、さらに中国は強い行動に出てきていました。

 中国国内で日本資本の店舗の打ちこわしまで行われ、これについて中国は「日本側の責任で起きた」として謝罪も補償もしていません。

 

 今回も最悪、同様のことが起きますよ。

 既に日本旅行のキャンセル、日本のアーティストの中国公演のキャンセル、日本が絡む中国内外での行事のキャンセルが起こり始めています。予想されたことですね。

 

 日本国内には岡田さんの質問が度を越していると言われますが、「たかが岡田さん」に本気で回答することなくのらりくらりと回答すれば済んだことです。対中関係については本心を隠し続け、平行線の回答で良いのですよ。

 ここで堂々とした弁舌をする必要は全くありません。

 ここまで来てしまったので撤回することは絶対にやってはいけませんが、中国の嫌がらせはエスカレートすることを高市さんはしっかり認識すべきです。

 外務省と高市さんでしっかりと方向性を再整理しなくてはならないでしょうね。

 

 もう一度申し上げます。対中関係は、中国の面子をつぶさないことと、曖昧な言葉で「実」を取ることにに傾注すべきです。

 

 

 

 

 

2025年11月16日(日)17時開演 ミューザ川崎

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団来日公演 

 

R・シュトラウス/交響詩「ドンファン」

マーラー/交響曲第5番

クラウス・マケラ指揮

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

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 前日、ウィーン・フィルの演奏会に行き、来週土曜日は「ヴォツェック」を観劇し、ノットさんのマーラー第9番を聴き、日曜日はベルリン・フィルの演奏会に行きます。

 この日はコンセルトヘボウでした。本当に贅沢な時間です。

 

 円がとても弱くなり、近い将来これらのオーケストラが来日してくれなくなるかもしれません。毎回言いますが、近年これらのビッグオーケストラが来日する際、中国人、韓国人、台湾人の音楽ファンが聴きに来られます。

 この日も開演前、2階会場で中国語で大きな声を張り上げる「下品な客」がいました。

 

 いつか仕事をリタイヤする年齢になり、海外公演に贅沢三昧(冗談です。普通で十分です)で行けるよう今後も投資は続け、「小金(こがね)」をしっかり貯えたいと思います。

 

 マケラは今年二回目の来日ですね。パリ管弦楽団と来ましたね。ひっぱりだこの指揮者ですが、よく日本に二回も来れたと感心します。

 29歳にしてこの状況に驚きます。

 2年後はシカゴ交響楽団の音楽監督です。米国最高峰のオーケストラということは「機能的」には世界一のオーケストラです。もう頂点です。

 古いですが「のだめカンタービレ」の千秋真一どころの話ではないです。

 

 コンセルトヘボウは2年ぶりです。来日機会の多い故マリス・ヤンソンス氏のおかげで頻繁にこの素晴らしいオーケストラの音を聴き続けることができました。

 今後も来日を続けて欲しいオーケストラの一つです。

 しかし、チケット確保には大変に苦労しました。

 

 今回の演目2つはオーケストラ機能を評価するのも打ってつけの曲です。

 音出しのむずかしさ、ハーモニーのむずかしさの両方です。

 マーラーの5番は昨年ネルソンスがウィーン・フィルで演奏しましたが、ゆったりとしたテンポのせいか後半になり結構音をはずしていました。

 やられるときに痛い目にあう曲です。

 

  2曲とも共通したのが爽快に仕上げられていたことです。

 マーラーでは健康的に構成されていました。癖がなくスムーズな音にできていました。オーケストラの音の良さをきちんと引き立てていました。

  マーラーの音楽は病的なものが多く、このあたりの部分を出す方が良いとおっしゃる方もおいででしょうけど、第5番については、一気呵成に進めても問題ない曲のように思います。マケラの解釈はマーラー指揮者ではないですがデュトワの解釈に似たまっすぐな音楽作りのように感じます。

 

 オーケストラについて弦はビロードのような音と言われることがありますが、このオーケストラがまさにそのビロードの音です。ヤンソンスが指揮すると、中庸な音を出させ、微妙な音のつながりと間合いを大事にしていましたが、マケラは抑制せず、弁を開放させました。

 

 印象としては徹底して健やかな音を展開していました。特筆されるのがコンマスのヴェスコ・エシュケナージさんのヴァイオリンの音色とホルンの首席ケイティ・ウーリーさんです。

 エシュケナージさんはN響の特別コンサートマスターもつとめてくれましたが、柔らかく艶やかな音色を出していました。他のヴァイオリンもこの音で合わさっているわけですから本当に美しいものでした。前日ウィーン・フィルの弦も聴いたところですが、ねっとり感の弦ではなく、相変わらず美しさを追求したすきっとした苦みのあるマンデリン(コーヒー)のような弦ですね。

 

 一方、ウーリーさんのホルンは攻撃的で一点の曇りもないスパーンとした飛ぶような音がします。弱音も全く震えず完璧な音です。

 以前も書いたのですが、コンセルトヘボウのホルンの音は特別です。日本のオーケストラだけでなく、ヨーロッパの名門オーケストラでもこの厚みのある音を出してくれるところはありません。これらの音が聴きたいためにこのオーケストラを聴きにきれいるわけです。

 

 

 演奏後、マケラはオーボエに続き、ウーリーさんも立たせましたが、この時の拍手喝采は異様な盛り上がり用でした。

 終演後舞台のそでに入る際も、観客の多くが「やんや」とウーリーさんに声をかけると、彼女もそれにこたえていました。

 

 

    コンセルトヘボウoはハイティンク、ヤンソンス、ガッティとマーラーを得意とする指揮者が演奏し続けていたのでツボを心得ているは間違いないですし、楽団員も皆得意にし、聞かせどころ、音出しの限界も肌で感じているだろうと思います。

 近年、ウォンさんが日本フィルを振って素晴らしいマーラーを演奏し続けていますが、彼がコンセルトヘボウを指揮したらどうなるかなとふと思いました。

  

 

2025年11月15日(土)16時開演 サントリーホール大ホール

ウィーンフィルハーモニーウィークインジャパン2025 東京公演3日目

 

ブルックナー交響曲第5番変ロ長調WAB.105

クリスティアン・ティーレマン指揮

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

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 ウィーンフィルの来日公演で聴きたい指揮者が二人います。

 1人目はメスト、そしてもう一人は今回のティーレマンです。僕の中でティーレマンはカルロス・クライバー的天然記念物になっています。

 振る曲を選びますが、選ばれたものはどれもとんでもない仕上がりをします。

 

 数年前、ベルリン国立歌劇場管弦楽団の来日公演でバレンボイムがキャンセルになりティーレマンが代役でブラームスの交響曲を振ってくれたことについて、通常は残念な状況が多いのですが、この時は損したどころかもうけた気分になりました。

 バレンボイムはバレンボイムで良かったのですがティーレマンになって本当にラッキーと思いました。

 

 今回も選ばれた曲はブラームス、シューマン、そしてブルックナーとウィンナーワルツでした。ティーレマンならではの演目で、さらにウィーン・フィルの重要なレパートリーでもあります。

 これにベートーヴェンとリヒャルト・シュトラウスを加えたら、ティーレマンの扱う管弦楽作品の約7割を網羅します。

 彼のレパートリーの中でモーツァルトはほとんど振っていないのは驚きです。

 こういう、音楽を選び、またそれが成立する指揮者がこの時代に存在することは、嫌味ではなく素晴らしいことです。

 

 今は何でもできる指揮者で、さらにマーラーもできることが求められますが、このマエストロはマーラーは振らないし、ロシアもの、フランスものも全然やりません。

 ティーレマンの「ラ・ヴァルス」や交響詩「海」を聞いてみたいと特に思う人もいないですよね。いるのかなあ。

 

 フルトヴェングラー→(クナッパツブッシュ)→(ベーム)→チェリビダッケ→シュタインやサヴァリッシュ→(ヴァント)→バレンボイムの「ドイツがちがち系譜」に属するのでしょうかね。

 

 この日のブルックナーの第5番ですが、マエストロにとってとても大事な曲です。

 ずっと記憶しているのですが、2004年にミュンヘンフィルの音楽監督になったときに最初に振ったのがこの曲です。合わせてこの時録音もしています。チェリビダッケの後、ここのシェフなった際、チェリビダッケの十八番だった曲を就任の音楽としてあえて選んでいます。ブルックナー指揮者としての後継者を主張したと言っても過言ではないです。

 

 ティーレマンがオーケストラを引き連れて来日公演を実施する場合、結構な確率でブルックナーに出会えるのでファンをわくわくさせます。

 僕としては前回、ドレスデン国立歌劇場のオーケストラ公演で聴いて以来、このマエストロのブルックナーを久々に聴くことになりました。ちなみに最近ドレスデンは来日してくれないので少々残念です。近場では中国には行っているみたいですが、日本ではお客が入らないのでしょうか。

 

 今回来日の演奏会について、同曲は大阪で1回、サントリーでも週初めに1回やり3回目になり最後の公演ですが、ウォーミングアップは万全だと思いますので相当期待できます(先の2回も素晴らしかったのでしょうけど)。

 

 指揮台には当然のように譜面台がありません

 この曲を暗譜で指揮する指揮者を近年全く見かけません。当然この曲を振りこんでいる指揮者もこのマエストロ以外いません。現存する指揮者でブルックナー指揮者は目にしなくなりました。

 近年の大曲演奏において、マーラーを振る指揮者は世界中に多数存在しますが、ブルックナーを演目の中心に据えている指揮者は多くないですね。昔は来日しない職人指揮者がヨーロッパに結構いましたが、今頃は在京オーケストラも鵜の目鷹の目で指揮者を呼びますから、珍しい職人指揮者を探すこともむずかしくなっています。

 

 今シーズンで東京交響楽団を去るジョナサン・ノット氏は英国人でありながら、結構の頻度でブルックナーを取り扱ってくれる稀有な指揮者です。

 

 さて、演奏会の中身ですが、ウィーン・フィルの団員が会場に現れると、コンサートマスターは(とても怖い顔の)ライナー・ホーネックさんと新たにコンマスになったヤメン・サーディのお二人が並ばれました。

 

 例によってチューニングはオーボエに任せずホーネックさんが自分でA音を出します。昨年もそうでしたし、先月ウィーン国立歌劇場が東京文化会館のピットに入った時も儀式的な対応はなかったです。

 

 ティーレマンが指揮台に立つと、いつものように無言しばらく立ったままでした。

 会場の雑音確認なのかオーケストラの確認なのかはわかりませんが儀式のようです。

 第1楽章と第4楽章は同じ立ち上がりでこの曲の骨格ですが、ティーレマンはピッチカートひとつも本当に重要に扱います。

 ワルターがマーラーの5番の第1楽章のピッチカートを大事に扱う(楽譜ではフォルテですが多くの指揮者は大体ピアニシモぐらいで軽く音出しをします)のと似通っています。

 

 「音楽通(痛が合っているかも)の人」によると「精神性」というやつなのでしょうか。

 昔から「精神性」という言葉が大嫌いでしたが、バレンボイムがベルリン国立歌劇場管弦楽団と来日公演でブルックナーの全曲演奏を大部分聞いたとき、言葉を置いといて、「絶対的な音」を時間の中で集約して捻出するということには若干、「寛容的な気持ち」になりました。

 

 いまだにフルトヴェングラーの精神性云々をほざく(失礼、おっしゃる)方々に対しては同意はしませんが、純音楽を追求するということについては、ギリギリ肯定的な気持ちでいます。

 この「精神性」という異常な単語はフルトヴェングラーと「戦時下の極限性」がごっちゃになっていることが多く、ナチにつながる可能性があり、危険性をはらんだ文字だと思っています。大戦以前に音楽に対して精神性をどうとらえていたのでしょうか。

 

 さて、ブルックナーというと、ブルックナー嫌いの方々から「ブルックナー休止は理解できない」という言葉が今もあります。経験的にかつて女性の音楽ファンからよく聞く言葉でした。流れるようなショパンの音楽からすると、情熱的に音を盛り上げた先が「いきなり休止はないでしょ」、「もっときちんと集約するなり、昇華させるなりという方法はないの」ということです。

 

 僕も中学生時分ようりブルックナーを聴き続けていますが、確かに聴き始め当初は「なぜここで音を止めちゃうの」という気持ちがありました。特に上にティ-レマンのレパートリーにマーラーがないのでも書きましたが、マーラーは音楽の推進性が半端ないですね。展開がどんどん変化し、そのどれもが旋律として成り立ち、いつまでも変幻自在(それこそ精神が揺れながら)に息が長く大団円に向かっていきます。

 病的な音楽です。

 

 ブルックナーは、これもやはり病的な音楽ですね。延々と息の長いフレーズを途中で止めながら繰り返すスタイルは尋常ではないです。

 

 ティーレマンの指揮で聴くと、ブルックナー休止が全く気になりません。

 この人、ブルックナーの譜面の読みが優れています。音楽の本質を的確に理解し、なぜ休止するのかを明確に理解し、音としてきちんと表現します。天才ですよね。

 チェリビダッケのライブがどうだったはわからないのですが、少なくともこの大マエストロの「展覧会の絵」はFMをライブで聴いていましたが、当時も今も全く自分の感性に触れません。あの柔軟なロンドン交響楽団が完全に参っているのが聴いていてよくわかりました。

 

 ティーレマンの輩出する音楽はまさに論理的でした。そして、聴いている最中、このオーケストラがウィーンフィルであるのを忘れてしまいました。

 ウィーンフィルがティーレマンのタクトに下僕のように追随し続けていました。これは事件ですよね。

 

 ブラームスを指揮した時(今回のウィーンフィルの時ではなく)、マエストロは両手で縦振りに徹していましたが、この日は右で棒を振り、左手でなんと指でオーケストラに対し要求を出し続けていました。

 このオーケストラにそこまで要求する指揮者を見たのはいずれも故人ですが、マゼールとジュゼッペ・シノーポリ以来です。なお、マゼールはもう少し柔らかくでしたけど。

 

 ただその要求は第1ヴァイオリンが並ぶライナー・ホーネックさんを含めてというのに感激すら覚えました。

 そして第1ヴァイオリンの最後列までが必死に弓を弾いているのにも感動しました。

 ホルンがすごかったのはもちろんです。オーボエもクラリネットも完全な演奏でした。

 

  曲の構成をいうと、以前の「作為的」な部分が完全になりをひそめました。冒頭からテンポがゆっくりと展開するのですが、ただ遅いわけではなく、必要に応じて標準?のテンポになりました。

 2楽章、3楽章とも歌わせるとことは、たとえば2004年の録音とは異なり、音が有機的につながっていました。

 

 とりわけ、第4楽章の最終部分は極端にゆっくりしたものではなく、スムーズに音を流しながら「ため」を作って仕上げていました。手元で演奏時間を確認すると約78分で、標準よりほんの少し遅い程度なので、一般的にも聞きやすい演奏だったのではないでしょうか。ティーレマンは今も進化していると感じました。

 

 これだけの演奏を聴かせてもらえるとは思いませんでした。ベルリン国立歌劇場やドレスデン国立歌劇場でも同様な音を出しているでしょうけど。

 

 特にこれ以上の言葉はありません。金管が3次元に音を出し切るのを聞いて、日本のオーケストラでは聴けない音だなあとぼんやり思いながら聴いていました。

 もしかするとティーレマンが指揮したらN響や都響は同質の音を出すかもしれませんね・・・・・しらんけど。

 

 この演奏で、久しぶりに放心状態になりました。感謝します。

 

 演奏終了後、マエストロも満足されていたようです。何度か会場に出てくる最後、多少小走りで指揮台に「ドン」と飛び乗り、子どものように喜ぶ(はしゃぐ)行動を取られました。

 この人おっかない顔して茶目っ気がありますね。

 

 そして同じ拍手時に会場拍手の渦中、ティーレマンがオーケストラ皆さんを立たせようとすると、「あのホーネック」がオーケストラを立たせず、ティーレマンを観客に向かうよう促しました。

 日本のオーケストラのコンサートマスターであれば日常のことですが、ウィーン・フィルで初めてこのような行動を見ました。

 この日テレビカメラが入っていましたから、後日映像で見ることができるかもしれません。

 これらの行動で、この日の音楽の出来を表現できるでしょう。

 来年はメストの指揮で聴きたいです。ベートーヴェンを除くドイツものが。 

 

          兵どもが夢のあと

 

 

 

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■ 北朝鮮「日本は千年来の宿敵」 賠償責任を討論、2015年以来(記事) ■

配信

共同通信

【北京共同】北朝鮮メディアは13日、日本は「千年来の宿敵」で「万古の罪悪は必ず清算されるべきだ」として植民地統治などの賠償責任を訴える討論会が12日に平壌の社会科学院で開かれたと報じた。ラヂオプレス(RP)によると、同様の討論会の開催が確認されるのは2015年以来。研究者らが参加した。

 

  高市早苗首相は拉致問題の解決に向けて、北朝鮮に金正恩朝鮮労働党総書記との首脳会談を打診したと明らかにしているが、北朝鮮メディアでは言及されていない。

 

  北朝鮮は友好国との連携強化を重視しており、12日にはラオスとの外相会談を平壌で行い、国際舞台での協力を確認した。

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<私の意見>

 近年、どれだけの頻度で北朝鮮において日本の情報が出されているのかはわからないです。

 米国民主党バイデン政権は、北朝鮮に対して全く興味を見せていませんでした。

 

 北朝鮮は、先の第1回目のトランプ政権時には、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領が就任後ずっと北朝鮮に寄り添う態度を取っていたことに加え、米国と2回にもわたり米朝協議が行えたことから、日本との関係改善を示す必要がない状況にありました。

 尹政権では日米協調の態度からロシアと関係を深め、最近になり、米中関係の悪化から中国とも表面的には融和関係を結びつつあります。

 

 北朝鮮にとっての一番の課題は米朝関係修復し、北朝鮮に科されている多くの制裁を解除するだけでなく、定常的に西側から経済支援を受け、国家を富ますことにあります。

 金正日と金正恩との間で大きく異なっている政策は、韓国との関係にあり、前政権においては朝鮮半島の統一を掲げていましたが、現政権はそれらに固執するどころか交流すら完全に途絶えさせました。

 

 現状で北朝鮮がどういう方向に国を作り上げるのかというビジョンはわからない状況にありますが、国家を維持し金王朝を維持させたいことだけはわかります。

  北朝鮮が必要としているのは資金です。2019年の国家予算が43億ドル程度とされており、韓国の1/10規模と言われていました。以前は日本の鳥取県の経済規模と言われたこともあります。現在は円安が進行しているとしても日本円で5,000億円~8,000億円規模の経済力しかありません。日本の予算規模が100兆円を超えていますから、単純に通貨規模でいうと1%にも達しないということです。

 

 日朝交渉時、国交正常化で日本から北朝鮮に対して、当時1兆円(100憶ドル)とされていましたが、今の相場だと2~3兆円ということになるでしょうか。

 但し、北朝鮮としてはこの金額は名刺代わりともしているようで、総額は5倍、10倍とも言われています。

 北朝鮮の国家予算の数倍以上を国内では目論んでいるのは間違いないです。

 

 いつも言うように、北朝鮮は既に拉致問題を解決する意志は全くありません。被害者全員が亡くなるまで封印するつもりでおり、その後(今回は丁寧に)書類を整え、日本との交渉過程と辻褄を合わせて改めて何の反省もなく日朝交渉再開に打って出ようと考えていると思われます。

 

 日朝交渉にかかる北朝鮮側の懸念としては、拉致問題のせいで、それまで積み上げてきた日朝交渉の支援が相殺され、日本側からの資金が大幅に減額させられてしまうことです。

 

 さらに北朝鮮が日本との交渉で復活させたいのは1990年に社会党の田辺委員長と自民党の金丸元副総理が金日成との間で交わした「戦後補償」の上乗せです。

 日韓併合の1910年~45年について、日本は韓国との交渉で経済協力金(実質の補償)を支払っていますが、北朝鮮は1945年以降の日朝間の非正常関係についての補償も要求し、田辺、金丸の両氏は首を縦に振っています。

 

 ただ、これは国交のない中、国家間ではなく、朝鮮労働党と自民党、社会党(現在は消滅)間で交わされたものであり、通常の対応にはなりませんが、仮に文書が交わされているようだと北朝鮮側から日朝国交正常化にあたり、それなりの要求はしてくるものと思われます。

 

 拉致被害者が亡くなれば、北朝鮮としては日本に対しなんの縛りもなくなるため、米国と「一定の関係(現在のような最悪の関係でなくなり)」が築けた場合、一気に国際機関等に日本の悪行(彼らの言う植民地支配ならびに慰安婦等の人権問題糾弾)を上げつられながら強い交渉をしてくるものと思われます。

 

 ここでいったん声をあげてきたのは特に意味はなく、日本がどの程度妥協をするのかをまず見るつもりでしょう。

 「拉致問題」から言葉を始めた場合は、即刻交渉に応じず、まず「どれだけの支援」を掲げてくるのかを聞こうということです。

 

 彼らの言う「千年来の宿敵」修飾語句とは、結局「金要求」と同意語であると考えるべきです。

 今までもインドネシアやマレーシアなど北朝鮮側と非公式に事前の秘密会談を実施してきましたが、何一つ成果をあげてきていません。

 

 日本が実施すべき交渉は「制裁強化」という武器があって成立しますが、中国、ロシアと言った抜け穴がある限り実質的に意味のある交渉はできないということです。

 金正恩はあの体形では間違いなく長生きができませんから、次に交渉できるタイミングは彼が死亡した時ではないでしょうか。

 

■日本の日本の印象「良くない」、中国で87・7%に急増…日中関係「重要ではない」は過去最高(記事)■

日本と中国の国民意識を探る第20回日中共同世論調査(実施=言論NPO、中国国際伝播集団)の結果が2日、発表された。中国側で日本の印象が「良くない」と回答した人は、「どちらかといえば」を含めて前年比24・8ポイント増の87・7%に上り、日本政府が尖閣諸島を国有化した翌年の2013年に次ぐ過去2番目の高さとなった。

 

調査は18歳以上を対象に10~11月に行われ、日本では1000人、中国では10都市の1500人から回答を得た。日本側で中国の印象が「良くない」と回答したのは、89・0%(前年比3・2ポイント減)だった。

 

中国側では、日中関係が「重要ではない」と答えた人も、「どちらかといえば」を含めて前年比40・5ポイント増の59・6%で過去最高となった。日中関係の発展を阻害する主な問題を複数回答で聞くと、中国側は「東京電力福島第一原子力発電所の処理水海洋放出」が35・5%(同29・7ポイント増)で最も多かった。

 中国側で日本の情報を得る手段を複数回答で聞くと、「中国のニュースメディア」が75・2%に上り、このうち「携帯機器からのインターネット」が55・5%で最多だった。中国のSNSでは反日的な書き込みが多く、対日感情の悪化に影響した可能性がある。

日本の印象「良くない」、中国で87・7%に急増…日中関係「重要ではない」は過去最高 : 読売新聞

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■ 日本に5日間滞在して気付いたが、ここは非常におかしな場所―中国人ブロガー(記事) ■

Record China   

 

 

 中国のSNS・微博(ウェイボー)に1日、「日本に5日間滞在して気付いたが、日本は非常におかしな場所だ」との投稿があり、大きな反響を呼んだ。

 投稿者はフォロワー130万超の時事ブロガーで、冒頭で日本のおかしさについて「まるで東洋人が自分自身を切り離し、体の一部を捨てて、そこに西洋人の一部を縫い付けたかのようで、言葉では言い表せない不思議な感覚がある」と総評した。

 

 そして、「日本に来たばかりの頃、飛行機の客室乗務員からホテルのスタッフ、普通の店の店員まで、みんな非常に丁寧で、満面の笑みを浮かべ、明るい口調で話しかけてくることに気付いた。しかし時間が経つと、その明るい日本語は問題を解決しようとしているのではなく、ただ延々と意味なく明るく話し続けているだけであるこ

とに気付く。それは、壊れたロボットのようで、礼儀や丁寧さではなく、単なるプログラム的反応である」とした。

 

 また、「日本は非常にルールを守る社会に見える。誰もが自分のやるべきことに従い、境界線を越えず、赤信号を無視したり、ごみをポイ捨てしたりする人はほとんどいない。働く人々は礼儀正しく、会うと互いに深くお辞儀し、意味のない敬語を延々と話す。写真を撮る際も決まったポーズをとる。まるでそれぞれがあらかじめ書かれたプログラムを持っていて、ボタンを押すと自動的に決められたルーティーンを実行するかのようだ。一見すると全てが整っているようだが、長く見ていると少し息苦しく感じ、まるで『トゥルーマン・ショー』の世界に生きているかのような気分になる」と表現した。

 

 一方で、「職場の上下関係は非常に厳格で圧迫感が感じられるが、日本人の内面には狂気じみた自由奔放さもある」と言及。「夜になると社畜たちは仮面を脱ぎ、豪快に酒に酔い、叫び声をあげる。街を歩いていると背後から鋭い叫び声が聞こえ、それに続いて大笑いが起こる。深夜の街では、肩を組み、大声で騒ぐ酔っ払いがあちこちに見られる。これを見た人の中には『日本人は礼儀正しく、教養があるのでは?』と疑問に思う人もいるかもしれない」とした。

 

 さらに、「ホテルで目覚めた初日の朝6時過ぎに、白髪の老人が背を曲げ、上半身がほぼ地面と平行になるほど折りたたんで、道の清掃をしているのを見た。これはレアケースだと思ったが、後に他の清掃員や警備員、駐車場の管理員などもほとんどが高齢者であることに気付いた。ジャパンモビリティショーでも地面にはいつくばって車を研究する技術者、企業のビジネスマン、巨大なカメラを抱えてあくせく働くメディアのカメラマン、いずれも白髪の高齢者が多い」とし、「もし国内で、背中が地面と平行になるほど曲がった高齢者に重労働をさせれば、家庭や子ども、社会や政府も含め、叱責されるのが普通だろう。しかし日本では、これがごく普通の光景なのである」と説明した。

 

 また、日本の街がきれいなのはごみ箱が設置されておらず、人々がごみを持ち帰るからだとする一方、「中国の大都市も同じように清潔で、ごみの分別も行われている。中国には成熟した選別・リサイクルシステムがあるが、日本はこの産業化・科学技術によるごみ処理の工程を省き、あえて市民に負担を押し付けている」と主張。「観光客が集中する場所では、一晩でごみがあふれかえる。彼らの組織動員能力では、到底処理しきれない。これは見栄ばかり気にして、実際の問題を解決していない例である」と指摘した。

 

 日本に多い戸建て住宅にも言及し、「これを称賛する声も多いが、私の目には交通を極めて悪化させる原因の一つに見える。東京都市圏には人口が集中しているにもかかわらず、積み木のような戸建てを放置しているため、都市計画は混乱し、小さな建物が密集し、道路は極端に狭くなり、あちこちに2車線や一方通行の狭い道しかない。車の運転は苦痛の連続となる。東京の多くの一般市民は車を購入しない。駐車場が高額で予約も必要だからだ。戸建てに住む日本の中産階級や富裕層も、生活はかなり苦しく、多くは軽自動車しか購入できない」などと紹介した。

 

 そして、「日本の若者たちはみんな生気がなく、車も家も欲しがらず、生活は死んでいるように見える。夜に大っぴらに酒を飲む以外にほとんどやりたいことがないのだ」「中国の若者は貧富にかかわらず、あるいは過当競争に疲れていても新疆ウイグル自治区やチベットに行きたいと思う。しかし、日本の若者が向かうのは居酒屋や歌舞伎町だけだ」と主張。「東京はあまりに小さく、狭く、息苦しい。浅草寺は古風な商店街を模した観光地に過ぎず、南京の夫子廟、西安の回民街、重慶の磁器口などには遠く及ばない。東京湾も死んだように暗く沈んだ港であり、武漢の漢口、天津の海河、上海の外灘、重慶の洪崖洞とは比べようもない。東京ゲートブリッジも見た目は平凡で、青島の膠州湾大橋には到底及ばない」などと論じた。

 

 その上で、「30年前の東京は確かに素晴らしく壮観だったが、今は特に驚くべきものは何もない。食事も量は足りず、味は単調。見た目は華やかだが豪快に肉や炭水化物を頬張ることはできない。味や香りに豊かさや力強さがなく、小皿に冷たい料理が少しずつ出てくるだけ。日本酒も冷水にアルコールを数滴垂らしたようなもの。これがどうして楽しみや深夜の羽目を外した騒ぎを生むのか、疑問に思う」と酷評し、「人は一度、広大で雄大な風景に慣れると、このような小さな文明には圧迫感を覚える。この感覚を言葉で説明するのは難しい。要するに、東京には陽の気が少なく、陰鬱で死んだような空気が多い。文化の中にも、ポジティブで明るく前向きな要素はほとんどない」と主張した。

 

 同ブロガーは「日本はまさに小さな『ショーケース国家』で、着物を着た操り人形やマリオネットが、まるでレゴの城の中で『現代文明』という人形劇を演じているかのよう。食事から礼儀作法、生活習慣に至るまで、彼らのすべては『展示』のために存在し、プログラムされたように繰り返している」とし、「(日本は)国土が狭く、資源が乏しく、文化的にも貧弱。精緻さや奇抜さなどは自らの不足や窮屈さを隠すための手段にすぎない。口では自由を叫ぶが、実際には上下の階級が厳格に分離され、至る所に封建的な名残が残る。自由市場を尊重すると言うが、実際は極めて閉鎖的で保守的なのである」と論じた。

 

 そして、「彼らは科学技術が進んだ先進国だと自称するが、実際には欧米の支援や国際市場に依存し、長年にわたって吸い取られる立場にある。ここでの窮屈な生活や抑圧的な雰囲気は、人々を異化させる。数十年にわたり、イノベーションや活気あふれる発展を見ることはできていない」とし、「この場所は、観光や珍しい体験には向いているが、生活や発展には適していない」と結んだ。

 

 この投稿に中国のネットユーザーからは2000を超えるコメントが寄せられており、「素晴らしい文章だ。日本社会全体がよく理解できた」「これは真実。特に東京に関する描写は」「東京五輪の開会式の演出も、陰鬱(いんうつ)としてたからね」「仮面をかぶる日本」「そういう抑圧的な環境だから変人が多く生まれる。日本はまさにそう」「日本は『中身』より『形式』に重きを置く国」「日本人は重要じゃない些細なことに必要以上にこだわり、それに自己満足する傾向がある」「20年くらい前に初めて日本に行った時は、この国には多くの長所があると感じた。でも今年また東京に行ったら…。日本が変わったんじゃなく、われわれが強くなったんだ」「仕事で何度も日本に行ってるけど、投稿主に完全に同意。日本は将来性のない死にゆく国。何も変化がない」といったコメントに共感が寄せられている。

(翻訳・編集/北田)

日本に5日間滞在して気付いたが、ここは非常におかしな場所―中国人ブロガー

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<私の考え>

 記事を2本上げました。1本は約1年前の記事でもう1本が直近のものです。

 日中間の政府間の関係は、今後長い期間改善することはないです。台湾問題、尖閣諸島問題が大きな対立点になり、両方とも中国側がいうところの「中国にとって核心的利益」に関わるものです。

 

 これは日本も同じことで、両者が互いの意志を重視する中で改善する余地はありません。

 さらに両国民間の感情も、政府間に負けず大きく改善を見出すことはできないと思われます。

 

 日中間が改善あるいは一方側の支配力が強化するためには以下の状況が起こることだと思います。

(1)経済的に日中間が完全に離れ、日米の関係が崩壊あるいは中国の経済力が米国を完全に上回った場合

(2)台湾政府ならびに日本政府が中国政府に軍門に下った場合

   特に日本の場合、中国の帰化人が多数になり、マスコミあるいは行政的に中国を受け入れざるを得ない状況になった場合を含む(「トロイの木馬」状態)

(3)中国共産党内で経済推進派あるいは国際協調派が勢力をつける状況になった場合

(4)中国国民により中国共産党を崩壊させるか、中国共産党以外の党が存立する状況になった場合

 

 中国のブロガーの文書は、中国人たちに対し日本の弱体化あるいは日本の課題を浮き彫りにしたように見せかけ誘導していますが、中身は貧弱で説得力はなく、ただの屁理屈を述べているに過ぎません。どのような状況であれば日本は立場が良いのか、あるいは日本が弱体化していることについて中国はどのように優位に立っているかの説明がまるでついていません。

 

 たとえば、彼の言い方であれば大谷翔平選手すらけなすのが容易に可能です。

 

 さて記事について、一応「ごく一般的な中国嫌いな日本人(私)」として突っ込みを入れさせていただきます。130万人ものフォロワーが付いている方に私のようなポンコツが突っ込みを入れるのはおこがましいことですけど。

 

 まず、客室乗務員や店員に対して、ロボットみたいということですが、傲慢な中国人「ごとき」が何を期待して日本に来るかと問いたいです。

 あなた方のような「ごきぶりまがいの人間」に笑顔で接するだけで感謝すべきです。

 大声を張り上げ、秩序を守らない中国人たちにはロボット的笑顔でももったいないぐらいす。それとも本国中国人の店員のように仏頂面で接した方が良いのでしょうかね。

 

 次にルールを守ることを「息苦しく感じ、まるで『トゥルーマン・ショー』の世界」としていますが、列をなすことは結局、過ごす人々の公平性、合理性につながります。さらに日本の過密ダイヤの電車が定時に運行できるのはバカな中国人たちの言う『トゥルーマン・ショー』のおかげです。

 列を乱して罵り合いになることが良いことでしょうか。日本において秩序が整っていますが、中国人たちは決して自発的にはできないですから、「野蛮人である中国人」への自己批判でしかないですね。

 

 社畜の夜の羽目外しについては残念ながら認めざるを得ないです。酒にかかる日本文化は「無礼講」も日本にとってとても恥ずべかしい文化であることは間違いないです。「酒の場だから~」で許す、あるいはそのことを理由に許しを請うことは、もっとあってはならないことですが、それでも中国人の「昼(しらふ)であっても無秩序な行動、無礼な対応」よりは格段にマシだと言えます。

 人の事よりまず自分たちが恥ずかしくない態度を取るべきではないでしょうか。

 

 白髪の老人の清掃作業について、中国ではだれが清掃作業を行っているのでしょうか。このブロガーは「老人がこき使われているのは健全ではない」という正義心での言葉なのでしょうけど、それであれば何が健全なのでしょうか。

 高齢で働いている方には二種類あります。一つ目は貯えがなくやむなく働いている人、もう一つは本人の健康のため、社会と関わり続けたいため、加えて、いつまでも人の役に立ちたいから働いている人も日本には多くいます。

 

 その背景も理解できず、高齢者を働かせるのはかわいそう、あるいは誤りという思い込みこそ中国人らしい発想です。但し生活苦のために働いている老人については、中国人のクズたちが近親者を頼って日本に移住し、日本の生活保護を受けるおかげで、日本人の老人たちに手厚い支援が届かないことを理解できているでしょうか。

 また、自分の思いで働いている人たちについての哀れみについては、国民全体が生き生きと生活できる方が良いという発想にはならないのでしょうね。中国人のように怠け者ではなく、日本人一人一人は生真面目で民度が高く、公共性を有していることを理解できないのでしょうね。理解できない事が本当に可哀想です。

 

 ごみについてはまず先に言っておきたいことは、「日本人にとって民度の著しく低い本国中国人の多くが、ゴミである」という事です。

 さらにこのブロガーの言いがかりごみのシステム構築が「(中国の)大都市」だけを指しているということです。掃除を行う多数の人がいて、大きな維持費のおかげで、美しさが保たれています。中国の大部分はひどい状況である事を前提としなくてはなりません。これに対して東京に限らず日本全国で行われているということです。前提として国民の「民度」が「月とスッポン」であることがあります。

 いまだに中国国内の多くの「ニーハオトイレ」で男女ともに他人の尻を見せ合って用をたしている人たちにとやかく言われたくないです。

 

 中国人が清潔さを維持するのは「社会がやること」、日本が清潔さを保つのは「社会と個人の両者がやること」で成立しています。

 中国人は「公共性をもたない野蛮人」だと自分で言っているわけです。唾を上に向けて吐くのが本当にお得意なようです。

 中国人の文化は「自分の家の中はとてもきれいだが、外は汚い」とよく言われます。

 街を美しくしたい、とりわけ京都の朝では、町屋の方々は今も玄関前の公共の場を今も丁寧に掃除されていますが、これらを社会インフラ、国や公共団体が整えることとしてくくってしまう、低能な考え方でしかないですね。

 

 戸建てと道路について、土地を所有できない中国人ごときには理解できない事柄です。戸建てについてはまず、土地所有がかつて財産だった日本の文化があげられます。

さらに自然を愛する日本人は、庭作りをするのが好きな人が多いということです。

 東京に緑が多いのもそういうことであり、中国人アホブロガーはマンションにする意味、建物を高層化する合理性を説いているようですが、そのことが文化的あるいは公共性と勝手に勘違いしているようですね。日本の社会を理解しておらず、独りよがりで身勝手な中国人には理解できないのでしょうね。

 

 道路についても、中国のように土地が国有ではないわけで、道路にするには民有地を購入しなくてはならないことが頭で理解できないのでしょうね。中国では公が私人から土地を収奪するのは朝飯前かもしれませんが、民主国家日本で、国あるいは地方自治体は法律を守り、国民の所有権を盗賊のように強奪することが決してありません。

 さらにパブリックコメントも重視しながら都市計画を進めているのが現状です。

 

 そのため、国民の生活向上のために都会では公共交通機関が発達しているということもわからないのでしょうね。いま日本で中国人たちが日本の土地を買いあさっていますけど、矛盾しませんかね。

 このアホブロガーはそれについて、日本の鉄道は複雑すぎる、混雑しすぎるといちゃもんをつけるのでしょうけどね。もしかすると「時間を守りすぎ、精神衛生上悪い」といちゃもんをつけるかもしれません。

 

 さらに軽自動車しか買えないというのは全くの理解不足です。

 マンション購入する人で駐車場がある場合は、都内を中心に高級車を購入しています。軽自動車は税金のこともありますが、取り扱いが楽ですし、環境問題を考えても立派なことです。「中国人のように自分の価値を高めるために『見栄を張るため』にクルマを購入する」という非合理的な考え方に対し、成熟した日本人にはなくなり、各人が必要なクルマを購入する状況になっているということがわからないのでしょうね。全く自分たちが未成熟な精神しか持ち合わせていないことも理解できず惨めです。

 日本の軽自動車の方が中国の大きなボロ自動車よりずっとメンテナンスもなく走ります。

 

 若者に生気がないことは否定できません。ホストに狂って売春する女の子たちはどうしようもない存在であり、お客の女性たちを借金漬けにしてまで食い物にするホストも中国人同様最大のクズであるのは間違いないです。

 

 しかし、それは個人的なことであり、集団カンニングしてでも資格を取ったり、それを請け負う若者たちと比較して日本人の若者はどうでしょうか。社会秩序を乱しても自分さえ良ければそれでいいという中国人にとって「見つからなければ正義」ということでしょうけどね。さらに中国人たちは中国国内でなく、他国に来ても同様な不正を働きます。それに対しチェックの甘い日本を非難するのでしょうけど、不正を働いても見つからなければ「善」という中国人の考え方は品格も誠実さもないクズ行為そのものです。

 

 結果がすべてで努力の過程は意味をなさないとする中国人のゴミたちに日本人の若者たちを非難する権利すらないと思います。 

 中国人が常に注目するサッカーを見ただけで若者の生き方はわかります。

 日本の若い選手たちの向上心と努力と比較し、中国人の選手たちの無様さはどのように表現するのでしょうか。日々の努力がないから結果が出ないのです。

 人と協調することができず、日々の努力もできないから常に「日本のサッカーがうらやましい」としか言えないのですよ。

 このアホブロガーが「ロボットみたい」という日本人の日々の行動が積み重なって現在の結果になっていることも理解できないでしょうね。

 

 さらに都市としての東京と中国を比較しており、「浅草寺は古風な商店街を模した観光地に過ぎず、南京の夫子廟、西安の回民街、重慶の磁器口などには遠く及ばない。東京湾も死んだように暗く沈んだ港であり、武漢の漢口、天津の海河、上海の外灘、重慶の洪崖洞とは比べようもない」としていますね。京都あるいは全国に散らばる小京都と呼ばれるところにくまなく足を運んでもこのような傲慢なことが言えるでしょうか。

 これについて、「たかが東京1都市」に対して、雁首揃え、いくつの都市を並べているのでしょうか。中国の観光地が束にならないと東京一つとも対抗できないとは悲しくならないのでしょうか。東京と比較するなら北京だけでおこなえばいいと思います。ただ、紫禁城以外見るべきものはないですね。中国共産党が「無抵抗な一般民衆」を虐殺し、血塗られた天安門広場と比較してみてはどうでしょうか。教科書で教えてもらえないからわからなかったのでしたっけ。それは失礼しました。

 

 このブロガーは5日間しか東京に来ていないとしていますが、日本は東京だけではないです。浅草寺としか比べられない教養レベルで何を独り言のようにつぶやいているのでしょうかね。何よりも文化施設に甲乙を付けようとする教養レベルが低すぎますね。

 教養のないこと山のごとしです。何を比較しているのかもわからないです。

 そういえば、中国人の若い女性たちが趣味の悪い色の浴衣」を着て、品なく山のように「大股で」歩いていますね。そのおかげで景観がとても乱れています。日本人女性は中国人のような趣味の悪い色を使用しませんけどね。

 

 そして、食と酒への中傷は、このブロガーの素養のなさが際立っていますね。

 こういう表現は本来好みませんが、東京においてミシュランで星をもらっているお店が何軒あるかこのアホブロガーは承知しているのでしょうか。世界一ミシュランで星を獲得した店が多いのは東京であり、そこを一通り回ってから偉そうなことを言ってもらいたいものです。

 中国の飲食店のように廃油を使用した食べ物の店が優れているのでしょうかね廃油料理を摂取したおかげで頭が完全におかしくなったのでしょうね。

 どこで何を食事をしたかもわかりません。どの面下げて偉そうに言っているのでしょうか。

 

 さらに日本酒を「冷水にアルコールを数滴垂らしたようなもの」という表現には「自分は世界一の無能者」「自分は微妙な味が一切わからない下衆」と言っているようなものです。

 お酒についての知識がゼロですね。日本酒はアルコール度数が15度前後、ワインは12度~15度なのでワインよりもアルコール度数が高いです。醸造酒は、ほとんど原料に含まれる糖だけでアルコール化されるのでアルコール度数を上げるのに限界があります。おおよそ15度までです。そんな知識もないのでしょうね。とりわけ、酵母を使用する難しさも全くわからないのでしょうね。日本は世界で最も多様な酵母を扱っている国です。

 

 この中国人が飲んでいるのは焼酎系の蒸留酒でしょうかね。

 日本には世界から評価されるウィスキーの「山﨑」「響」があります。蒸留酒も中国に負けないものが多くあります。泡盛であれば、さらに高い度数が飲めます。50度を超えるものもあります(テキーラが55度あたり)。そんなこともわからず、自分の知識のないことを自慢しているのでしょうかね。

 日本酒が冷水にアルコールを数滴垂らしたようなものとしか言えないのであれば、ワインもぶとうジュースにアルコールを数滴足らしたものと表現するのでしょうかね。

 フランス人にアホ面こいて、是非喧嘩売ってください。

 

 日本酒は世界でも製造するのがむずかしいアルコールの一つです。アルコール発酵が進みすぎると酢酸(お酢)になります。そこの微妙なところで作り上げた究極のアルコールだということがまるでわからない大バカ者なのでしょうね。こういう人間はエチルアルコールを飲めば十分なのではないでしょうか。

 特に酵母を上手に使い、「水のごとし」と作り上げる日本酒はとてもむずかしく、またいろいろな料理に合わせられるものです。

 

 このアホブロガーはそのような微妙な舌も持ち合わせていない低俗な輩ということでしょうね。

 

 そして最後に日本ならびに日本人を小さく、マリオネットと称していますが、まず自分たちがどういう立場かを教えてもらいたいものです。

 傲慢さだけで生きていて、謙虚さもなく、強いものにへつらうだけで他者へのリスペクトを全く持ち合わせない反日だけが取り柄のクズ中国人が何の知識もなく、悪意ある思い込みだけで書き綴られた言いがかり的評価ということでしょうか。

 何よりも「中国のいいとこ取りをしたもの」と日本を比較し、自分たちの大部分の悪い点を見ないことにした主張をしていることについて自己疑念がないのでしょうかね。日本を認めたくない一心の「愛国行動」でしょうか。御立派なことです。

 

 なお、このクソ文章を読んでなんら疑念を持たず、同意あるいは肯定する中国人たちも末期的ですね。

 この文章を全面的に信じてもらっていいのでゴミクズの中国人たちは日本に来ないでください。ゴキブリの方がずっとかわいく思います。   

 これのアホ文に添削を入れる私はもっとアホかもしれませんけどね。ただ、標題でも記載したのですが、逆の読み方をすると実は日本を褒めている文章とも言えなくはないですね。酷評はすべて逆の言い方もできるそういう文章です。「それで中国は~」と逆質問するとすべて「『だから』、あるいは『だけど』日本は優れている」という言い方ができるんですよね。

 

とはいえ、「日本の空の青さ」だけは『大人の対応』として褒めていただきたいものです。これを維持するために日本政府と日本国民がどれだけ努力したかを示せる指標となります。これを達成していることこそ「日本の民度の高さ」「生活向上のための最大の努力」「総合科学力」の象徴になります。

■韓国国防部長官、公開的に「日本に失望」…ブラックイーグルス給油拒否で波紋広がる(記事)■

2025.11.10配信

中央日報

 

 安圭佰(アン・ギュベク)国防部長官が9日、日本との軍事安保協力に関連し「安保協力関係を緊密に維持しようと述べたが、その後(日本が)また違う姿を見せて失望を感じさせる」と述べた。韓日首脳が未来志向的な協力を強化することで同意した中、当局者が日本政府に公開的に失望感を表したのはやや異例という評価が出ている。

 

 安長官はこの日、KBS(韓国放送公社)日曜診断ライブに出演し、「日本と軍事協力までではないが、安保協力関係は緊密に維持し、北の核・ミサイル高度化に能動的に対処していこうという意見で一致し、往来もしようという話をした」とし、このように述べた。1日の韓日国防長官会談でどのような話をしたのかという司会者の質問に答える過程だった。安長官は1日、マレーシアのクアラルンプールで開催された第12回ASEAN拡大国防相会議(ADMMプラス)を契機に小泉進次郎防衛相と韓日国防長官会談を行った。

 

 安長官は具体的な事例に言及してはいないが、最近、日本政府が韓国空軍ブラックイーグルスT-50B特殊訓練機に対する中間給油を拒否したことに対して事実上遺憾を表明したとみられる。

 

 これに先立ち韓国国防部と日本防衛省はブラックイーグルスチームが今月17日に開催されるドバイエアショーに参加する前、日本航空自衛隊所属の那覇基地に中間寄着する案をめぐり議論してきた。両国はブラックイーグルスが日本国内の米軍基地または日本自衛隊所属基地を利用することで合意したが、日本側は先月30日の韓日首脳会談を控えて那覇基地寄着計画を中断すると通知した。先月28日にブラックイーグルスチームが独島(ドクト、日本名・竹島)付近の東海(トンヘ、日本名・日本海)上で訓練を実施したことを問題にしたという。

 

 ただ、先月30日の首脳会談で李在明(イ・ジェミョン)大統領と高市早苗首相が「韓日両国民が実感できる実質的な協力が引き続き拡大するべき」という意見で一致した。これによる両国間の葛藤が表面化しないよう管理する雰囲気だった。

 

 しかし5日、韓国国防部が日本側に韓国軍楽隊の自衛隊音楽まつり参加を取り消すという立場を伝達したことが把握され、両国間の乱気流が感知されている。一種の抗議性の措置と解釈されるが、それでも日本はブラックイーグルスの寄着拒否決定を覆さなかった。今回の事案が外交的葛藤に広がる可能性も排除できない。

 

 安長官はこの日、「日本が持つ本質的な問題があり、過去の問題などについては断じて譲歩できない状況」とし「そのようなことを前提に『狡兎三窟』の姿勢で日本に対応しなければいけない」と明らかにした。用心深いウサギは身の安全を守るため穴を3つも掘っておくように、日本に対応する時は予想外の状況にも常に備えるという趣旨だ。両国間の協力構図が続いても問題を提起するべき点は指摘するという意味とも考えられる。

 

「米商務省、米国内で原潜を建造するよう要求」…韓国政府、ますます発表が遅れるファクトシート | Joongang Ilbo | 中央日報

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<私の考え>

 この記事を見て、やはり韓国政府というのは我慢のできない「おつむの弱い政府」なんだということを再認識しました。

 

 今回の竹島での飛行訓練は10月28日に行われ、日韓会談は10月30日に行われました。

 高市早苗首相は、首相就任のあいさつで韓国に配慮を示した言葉を出しました。

 

 韓国の行動はいつもですが、日韓会談前に日本を試すような行動を今までも繰り返してきました。日本側が抗議行動を行えば、韓国内で日本に強く出る姿を見せられるし、仮に行動を起こさなかった場合は、「日本が黙認した」というアリバイ行動となり、どちらにしても韓国政府にとってプラスになるという流れです。

 

 今回も、APECに合わせ、日本が韓国を訪問することとなり、日韓首脳会談が行われることが確定したことから、本質は反日大統領である李在明が従来の反日大統領同様仕掛けてきたのだということです。

 ここで想定外だったのは、高市首相が上でも記載したように、韓国と対立する行動ではなく融和策を取ってきたことです。

 

 日本では報道されていませんが、李在明は訪米した時、トランプ大統領に対し、慰安婦問題の話を投げかけた(事前の事務方折衝で議題に上げるように提案された)ことにトランプ氏が激怒し「韓国は解決したはずの慰安婦問題をいまだに執着している」と言葉をはき、米国に行く直前、日本訪問時に「きちんと話をし解決に道筋をつけた」(実際は話されていない)と手のひら返しの言い訳をしています。

 

 ぽつんとこの記事が上がったとき、日本国民の大部分は何が起きていたのかわからないようですが、李在明政権になり、韓国内では再び反日行動を起こしたい勢力がわらわらと出始めており、一方李在明の反対勢力も大きくなり、人気取りに反日カードを使用しよういう気持ちが李在明本人に湧きつつあるような状況です。

 

 ブラックイーグルスの竹島での練習は、単なる練習でなく「太極旗」の模様を描く行動だったことが重要です。竹島上空で「太極旗」を掲げるとは、すなわち、韓国に訪問する高市早苗首相に対し、「竹島は韓国領土である」ことを示威行動を実施したということです。

 

 これらの編隊は日本で給油することを計画しており、それらを一連につなげると、「竹島が韓国領土という行為をおこなった韓国戦闘機に日本が給油を認め、日本を素通りさせる」という行動を完結させるということです。

 

 かつて日本のPKOが配置されたところに韓国の軍人がやってきて、自衛隊と一緒にハングル文字を掲げた記念写真を撮ったのを政府レベルでやろうとしたのです。

 この時の掲げた文字は「竹島は韓国領土」という文字です。

 韓国人は常に人をだますこのような行動を取ろうとします。

 

米軍基地で韓国兵が自衛隊員を騙し「独島は大韓民国領」と写真撮影

 

 そして、今回の事柄について、日本側は日韓間の改善をさせるため事をあらだてないように「大人の対応」をしましたが、韓国は日本において軍楽隊を出席させないと対抗措置をしたことに巷で「しょぼい」対抗措置と言われたため、今度はこのように公表する行動を取ったと推察されます

 

 給油措置は日本の好意であり、現在の日韓間の軍事的相互対応では義務ではないですが、自分たちの失点を日本になすりつけ、さらに韓国内へのPRに使おうとする姿はあまりにぶざまです。

 相変わらずのバカさですね。

 

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■ 中国の駐大阪総領事、高市首相に「その汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやる」 「台湾有事」めぐり暴言→削除(記事) ■

配信

J-CASTニュース

 

中国の薛剣(せつけん)駐大阪総領事が2025年11月8日深夜、高市早苗首相による台湾有事をめぐる国会答弁について、Xで「その汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやる」などと投稿し、後に削除した。

 

薛氏はこの記事を引用すると、「勝手に突っ込んできたその汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない。覚悟が出来ているのか」(原文ママ・以下同)とし、怒り顔の絵文字を添えた。   薛氏の投稿は波紋を広げ、「文脈からして高市首相への殺害予告とも読み取れるので極めて悪質」などとする批判を呼んだ。

 

 21年にも「台湾独立=戦争。はっきり言っておく!」

 

 薛氏は、中国の攻撃的な外交スタイル「戦狼外交」の代表例として知られている。  過去にもSNSで過激な主張を繰り返しており、21年には台湾問題に関連して、「台湾独立=戦争。はっきり言っておく! 中国には妥協の余地ゼロ!!! 」と投稿。これに対し、松原仁衆院議員が「言語道断である。このような恫喝は、断じて許されるものではない」などと質問主意書で批判した経緯がある。

 

  25年6月には、Xでナチス・ドイツとイスラエルを同一視する投稿を行い、イスラエルのギラッド・コーヘン駐日大使から強い批判を受けた。

 

  松原仁氏「ウィーン条約に基づき国外追放すべきだ」

 

 薛氏は9日夕方までに投稿を削除した一方で、「台湾問題は日本は関係ない、中国の問題なのだから中国人が解決するべき!」など、自身の主張を支持するような投稿をリポスト(拡散)している。

 

  また、中国人民解放軍の動画を添え、「中国人民解放軍の真実の姿は今ご覧の通りで平和を守る世界一強力な砦となっている。中国内政への干渉、国家主権の損害、台湾両岸統一の妨害などは一切許さい」とも主張。

 

  別の投稿では、「『台湾有事は日本有事』は日本の一部の頭の悪い政治屋が選ぼうとする死の道だ」と訴え、持論を展開した。

 

 「日本国憲法どうのこうのはともかく、それ以前に中日平和友好条約の法的義務に違反し、第二次世界大戦勝利の成果の一つである台湾の中国復帰を無視し、敗戦国として果たすべき承服義務を反故にし、国連憲章の旧敵国条項を完全忘却した余りにも無謀過ぎる試みだ」 

 

 そうした上で、「くれぐれも最低限の理性と遵法精神を取り戻して理性的に台湾問題を考え、敗戦のような民族的潰滅を喰らうことが二度とないようにしてほしい」と結んだ。

 

  過去にも国会で薛氏の発言を批判していた松原仁氏は、薛氏の投稿を引用し「ペルソナノングラータ(※好ましからざる人物。外交官は派遣国から任命されるだけでなく、接受国からも承認を得る必要があるとする考え方)と国会で何度も訴えてきた。ウィーン条約に基づき国外追放すべきだ」としている。

中国の駐大阪総領事、高市首相に「その汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやる」 「台湾有事」めぐり暴言→削除(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース

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 <私の考え>

 中国と北朝鮮の外交官は世界で最も品格がない「二巨頭」です。

 今回の事柄について、良い、悪いの前に中国側から高市首相の行動について考えたいと思います。「ペルソナノングラータ」を突き付けるか否かはそれからの話です。

 

 日中間の行動として、中国側から見た日本は「騙された」という考えが支配しているということです。 

 韓国での日中間の首脳会談については、習近平氏が高市早苗首相と会談したことについては中国側からすると会ってやった(恩を売った)」と考えていることを日本側は理解すべきです。実際、インドや米国の会談とは異なりそのことをわざわざ中国マスコミが伝えています。

 

 日本の首相が中国の首相と首脳会談する(二か国と限らず)ことは今までもありましたが、習「主席」と会談することは、現在の日中関係からいうと「異例の出来事」だったと理解すべきです。このあたりの説明をマスコミも全くしていません。

 マスコミが今回の会談が当然のことのように行われたとするのは、韓国に李 強(り きょう)首相でなく習近平が直接APECに来ているので会えて当然としていることと、高市早苗氏に対して「得点を与えたくないから」に他ありません。日本の外務省は調整のために相当頑張っていたのは非公式の説明でよくわかります。

 

 習近平が日本の首相と会談した直近は誰でしたでしょうか。

 石破さんはありません。岸田首相が2022年11月にバンコクで会談しています。その前は2019年です。大阪サミットの時で当時安倍首相が行っています。習近平がニコリともしない仏頂面をしたあの有名な会談です。

 

 中国は常に「兵法」にのっとった対応を行い、強い相手にはへりくだり、弱い相手にとことん上から目線で対応します。

 愚かな相手にはおだてて厚遇し、蹴落としたいライバルには冷遇したり難題を振っかけりするということを行います。この前者は金正恩であったり、韓国大統領であり、後者は日本の歴代の中国に対し警戒感を持っている首相で安倍さんや高市さんはまさにこれにあたります。

 

 今回中国首脳は日本に対し「煮え湯を飲まされた」と考えています。これはいつ以来かというと民主党政権野田首相以来のことだと思われます。

 当時の主席は、胡錦濤であり、日本が尖閣諸島を国有化に対し、核心的利益に対するものであり、「一線を越えた」と怒りをあらわに激しい言葉を吐いています。

 

 この時の問題は日本の海上保安庁巡視船に中国の漁船(工作船)が体当たりする行動をしたことも日本側が硬化した原因でしたが、民主党の鳩山や菅が対米協調路線から逸脱し、中国に足元をを見られた結果ですが、民主党は中国の腹が理解できない状況で、外交を完全に破綻させてしまいました。

 その結果「今の日中間の流れを作ってしまった」と考えてもよいでしょう(立憲民主党が日本国民の信用を得られなかったのは鳩山~菅の所業だけでなく、この時の対応も関係しています)。

 

 高市首相についてはAPECの場で代表の林信義(りんしんぎ)総統府顧問と会談し、さらにXでその模様を投稿しています。

 

 日本国内では「よくやった」という言葉が出ていますが、中国大嫌いの僕もこれは「いかがなものか」という感覚にありました。あまりに性急な対応ではなかったかと思います。高市首相の就任早々いきなり中国の面子をつぶしている行為だと思います。仮に面会するなら、今回に限っては茂木外相で良かったのではないでしょうか。台湾は中国にとって核心的な利益にあたります。そこで、虎の尾を踏むなら、きちんと今後の戦略を持ち「覚悟」を持つべきです。

さらに習近平は、現在中国の皇帝と言っても過言ではありません。あの傲慢な王毅(外相)ですらぶるぶる震える相手です。

 

 仮に高市首相が習近平に会う前に林信義(りんしんぎ)さんと会談していたら絶対に面会に応じていないと思います。前もって「会う」と言っていれば、それでも習近平が会うというのであれば問題なかったですが、中国側からすれば「違反行為」対応という感覚だったでしょう。

 

 これまでに日本政府が中国から多くの煮え湯を飲まされているからこの程度で「ガタガタ言うな」という言い方もできるかもしれませんが、今回の薛剣の行為はありうることだったと理解すべきです。

 高市さん同様、「X」で投稿したのも、高市さんが行ったのと同じ手法ということです。

 さらに日本側から投稿を削除するなら上げる必要はないじゃないかという意見が方々で出ていますが、「はじめから削除する」つもりで敢えて出したと思います。かねてから強い口調で話し続ける薛剣(せつけん)に言わせたのは戦術です。中国政府は日本の手順をある程度読んだ中で偶発的な対応ではないと心得るべきです。これに加え、日本がどのような行動に出るかも踏んでいるのだと思います。

 

  重要なことは習近平にとっては「日本と会談する」必要はなかったが、高市首相とトランプ大統領の関係が短期に構築されたこtから中国外交部(王毅外相)がセッティングしたにも関わらず、高市首相はその後、台湾側と面会し、さらに国会答弁で中国とファイテンングポーズを取る演説をしたため、習近平以上に外交部の顔がつぶされたということになります。

 

 「ペルソナノングラータ」を突きつけるならどうぞ、中国(外交部)もそれに対して同じ行動をするでしょうという対応になると思います。

 まずは、日本大使館の誰かに「ペルソナノングラータ」を突き付けた上に、さらにそれだけで済まず日本の民間社員をスパイ罪で逮捕し、高市首相が日中協議中国に突き付けた言葉に上書きして高市さんに恥をかかせる行動に出ることが推測されます。それが「中国の外交」です。

 

 松原さんが安易に「ペルソナノングラータ」を実施すべきというのはあまりに短絡的で相手の挑発にのるものだと思います。気持ちはわかりますが、中国が非道な独裁国家であることを忘れてはなりません。

 対中国への対応手段は建前の話でなく、冷静に「実」を取ることに終始すべきだと思います。

 一つ言えるのは、高市早苗首相は彼女の政権時、今後習近平との会談は一切なくなると考えた方がいいでしょうね。仮にあるとしたら彼らが相当得たい案件か米国がらみの特定案件についてのみだと思われます。